97年度著作へ

1997年5月4日

「インターネット瞑想記」

小説現代6 97年 第35巻9号

公文俊平

四月〇日

 世間の大勢には抗しきれず、長年愛用してきたマックから、ウィンドウズ・マシンへの乗り換えを少しずつ試みている。だがなかなかうまくいかず、悪戦苦闘の毎日である。同じインターネットにつなぐのでも、なんとなく勝手が違って、あたふたさせられる。

 そんな時、書棚に置いてあった、クリフ・ストールの『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社)にふと目が行って、そうだ今度はこれを読もうという気になった。寝室に持ち込んで、眠る前のひとときをそれにあてる。何となくフラストレーションを解消してもらえそうだ。

しかも、この本を書いた著者の本心は、「インターネットがアメリカの津々浦々、アメリカ中の家庭に普及する日を心待ちにしている」ところにあるそうだ。なお結構ではないか。

四月〇日

二日目。いや、実に身につまされるところが多い。私は、コンピューターやインターネットに関しては素人もいいところなのだが、それでも毎日それなしには過ごせないユーザーの一人なのだ。しかし (だから、というべきかもしれないが)何となく得体の知れない迷路に迷い込んだような気がして、いらいらしたり不安になったりすることがあるのも事実だ。それだけに、著者の小気味よい批判には、快哉を叫びたくなる。

 だが、それにしても、少し行き過ぎではないのか。著者は、これこそ理想の社会への戸口だといってインターネットを祭り上げるエバンジェリストたちや、コンピューターやインターネットの効能を誇大宣伝して大衆に売りつけようとしている商業主義者たちを、手厳しく論難する。それはいいとしても、インターネットが「からっぽの洞窟」だとか、「人情や親切心不在の世界」だと断言してしまうのは、それ自体が誇大宣伝ではないのか。 しかも、ざっと見たところ、著者は、同じような非難を、手を変え品を変えて、何百ページもにわたって続ける気らしい。前著 (『かっこうはコンピューターに卵を産む』) で見せたようなハッカー追跡の執念と同じ調子で、延々と非難攻撃をやられたのでは、さすがに付き合いきれないなと思う。

四月〇日

 最初の二章を読んだあと、二、三日ほっておいたのだが、やっぱり何となく気になり、週末の一日の大半をかけて、残りを読んでしまう。

 読み進むうちに、著者の気持ちが、コンピューターとインターネットに対する徹底的な思い入れと、その不十分な現状やそれを過大評価したり乱用・悪用したりする人々へのやるせない憤懣との間を、ゆれ動いていることがよくわかって、一気に読んでしまった。

 なにしろ、著者は、人間は「最小限の努力の法則」に従う生き物だから、学者といえども、手っとり早く情報が入手できるようになると、もうそれ以上本格的な情報収集の努力をしなくなる、といって図書館のオンライン化を批判したかと思うと、ほんの数ページ後で、「人はわかりやすく使いやすいものを好む」から、ビデオ・オンデマンドよりはレンタル・ビデオを、オンライン図書館よりは本物の図書館を選択するのだ、などといいだす。

 そうかと思うと、情報は無料ではない、利用度に応じて料金を取れと主張した直後に、「どうして誰もが最新ニュースに目を通せるような、コミュニティ情報サービスセンターに図書館を改造しないのだろう」といぶかり、さらにそれに続けて、現実には「図書館を拠点に、無料ネットワークシステムが地域社会に浸透しつつあるのだ」とも指摘する。

 結局、この本は、著者自身が認めているように、「困惑しながら思いつくままに書いた瞑想録」、それも無我の境地に達する以前の雑念や妄想や執着をそのまま読者に出してみせた本なのだ。著者の主張のエッセンスは、「前進するにしても、警戒しながらそうしよう」ということに尽きる。

 読後感その一。著者が「瞑想」の過程で念頭にのぼせているさまざまな論点、とりわけインターネットの現状の批判や、既存の情報システム (とくにこれまでの図書館中心のシステム) の再評価は、傾聴に値すると思う。それに比べると日本の図書館システムは、いかにも不備なところが多過ぎた。図書館のオンライン化は、そんな日本でこそ先行してしかるべきかもしれない。

読後感その二。本書は、訳文が実にすばらしい。通常の翻訳書とは段違いのできだ。訳者あとがきを読んで、この訳者は日米の二つの文化にまたがる家族を作っている人らしいことを知り、さもありなんと思う。日本にもようやく、信頼のおける文化間仲介者が現れてきたのだ。

四月〇日

 読書日記の原稿を依頼されたので、ストールの本を取り上げて書こうと思い、コンピューターの前に座る。そこでちょっとした困惑を覚える。この原稿は電子メールで送るつもりなのだが、どのマシンとワープロ・ソフトを使うかをすぐには決めかねるのである。

 メールならマックが一番使いなれている。しかし、ワープロ自体は、昔からオアシス一辺倒で来た。今では、ウィンドウズ・マシンと一体化したオアシスがあるので、原稿を書くだけなら、そちらがずっと楽だ。だが、オアシスで作った原稿をそのままメールにして送る自信は、今の私にはない。いったんMS−DOSのテキストベースに変換して送ることは、もちろんできる。しかし、ウィンドウズ・マシンに電子メール・ソフトを載せたのは、ほんの数日前のことで、使うのは今日が初めてだ。しばらく考えた末、オアシスとウィンドウズの組み合わせに挑戦してみることにした。書斎の生産性向上への途は遠い。