97年度著作へ

1997年6月1日

「インターネットの新しさ」

日本電子計算機 掲載

公文俊平

インターネットが可能にしつつある「電子商取引」や「サイバーコミュニケーション」、「直接民主主義」の可能性について、賛否両論が起こっている。これまでの代表制民主主義の下で機能してきた政治家やロビーストたちにとっては、直接民主主義は危険に満ちた代物。無政府主義的な混乱や、さもなければおそるべき人民裁判を想起させるものでしかない。同様に、電子商取引は、消費者のプライバシーの決定的な喪失と、大企業中心の新しい管理社会の出現につながる。他方、サイバーコミュニケーションは、人間の正常な社会関係、とりわけコミュニケーションを崩壊させ、ネクラなオタク族ばかりの社会を作ってしまう。

こうした懸念には、たしかに一理ある。しかし、それらの懸念は、これまでの通念、つまり、20世紀の大衆民主主義論や、大衆消費社会論、あるいはカウチポテト論の延長線上にあるものではないか。

むしろ、情報通信革命を通じて、政治やビジネス、あるいは人間・社会関係のあり方そのものが、サイバーエージにふさわしい形に進化しつつあると見る事ができるのではないか。いや、進化していかなければならないのではないか。これからの社会的制度は、一人一人が、高い理解力や判断力、コミュニケーション能力や行動能力、さらには自己実現能力や進化能力をもったネティズン(人間の波動/粒子二重性を自覚した存在)であることを前提にして作られなくてはならないし、また事実そうなっていくのではないか。

そこでは、作ったものを売るための広告、情報を消費者に「プッシュ」するための広告はなくなる。それにかわって、人々のニーズを聞いたり、より深い情報を提供したり、ニーズを満たすための開発や新製品について対話したりするためのコミュニケーションの場が作られていく。商品の販売も、一方的な「マーケティング」ではなくなって、一人一人の趣味や必要、現在の財ストックの保有状況、等々を理解した上で、その生活をさらに快適かつ意味のあるものにしていくための、財・サービスの購入・利用計画の立案と実行のための協働行動の一環として行われるものにならなければならない。(だから、それは情報提供・交換過程と不可分のものになる。)他方では、しかし、そのさいに得られる個人情報については、絶対の秘匿が条件とされなければならない。つまり、これからのビジネスマンには、医者や弁護士、あるいは探偵と同様な倫理や守秘義務が課せられることになるだろう。

政治過程も同様に変化しなければならない。政党あるいは個々の政治家は、有権者一人一人と絶えず緊密なコミュニケーションを行い、政治状況について深い共通の理解を作り出すことを目指す必要がある。(one-to-one politics, relationship politics)  たしかに、一時の激情に駆られた市民達が、電子投票によって政治家にある行動を取れと強制することへの恐怖は、独裁者が一時の気まぐれによってとる愚かな、あるいは残酷な政策への恐怖と同様に強いものであって当然だろう。しかし、これからの「直接民主主義」あるいは「参加民主主義」は、そのような意思決定方式をめざすものであってはならない。(投票はあくまでも、充分論議を尽くした後の決定手段だとすれば、未来のサイバー政治において、それが主要な集団的意思決定の手段になるとは考えにくい。まして、それだけが決定の手段になるはずもない。そうなりはしないかという恐は、単なる杞憂にすぎない。もちろん、その方向に向かう「オーバーシュート」の可能性は常に残るかもしれないが、より基本的な流れは、十分な対話と討論を通じた合意の形成を追求する方向に向かうのではないだろうか。

同様に、これからのオタク族は、携帯電話やPDA をもったオタク族、ネットワーク上に仲間をもつオタク族になっていくに違いない。彼らは、わざわざ自分が専有できる町中やビルの中の特設ブース (かつてそこには、公衆電話がおかれていた) に入っていくが、そこですることは、自分の携帯電話やPDA を使った仲間とのコミュニケーションなのである。そのコミュニケーションの内容は、しばしば、ボランティア活動への参加の相談や活動計画の打合せである。つまり、オタク族は「智民」として進化していくのである。

企業や市民は商品の交換にたずさわる。商品とは、市場での販売を前提として生産された財やサービスである。ある財やサービスが商品であることは、それが市場に出されていること、つまり「値札」をつけられていることで示されている。それに対し智業や智民は通識の通有にたずさわる。通識とは、智場での普及を前提として作成された知識や情報である。ある知識や情報が通識であることは、それが智場にだされていること、つまりある共通のプロトコルによって表現されていることで示されている。具体的には、インターネットのウェブのホームページに、HTML言語で表現され掲載されている知識や情報が、通識なのであ る。商品交換が、商品に対する所有権の移転を意味するとすれば、通識の通有は、通識に対する情報権の拡大を意味する。

未来の情報社会では、商品としての知識や情報 (情報財や情報サービス) は、通識としての知識や情報の付帯物となる。比喩的にいえば、それは、智場という大海に浮かんでいる知の氷山の、水面にでている一角にすぎないものとなる。つまり、情報社会では、圧倒的に多くの知識や情報は、通識として作成され通有されることになる。商品としての知識や情報は、通識をプラットフォームとして、その上に生産され流通するのである。