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1999年 6月3日

「21世紀情報文明のビジョン」

阪神淡路講演会 報告書

公文俊平

1.文明の多系的一般進化の仮説

 人類の文明は、二つの基準によって分類してみることができそうだ。その第一は、社会組織のあり方に関する基準である。これによって文明は、

  1. 過去準拠・存続指向・統合型の文明と、
  2. 未来準拠・発展指向・特化型の文明
とに大別できる。

 その第二は、文明がもっている技術の段階に関する基準である。これによって文明は、

  1. 採集・狩猟の段階、
  2. 農耕・牧畜の段階
  3. 軍事・産業・情報の段階、
のように区分してみることができる。

 技術の新しい段階に向かう突破を達成しうるのは発展指向型の文明であり、存続指向型の文明は、発展の限界に達した発展指向型文明の諸文明要素を再編成・再統合する原理の発明を契機として出現し、時に復古の試みを繰り返しつつ存続をはかっていくと考えられる。それでも結局は衰退に向かわざるをえない存続指向型文明の周辺に、ある時点であらたな発展指向型文明が出現してくる。これが私の考える文明の進化と交代の図式である。 このように考えると、これまでの人類の文明は六つに大別でき、人類文明の進化過程は次図のように図式化できそうだ。

2.近代化の三つの波の仮説

われわれがその中に生きている近代文明には、

  1. 東大西洋分肢 (西欧や中欧)
  2. 新大陸分肢 (北米や南米)
  3. 西太平洋分肢 (北東アジアや東南アジア)
などの分肢があるとみてよいだろう。近代文明は、その発展の限界に次第に近づきつつあるとはいえ、現在でも依然として活発な発展を続けている。その発展過程は、互いに重複しつつ継起する三つの波の出現によって特徴付けられている。すなわち、
  1. 軍事文明 (封建化→軍事化) の波
  2. 産業文明 (商業化→産業化) の波
  3. 情報文明 (人文化→情報化) の波
がそれである。私のいう「情報文明」とは、近代文明の進化の第三の波によって出現してくる文明のことである。(言い換えれば、私は、「情報化」は、「軍事化」および「産業化」に並ぶ近代化の一局面だと解釈している。)

 近代化の第一の波では、まず封建化の過程によって、地方的・領域的な権力体が出現し、それが一連の軍事革命の過程をへて、近代主権国家として発展していった。主権国家は国民によって構成され、国家主権の観念を神聖視し、国際社会を舞台とする戦争と外交のゲーム、すなわち国威の増進・発揚の競争にたずさわる。第一の波の中で、国家と国民と国際社会は「共進化」をとげ、今日の民主主義的国民国家やさまざまな国際機関が生まれ、発展した。しかし、国威 (一般的脅迫・強制力) の増進・発揚競争それ自体は、20世紀に入って国際社会の中では正統性を失った。主権国家は、軍事革命を通じて、地球の全表面にわたる地政学的空間を発見し、植民によってその空間を満たそうとした。軍事革命の過程は同時に、国民の軍事的エンパワーメントの過程でもあったが、近代軍事文明は、国民との関係では武器の保有と使用を国家に限定するという集権的解決を採用し (その代償が民主主義と人権の尊重だった) 、国際社会との関係では一定のルールに従った戦争と平和の自由を認めるという分権的解決を採用した。

近代化の第二の波では、まず商業化の過程によって、国家とは異なる私的主体が出現し、それが一連の産業革命の過程をへて、近代産業企業として発展していった。産業企業は市民によって構成され、私有財産権の観念を神聖視し、世界市場を舞台とする商品の生産と販売の競争、すなわち富 (一般的取引・搾取力) の蓄積・誇示ゲームにたずさわる。第二の波の中で、企業と市民と世界市場は「共進化」をとげ、今日の大企業や各種の業界団体、あるいは労働組合組織が生まれ、発展した。富の蓄積・誇示競争の正統性は、21世紀に入ってもなお当分は否定されないだろう。産業企業は、産業革命を通じて、地表近くの三次元にわたる昼夜や気候の変化のような自然のリズムからは自由な工学的空間を発見し、各種の人工物によってその空間を満たそうとした。産業革命の過程は同時に、市民の経済的エンパワーメントの過程でもあったが、近代産業文明は、私有財産の保有と使用の自由を容認すると同時に経済的独占体の出現は制限するという分権的解決を採用した (その代償が富や所得の再分配政策だった) 。一部には生産手段の保有と使用を国家に限定するという集権的 (社会主義的) 解決も試みられたが、それは失敗に終わった。

近代化の第三の波では、まず人文化の過程によって、情報や知識の創造と普及を業とする主体が出現し、それが一連の情報革命の過程をへて、近代情報智業として台頭しつつある。 (ただし、一般には、「智業」という名称よりは、「非政府組織(NGO) 」もしくは「非営利組織(NPO) 」のような名称が用いられている。) 情報智業は智民によって構成され、集団情報権の観念を神聖視し、地球智場を舞台とする智 (一般的説得・誘導力) の獲得・発揮の競争 (智のゲーム) にたずさわる。第三の波の中で、智業と智民と地球智場は「共進化」をとげ、さまざまな社会制度を発展させていくだろう。また、情報権や智のゲームにかかわるルールの制定を通じたそれらの社会的正統化の試みも進展するだろう。情報智業は、情報革命を通じて、いわば異次元の領域も加えた新活動空間 (サイバースペース) を発見し、バーチャル・リアリティや人工生命型エージェントのような各種の仮工物によってその空間を満たそうとするだろう。情報革命の過程は同時に、智民の知的エンパワーメントの過程でもあるが、近代情報文明は、知力の開発と利用の自由をひろく智民に保証しつつも、表現や秘匿の自由に一定の制約を加えることで知的独占体の出現は防止するという超分権的解決を採用する (その代償がプライバシーの徹底的な尊重) だろう。

3.近代文明を支える基本理念

  近代文明の基盤をなす理念(文化)の主軸は、次の三つの要素に求めることができそうだ。すなわち、

  1. 自由主義:人間の思想と行為の自由の事実としての承認と価値としての容認
  2. 進歩主義:人間社会の進歩の可能性の承認
  3. 手段主義:進歩は自由によってもたらされるという信念
がそれである。もちろん、このような理念それ自体、時間の経過と共にその内容も進化していくと考えられる。たとえば、行為の自由のある程度の制限の必要の自覚は、時と共に高まる可能性があるし、進歩主義や手段主義の内容も、決定論的なものからより柔軟なものに進化していくように思われる。

4.ハイパー近代文明としての情報文明の特色:

 近代文明の進化の第三の波が生み出す近代情報文明は、「ハイパー近代文明」として特徴づけることができる。ここで「ハイパー」という形容詞を用いた理由は、事物がその本質を保ちつつ、より高性能のものになったり、より洗練されたものになったりしていく場合を念頭においているからである。つまり、情報文明は、「ポスト・モダン文明」でもなければ、「近代を超えた文明」でもなく、あくまでも近代文明の進化の一局面(恐らくはその最終の局面)において成立する文明であり、その意味では、上の分類図で「智識文明」と名付けた「後期軍事・産業・情報文明」とは、異なる文明である。

 この意味での情報文明のもつ主要な特色として、ここでは次の三つの点を指摘しておきたい。

  1. 急進的進歩主義からしなやかな進歩主義へ
     ここで、「急進的進歩主義」というのは、村上泰亮が『反古典の政治経済学要綱』(1994)で定義した意味での進歩主義、すなわち、「究極の唯一の理想が、あるいは少なくともそこへの一義的経路が、人間によって認識可能であると共に、人間の努力によって (現世で) 実現可能でもあると信じる思考上の姿勢」(p.7) をさす。これに対し、「しなやかな進歩主義」とは、「現状にくらべれば何らかの意味で改善されていると言えるようなさまざまな理想状態が、自分たちの協働的な努力によって実現可能かもしれないと信じる思考上の姿勢」をさす。上に述べた「智民」や「智業」は、この意味でのしなやかな進歩主義に立脚して活動していると考えられる。したがって、彼らは、自分たちにとって実現可能かもしれない理想状態や、そこへの (一義的とは限らない) 経路がどのようなものであるかをめぐって、活発な相互説得型のコミュニケーション (交流) を競って試み、意見が基本的に一致した者の間でのコラボレーション (協働) を組織しようとする。

  2. 世界秩序軸への追加:情報秩序と社会秩序
     そうした競争的な試みが今後ますますグローバルに展開されていくものとすれば、21世紀の情報文明においては、これまでの世界秩序の理念軸に対して、さらにいくつかの軸が追加されることになるだろう。

    すなわち、20世紀のパクス・アメリカーナの下での世界秩序の理念軸は、

    の二つだった。これに対し、21世紀の世界では、少なくとも後もう二つ、すなわち

    が加わるのではないだろうか。同時に、互いに異なる文化基盤をもつ社会が、近代文明の一員として参入してくることになる場合には、20世紀に合意されていた「民主政治」や「競争経済」のあり方自体についても、より柔軟でゆるやかな拡張解釈が求められるようになる可能性がある。

  3. 智場をプラットフォームとするビジネスの台頭
     近代文明の第二の波が生み出した近代産業文明にあっては、カール・マルクスやカール・ポラーニが指摘したように、さまざまな社会関係が、市場での取引関係のなかに引き込まれ(embed) て行く傾向がある。教育や医療のサービスが産業 (営利事業) の形をとって提供されるようになるのは、その典型的なものである。

     同様に、近代情報文明の下では、さまざまな社会関係、とりわけ商品の取引関係が、智場での相互の知己・信頼を基盤とする情報や知識の通有関係のなかに引き込まれて行く傾向が生まれると思われる。つまり、ビジネスのあり方、とりわけマーケティングのあり方が、質的に変わってくる可能性がある。たとえば、マーケティングの面で近年なされている、「リレーショナル・マーケティング」とか「ワン・トゥー・ワン・マーケティング」などといった新パラダイムの提唱は、まさにこういった変化の傾向を先取りしたもののように思われる。

(以上)