1997年7月6日
公文俊平
一、ネットワーク革命の十年
未来の歴史家は、1990年代をある歴史的な特異期、すなわち「コンピューター・ネットワーク革命の十年」とみなすだろう。1980年代に小型化と高性能化が進んだコンピューターは、90年代に入って急速にネットワーク化し始めた。これが「コンピューターのネットワークのネットワーク」としての「インターネット」に他ならない。そして、インターネットに接続することによって、人々は、自分のコンピューターに入れてある情報を相互に検索したり交換したり、さらには共有したりできるようになった。そのために作られた強力なソフトウエアが、「ワールドワイド・ウェブ」である。
この変化の速さを、「ウェブ・イアー」と呼ぶ人がいる。ワールドワイド・ウェブの世界の一年は、通常の世界の四年に匹敵するというのである。「ドッグ・イアー」という呼び方もある。イヌは一年に人間でいえば七年分歳を取るが、インターネットの世界の一年もそれに同じだというのである。また、米国の経済評論家のジョージ・ギルダーの指摘が正しければ、コンピューター・ネットワークのパワーの成長率は、年十倍にも達していることになる。すなわち、
まず理論的にいって、一般に、
他方、経験的にいって、現在、
そこで、以上の四つの相乗で考えると、インターネットに代表される世界のコンピューター・ネットワークのパワーは、毎年約十倍する速度で成長していることになる。それは、5 年間で十万倍、10年間で百億倍という驚異的な速度なのである。
このような爆発的成長は、遅くとも1980年代の終りにはすでに始まっていた。そして、少なくとも十年間は、つまり1990年代いっぱいは続くだろう。しかし、二十年にも三十年にもわたって、同じ程度に急速な成長が続くとは考えられない。1990年代が、歴史的な「特異期」になると考えられるのはそのためである。
人々はこれから、コンピューターのネットワークを通じて電子的なコミュニケーションや商取引を行ったり、商業以外のさまざまな社会活動(教育、医療、政治等々)、とりわけ協働(コラボレーション)型の活動に電子的に従事したりすることが、ますます多くなっていくだろう。そのさいに、それらの活動、たとえば商取引は、物理的にどこの「場所」で行われたのかという問題が発生する。それによって取引を律する法律が違ったり、税金のかけ方が違ったりする可能性があるからである。しかし、コンピューターのネットワークを通じた活動の「場所」を、現存する物理的な空間の中に特定することは不可能である。そこから、それらの活動は既存の物理的な空間とは異なる別次元の空間で行われていると考えようという見方が広まってきた。そしてインターネットは、そのような別次元の空間への入り口(ゲートウェー)と見なされるようになってきた。この別次元の空間のことは「サイバースペース」と呼ばれることが多いが、活動の中心が知識や情報の分け合い(通有)であることを考えると「智的空間」という呼び方もなりたつと思われる。こうして、人間はインターネットの発達によって、これまでの三次元の物理的空間を補完する新たな、そして広大無辺な新活動領域を手に入れたのである。これが1990年代のネットワーク革命の意味である。
二、第三次産業革命
もう少し長いスパンで歴史の流れを展望するならば、恐らく1970年代の後半あたりから、産業社会は、情報通信産業革命としての「第三次産業革命」の時代に入ったということができる。教科書にいう一八世紀末の「産業革命」が、はたして「革命」の名に値するほどの急激で根本的な変化であったかどうかについては、歴史家の間には異論がある。しかし、それに比べると、一九世紀末の重化学工業革命としての「第二次産業革命」の革命性は、はるかに際立っていた。それが生み出した二十世紀の社会の新たな特徴は、次のように要約できる。
第三次産業革命は、二十世紀産業社会のこのような特徴の多くが維持困難になり始めたころ起こったということができる。それは、一八世紀末の産業革命に比べてはもちろん、十九世紀末の第二次産業革命に比べても、「産業革命」と呼ぶにふさわしい速度と激しさをもって進展している。この革命のもっともきわだった特徴が、本稿の冒頭にふれた「コンピューター・ネットワーク」の爆発的成長なのである。
しかし、第三次産業革命の進展は、二十一世紀の産業社会に、それ以外にもいくつもの新しい特徴を付け加えることになるだろう。とりわけ、
三、近代化の第三の波としての情報化
二十世紀の終りに起こっているのは、実は、単なる第三次産業革命だけではない。産業化それ自体を超えるような変化、いってみれば近代化過程の第三局面への移行と言いたくなるような変化も、同時に進行している。
近代化は、その第一局面(軍事化)で、一連の軍事革命を通じて、近代主権国家と近代的国民、および国際社会を生み出した。近代主権国家は、国際社会で国威(脅迫・強制力)の増進と発揚をめざして競争した。つまり「威のゲーム」に従事した。さらに、その第二局面(産業化)では、一連の産業革命を通じて、近代産業企業と近代的市民、および世界市場を生み出した。近代産業企業は、世界市場で富(取引・搾取力)の獲得と誇示をめざして競争した。つまり「富のゲーム」に従事した。そして今日、近代化はその第三局面(情報化)に入り、一連の情報革命を通じて、近代情報智業と近代的智民、および地球智場を生み出しつつある。
近代情報智業は、国家でも企業でもない新種の社会組織であって、地球智場での情報や知識の競争的普及を通じて、智(説得・誘導力)の入手と発揮をめざす。つまり、「智のゲーム」に従事する。いわゆるNGOやNPOは、積極的に規定するならば、まさしくこの意味での智業(ないしその初期的形態)に他ならない。近代的智民は、智業のメンバーとして活動する一方、智業の情報普及活動の対象ともなるが、それは近代的市民が企業の従業員(生産者)および企業の商品販売活動の対象(消費者)としての二面性をもっているのと同様である。
軍事化、すなわち人間の軍事的エンパワーメントの過程は、人間の活動領域を二次元の地表、とりわけ海上に拡大した。それが、「地政学的空間(ジオポリティカル・スペース)」に他ならない。同様に、産業化、すなわち人間の経済的エンパワーメントの過程は、人間の活動領域を空中・海中・地中を含み、季節や昼夜の区別なしに活動できる、三次元の「工学的空間(テクノスペース)」に拡大した。そして今、情報化、すなわち人間の知的エンパワーメントの過程は、人間の活動領域を三次元の物理的空間を超える「智的空間(サイバースペース)」に拡大しつつある。
産業化が国家の消滅をもたらさなかったのと同様、情報化も国家や企業の消滅をもたらすことはないだろう。むしろ、これからの情報社会では、既存の国家や企業と新興の智業とは、新たな相互補完的協働関係を発展させていくようになるだろう。産業社会では市場が他のさまざまな社会活動(たとえば教育や医療)のプラットフォームとなったように、情報社会では、智場が他のさまざまな社会活動(とりわけ企業や国家の業務)のプラットフォームとして機能するようになるだろう。そうだとすれば、来るべき情報社会にとっての大きな課題は、智業や智民の生活を律する道徳やルールをなるべく早く構築することだろう。それに加えて、智業・智民と国家・国民および企業・市民との間の関係を調整するためのルールも、構築していかなくてはならない。
軍事社会では、国家と国民の共進化は、「主権」の観念を軸として進行した。産業社会では、企業と市民の共進化は、「財産権」の観念を軸として進行した。同時に、主権と財産権の間の調整が、重要な社会的課題となった。および財産権に対置される新たな権利としての「情報権」の確立が必要とされるだろう。
これからの情報社会では、これまでの主権および財産権に対置される新たな権利としての「情報権」の確立が必要とされるだろう。「情報権」には、三つの主要な柱がある。すなわち、がそれである。
これらの情報権は、互いに対立する側面を持ちうるので、情報権間の相互調整が必要になってくる。
同時に、情報権と主権および財産権との間の調整も、新たな社会的課題となってくるだろう。三つの権利の間の対立は、すでに、たとえば暗号化技術の輸出・利用や複製の作成・使用をめぐって、あらわになりつつある。前者は主権と財産権・情報権との対立に関係し、後者は財産権と情報権との対立に関係している。