1997年8月28日
公文俊平
米国のネティズンたちがこぞって反発していた、オンラインでの「下品な表現」の規制を狙った「通信品位法(CDA)」に対して、米国の最高裁判所は、この六月二七日に、大方の予想通り違憲判決を出した。
それ以後、米国での流れは、国家による上からの規制でなしに、ユーザーの "エンパワーメント" (つまり下からのユーザー自身によるコントロール)によるコンテントの選別に向かって、大きく動きだした。七月十六日のホワイトハウスでのサミットで提案され、クリントン政権も承認したオンライン・コンテントのレーティング(格付け)のための共通のプラットフォームとなるPICS (Platform for Internet Content Selection)の採用は、その典型的な例である。これは、市民団体のCDA(Center for Democracy and Technolgy) と産業界のアド・ホック・グループとが共同で発表した、ユーザー・エンパワーメント用の各種のツールの入手可能性と有効性をまとめた白書(How Filtering Tools Enable Responsible Parents to Protect Their Children Online, www.cdt.org/speech/)の中で推奨したものだ。
またこのセンターは、VTW (Voters Telecommunications Watch)と共同で、親のためのエンパワーメント・ツールを提供するウェブサイトである www.netparents.org をも立ち上げている。同センターは、この手法だと、憲法修正第一条には抵触しないと考えている。なぜならばPICSは、コンテントの選別の基準を一元的に設定するあの悪名高かったV-chipとはちがって、多元的な価値観による多様な選別が可能にするからだ。だから、PICSを censorware (検閲ソフト)だとする批判は当たらない、と同センターは考えている。
しかし、まさにそういう観点からの批判も、一方には当然みられる。インターネット界の重鎮であるペンシルバニア大学のファーバー教授は、この種の選別システムが普及した暁には、各コミュニティが独自の基準を設けて、それに反するコンテントはコミュニティに入って来られないようにしてしまう結果にならないかと懸念している。EPIC(Electronic Privacy Information Center)の David Sobel法律顧問は、「今起こっていることは、検閲の民営化への動きだ。それは、これまで存在してきたようなインターネットを壊してしまいかねない」という。EPICの惧れるところでは、インターネット上の主要なサーチ・エンジンが、自主的なレーティングを行なっていないウェブ・サイトのコンテンツをディレクトリーに入れないことにした場合には、憲法修正一条の保障する言論の自由の権利が否定されてしまうことになるのである。
ともあれ、通信品位法反対で政治的に結集していた米国のネティズンたちの間に、PICSの採用をめぐって新たな政治的分裂が起こることは確実なようだ。 (あるいは、新たな政治的分裂のセンターラインが、これまでよりも「左」に動いたといえるかもしれない。)
すでにこの八月六日、ACLU(米市民的自由連盟) は、15ページの白書(Fahrenheit 451.2: Is Cyberspace Burning?)を発表して、次のような主張を展開している。すなわち、政府に強制された産業界によるインターネット・コンテントの格付けは、オンラインでの自由な言論を火にかけかねないものだと警告した。物理的世界での検閲には焚書を必要とするが、サイバースペースでは、ブロッキングとレーティングの仕組みがあれば、望ましくない言論をその片隅に容易に追いやることができるのだ。通信品位法の違憲判決を勝ち取った後、言論の自由を守る運動は、検閲の炎に焼かれたためではなく、ブロッキングとレーティングの煙に巻かれて逼塞してしまうかもしれない。しかも、言論の自由を守るために共に戦った人々の中にも、新しい仕組みの賛同者が現れるかもしれない。「自主的なレーティング」という考えこそ、オンラインでの言論の自由にとってもっとも危険なものだ。レーティングは、第三者がしようと自分でしようと、言論の自由を侵すものであることに変わりはないのだから...
しかし、他方では、公共図書館でのコンテントのフィルタリングを積極的に容認しようとする運動の展開もある。 David Burt が率いる非営利団体のFiltering Facts というグループがそれである (www.filteringfacts.org) 。このグループは、ALA(全米図書館協会)やOIF(Office of Intellectual Freedom)に反対して、図書館には、自分が欲する種類のインターネット・サービスだけを提供する権利があるという立場に立っている。それは、図書館が、図書の購入にさいして、限られた予算の中で選択を行っているのと同じことだというのである。このグループは、その活動目標として、
の五つをかかげている。
私は、昨年出版された『ネティズンの時代』の中で、情報社会では産業社会の「市民革命」に似た政治革命としての「智民 (ネティズン) 革命」が起こる可能性があると論じてみたのだが、インターネットのコンテントの規制をめぐる今回の論議は、暗号化技術の輸出や使用の規制問題、あるいはインターネットへの課税問題などとならんで、人々の間に深刻な意見の分裂を引き起こしつつあるように思われる。それは容易に、政治的な立場の分裂となりうる。それが、かつてのフランス革命や南北戦争のような流血の争いにならないまでも、情報社会の到来は、やはり政治的なパワーの対決を不可避的に伴うもののように思われる。