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1997年10月13日

「米国での二重の政治的対立」

日本電子計算機 掲載

公文俊平

一カ月半前のこの欄で、私は、米国の智民 (ネティズン) たちがほぼ一致して反対の声をあげていた通信品位法(CDA) に対する違憲判決の後で、今度は智民たちの間に新しい政治的対立が生じていることを報告した。それは、クリントン政権が新たに承認したオンライン・コンテントのレーティング(格付け)のための共通のプラットフォームとなるPICS (Platform for Internet Content Selection)の採用をめぐって、それに反対する人々と賛成する人々との間に生じた政治的対立である。

しかし、どうやら深刻な政治的対立は、それにとどまるものではない。上記の対立がコンテントの規制の仕方をめぐる対立だとすれば、もう一つの深刻な対立が、暗号化技術の利用や輸出をめぐって生じている。

それは、冷戦時代の思考習慣を残している安保・警察関係者および多くの政治家たちと、情報革命時代のパラダイム変化について理解を持っている市民や産業界の人々や政治家たちとの間の対立である。後者のグループのことは、トルコの革命を主導したケマル・アタチュルクの組織した「青年トルコ党」のグループになぞらえて Young Turksと呼ばれることもある。その場合には、前者のグループは、Old Guardsと呼ばれることになる。

前者は、情報化の進展への恐怖感をもっている市民たちの、かなり広汎な支持を得ている。だからこそ、昨年通信品位法は議会で成立したし、今年は暗号化技術の輸出規制の緩和をめざしたSAFE(HR695 )法案に対して、暗号化技術の国内での使用にさえ厳しい制約を課そうとする極端な修正提案が出されたりもしたのである (この修正案自体は、委員会での投票の段階で否決されたが) 。もちろん、智民たちのほとんどは後者の立場に与している。SAFE法案への極端な修正案の提出は、智民たちの危機感を高め、PICSの導入をめぐる対立を、少なくとも一時的には緩和する効果をもったように思われる。

ところが最近、上記の二重の政治的対立と微妙に交錯する対立が、もう一つ出現していることに気づかされた。それは、米国の東海岸 (とりわけニューヨーク) と西海岸 (とりわけシリコン・バレーあるいは、サンフランシスコのマルチメディア・ガルチ) の情報産業をめぐる対立である。

この第三の対立は、少なくとも三つの側面を持っているように思われる。つまりそれは、情報コンテント産業ないしメディア産業の主導権争いだと見ることができる。ニューヨークの「シリコン・アレー」では、既存のコンテント産業やメディア産業が、ディジタル革命の重要性にあらためて注目し始めた。さらにケーブルモデムやxDSL技術の実用化が、一度は消え去っていた「双方向テレビ」、「ビデオ・オン・ディマンド」の焼け棒杭に、再び火をつけた感がある。現に東海岸でこのほど開かれた第九回電話・ ケーブルテレビ年次会議では、「エルバ島への二年間の流刑から双方向テレビが戻ってきた。インターネットの爆発的な普及から見ると、双方向性への欲求は大きい。それを満たすのは、パソコンの使われ方にもよるが、やはりテレビのルック・ アンド・ フィールではないか」といった見方が大勢を占めたといわれる。これに対し西海岸では、サンフランシスコのマーケット・ストリートの南側の通称「マルチメディア・ガルチ (峡谷) 」では、ひところのCD-ROM制作の熱気は今や完全に消え去り、それに代わってインターネットのホームページの制作者や、さらに最近ではウェブ・テレビ用のコンテントの制作者たちが街にあふれているという。今やこの一帯は「マルチメディア・マルチ (根囲い) 」と呼ばれるようになったともいう。ともあれ、この視角からすれば、対立・競合は「シリコン・アレー」と「マルチメディア・マルチ」の間に見られることになる。

もう一つの側面は、コンピューター・ネットワーク、とりわけインターネットを推進するシリコン・バレーの情報産業対東部の旧メディア産業、とりわけ既存の「テロポリー( 電話独占体) 」との間の対立である。しかもそこには、後述するように、それぞれの応援団として、西には徹底的な規制緩和と自由化を主張する共和党系の「テクノ・ユートピアン」 (その代表がジョージ・ギルダー) が、東には民主党系の「サイバーポピュリスト」 (その代表がマーク・スタールマン) が、それぞれついているという第三の即面 (政治的対立その者としての側面) がある。

ある評論家は、最近の『フォーブスASAP』誌が特集したニューヨークとサンフランシスコの情報通信産業の比較記事を批判して、「ニューヨークのニューメディア革命は技術の発明にあるのではなく、技術を使った表現法の発明にある」、つまり、ニューヨークは情報技術それ自体よりはメディアで勝負しているといい、過去のラジオでいえばハワード・スターンの例をあげている。またニューヨーク在住のマーク・スタールマンによれば、フォーブスASAP誌の特集は、西海岸のテクノユートピアンと、東海岸のサイバーポピュリストあるいはリアリストとの間の戦争(コンテント対技術の戦争)での、一斉射撃の開始にあたるものだという。

スタールマンはいう。この雑誌を創刊したのはジョージ・ギルダーだ。かれはもとニクソンのスピーチ・ライターで、『富と貧困』の著者だ。その彼が、90年代には『マイクロコズム』 (邦訳題名は『未来の覇者』) をひっさげて、サイバー・リバタリアンとして登場した。 [筆者注:彼は今、第二の主著『テレコズム』を執筆中で、その各章は、書きあがるごとに上記の『フォーブスASAP』と彼のホームページに掲載されている。]だがその彼が、内輪では「テレコズムへの反乱」について語っているのだ。ネットの新パラダイムがそれを疑問視する人々の抵抗を巻き起こしている、とギルダーはいう。すなわち、「インターネットがグローバルな資本主義の中枢神経系として出現してくるのにともなって、左翼ラダイトたちがマイクロコズムとテレコズムへの怒りに燃えて立ち上がっている。エセ経済学者たちは、情報富者と情報貧者の間のギャップの拡大について、果てしなく喋り捲っている。批判者たちの予言によれば、インターネットは、トラフィックが詰まり、ポルノと暴力に汚染されて崩壊するのだそうだ。」ということは、ギルダーは狼狽しているのだ。彼らは、誰もがサイバー・リバタリアンのユートピア的な夢の買い手にはなってくれないことに気づいて、狼狽しているのだ。無限の繁栄という偽りの甘い衣で包んだ寡占的略奪の大当たり話に対して「左翼ラダイト(それが誰であれ)」が大反撃を開始したことに狼狽しているのだ。自分たちが計画した「革命」が、思い通りに進んでいないことに狼狽しているのだ。ハイエク流の経済的自由主義がその宣伝どおりには動かないために、窮地に陥っているのだ。現にギルダーやピーター・フーバー(彼は保守派のシンクタンクの The Manhattan Instituteを主催している)が支持したテレコムの規制撤廃は、市場の集中化と、より多くのレイオフと、より多くの何百万ドル級のボーナス受領者、より多くのテレビ・チャネルしかもたらしていないのだ。いわれたような進歩や競争は何も起こっていないのだ。ギルダーは自分の予想が当たらなかったのを他人のせいにしている。ニューヨークのせいにしている。これが、もう都市なんか無用だと以前にいったことのあるギルダーが、今していることなのだ。近くパーム・スプリングスで開かれる入場料3800ドルの会議では、ギルダーたちは「20世紀は終わった」というテーマで議論するそうだ。その立場は「科学と技術と資本主義のすべてが、同じ道徳的基盤に立脚するようになるだろう。成長と進歩のグローバルな渦巻きの力が解き放たれると、文化の新時代が近づくだろう。21世紀の真のビジョンが、豊かで広大な文化の中で有力となり、インターネットを通じて世界に広がるだろう」というものだ。すばらしい考えだが、なんともユートピア的なだぼらに過ぎない。

リアリスト (であるわれわれ)にいわせると、ギルダーらのいう国民国家の終わりは、残忍な寡占的帝国主義闘争の開始と人口の大量消滅を意味するにすぎない。サイバー地政学者マイケル・ヴラホス [筆者注:共和党内の新政治革命推進派の代表的理論家] のいう「大変化」は、アメリカ人の1 /4を敗残者に、みじめな下層階級に追いやるものだ。「グローバル・ブーム」どころの話ではない。それは死と困窮と無知の新暗黒時代の到来なのだ。そんな時代は絶対に来させてはならない。

以上、とくにマーク・スタールマンの見解を長々と紹介してみたが、リアリストを自称する彼の立場と、アルビン・トフラーのいう「第二の波」産業の立場とが、何となくダブって見えるところが妙である。あるいは、彼の立場は、先にみた Old Guards の立場とほとんど紙一重の差でしかないとさえいえそうだ。

思い出してみれば、今年の米国の大統領教書は、第二期クリントン政権の発足に当たって、米国の未来のために、とりわけ教育問題を中心として、超党派的なコミットメントを国民に呼びかけていた。曰く、

冷戦時代を通じて、私たちの力の最大の源泉は、超党派的な外交政策にありました。私たちの未来がかかっていることについては、〔党派〕政治は水際で立ち止まったのです。そこで私は今、皆様にお願いします。また、全国の知事たちに、親たちに、先生方に、アメリカ全土の国民の皆様に、お願いします。今度は教育に対して、あらためて超党派的にコミットして下さい。なぜならば、教育こそ私たちの未来にとって決定的な重要性をもつ国家安全保障上の問題だからです。〔党派〕政治は、学校の校門で立ち止まらなければならないのです(拍手)。

しかし、急激に進展する情報革命の中で、クリントンが期待しているような超党派的連帯は容易には達成されそうもないのが、今のアメリカの現実であるように思われる。