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1997年11月21日

「テレコム産業をめぐる新事態」

日本電子計算機 掲載

公文俊平

米国で、テレコム産業の各分野を超えた全面的な競争を促進するための新たな枠組として喧伝された新電気通信法が制定されてから、すでに一年半以上の時日が経過した。しかし、多くの人が指摘しているように、期待されたような競争はほとんど起こらなかった。むしろ、既存の電話会社やケーブルテレビ会社の多くは、既得の市場シェアの確保をめざして、同業他社を買収したり合併したりする試みを強めている。

しかし、新しい変化が何も生じていないわけではない。たとえば、英国の『フィナンシャル・タイムズ』紙のトニー・ジャクソン記者は、この一年半の間にテレコム業界に起こった大きな変化として、第一にインターネットがこれまでの電話業界の行動のルールを変えつつあること、第二に通信革命の速度それ自体が、アメリカの利点になっていること(他の国々は対応に戸惑って後塵を拝している)をあげている。その結果、インターネットのことを知っているワールドコムのような新興の会社が、既存の電話会社に挑戦しているのである。しかも、その挑戦の焦点は、世界的な同盟の形成から米国の国内市場での競争へとシフトした。ワールドコムの関心も、MCIが持っているインターネットの幹線の獲得にあって、これで米国内のインターネット電話を押さえ、既存の地域電話会社をバイパスしようとしているというのが、ジャクソンの見方である。

ここから二つの教訓がえられるとジャクソンはいう。第一に、アメリカの国内市場の対外的開放が遅々として進んでいないことがBTのような外国企業にとっての参入障壁となっている。(国内では、技術の進歩によって規制の壁を潜り抜ける手が生じているのだが。)第二に、グローバルなテレコム事業の内部での戦略推進の主要な原動力が、微妙にシフトした。すなわち、一年前にBTがMCIとの合併を誇らかに宣言した時のゲームの名称は「グローバルな提携」だったのが、今では米国内市場の沸きかえりに焦点が移ってしまった。だから、一年前にはBTとMCIの合併にAT&T がどう対処するかが話題の中心だったのが、今ではAT&Tは国内の容赦ない競争にどう対抗できるのか、そもそも今の形で存続していけるのか、といったところに話題がうつってしまったのである。

だからBTへの見方も変わらざるを得ない。以前のBTは、十年以上も前に国営の束縛をいち早く脱ぎ捨てた俊敏な会社だと見られていた。だが、いまやワールドコムと比較されるBTは、まるで旧式の会社にすぎない。というわけで、一方では大西洋の両側の二大会社が旧式の提携を試みているのに対し、他方では、ワールドコムが、急激な変化がもたらしている様々な技術の合流傾向を代表しているのである。米国の文脈で見れば、やや旧式で疲労しているように見えるMCIが、変化のテンポの速さに揺さぶられてBTの庇護の下に入ろうとしている。それに対しワールドコムのような会社は、次世代を代表している。あくまでも速やかに動き、はっきりした形がなく、予測不能なのである。

同様な記述は、テレコム業界全体に対してもあてはまるだろう。それは、BTのようなベテラン――ドイツテレコムやNTT、及びその他すべての国営大会社はいうまでもなく――がますます場違いに見えてくるような場なのである。

以上に紹介したジャクソン記者の記事は、BTが最終的にMCIとの合併を断念して、自社の保有しているMCI株の売却を決断する前に書かれたものである。なかなか先見性があったといってよいだろう。

もう一つ、『テレコミュニケーションズ・レポーツ』誌のジョン・オールデン編集主任の指摘も興味深い。オールデンは、最近のある講演の中で、米国の政府や地域電話会社に対して、WTO協定に代表される新国際情報通信レジームの出現の意味を正しく理解すべきことを訴えている。外国に対しては普遍的な立派な理念を説きたてる一方で、自国の市場に残る閉鎖性に対しては、ほんのいくつかの措置を片手間に講じるだけでお茶を濁そうとするこれまでのアメリカのやり方は、今後はもう通用しないというのである。

オールデンの見るところでは、1990年代の終わりにいたって、テレコムのビジネスや政治にこれまであった、地方と国家と国際社会の間の仕切りは、不明確なものになってきた。とりわけ、ITUやWTOのような国際機関が、個々の国家の行動を強く制約するようになった。中でも特筆すべきは、1997年の2 月に結ばれたWTOの協定であって、これによって69カ国が、自国の市場を開放して外国のキャリアーが自国内のキャリアーを所有することを承認したのである。

それなのに、米国やその他の多くの地域には、偏狭な考え方しかできない政策決定者や経営者が依然として残っている。彼等は、グローバルな趨勢には関心を示さないで、まるで各国それぞれが単一不可侵の市場を形成していて、そこに固有の法律や慣行を熟知しさえすればことが足りるかのように思っているのである。

にもかかわらず、1998年が世界のテレコム産業にとっての分水嶺の年になることは、1996年が米国のテレコム産業にとってそうなったのと同様である。米国のテレコム産業界は、グローバルな開放市場と競争の枠組みがこれから出現することの意味を、よくよく正確に理解する必要がある。それは、海外の市場に攻め入るための強力な剣が手に入ったことを意味しているだけではない。自国の基地を守るための楯も同時に失われたことをも意味しているのである。

このような状況の下では、米国のテレコム企業が取るべき唯一の選択肢が、攻勢にでることなのは明らかである。日本のNTTが米国の市場で打って出るとすれば、それにどう対抗しようというのか。こちらも東京市場に進出する以外にないのだが、その計画をもっている会社はいったい米国に存在しているのか? ともあれ、防御に意味があるとすれば、それは文書や訴訟の洪水で規制当局の仕事を遅らせるための戦術的退却の場合だけだということを銘記すべきである。

しかし、NTTやKDDの米国進出を遅らせることは、米国のキャリアーに対して競争の増大に備えるための時間を稼がせることにはなっても、国際的にはWTOの協定の精神に反するものとみなされる可能性がある。だから競争相手の進出を抑えようとする試みは、結局は無意味なものになる。必要なことは、米国の企業が競争力をもつことなのだ。

そのための一つの方策は、グローバルな連携だが、米国の場合、長距離はともかく地域電話会社の間では、その種の動きは鈍い。それは、地域電話会社に対して、国際通信を含む長距離通信への進出を制限している米国の政策のためだ。日本はすでにそうした制約を取り払ったことに注目しよう。

WTO協定の影響に話を戻せば、米国の産業界が理解すべきは、今や他の諸国は、内外のサービス市場に関して米国がとる政策に口を挟む権利をもったということである。だから、FCC の出した相互接続規則の有効性を否認するような判決を米国の裁判所が出したことや、各州が新電気通信法の相互接続規定の実施をさまざまな形で遅らせていることに対しては、協定の精神に反するものだという批判が他国から出ることを覚悟しなければならない。その他の問題についても、他国からの批判や挑戦がなされる可能性は充分にある。その結果、アメリカが他国の要求をいれることになるか、それともそれを拒否して国際的制裁の対象とされるか、あるいはアメリカの主張が通るか、さまざまなケースがありえようが、要はアメリカはもはや、外国の意思とは無関係に自分の意思を貫徹できなくなったということなのだ。アメリカの勝手を通せば、協定全体が瓦解してしまいかねないのである。中でもとりわ注意すべきは市場への参入を認める要件であって、WTO協定に参加した諸国は、外国のキャリアーに対して自国の市場を防衛するための行動をとる必要が認められるとしても、そのような行動はまず参入を許した後で取られるべきであって、その前に取られるべきではないと主張しているという事実である。

いかがであろうか。二人の指摘は、日本の読者にとっても多くのことを考えさせるものだと思うので、比較的詳しい紹介を試みた次第である。