1998年00月00日
公文 俊平
ここでは、私達が近年共同研究を続けてきた「長波」分析にもとづいて、これからの5500日を占ってみよう。
近代の日本の社会変動には、1855年ごろを出発点として、30年の下降と30年の上昇を繰り返す60年周期のパターンが認められる。それぞれの60年は、反省(模索)、混乱(紛争)、改革、発展の各15年期の連鎖だとみることもできる。この見方にたてば、現在は長波の下降期の最終局面にあたる混乱(紛争)の時代(1990‐2005年)が、後半にさしかかろうとしているところである。その後には改革の時代(2005‐2020年)が続くことになる。
現在の下降期は、戦後の高度経済成長の目標がほぼ達成された1970年代に生じた、日本をとりまく社会環境の激変から始まった。資源・環境危機、冷戦体制の終焉、情報革命の開始などがそれである。そのために、戦後作り上げられた「一国平和・繁栄主義」の体制の有効性が揺らいでしまった。しかし、環境変化の意味を正しく理解し、新しい発展の目標に対する合意の形成がえられないままに、日本は漂流し、閉塞状況に陥っているのが、現在の姿である。
過去の下降期の末期(混乱の時代)には、「明治維新」や「昭和維新」などのスローガンのもとに、新しい政治勢力が台頭し、革命や内戦、あるいは対外戦争が発生した。そして、それに続く改革の時代には、憲法の制定や改正を含む抜本的な改革が実行され、新しい国家的・国民的な発展目標が設定された。
今度の下降期の特徴は、次の時代を主導する新しい政治勢力の台頭がなかなか見られないところにある。小沢新党の出現や、非自民連立政権の成立は、結局なんの実も結ばなかった。人々は再び自民党支持に、なんとなく回帰しつつある。とすれば、今回はおそらく革命にも戦争にもならないだろう。むしろ日本は深刻な不況・恐慌に巻き込まれてというか、日本自身の不適切な対応行動がその引き金となって、「沈没」していくというのが、近未来のシナリオとしては、もっとも蓋然性が高いように思われる。(その一例は、コンピューターのいわゆる2000年問題に対して、日本が何ら有効な対応ができないために、国内の混乱はもちろん、国際社会にも多くの迷惑をかけるというシナリオである。)
そうなれば日本は、政治的にも経済的にも自律・自治能力を失い、国際的禁治産者とみなされるようになる。その結果、前回の占領にも似て、日本は国際的管理の下におかれるようになるかもしれない。
しかし、それは同時に次の長期的な上昇過程の出発点ともなるだろう。前の改革の時代(1945‐1960年)に広汎な合意を得た発展目標が、国内的には民主社会の、対外的には平和国家の建設であり、その手段とされたのが経済成長であったとすれば、今度の改革の時代に新しく合意が得られる発展目標は、国内的には地方分権国家(連邦国家制)の建設、つまり「地方化」、対外的には地球社会への積極的な参加、つまり「地球化」になりそうだ。そして、そのための手段とされるのが、情報産業化と情報社会化の二つを含んだ「情報化」ということになるのではないか。おそらく2005年から2010年にかけて、つまりこれから3000‐5000日の間に、そのような合意を具体化するような制度と政策体系の構築が、憲法改正をも含めて、改革の日程に上るだろう。前の「戦後改革」の場合と同様、今度もまた、改革は「日本国際管理機構」の主導下に進められる可能性が高い。インターネット型の新情報通信インフラの建設も、そこでようやく拍車がかかってくるだろう。簡易英語が連邦の公用語の一つとして採用される一方で、連邦を構成する各州は、それぞれの地域の方言の維持と洗練にも力を入れ始めるだろう。
もちろん、最も望ましいのは、日本の改革と新しい発展に向けての上昇が、「沈没」を待たずに、また自主的に、始まることである。部分的には、それにいたる芽のようなものがあちこちに見られるように思うのだが、悲しいことに、それがひとつの大きな流れとしてまとまっていく機運は、まだどこにも見出せない。