98年度著作へ

1998年02月02日

「ネットワーク社会の展望と課題」

財団法人北陸産業活性化センター創立10周年記念講演

公文 俊平

はじめに

 私が今日申し上げたいのは、先程の水谷研治さんのお話(日本経済再生への道)に比べるとうんと長い見通しのお話でございます。目先のことは私にはよく分かりませんので、10年、20年、30年という単位で取ってみるとどのような変化が起こっているのかということについて、今日は大きなポイントとして3つのことを皆様にお話し申し上げたいと思っております。

 その第1は、私ども特に年配の人間であれば、かつては当然と思っていた世界の仕組み、20世紀中頃の世界を形づくっていた仕組みが、この20年ぐらいの間に急速に動揺して壊れてしまったということです。

 第2に、しかし日本はその古い仕組みの下で非常に目覚ましい成功を収めたということもあり、なかなかこの変化に直面する気構えができていない。一体どんな変化が起こっているかということを正確に理解しようとする覚悟も、またその変化に対応して自分たちを変えていこうという勇気も、なかなか無くて戸惑つている。その間にどんどん落ち込んでいるというのが現状であろうかと思います。

 第3に、しかしこういう状態が未来永劫続くわけではないだろう。先程、ご来賓の熊崎さんは、「今が夜明け前で闇は深い」といわれましたが、まさにそういうところがありまして、10年か20年という単位で見るならば、多分また大きく上向く方向に向かい、そこで今日のテーマであるネットワーク社会とか情報社会と呼ばれているような新しい社会をつくるべく、また新たな前進をするだろう。そのときには多分、これまでの歴史には例を見なかったような高度経済成長や新しい社会発展も再び可能になるのではなかろうかということであります。

20世紀半ばの世界 

 まず前提としての話でありますけれども、中年以上の人間にとっては当たり前であった20世紀半ばの世界というのは、国際関係はいわゆる「北」と「南」の世界にわかれ、そして北は「東」「西」とにわかれるというように、合計3つの世界があってお互いに対立したり、あるいは協調したりしていました。そして、その全体を引つ張っていたのがアメリカであります。そのアメリカでは、大企業体制が全体の経済を動かしていました。その中で、アメリカ人に代表される産業社会の先進国の人々は非常に豊かな生活を営むことができていた。それがアメリカ的生活様式というものでした。この体制がいまでは崩れてしまっているということが、今日の話の大前提です。

 それぞれについてごく簡単に見ておきますと、西は第一世界、これは資本主義の世界であります。東は第二世界、社会主義の世界であります。しかし、西の世界も東の世界も、今振り返ってみるならば、どちらも近代文明と呼ぶことができるような共通の産業社会に生きていたということであります。他方、第三世界は、産業化・近代化が十分できない状態にありました。そして、第一世界と第二世界が冷たい戦争、冷戦をやっていました。

 西側では、最近は規制緩和とか自由経済という話を皆さんなさいますけれども、ついこの間まで、私どもの生きてきたこの「西」の世界は、いわゆる大企業体制とか、あるいはアメリカのガルブレースという学者は「新産業国家」という呼び方でこれを呼んでいたのですけれども、基本的に比較的少数の大企業が非常に大きな力を発揮して、いわゆる寡占的な競争が行われていた社会でありました。

 その前の19世紀の資本主義は、アダム・スミスのいう「見えざる手」の支配、つまり自由な市場の支配によって動く世界であったのですけれども、20世紀の世界は、大企業の「見える手」の支配下に入りました。大企業は、自分たちがつくったものを宣伝・広告によって人々に浸透させ、そして買つてもらう、あるいは買わせるということであります。その価格も数量も、それぞれの大企業がいわば計画的に統制していました。そのような市場での支配力やシェアを巡る寡占的な競争が、20世紀の競争の代表的な形でありました。

 それに対して政府は、単にそれを放っておくのではなくて、「経済運営」という言葉が日本でも使われていたのですけれども、そうした大企業の間の競争があまりにも極端なところまで進んで、独占状態になってはいけない。これは禁止する。あるいは場合によっては、独占はやむをえないとして認めるにしても、独占的企業の行動は規制する。それからまた、誰かが全面的に勝ちっぱなしになりすぎても困るので、富や所得については再分配の政策をとることにしました。つまり、大きく勝ちすぎた者からは政府が介入してその富や所得の一部を分けてもらって、これを貧しい人に分かち与えるという政策であります。 経済全体の景気も、あるいは雇用も、ただ景気循環の流れに任せるというのではなくて、政府が積極的に介入して支える。そういうことが政府にはできるはずだ、そうすることが政府の義務なのだ、と考えるようになったのです。先程の水谷さんのお話にもありましたけれども、要するに二十世紀的な資本主義社会では、そういう考え方がとられていました、その中で、アメリカのような規制主義を取った国とか、日本のような開発主義を取った国という多少の違いがありましたけれども、その話は今日は省略致します。

 このようなアメリカの下で達成された平和と繁栄、これが豊かな大衆消費社会を支えていました。この豊かな大衆消費社会の大きな特徴のひとつは、今から振り返ってみますと、消費者大衆の日常生活の中に機械が入り込んだということにあります。機械は、100年前は工場の中にしか見られないものでした。石炭を燃やし、蒸気機関で動かすような機械を家庭の中に入れてくるわけにはまいりません。ところが電気エネルギーが利用できるようになり、電気で駆動される電動機が小さくなり静かになりますと、冷蔵庫などの家電製品ができます。それからガソリン・エンジンができると乗用車という形で、普通の人が車を乗り回すことができるようになる。そこで郊外に住んで豊かな生活を楽しむ、というのがこれまでの産業社会、特にアメリカ社会の特徴でした。

 そこに無かったものはといいますと、情報生活という言葉をあえて使いますと、積極的な情報生活です。物的な生活においては、二十世紀の人々は非常に積極的に機械を使うようになりました。車を乗り回し、多種多様な電気製品を自由に操作して生活したのですけれども、「情報」となると非常に受け身なままでました。せいぜい、どんな新聞をとるか、どの雑誌を買うか、テレビのどのチャンネルを見るかを選択するだけであり、自分で番組をつくろうとか、本を書こうとか、芸術作品をつくって発表しようとは思わなかったのです。スポーツも、そこそこに楽しむ程度にはやるけれども、基本的に他人のやるのを見て楽しむ方が中心です。こういう受け身の生活、よく「カウチポテト」と呼ばれていましたけれども、仕事を終えて家に帰ってくると、カウチ、つまり長椅子の上にごろんと引っ繰り返って、ぼんやりとテレビを見るのに何時間も使う。こういうのが典型的なアメリカ的生活様式であったわけです。

 さて、このような大企業体制が、冷戦の終了と共に(そしてその次に申しあげる情報通信革命の始まりと共に)終わりました。その後にはグローバルな「大競争」時代が到来したといういい方が、日本だけではありませんが、日本では特に広くされております。これについては長く話をするときりがありませんので簡単に申しますけれども、「大競争」時代の到来というのは、冷戦が終り東と西の対立がなくなった結果世界の市場が一体化した、いい換えれば、共産圏という地域に資本主義が大々的に入っていけるようになったので、西側の世界にとって新しいマーケツトの可能性が開けたということを意味します。あるいは、第三世界もまた開かれた、自由市場になった。こうして無限に大きなマーケツトが開けたという期待を、西側、とくにアメリカの企業家たちが持つようになったということです。さらにいいますと、西側の中でも、これまでは半分閉じていた日本のような地域のマーケツトもまた、開かなければならなくなる。そうすると日本にとってみれば、外に出ていけるチャンスが増えたという面と同時に、中に入ってこられるのではないかという心配もでてきた。つまり、日本の場合、「大競争」とは日本の中に外国の企業が入ってくることである、こういう意味にも理解されています。

 しかし、大きな変化は、単に政治的な冷戦体制の終わりという面だけではなく、産業技術の面にもまた起こっていたのです。つまり、新しい「産業革命」、デジタル革命、あるいはネットワーク革命、情報革命、いろんな呼び方がありますけれども、要するに情報通信技術の革命であります。実は共産圏がつぶれたのは、多分デジタル革命、情報革命に対応できなかったことが、その大きな理由であったと思います。共産圏は、それ以前の初期の重化学工業化は何とかできた。しかし成熟した重化学工業段階で、家電製品や乗用車の質のいいものを安くつくるという点では失敗しました。ましていわんや、情報化についてはもう手も足も出なかったというのが正直なところでしょう。日本は重化学工業化の成熟段階まではできた。しかし、情報化の段階では相当遅れてしまっている。そういうことではないのでしょうか。

新しい状況の出現:通信産業の例

 さて、この数年いわれてきたのは、情報通信革命の始まった現在、これまでの各種の情報通信産業の間に作られていた壁は、この際思いきって取り払ってお互いに参入自由ということにしてしまおうということでした。これまでは、放送産業はサービスの提供資格や内容について、厳しい規制下にありました。電話産業はほとんど独占という形を認めた上で、料金やサービスの提供について規制がかかっていました。けれども、そういうものをなるべく自由にしてしまおう。そうするとどんどん競争が起こって、通信料金は安くなり、高度な情報通信システムを人々がたやすく利用できるようになるのではないかと考えられたのです。そこで、一昨年の初めにアメリカは60数年ぶりに新しい電気通信法をやっと制定しまして、これからいよいよ本格的競争の時代が始まるぞといったのですが、ところが業種の垣根を越えるような競争は、ほとんど起こらなかった。むしろ起こったのは同じ業種の中での合併競争であり、自分の支配している市場を他人の参入から守るための戦いでした。

 しかしその間に、実は全然別のところに挑戦者が現れていたということが、昨年の半ばあたりから非常にはつきりしてきました。すなわち、後で申し上げる「インターネット」、あるいはIP(インターネット・プロトコル)という言葉で代表されるような新しい情報通信システムの構築の試みが、またそのような新システムの構築の先頭に立つ新しい企業が、アメリカに続々と現れ始めたのです。たとえば、ワールドコムという会社が今、彗星のように世界を席巻しようとしています。その後をクエストやレベル3といった会社が追い掛けています。そして、こういう状況の中で、かつてはこれからは国際通信だとか国際市場だということがいわれていたのですが、あらためて気がついてみると、一番大きな成長市場はむしろ国内、何よりもアメリカの国内市場だったということがはっきりしてきました。その後を、ヨーロッパや日本の国内市場が追っかけて、これから大きく伸びようとしているらしいということが分かりました。そして、そのような国内市場で何が一番よく売れるのかというと、一般の消費者大衆のためのいわゆる「コンテンツ」とか双方向テレビ番組というものではなくて、企業や政府が業務のために利用するソフトウエアでありネットワークであり通信サービスであることも、明らかになってきました。それが、この一年ほどの間に生じた新しい状況であります。

新しい流れ:情報化

 さらに立ち入って見てみますと、そうした変化の奥で、社会の底流自体が大きく変わっているらしいのです。つまり、現在の情報通信革命をよく眺めてみると、そこには2つの側面があります。その1つの側面が、これから申しますような、非常に奥の深い、「情報社会化」とでも呼ぶことのできるような、産業社会そのものを超えるような変化、「産業社会を超えて情報社会に入っていく」といういい方が意味を持つような社会変化です。

 しかしそれだけではありません。狭い意味での産業化の継続というか、新しい産業革命、つまり情報産業を中心とする「第三次産業革命」もまた起こっています。この両者が同時並行的に起こっているというのが、現在の社会変化の非常に新しいところです。

 その意味するところは、非常に乱暴にいってしまいますと、社会の主役が変わるということです。まったく変わってしまわないまでも、社会の主役の範囲が広がるのです。現在の日本社会で申しますと、社会の主役はいうまでもなく壮年男子であります。青少年は、なかなか昔のようには社会にすぐ入っていきません。しばらくは学校に行きます。女性は部分的には社会に入つてきていますけれども、まだまだその役割は限られています。それから、退職した中高年の方は、再び社会の脇役の地位に退いていく。これが今日までの姿でした。ところが、近年のインターネットに代表されるような情報通信ネットワークの普及のありさまを見てみますと、そこで目覚ましく活躍しているのは、実は壮年男子もさることながら、むしろ青少年や子洪たち、女性・主婦の方、そして退職なさった中高年の方、それから身障者の方々です。少なくとも、そういう人々がその気になれば非常に大きな社会的役割を果たすことができるようになってきています。これは大変大きな変化であり、私はいい変化だと思います。

 また、これまでの社会では、これも後で申し上げますが、代表的な組織というと国家(あるいは国家の政府)、それから企業、この2つでした。政府と企業というのは、今日までの近代社会の中心的な組織ですけれども、どうやらこの20年ほどの間に、政府でもなければ企業でもない新しいタイプの組織が世界中に何千、何万、何十万と、出現してきています。そして、政府も企業も、その影響力をもはや無視できなくなってきています。世の中では、それらの新しい組織のことを、NGO(non-governmental organization)という言葉で呼んでいます。つまり、政府ではない組織だというわけです。もう1つは、NPO(non-profit organization)、つまり営利組織、企業ではない組織だというわけです。たしかに、これらの新しい組織が政府や企業とは違うということは誰でも分かります。しかし、では積極的にいえばそれは何であるのかということについては、まだはっきりした合意はできていません。日本でも、こういう新しい組織の存在を認め、そのための法律をちやんとつくろうという動きが国会でありますけれども、なかなか法律が通りません。(今度ようやく通りました。)それが「何でない」のかはわかったにしても、「何である」のかがもうひとつよく分からないものですから、自民党の先生方の中には「これこそ反体制の最たるものである」といっておられる方もいますし、「いや、こういう組織を大きくしなければ日本の未来はない」といっておられる方もいますが、これらの新しい組織の本質が一体何であるのかという点については、なかなか意見がまとまっていないのです。そこで私としては、とりあえずそれに積極的な名前を付けておこうと思います。政府でもなく企業でもないそれは、「智業」であるといっておくことにします。では智業とは何かということは後で申し上げます。

 そして、これも後で申し上げますけれども、智業の出現に伴って生じているもう1つの新しい変化は、ある種の分散システムといいますか、むしろ超分散システムとでも呼ぶのがふさわしい、新しい広域的な社会システムが、情報や知識の生産や流通の面で生まれつつあるということです。

文明の進化系統 

 ここでやや迂遠でありますけれども、非常にスケールの大きな話を少しだけさせていただきたいと思います。それは、私どもの今生きている世界の文明は、非常に単純に見ると2つの種類のものがあるということです。

 ひとつのタイプの文明は、未来準拠型と申しますか、世の中は昔よりも今の方がよくなっている、今よりも未来の方がもっとよくなるだろう、そういうふうな考えかたというか信念にもとづいて作られている文明です。それからまた、この世の中にはどんどん新しいものができてくるが、その新しいものは概していいものだ、という考えかたももっています。どうしてそういうふうに世の中が時がたつにつれて良くなっていくかというと、それは人間が自由に物を考えたり行動したりするからだ、と考えるのです。こういう考え方が正しいという証拠は、ほとんどないと思います。現にそうなっていない例はたくさんあります。でも、そういった信念、価値観、これを「近代文明的価値観」とひとまず呼んでおきたいと思いますが、それはわれわれが今生きている文明の基本的な価値観がそのようなものであるからです。

 繰り返しますと、世の中には絶えず新しいものが出てくるが、新しいものは良いものだ、われわれの自由な思考や行動がそれを生み出すのだ、その結果世の中はどんどん良くなる一方だ、という価値観です。もちろん、近代文明が成熟してきますと、そんな単純な考え方は訂正されていきます。つまり、新しいものがいつでも良いとは限らない、世の中が常によくなるとも限らない、しばらく落ち込むこともあるかもしれない。でも、均してみるとやっぱりよくなっているんだ。人間は、間違うことはあるだろうが、間違えながらでもだんだん進歩していくんだという信念。これが、近代文明に限らず、未来準拠型の文明が共通にもっている価値観です。

 しかし世の中には、そうではない、それとほとんど正反対といいたくなるような価値観を持っている文明もたくさんあります。どういう価値観かといいますと、世の中に新しいものはない、一見新しいと見えるものでも、実は昔あったものである。そして、時間が経つにつれて世の中は悪くなる、どんどん衰退していく一方である。そんな世の中をどうしてもよくしたいと思ったら、昔に返るしかない。つまり、「復古」とか「維新」が必要だ。それなら少しは昔に戻って、今よりは良くなるかもしれない。でも、まったく新しい方向へ進んでも、世の中はよくなるはずはない。なぜそうなのか。それは人間が勝手に物を考えたり行動したりするからである。「小人閑居して不善をなす」というではないか。だから人間は、昔の聖人君子のいったことをよくよく拳拳服贋して、あるいは聖書に書いてある教えとか、コーランの教えをきちんと守って生きていけば、何とかなる。勝手なことをしたらろくなことはない。それでも愚かな人間たちが好き勝手なことをやるものだから、世の中はどんどん悪くなっていく一方である。こういう考え方をする文明です。

 図−8は、これまでの人間の文明を、そのような二つの種類の文明、つまり世の中はよくなっていく、進歩していくと考える未来準拠型文明と、世の中は悪くなっていく、そして終末あるいは最後の審判の日が来ると考える過去準拠型文明に、分けててみたものです。その中の代表的なもののひとつ、それが未来準拠型文明でいえば、今日私どもの生きている近代文明であり、もうひとつの過去準拠型文明の代表的なものは、やはり今日の世界に見られる宗教文明と呼ぶことがふさわしい文明であります。

 近代文明にはいくつかの枝分かれがあります。宗教文明にもいくつかの枝分かれがあります。近代文明には、ヨーロッパの文明が代表的ですけれども、アメリカの文明もありますし、アジアの日本や東南アジアなどの文明もあります。宗教文明には、大きく見て四つのものがあります。シナの儒教・道教の文明、インドのバラモン教・ビンズー教の文明、そしてペルシャやアラビア、あるいは東南アジアのイスラム教の文明、それからスラブのギリシャ正教の文明、そういったものがあります。今日の世界では、人口の割合でいうと、実はまだ宗教文明の世界に生きている人の方がはるかに多いのです。それから私ども自身も、近代文明の人間だといいながら、頭の中には結構、昔のシナの宗教文明の影響をたくさん残しております。『論語』『孟子』を読みたいとか、古典は立派なものだとか、聖書の中身を毎年改訂することなんてあり得ない、などといいます。その一方で、物理の教科書を10年も同じものを使っているとばかにして、そんなことは考えられないというのですけれども、その二つが矛盾しながら私どもの頭の中に共存しています。それらは、互いに違う価値観なのです。しかし基本的には、近代社会は、世の中は進歩するのだという価値観に立脚しているといっていいでしょう。

 図−9は、今からちょうど41年前、梅棹忠夫先生が書かれて、当時私もまだ若かったのですけれども、当時の日本人の想像を非常に刺激したものです。梅棹さんがいわれたのは、 『ユーラシア大陸を見てごらん。乾燥地帯が東北から西南に走っていて、その周りを偉大な宗教文明が取り囲んでいるではないか。シナの文明、インドの文明、アラブの文明、スラブの文明がある。そしてその周辺に、いわゆる近代文明がある。それが西欧であり日本である。西欧と日本は同じような形で進化をしてきた、どちらもそれぞれの固有の価値を持った近代文明なんだ』ということでした。梅棹さんは、このようなメッセージを投げかけることで、戦争に負けて自信を失っていた日本人に、大きな力を与えてくれたわけであります。日本もその一員である近代文明とは、基本的な価値観として、自由主義・進歩主義、そして「自由が進歩を生む」という信念を持っている文明なのでした。

近代化の三つの波と局面

 この近代文明自体の歴史に、私は三つの波があるという見方をしています。つまり、近代文明はそれ自身、どんどん新しくなり進化をしていると見ているのです。一番最初に現れた近代文明は、「近代軍事文明」だったということができます。その次に「近代産業文明」が、200年ほど前からはっきりした形を取つて出てきました。近代軍事文明が成立したのは今から400年ぐらい前の16世紀、日本でいうと戦国時代です。ですから、近代化の大きな流れの中では、まず近代軍事文明が立ち上がり、次に近代産業文明が立ち上がり、そして今、「近代情報文明」が立ち上がりつつある、というように考えてみることはできないかと思うのです。

 こういうことを申しますと、お前の話はトフラーのいう「第三の波」に似ている、といわれる方がいらっしやるかもしれませんが、それは少し違います。トフラーの「第三の波」は、近代そのものを超えるような変化です。近代文明は「第二の波」に対応し、そして第三の波で次の文明ができると考えているといっていいでしょう。私がとっているのは、近代そのものの中に3つの波があって、軍事、産業、情報と進んできているという見方です。

 それら3つの波がすべて「近代」に含まれると考える理由は次のとおりです。世の中には、今はもう近代を超えている、ポストモダンの時代に入ったのだ、という見方もありますけれども、私はそうではないと見た方が今日の社会変化の意味をより理解しやすいと思うのです。なぜならば、現在起こっている変化(つまり、「情報化」)は過去の軍事化や産業化に共通したところが多分にあると思われるからです。どういう点が似ているかというと、英語では「エンパワーメント」というのですけれども、近代化とはつまり、われわれ人間の持っている力、能力の拡大する過程、いいかえれば人間のパワーが増える、つまりエンパワーする過程に他なりません。そのパワーの増大が最初にどこに出てきたかというと、軍事力に出てきた。鉄砲、大砲ができた。また、帆船にそれらを積み込んでで大洋を航海していって、いった先を侵略する。自国の領土や植民地にする。こういう力の増大が近代軍事文明を立ち上げたのです。近代の進化の第二の局面では、力の増大は経済力に現れました。それと共に近代産業企業が出現して、新しい技術で新しい製品をどんどんつくり、それを市場で売って利益を上げ、富を蓄積する。人々はそれを買い入れて使って生活を豊かにしていく。これが第二局面でのエンパワーメントでした。そして今起こっているのは、いよいよ近代化の第三局面の到来であって、今度増大しているのは知力です。あるいは情報処理の面でのエンパワーメントです。つまり、人々が情報をつくり出し、表現し、伝達する力が、今急激に増加しようとしているのです。

 近代化の第一局面にあたる軍事化は、「近代主権国家」と呼ばれる新しい組織と、そのメンバーとしての「国民」を生み出しました。そして、近代国家は「国際社会」という場で活動しました。それに対して、産業化は、「近代産業企業」を生み出しました。産業企業のメンバーは、会社員・従業員といってもいいのですが、普通には「市民」と呼ばれています。産業企業や市民たちは、世界市場で活躍をします。では、今起こっていることは何なのでしょうか。それは、これまでになかったような新しい種類の組織と、そのメンバーとしての人々の新しい意識や行動様式の出現です。私はそれを、「智業」および「智民」と名づけています。彼らが活躍する場所も、これまでの国際社会(基本的に戦争や外交の場所)や世界市場(基本的に商売の場所)とはひと昧違う場所になります。私はそれを、「地球智場」と呼びたいと思います。

軍事化の局面・平和の達成

 近代化の三つの波を形作っているそれぞれの局面の特徴について、ごく簡単にふれてみましょう。軍事化の局面の目標は、平和を達成することにおかれました。近代の国家は、国家主権という観念を大変神聖なものとみなして、この世の中には自分よりも上の社会的存在はいないんだ、ローマ帝国とか世界教会といった組織の下風に立たなくてもいい、主権国家こそは最高の権利、つまり「主権」の持ち主なのだ、こういうふうに考えました。(もちろん、植民地や従属国は、主権国家ではありません。それらは主権国家の下位に立つ政治単位なのです。)

 この意味での主権国家が要素となってつくり出したより大きな社会システム、つまり「国際社会」は、いつてみれば一種の広域的な分散システム、つまり、軍事の分散システムであります。それぞれの国が一番偉いわけですから、國際社会には、それらの個々の国を束ねて統治し支配するような世界政府というものはありません。国際社会では、互いに対等な国が、それぞれ個々に戦争や外交をいたします。同盟を結んだり裏切ったり、いろいろします。けれども、個々の国家の行為は基本的に自由であります。そして、各国家は、相互の対立関係の中で、戦争や外交に従事しているのです。しかも、ここで非常に重要なひとつの特徴は、近代社会では、この新しく台頭してくる主権国家のメンバーである国民全員(といっても普通は男子に限られます)が、兵士になった、あるいはなれる、ということです。それ以前の社会では、戦争をするのは貴族とか武士とか呼ばれていた特別な階級の仕事でした。ところが近代国家では、国民が兵士になります。国民軍が編成されるのです。そして国民たるものは、国のために死ぬことが最高の名誉だといわれるようになります。最初のうちは、そんな「国民軍」は烏合の衆だとしてばかにされていました。例えば西南戦争の時の薩摩の武士たちは、新政府の百姓の軍隊が侍に勝てるわけがないと思ったでしよう。ところがなぜか勝ってしまった。あるいは、フランスの市民革命の後でナポレオンが組織したフランス国民軍は、貴族たちが雇っていた戦争のプロである傭兵軍と戦って、たちまち制覇しました。つまり、国民軍は強いぞということが分かってきます。ただし、だからといって国内で国民が勝手に私的な武力を持ってお互いに戦争したり国家に対して反乱を起こしたりすることは許さない、軍事力は国家が集中的に持つ、としたのが近代国家の特徽であります。(やがて国民たちは、その代償に国家主権そのものを国民の手に渡せという要求、つまり「民主主義」の要求を掲げて立ちあがり、革命を起こしたりするようになります。)ここであらためてご記憶いただきたいのは、近代化の最初の局面では、まず国際社会という分散システムができて、国家はその中で一定のルール(国際法、とりわけ戦時国際法)にしたがって戦争や外交を行うようになり、国威の増進・発揚競争をするようになったのだが、これを担つたのは「国民」という一般の人々であったということです。

産業化の局面:繁栄の達成

 それに続く産業革命では、平和に加えて繁栄が、つまり豊かな社会をつくるのがいいことだと、多くの人が考えるようになります。産業革命を通じて、今度は国家主権ではなくて私有財産権こそ神聖だと考える人々が、近代産業企業という組織をつくっていきます。そして人々は、自由に企業を起こし、あるいは企業に雇われて働き、また企業の作ったものを買うようになります。これは、経済の領域に分散システムがつくられたことを意味します。

 つまり、自分の私有財産を使って企業を起こすことは自由だ。誰がどんな事業をやってもいい。そして企業は、自分のつくったものを生産し販売することで、互いに競争をする。そのような起業の仕事を誰が具体的に担当するかというと、一般の人々、市民であります。 それ以前の社会では、例えば徳川時代、製造や商業を営んでいたのは誰かというと、「工、商」の身分を持つ人々でした。彼らは、いわば代々職人としてやつてきた人、あるいは幕府や藩から特権を貰って商売を営む権利を得ていた人々です。あるいはそこに丁稚奉公に入って10年、20年と修業をしてやっと一人前の職人や商人になることが認められた人々です。ところが近代産業社会では、ごく普通の人が、最初は子供でさえ、あるいは女工という形で、企業にどんどん雇われて働きました。そして多種多様な工業製品を大量につくって市場で売りました。それを当時の職人、あるいは商人のが見たら、そんな乱暴な作り方あるいは売り方をして、いい品物ができるわけがないではないか、お客に信頼され喜ばれるのか、というふうに非難されただろうと思います。事実、値段は安いが質の悪い粗悪な品もたくさん作られました。しかし、だんだんと近代の企業、つまり近代の市民がその従業員になった企業がつくり出す商品の品質は上がり、値段はますます安くなり、世界の市場を席巻していきました。特権的・独占的な商人や職人が没落していく一方で、新しい企業家や技術者が育っていき、ついに経済の分散システムは勝利を収めたわけです。

 ただし、遅れて産業化を始めたたソ連のような国は、国民に勝手に事業をやらせるのはまずい。むしろ国が自分の手に生産手段を集中し、企業の経営もその成果の分配も国が中心にやった方がいいと考えました。軍事力については国家独占でうまくいったのだから、経済もその機能を国の手に集中させればうまくいくのではないかと思ったわけです。これが「社会主義」と呼ばれる経済運営方式に他なりませんでした。しかし、それは必ずしもうまくいきませんでした。ある程度までは良くても、それ以上先にはなかなか進めなかったというほうが正確かも知れません。ソ連は初期の重化学工業化まではかなり良くやりましたが、重化学工業を成熟させて、良質で安価な大衆的な耐久消費財(乗用車や家電)を大量生産することには失敗しました。「準社会主義体制」あるいは「開発主義体制」を取ったといわれる日本は、良質な耐久消費財の大量生産まではうまくやったのですが、その次の情報産業革命には立ち遅れてしまいました。だから、現在では経済は分散システム(自由な競争市場)にまかせるのがよいという考え方が支配的になってきました。ただし、全く勝手にしておいたのではいけないので、先程申しましたような、独占は規制した方がいいとか、貧富の差が拡大しすぎないように再分配政策を入れた方がいいとか、あるいは環境保全も考えなければいけないとかいう点についての理解も、だんだん深まってきました。しかし、基本的に分散システムでうまくいくのだという結論あるいは合意が得られたことは、近代文明の生み出した大きな成果だといってよいでしょう。

情報化の局面:共愉の達成

 さて、以上のような議論を前提にして考えていけば、今起こっている近代化の第三局面への移行の契機をなす情報革命とはどういう性格の社会変化であるかが、かなり理解しやすくなると思います。まず情報社会の新しい目標ですが、これは「共愉」という言葉で表現できるのではないかと思います。もちろんこんな日本語はないのですけれども、私の若い友人が英語のconvivialityという言葉の訳語として提唱した言葉で、悪くないなと思って私も使つています。もっと平たくいえば、英語の pleasureという言葉を使ってもいいでしょう。要するに、楽しいことはいいことだということです。そういうわけで、これからの社会では、平和(peace)、繁栄(prosperity)に対して共愉(pleasure)が、新しい目標として追加されることになるでしょう。軍事化の局面では、各国は、平和なことはいいことだといって平和を達成しようと努めた。産業化の局面では、企業が、豊かなことはいいことだと言って、繁栄を達成しようとして努力した。国家もそれに協力した。今度の情報化の局面では、智業が、楽しい状態をつくろう、面白いことをやろうと呼びかけてその実現に努めることになるでしょう。

 智業は、これまでの国家主権(公権)、あるいは私的な財産権(私権)とは多分違う種類の権利の観念を持つようになると思われます。それを私は仮に「情報権」という言葉で呼んでみています。それは、国家や個人よりも集団をベースにした「共権」とでもいうべき権利であって、例えば、「コピーは自由である」というのは、この意味での共権に立脚した考え方だといえます。財産権の観点からすると、勝手にコピーされてはたまらない、それは私人の財産権の侵害になるので、コピーをする場合にはちやんと代金を払え、というでしょう。あるいは国家主権の立場から見ると、政府の(機密)文書を勝手にコピーして持ち出すのはスパイだ、ということになります。ところが情報権の立場からすると、われわれの作った文書は、どんどんコピーして配っていいよ、という話になります。

 では、自由にコピーさせるとどんなよいことがあるのか。それは、智業の知的な影響力の獲得や発揮を助けると考えられます。産業社会の企業は「富」、つまり一般的な取引力あるいは経済力を獲得して誇示しようとしています。軍事社会の国家は、国威、つまり一般的な脅迫・強制力を増進し発揚しようとしました。それと似たような意味で、情報社会の智業は、「智」、つまり知的な影響力を獲得して発揮しようとします。それを通じて、自分たちが面白いと思うこと、良いと思うこと、美しいと思うことを実現しようとします。そして智民は、そのような智業のメンバーあるいは支持者として、積極的に智業の組織する活動に参加したり、それを支援したりするようになるでしょう。

 ここでのポイントは、知識や情報の生産や流通についても、国際社会や世界市場と同じような意味で分散システム、それも分散の度合いがさらに高い「超分散システム」とでもいいたいようなシステムが生まれるのではないかということです。いい換えれば、誰でも自分がよいと思う、あるいは美しいとか正しいと思う情報や知識をどんどん出して発表してよくなるのです。実際、誰でもそうすることができるような技術やシステムが生まれてきています。典型的にはそれがインターネットであり、そこで利用できる各種のアプリケーションです。インターネットの上には本当に無数、無限といいたいような多くの情報があります。素晴らしい情報もあればごみ情報もありますが、大事なことは、いろんなグループ、いろんな個人が競ってホームページに情報提供をしようとしていることです。それをしている人は誰かというと、先に述べた智民なのですが、その場合の智民とは実は普通一般の人々なのです。

 これまでは情報や知識は誰が生産し誰が流通させていたか。いうまでもありません。知識人とか芸術家とか作家、あるいはスポーツマンなど、一般に「プロ」と呼ばれる人々が自分の作品を発表していました。自分のパフォーマンスを見せていました。そして、寡占的な大企業、すなわちマス・メディアが、そういったいわば「知的職人」たちの生み出す情報や知識の配給や流通を、専門的に担当していたのです。一般の人々は基本的にそれを受け取るだけという関係が支配的でした。そのような知的職人たちのための組織が、例えば大学であり研究所であり、あるいは文壇であり画壇というところだったわけです。

 ところが、情報通信革命の中で、とりわけインターネットの出現によって、誰でも自分で知識や情報を作って普及させることが可能になつてきたのです。つまり、知の分散システムが出てきました。今このシステムの立ち上がるさまを見ている人がよくいうのは、「あれはひどいものだよ、インターネットを見てごらん、あそこにあるのはポルノか、役にも立たないごみ情報ばかりではないか、あんなものは子供に見せるものではない」といったようなことです。しかし振り返ってみると、私たちは、それと似たような話を200年前の産業化の初期にも聞いたはずです。つまり、どこかの田舎からぽっと出てきた連中が都市に集まって工場で物を作ってもろくなものができるはずがないとか、あるいはろくな訓練も受けていない烏合の衆が戦争をしたって勝てるわけはないという軽蔑の気持ちを、それまでの武士や職人や商人はもったはずです。同じことを今、既存の学者たちが、権威ある知識人たちが、芸術家たちが、あるいはマスメディアが、インターネットについていっています。あんなの駄目だよといっています。一面においてはそのとおりです。確かにインターネットにはごみ情報がいっぱいあります。しかし、情報の質はだんだんとよくなっていくのではないでしょうか。現在が近代化の第三の局面であって、過去の軍事化や産業化のさいに起こったのと似たようなことが、今後大きくは起こっていくとするならば、紆余曲折はあるにしても、今度は情報や知識の力の面でのエンパワーメントが起こり、情報や知識の超分散システムがつくられ、万人が知識の創造や普及に参加し、そしてまた万人がちょうど消費者が企業の商品を買うように、智業が生み出した創造物を受けとって享受する。こういう社会が、未来の情報社会ということになるだろうと思うのです。

 もちろん、ものの製造や販売の場合と同様、情報や知識の創造や普及も、全く自由にしていいというわけにはいきません。やはり何らかの規制が必要になります。たとえば表現の種類の中には、本当に人の心を溶かしてしまうもの、あるいは人に非常に変な気持ちを起こさせるものが十分あるわけです。そういったいわば手練手管を上手に使うと、簡単に人をだまして虜にしてしまうことができるはずです。あるいは、誰にも解けないような暗号を使って通信をして、犯罪が行われるのを許していいのかとかいう問題も確かにあります。ですから何らかの制限をしなければいけません。言論は100パーセント自由だといってばかりいるわけにはいかないのです。しかし、では何をどのように制限すべきか、どういう法律を作ればいいのか、その法律を執行するにはどんな仕組みをつくればいいのか、そういったことは、現在のところではまだほとんど分かつていません。また、情報権を制限する問題だけでなく、そこからさらに進んで、これまでの知的財産権と情報権と間の関係をどう調整するのかとか、あるいは国家主権と情報権との関係をどううまく調整していけばいいのかといった問題になるとさらに分からないことだらけです。多分、あと何十年もかかって、私どもはこういう問題を考え抜き、解決に努めていかざるを得なくなるだろうと思います。

 それからまた、産業社会が結局は環境の保全に気を使わなければならなくなったように、情報社会もいずれは、人間の肉体や近隣のコミュニティの保全という問題を真剣に考えなければならなくなるでしょう。われわれは、脳だけで生きているわけではない。肉体があります。あるいはサイバースペースの中だけで生きているわけではない。普通の社会、物理的に身近な家庭や職場、あるいはコミュニティでも生きていかなければなりません。ですから、そういつた点への配慮も必要になることは確かです。けれども、当面の大切な課題としては、何よりもまず自由で開かれた「知の分散システム」をつくる必要があります。

智業・智民・智場の台頭

 先程の話の繰り返しになりますけれども、「智業」とともに生まれてくる新しい人間のあり方としての「智民」とは、結局のところ、知力が増進したこれまでの国民や市民であります。ということは、あらゆる人がいわゆる「コンテンツ」を、つまり知識・情報の中身を、自分でつくるようになることを意味します。自分で情報を表現し伝達するようになる。自分で情報を積極的に探しまわり、取ってくるようになるのです。つまり、これまでのような受身の「カウチポテト」ではなくなるということです。

 それだけではありません。単に情報をつくり出し、お互いにコミュニケーションをするだけではなくて、もう一歩進んで、自分が望ましい社会的な目標であると考えるものの実現を、積極的に目指すようになっていくでしょう。近年では、NGOやNPOが無数に現れて、例えば人権を守れとか、あるいは環境を保全せよとが、いろんな目標を掲げて活動していますけれども、彼らの活動を既存の政府や企業がどうにも無視できなくなってきつつあるということは、こういう人たちが非常に大きなパワーを持って活動し始めたということを意味しています。その人たちを束ねている組織が、「智業」、あるいは一般に使われている名称で言うとNGO、NPOなんですけれども、この智業がどのようにして仕事をするかといいますと、新しい情報や知識を人々にタダで普及させようとします。これは有益な知識ですよといって人々を説得して、受け入れさせようとします。つまり、人々とコミュニケーションを活発に行います。さらに、こんなことをしてみるといいですよ、面白いですよといって人々に呼びかけ、賛成なら私たちと一緒にそれをやってみましょう、と提案する。つまり共通の目標を提示して、お互いの競争というよりは協働、英語ではコラボレーションと申しすけれども、コラボレーションを通じてその実現を図る。ですから、これからの智業の時代、つまり情報化の時代での私たちの社会活動は、コミュニケーション(説得、交流)とコラボレーション(協働)が二つの大きな原理になります。軍事社会での社会活動は脅迫と紛争を中心に動き、産業社会での社会活動は、取り引きと競争を中心に動いていたのですけれども、情報社会ではそれらに代わって、あるいはそれらを補完する形で、新しい活動の原理が生まれてくるのです。それだけではなくて、恐らく智場における智業の活動を律している原理は、そのほかの社会活動全体にとってのプラツトホームにもなるだろうということが予想できます。

 それは、現在の産業社会のあり方を振り返ってみると明らかになります。産業社会では市場での取り引き、あるいは競争の原理が、ほかの社会活動のモデルになっています。例えば教育とか医療という活動を考えてみて下さい。本来、教育や医療はお金儲けのための仕事ではないはずです。営利のための教育とか営利のための医療ではないはずです。それは本来、人をよくするための善意の活動であり、人を助けるためのものであって、お金儲けのためでなかったことは確かです。しかし、産業社会では営利活動が非常に目覚ましく成功した。その結果として人々は、市場で良いものを安く大量に手に入れることができるようになったので、それなら教育にしたって医療にしたって同じような枠組みに乗せてそれを提供すればいいじゃないかと考えるようになりました。授業料を取って教育する、あるいは診察料を取って医療を提供する。そうすると安くて良質の医療や教育サービスが大量に提供できるじゃないかというのが、これまでの教育や医療のモデルでした。それはそれでよかったと思うのですけれども、一方では行き過ぎもあり、歪みも出てきました。しかし、基本的に市場における取引や競争がそのモデルになってきたということは否定できません。

 しかし、ここで私が申し上げたいのは、今度は智場での説得や協働が、さまざまな社会活動にとってのモデルになるだろう、そして、本来は智業的な活動ではないビジネスという営利活動や、さらには政治や行政活動もまた、智場での説得や協働をモデルとして行われるようになるに違いない、ということです。現に例えば、これからは新しいマーケティングの方式が必要だという議論は、すでにたくさん行われています。ワン・トゥー・ワン・マーケティングといって、顧客一人ひとりのことをよく知った上で、きめ細かいサービスをしようとするものがあります。あるいはリレーションシップ・マーケティングといって、顧客と先ずよく知り合いになり、お互いの間の信頼関係をつくり上げたうえで、長期安定的なビジネスを営んでいこうとする方式も提案されています。もともと日本のビジネスには、そのような側面が強かったと思いますけれども、そうした傾向がもっと世界的に広がり、もっと強くなる可能性があるのです。

 それからまたソフトウエアなどでも、最初はただで配る。そしてみんながそれを使ってくれて、良いものだということがわかったら、おもむろに料金を付けて売り始めるといったビジネスの仕方がどんどん広がっています。そのかわり、料金を払ってくれる人には、追加のサービスをするというような形で、ビジネスをやっていこうとするわけです。つまり智場での普及や説得の関係をもとにしてビジネスを広げていこうというわけです。さらに言うと、企業自身も、これからは智業のようになっていかなければならない。いい換えれば、良いものを安く売るのが企業の責務なんだから、そうしていさえすれば世の中に認められる、ちゃんと事業を続けていける、それでいいじやないか、それ以上は余計なことだ、というふうに考えるのではなくて、企業もまた積極的に自分の理念やビジョンを社会に対して明らかにする。例えば、わが社としては今後の日本のエネルギーははかくかくしかじかの形で確保していかなければならないと思う。そのためにわが社はこんなエネルギー供給システムを考えています、ユーザーにはこんなライフスタイルを提案します。皆さんいかがでしよう、私たちを支援していただけませんか、といつたようなことを呼びかける。あるいは原子力発電が必要なら必要だということを、諄諄と説得に努める。説得できなければ原子力発電は諦める。そういう形でビジネスを考えていくようにしなければ、今後のビジネスは非常にやりにくくなると思われます。

 アメリカではもう既にいろんな投資グループが、ただ収益率が高い企業だから、よく売れる製品を作っている企業だからということで投資先を決めるのではなくて、どんな理念を持っているのか、あるいはどんな社会的活動をその企業はしているのかといった点を基準にして投資先を選ぶというやり方が、ずいぶん広く行われるようになってきたといわれています。ですから、これからの情報社会では産業活動がなくなるわけではなく、もっともっと盛んになると思いますけれども、その場合の産業活動のあり方自体は、これまでの産業社会のものとは相当変わってくる。あるいは、この新しい流れにうまく乗ることによって、ビジネスを大きくしていくことができる、また逆にそうしなければ非常にやりにくくなると思われます。つまり、まず緊密なコミュニケーションを通じて人々との間に相互の知己や信頼の関係をつくって、認識や目標を共有し、人々との協働(コラボレーション)を通じて共有された目標の実現をはかる中で商売をしていくということであります。

 これからのビジネスとの関連でもう一つ申しあげておきたいことは、いわゆる「コンテンツ」(情報や知識の中身)の問題です。これからは情報社会になるから、企業もコンテンツ、とりわけ「デジタル・コンテンツ」を商品として作って売ると儲かるだろう、あるいは、デジタル・コンテンツの制作権をを独占し、顧客を囲いこんで大きく儲けようという考え方があります。私はこれは、一面では正しいかもしれないけれども、基本的には間違っているという気がしています。なぜならば、これからのコンテンツの最大の部分は、智業や智民が自分たちで作って、つまり一般の人たちが自分たちで作って、それをお互い同士の間でどんどん普及させ通有させるようになっていくと思われるからです。それに対し、商品として有料で売られる、つまり知的財産権の対象として売られるコンテンツの割合は、ほんの氷山の一角にすぎない小さなものになるでしょう。もちろんこの部分も、絶対的な規模としては、産業社会で売られていたものよりはずっと大きくなりうると思いますけれども、それを支えるはるかに大きな、いわばタダで作られ流通する情報や知識の基盤があるということを忘れてはならないと思います。商品化される部分を独占してしまおうとか、あるいは情報社会で流通するコンテンツのすべてを知的財産権の対象にしてしまおうとする企業は、智業や智民の反撃を受けるだろうということであります。

情報産業化:突破段階の課題 

 情報産業化は、先程申し上げました情報通信革命の2つの側面のうちのもう1つの側面にあたります。この面では、基本的にこれまでの産業化と同じような変化が続いている中で、しかし今新しい産業革命が今起こっているという見方です。産業革命はこれまで大体100年ごとに起こってきた。・今から100年前には重化学工業革命が起こり、エネルギーは石炭から石油に転換しました。そして重化学工業が生まれました。それと同じような意味で、新しい産業が今生まれてこようとしているのです。ところが過去を振り返ってみますと、1つの産業革命が起こって大体最初の50年ぐらいは突破の段階と考えることができます。それから後半の50年で成熟をして人々のライフスタイルが変わるのですけれども、突破の段階では新しい技術・新しい産業・新しい経営の形・新しいインフラがつくられます。今ある大企業は19世紀の終わりの重化学工業革命の突破の段階に生まれたのです。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて今日の大企業の形ができました。 似たような意味で今、情報通信技術は経営の形そのものも変えようとしていると思いますし、新しいインフラをつくろうとしている段階にあります。しかし、まだ成熟するにはほど遠い。ところが、私どもは今まで20世紀の第二次産業革命の成熟段階に生きてきましたから、乗用車と家電のアメリカ的生活様式が支配する時代が当たり前の時代だと思っています。ですから、そこへ情報革命が起こったとなると、おおそうか、今度は情報家電だね、と考えるわけです。つまり、人々が情報を大衆的に消費するような、そのための機器を大衆的に買うような状況がすぐ出現するだろうと考える。つまり、情報家電を使って情報生活をいとなむようになると考える。これは多分、性急な見方であります。そういうことが起こるかもしれないけれども、それは恐らく何十年も先の話でしよう。今すぐに起こることは何かというと、むしろ現在の企業とか政府が新しい情報技術やその製品サービスを自分たちの業務に使って生産性を上げること、これが第一段階だと思います。 重化学工業革命が19世紀の終わりに起こったときに、その製品やサービスをいち早く使ったのは誰か。第1は国家です。国が重化学工業の生み出す武器・火薬・機関銃・自動車を使って戦争をした。その結果、戦争の性格は非常に変わりました。あるいは農業、アメリカの農業は、いち早く重化学工業の成果を使いました。トラクターで耕作をした。農薬や肥料という化学工業の製品を使った。そしてコンバインで刈り取り、トラックでマーケットに運ぶ、ということでアメリカの農業は世界を制覇しました。つまり、重化学工業革命の波に乗った既存の産業、あるいは乗ることのできた国家が、次の時代の覇権を握ることができたわけであります。 それと同じような意味で、情報産業革命の時代の突破段階の課題は、まずそのためのインフラをつくること、つまり高度な情報通信のネットワークをつくること、それから新しい技術や製品を、今ある産業が、皆様方が、業務に使う。あるいは自治体や中央政府が行政に使う。そして同時に自分たちの経営形態や産業組織そのものを再編成していく。そういう改革、先程水谷さんも強調されましたけれども、この改革に取り組まなければ、実は大衆化するための製品をつくるだけの力も持てない。情報家電と称して非常に難しいものを高い値段で売っても売れるわけがない。今のパソコンがそうです。とてもじやないけれど普通に使える代物とは思えない、といいながら私も使うことは使って毎日泣かされておりますけれども、大変問題があると思います。

情報通信革命の主導国米国の迷走と成功

 アメリカは、1990年代に入ってからこの10年間情報通信革命を先導してきたことは間違いありませんが、大変右往左往してきました。つまり、間違えては軌道修正し、間違えては軌道修正するということを非常に機敏にやってきたと思います。どういうことをやつたかといいますと、クリントン政権の前の1991年から92年にかけて、当時上院議員だったゴアさんなどが先頭に立って、情報スーパーハイウエーをつくれといいました。つまり、国が中心になってスーパーコンピュータ中心のネットワークをつくる,,そして研究や教育にこれを利用しようといいました。 ところが、その動きを見て取った民間の産業が一斉に反発しまして、情報革命が本当に起こっており、情報ハイウエーが必要だというならば、それをつくるのは政府ではない、われわれだ。ケーブルテレビや電話産業にやらせろといって、結局クリントン政権はそれを受け入れて、よろしい、では民間の投資でやって下さい、政府の規制は最小にします、好きなようにおやりなさい、といった。93年から94年がその時期であります。政府は情報スーパーハイウエーという言葉をあまり使わなくなってN11(全国情報基盤)という言葉を使うようになりました。あるいはそれをさらに拡張したGIV(地球情報基盤)というような抽象的な表現に、ある意味では逃げ

たわけであります。 では民間は何をしたかというと、民間が走つたのは双方向テレビ、あるいはビデオ*オン・デマンドでした。つまり、それまでのテレビを多少視聴者からの注文もできるようにするとかいう方向に拡張すれば大きなマーケツトが開けるだろう。テレビの上にコンピュータを置いて、そこから注文を出す、ピザも買えるよというような話であります。しかし、やってみるとそのための技術は到底まだ成熟にはほど遠いものであるし、大して需要もないことが分かってヤケドをしました。このいわゆる第一次ゴールドラッシュの時期は2年もたたないうちに終わりました。 しかし、その時に気がついたのは、それで

も急速に伸びていたものがあったということです。その代表がインターネットだったじゃないかということが分かって、95年から96年にかけて起こったことは、いわゆるアメリカのビジネス界のインターネツトの発見であります。ではインターネットで何をするか。

ワールド・ワイド・ウェブという仕組みを使えば簡単に広告ができる。あるいはそこに電子的な店をつくってショッピングをさせることができる。そうすると電子商取引がどんどん増えていくのではないかということで、一斉に各社競ってホームページを作り、広告を出し、物を売ろうとした。しかし大して増えない。一向に伸びません。そもそも買って代金を払おうと思っても電子的な支払いのシステムさえろくにできていない。クレディットカード番号を電子メールで送ると、途中でぬすまれてしまうかもしれない。そんなところで電子商取引が大きくなるはずがない。 そこで気がついたのは、社内の業務の生産

性の拡大に、あるいはビジネスとビジネスの間の取り引きにこの電子ネットワークを使うのが本命だ、ということでした。そして昨年から今年にかけて、97年、98年はいわゆるイントラネットやエクストラネット、企業の業務用のネットワーク、あるいはコミュニティのネットワークをつくるのが大きな流れになっています。しかし、今年から来年にかけてどんどんと各企業がイントラネットやエクストラネツトを使って生産性を革命的に上げていくことができるかどうかというと、まだもうひとつ分かりません。つまり、そこまでコンピュータやネットワークの技術は成熟していないのです。既に導入してヤケドをしている企業がたくさんあると思います。そう一筋縄ではまいりません。狙いはいいけれど、これもまだまだ早すぎるのかもしれない。 その間何が起こっているかというと、先程いいましたワールドコムとかクエストというような会社が出てきて、本格的なインターネットのためのインフラをつくるということを始めました。大きな変化が見えはじめたのが去年の大体夏であります。アメリカの連邦通信委員会がまず政策の変更を致しました。当時の委員長であったハントさんは、それまではアメリカは5車線論、衛星・放送・ケーブルテレビ・有線電話・携帯電話、こういう産業がみんな競争をする。そしてお互いに枠を取り払って相手の分野へ入っていって競争をする。政府はそれを見ている。競争を促進するための枠組みをつくる、といったのですがちっともうまくいかなかった。インターネットが広がったことは間違いないが、電話会社の電話の線を使ったいわゆるダイヤルアツプ接続であり遅い、高い。これではインターネットは思うように使えないという不満が高まつた。 これに気が付いて、やっぱりそうじやなかつた、本格的にインターネットを使おうと思えば、そのための幹線網や市内網をつくることが先決であるということに気が付いたのです。同じころ、アメリカの最大の電話会社ΛT&Tの指導的な技術者の一人であったデービツド・アイゼンバーグという人が論文を書きまして、これからは電話のシステムでは駄目だ、電話のシステムというものは線の帯域が非常に稀少である、値段が高い。交換機も高価であり稀少であるということを前提にしてつくられている。しかし、これからはそういうものはむしろ安くなる、誰でも使えるようになるということを前提にしてシステムをつくるべきである。通信のネットワークをインテリジェントなネットワークにするのではなくて、ネットワークはただそのまま線があればいい。後は端末の方がネットワークを制御して自由に自分が送るものを決める。この方が技術開発もずっと早くなる。こういった主張をしまして、それが今、燎原の火のごとく広がっております。つまり、インターネットのための網をつくれということになっております。 先程いいましたクエストという会社は、去年から鉄道の敷設権の一部を買い取りまして、線路沿いに光ファイバーを引いていて、新興の1社が他の主要な情報通信企業をすべて合わせたよりも多くの光ファイバーの帯域をこれから来年にかけてつくってしまう。そして何をするのか。もちろんその一部を通信中にもいろいろ対立がありますが、今日はこれには触れません。

インターネットの特徴

 もう1回おさらいをしてみますと、インターネットはこれまでの電話や放送とは種類が違う通信システムです。いわゆるバケツト交換、ちょうど鉄道に対する道路のようなものであると考えていただければいいのですけれども、‐道路には車がどんどん入ってきます。一緒に流れます。鉄道は走っている間は一つの列車が専用しております。ちょうど電話は掛けている間はその回線を排他的に専用しているのと同じようなことですけれども、バケット交換はそうではない。そしてインターネットはステューピツド・ネットワーク、つまりネットワークの方にインテリジェンスがあるのではなくて、むしろユーザー、端末あるいはローカルな方にインテリジェンスがあるネットワークだということであります。 単位になるのはローカルなネットワーク、いわゆるLΛNであります。このLΛNがお互いに繋がっていき、そしてさらに世界的に広がっていくというのがインターネットの特徴であると考えられます。インターネットは何にでも使えるというか、情報通信についてはこれまで電話や放送がやっていたことにも使えるということがだんだんはっきりと分かつてきました。1、2年前までは、まだそれは無理だといっていたのですけれども、そうではないュむしろこれから急激にこの分野にインターネットが入っていくという方向性が明らかになってきて、これは大変だということになっています。 つまり、既存の電話業はどうすればいいのか、放送はどうすればいいのか。私も去年ぐらいまでは、まだ10年20年はとてもじやないけどインターネットそれ自体が電話や放送と正面から競争してかなうはずはないと思っていたのですけれども、どうもそうではない。多分あと2、3年のうちに、今申しましたように、インターネットには十分競争力があるどころか、急激に既存の通信や放送のマーケットを食つてしまう結果になりそうだということがはっきりしてきた。そして、そのインターネツトたるや単なるマーケットではない。先程申しました智場、つまり人々のコミュニケーションとコラボレーションの場であるという性格も持っている。このインターネットが相対的に安い費用で急激に拡大しているというのが現状であります。

情報社会の基本単位「地域」とその重要性

 そうであるならば私どもは何をすべきか。今の日本は、先程の水谷さんのお話でもありましたように、大きく変わっていかなければいけないわけですけれども、その1つの取っ掛かりは、情報社会のインフラをつくるところにあると思います。物理的な通信のインフラということでもあり、制度的なインフラということでもあるのですけれども、日本はまず新しい地域をつくることから出発しようではないか。地域に新しいネットワークをつくる。CΛN(communi吟areanetwork)と英語では呼んでおりますけれども、それぞれの地域にインターネツト型の高度な情報通信システムをまずつくる必要があります。 全国の幹線は、ある意味では放っておいてもできる。つまり、クエストのような会社が1つあったらやってしまうわけです。日本でも、NTTあり、日本テレコムあり、KDDあり、いろんなところがあるわけですから、幹線を光ファイバーで引くということは何も国が、例えば無理に公共投資でやることではないだろうと私は思います。大事なのは、それぞれの地域であらゆる人がそれにつなぐことができ、あらゆる人がそれを使うことのできるようなインターネツト型のシステムを非常に早く、できればここ数年の間に引いてしまうということが日本にとっての戦略的な課題になると思います。 つまり、日本が今の遅れを取り戻すためにはそれをやってはどうか。アメリカのやり方は競争であり、基本的にマーケツトに任せますから、いわば一番おいしいところからまず始める。あるいは払える人が払うようなシステムをつくって広げていくという手順でやっています。これはこれで1つのやり方ですけれども、少し遅れた日本が、どちらかというと平等への志向の強い日本の社会で考えますと、最初から全員が使えるようなシステムをつくることで考えていくのが本当ではないか。しかし、それを企業にコマーシヤルにやれというとなかなかやりにくい。需要のないところへどうして投資を今からしますかという問題がすぐ出てまいります。 そうだとするならば、これはtつのアイデアにすぎませんけれども、むしろそれぞれの地域(市町村)を単位にして、公共投資で、あるいは補助金で、それぞれの地域に対して、あなた方がネットワークをつくるのであればかくかくしかじかの助成をしますというのです。例えば全国3,000いくつの市町村に対して、昔の竹下内閣の「ふるさと創生資金」ではありませんが、それぞれ10億円の基本資金と人口1人当たり例えば1万円の追加資金を補助金として提供する。そして各市町村はそれぞれ、自分のところにはこんなネットワークをこんな形で引きたい、という絵を持ってきたらそれに対してお金を出しますということにする。もちろん自前で引いてもいいし、あるいは通信企業に頼んでもいいし、コンピュータ屋さんに来てもらってもいいし、あるいは市民の力でやりたいところがあればそれはそれでもいい。 技術としては何から始めるのか。基本的にはLΛNをつくらなければいけないのですが、そのLANをつなげるのにどんな技術を使うのか。あるいはLANそのものを何でやるのか。今は無線でやることもできればイー一

サネットでやることもできる。ΛTM・LANというのもある。いろんな選択肢があります。LΛNを相互につなぐのでも、ISDNでとにかく始めるかという考え方もあるでしょうし、その次のADSLとかXDSLと呼ばれている技術を使つてもう一段高速のところから出発する。そうじやなくてうちの地域は無線で全部やりたいというのもあるでしょう。LΛNをつなぐのに最初から光ファイバーを使うどか、選択肢はさまざまあります。 どれを選ぶかはどんな使い方をしようとするかにもよりますし、どういう産業が、あるいはNGO・NPOがどの程度その地域にあるかによって、また人口が非常に欄密であるかそうでないかによって違いがありますから、一律に妥当するようなモデルをつくるわけにはいきません。むしろそこで競争してみてはどうか。それぞれの地域がお互いに相談したり競争したりして自分たちのモデルをつくって、これを政府がある程度支援するという格好で一斉にネットワークづくりをしていくということをやるのが1つの転換点になるのではないかということであります。

日本の流れ:日本現代化の長波

 最後に、過去百何十年かの日本の動きをふりかえってみますと、私はどうも大体30年ごとの下りと上り、つまり60年一刻みの周期で世の中は動いてきたのではないかという印象を受けます。一番最初の出発点は幕末の開国の時です。ここでヨーロッパの列強と接触して日本は驚き慌てます。世の中は変わった、大変だ、どうしようということで何とか対応を試みるのですけれども、やることなすことうまくいきません。幕府はつぶれ新しい政府ができる。革命が起こるわけです。しかし、新政府もなかなか次の見通しがつかない。あちごちで内乱が起こり、西南戦争のような戦争が起こり、大久保利通のようなリーダーが暗殺されるという事態があって、ようやく1880年代になって方向が見えてきて、そしてここでいろんな制度ができました。憲法ができますし議会ができます。さまざまな個別の法律もつくられて、ここからは『坂の上の雲』です。主に軍事的な発展、もちろん経済的な発展もありましたけれども、いけいけどんどんで連戦連勝、日清戦争・日露戦争に勝つて第一次大戦まで駆け上る30年間がやってきました。 しかし、そこで気が付いてみたら世界戦争になっていました。それが終わってみると、これまでのように侵略戦争をやって植民地を取るのが正義というわけにはいかなくなっていました。あるいは重化学工業がいよいよ国内に入っていって、いわゆる自動車の大衆化とかいろんなことが起こるような情勢に入ってきます。ここでまた日本は分からなくなります。極東ではトップに立ったけれども、このあと世界で何をやるのか。北へ出ていくのか南へ出ていくのか。あるいは軍事的発展でいくのか、それとも国内の経済発展重視でいくのかという問題をめぐって、また国論は分裂をし、そして大不況。恐慌から戦争へという道を転げ落ちていったというのが次の下降の時期の30年だったと思います。 しかし、1940年ぐらいからかなり次の改革の道筋が分かってきて、例えば農村を健全化しなければいけない。自作農を創設するとか国内の重工業を発展させなければいけないとか、いろんなことが分かつてきて、結局、敗戦という大ヤケドを負った後であったけれども、憲法をつくり直して、その後はまたいけいけどんどんであります。今度は産業化・高度経済成長の道をまっしぐらに駆け上って世界でもトップクラスの経済大国になった。 ところが、1970年代に入るころからまた世の中は変わってまいりました。例えば資源有限時代といわれるようになった。あるいは今になって思い起こすと、情報通信革命はこのころから始まっていたということであります。そしてまた、冷戦体制、米ソの二極対立構造もこのころから揺らぎ始めていた。しかし日本はそれまでの成功が忘れられない。石油ショックに対しても、情報化で対応するというよりはエネルギー消費原単位を減らす。そしてますます物づくりに特化するという格好で対応して輸出大国になったということですから、今思えばうまい適応ではなかったということでしょう。 結局、フ0年代以降、またまた道を転げ落ちます。先程、水谷さんは、22年間にわたつて財政の赤字が累積されてきたといわれましたけれども、まさに赤字が始まったのはここから、つまりフ0年代の最初の石油危機の後からです。この過程でどんどん赤字を累積させてきたのです。そして、過去10年間はバブルとその後遺症でもうお先真っ暗という状態になっている。あと何が起こるのか。下降の底では、1回目の時は革命に続く内乱、2回目は対外戦争がおきました。3回日、今度はどういうふうになるのか。非常に賢明に改革の方向に進んでいくのならいいのですけれども、残念ながら今のところそういう兆候はどこにも見えません。 そうだとすれば、どうもありそうなのは沈没ということになります。つまり、自主的な経済や政治の運営能力を持たないということが国際的に分かつて、結局、例えば日本をある意味で占領するとか、あるいは国際管理の下において日本の社会システム・経済システムを再構築するといったようなことにならないとも限らない。どういうコースを取るかは分かりませんが、しかし恐らくは2000年から2010年にかけての10年というのは、この前1880年から90年、あるいは1940年から50年の時と同じような意味で、沈没傾向がようやく底を打ち、そして本格的な改革への枠組みが準備されるようになる。事によっては憲法も改正されるということになるかもしれない。いや改正されても不思議はない時期になります。

日本近代化の社会的発展目標

 発展の目標も、これまでの経済一本やりの産業化とか、あるいは昔の軍事的および経済的発展とかいうものに代わって、例えば本格的情報化という方向に目標が決まるかもしれませんが、ともあれいずれは次の発展のコースに乗ることは不可能ではないでしよう。ただ私に分からないのは、それがいつごろ来るのか。早く回復の過程に乗ることができるのか。あるいはぼやぼやしていて沈没したきり浮かび上がってこられなくなって、二流国、三流国にそのまま落ちたきりになってしまう可能性も決してないとはいえない。 つまり、傾向としては、昔のようにいけば多分また上がるだろうと期待していいと思うのですけれども、そうなるという保証はどこにもない。それは私どもがこれから何を考えて何をやるかにかかっているけれども、ともあれ時期的には私どもは今まさにそういうところにきていると考えて差し支えないのではないか。今日という時代の歴史的な意味はというと、過去の2回の長波との比較で考えてみることが適切だとということであります。 以上、大体予定の時間がまいりましたので私のお話を終わりたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。

付記:本稿は1998年2月2日に行われた、財団法人北陸産業活性化センター創立10周年記念講演の記録を、加筆訂正したものである。

ネットワーク社会の展望と課題

1998年2月