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1998年04月03日

「情報通信の新パラダイム」

VOICE JUNE98 第246号

公文 俊平

以前から我々は、もう電話の時代ではないといってきており、マルチメディアを提唱してきました。(中略)我々自身が「世の中の流れ、電話の次の流れを引き寄せよう」ということをいってきましたが、本当に世の中の流れが我々のいってきたようになったわけです。それがますます激しく流れようとしている時、今度は我々自身をそういう流れに合わせて変えていくことが非常に大切になってきています。(NTT宮津社長の年頭挨拶より。)

アイゼンバーグ旋風

それは確かにひとつの事件だった。昨年の六月、米国の、いや世界の代表的な電話会社であるAT&Tの研究所(AT&T Labs)に勤務する技術者、デービッド・アイゼンバーグが、電話のネットワークの現状を真っ向から批判する論文をインターネット上に発表したのである。

「ステューピッド・ネットワークの台頭」と題されたこの論文は、即座に大反響を巻き起こした。インターネットにはこのテーマについて論じ合うメーリング・リストが作られ、七十人もの人々が熱心に議論に参加した。いくつもの新聞や雑誌が、アイゼンバーグの主張を紹介したり論評を加えたりした。

似たような議論は、評論家のジョージ・ギルダーが、すでに何年も前からフォーブスASAP誌上や彼のホームページで展開していた。しかし、同じようなことでもそれがAT&Tの内部からの発言となると、その意味合いはおのずと違ってくる。ギルダー自身、彼が発行している限定された読者向けの高価なニュースレター『ギルダー技術評論(GTR) 』の九月号で、早速アイゼンバーグの議論を紹介した。さらに今年の一月号では、アイゼンバーグと共著で、情報通信のこの新パラダイムをあらためて定式化した。そして今後は、技術評論の記事を若干の時日をおいてフォーブスASAP誌上にも発表することにしたと宣言して、新パラダイムの普及の尖兵となる決意を示した。ホワイトハウスからFCCに移った技術政策の専門家のマイク・ネルソンは、講演の中で早速この新パラダイムに言及した。イーサーネットの開発者のボブ・メトカーフも、アイゼンバーグの登場を歓迎した。インターネットの世界の語り部を自任するゴードン・クックも、その『クック・レポート』のなかで、アイゼンバーグに熱烈なエールを送った。

アイゼンバーグは結局、今年の一月にAT&Tを退社して、新会社isen.comを設立した。この会社は、「インフラの豊富な新時代における通信の価値の再検討」をめざした技術分析と戦略立案を行うことをその使命としている。彼がモデルとしているのは、小包の送達距離の最小化に努めていた郵便局に対して、送達時間の最小化を行うことで新たな市場価値を創造しようとした、フェデラル・イクスプレスの創立者、フレッド・スミスである。彼が自分の論文をそれになぞらえているのは、スミスが1973年にハーバード・ビジネス・スクールに提出してほとんど落第点しか貰えなかったという、小包配達業の根本的再検討を試みた論文である。

ステューピッド・ネットワークのパラダイム

では、アイゼンバーグはその論文でいったい何を主張したのか。彼によれば、今日の電話会社のネットワークは、次の四つの基本仮定に基づいて構築されている。

  1. 通信インフラは高価で希少だ
  2. 通信トラフィックのほとんどは人間の音声だ
  3. 重要な「通信技術」とは、回線交換による通話技術だ
  4. 電話会社は自分のネットワークを支配している

ところが、今日ではこれらの仮定は成立しなくなった。すなわち、

  1. 過去二十年間に、通信インフラの費用は数千分の一になった(現在の費用のほとんどは回線敷設権と地面の掘削費用だ)
  2. 過去二十年間、データのトラフィックは毎年二桁成長してきて、今や音声のトラフィックを上回ろうとしている
  3. 今では、電話のネットワーク上をさまざまなタイプのデータが流れるようになった(しかし、電話のネットワークがそれらすべてのタイプに対して最適化されているわけではない)
  4. 電話のネットワークの一部には含まれないような、テレビからイーサーネットにいたる多くのさまざまな「通信技術」が出現してきた、
  5. インターネットの普及が、ネットワークの支配力を、通信会社からエンドユーザーに移しつつある

それなのに、電話会社が推進しようとしている「インテリジェント・ネットワーク」なるものは、依然として上記の基本仮定の延長線上にある。その設計を促進した主な要因は、顧客へのサービスではなかった。新サービスのほとんどは、呼の完結や自動化あるいは課金に関するものだった。顧客の新たなニーズに応えるサービスは、その存在が認知され、電話会社の意思決定から計画、実施、そして運用にいたる数多くの階梯を通過し終わるまでには、長い時間(数年から数十年――ISDNの例を想起せよ)を必要とする。

だが、「インテリジェント・ネットワーク」は、それが滑り出し成熟に向かう途中で、早くも「ステューピッド・ネットワーク」(「ダム・ネットワーク」ともいう)に追い越されようとしている。ステューピッド・ネットワークとは、

  1. 中間にはダムな伝送しかなく、両端にユーザーによるコントロールが可能なインテリジェントな端点があり
  2. その設計原理は稀少性ではなく豊富性に基づいており
  3. 伝送を導くものはネットワークの仮定ではなくてデータの必要であるような

ネットワークのことをいう。インターネットは、まさにこの意味でのステューピッド・ネットワークの初歩的なものである。

インターネットと電話の違いを、音声の伝送について考えてみよう。電話会社にとっては、音声を伝送する主な方法は一つしかない。ところがインターネットの場合には、好きなレートでコード化した信号を、ネットワーク内の一番低速のリンクが処理できる限度内の好きなレートで伝送すればよい。しかも、インターネット・プロトコル(IP)は、.X25であれ、FDDIであれ、モデムであれ、多様なネットワークに対して通用する。さらに、たとえば六種類の10キロビット/秒の音声ストリームを、同時に六ヶ所に送信し分けることもできる。しかもそのことを「ステューピッド・ネットワーク」のサービス提供者に教えてやったり、特別な割増料金を払ったりしなくてもよいのである。

アイゼンバーグは以前、AT&Tの「ツルー・ボイス」プロジェクトに加わったことがある。このプロジェクトは、現行の電話のネットワーク・アーキテクチャーの下で音声伝送品質をできるかぎり改善しようとする試みだった。もしアーキテクチャー自体を変えてよければ、サンプリングのレートを変えるとか、コーディングのアルゴリズムを変えるという手がある。しかしそのためには、電話線以外のネットワークのあらゆる部分を変えなければならない。そんなことは実際問題として不可能である。

その時、認知問題を研究している精神物理学者が、音声の品質は信号の低音部を増強することで大きく改善できると教えてくれた。だが、概念的には単純極まるこの改善を具体化しようとしたとき、彼のチームはたちまち数多くの困難にであった。ネットワークのあまりにも多くの部分に音声信号に関する「インテリジェント」な仮定がおかれていたばかりか、あまりにも多くのデバイスの正しい作動が、それらに関する音響学的な仮定に依存していたのである。結局、二年間のたゆまぬ努力のあげく、音声品質の若干の改善には成功したものの、期待したほどの成果はあげられなかった。伝送の基本部分に、あまりにも多くの「インテリジェンス」が組み込まれていたためである。

この苦い経験を通じて、アイゼンバーグはステューピッド・ネットワークの利点をはっきりと知った。ステューピッド・ネットワークであれば、音声の品質をよくしたいと思えば、一つ新しいプログラムを書いて、それをインテリジェントなユーザー端末デバイスに載せて走らせるだけで、事はすむのである。またステューピッド・ネットワークでは、データが、その行き先や欲しいサービス内容をネットワークに告げるだけでよい。

今やコンピューティング能力も帯域も、高価でもなければ稀少でもなくなった。電話会社の基本仮定の妥当性が崩れさったのである。また、次世代インターネットの、とりわけ回線交換類似のメカニズムの出現と共に、ネットワークの集中制御の時代も終わりつつある。電話関係者の中には、状況がこのような方向に向かって変化しており、また変化せざるを得ないことを知っている者もいる。しかし彼等は概して、長期間にわたって意識的かつ慎重に確立されてきた電話会社の慣行のとりこになっている。さらにその中の少なからぬ人々は、半ば無意識に形作られた、「通信」、「技術」、「顧客のニーズ」などに関する電話会社のメンタル・モデルによって、思考を妨げられている。

インターネットの脅威に気づいた電話会社は、その支配力が蚕食され売り上げが減少することを恐れて、インターネット電話の禁止や、連邦政府によるインターネットへのアクセス料の賦課を慌てて要求している。他方、妥当な価格で広く利用できる広帯域サービスの提供の方は、遅々として進んでいない。むしろ電話会社は、インテリジェント・ネットワークの展開を加速させようとしているのである。それはあたかも、蒸気船の脅威におびえた帆船商人たちが、より高速な帆船を開発してこれに対抗しようとした1800年代半ばの状況に似ている。だがユーザー大企業は、ステューピッド・ネットワークの方が彼等のニーズをよりよく満たすことを知れば、転換に躊躇することはないだろう。

ハントFCC委員長の「転向」

アイゼンバーグ論文が発表された次の月、辞任を間近に控えたリード・ハント米国連邦通信委員会(FCC)委員長は、カリフォルニアで開かれたあるシンポジウムで、並みいる電気・電子技術者たちを前に一場の演説を試みた。「インターネット:ここから遍在へ」と題されたこの演説の中で、ハントは、シリコンバレーへの告別の言葉として、「これまで誰もしてこなかったこと、われわれ全員によって全員のためになされるべきことについて語ろう。というのは、われわれ誰一人、それを自分だけではやれないからだ」と前置きして、「われわれは完全に発達したインターネットを必要としている。競争、規制撤廃、経済成長、社会変化、高生産性、ハードとソフトの売り上げの新記録を手に入れるために、要するにより良いアメリカのために、それが必要なのだ」と述べた。

このハント演説は、FCCの政策の一大転換を告げるものだった。なぜなら、それ以前のFCCは、いわゆる「情報ハイウェー五車線論」に立っていたからである。

すなわち、FCCの認識によれば、米国の情報ハイウェーは、地上波放送、衛星放送、ケーブルテレビ、移動体電話、有線電話の五車線からなり、そのすべてが、事実上国内の全世帯につながっている、あるいはつながる可能性を備えている。しかもそのすべてが、近年急速にディジタル化を進めている。つまり、五車線のすべてが、情報を運ぶハイウェーとして互角に競争しうるのである。そればかりか、それぞれの車線は、ケーブルが電話を、電話が映像をというように、今はまだ伝送していない情報をも伝送しようとして互いに競争し始めている。

そこでFCCにとっての問題は、そのような新たな状況の下ではどんな規制の仕組みを考えるべきかということになる。そこでとられた大原則が、FCCはどの特定の車線にも肩入れせず、市場での競争にまかせるというものだった。これまでのハントは、「将来は、デジタル化されたあらゆる情報を送る単一のネットワークが生まれるが、しかしそこには独占は生じない」というジョージ・ギルダーのビジョンには、否定的な立場を取っていた。なぜならば、そのような見方を取ると、現在ただ今、特定の車線を勝者としてあらかじめ選び出すことにならざるをえないが、それは現時点でのデジタル・システムの独占的所有者、つまり(地域)電話会社以外にない。ハントは、それだけはしたくなかったのである。

だが、この時点でのハントは、おそらく三重に誤っていた。第一に、現在はまだ、ギルダーのいう意味でのデジタル・システムはできていない。だからその所有者もいない。第二に、未来のシステムを特定の事業体が独占的に所有・支配することはない。今後生まれてくるのは、多数の事業体のネットワークが相互接続しているという意味での単一のネットワークにすぎない。第三に、それは、現在の電話ネットワーク(あるいは既存の五車線のどれか一つ)の延長線上にはない。FCCは既存の五車線間の競争に固執するあまり、未来の「単一ネットワーク」の構築を、かえって本格的に推進できないでいたのである。七月のハント演説は、まさにそのような状況からの決別を宣言するものであった。

ハントは、車線間の垣根を越えた競争の枠組を与える新電気通信法がせっかく制定されたのに、いっこうに競争が起きないことに苛立っていた。そこでハントが考えたのが、インターネットによってまずデータ通信の世界に競争を導入し、最終的には画像や音声にも競争が入っていくようにすることだった。

ところが、そのインターネット自体も、米国のさまざまな地域や人口集団の間に、十分急速あるいは十分広範に拡大していない。しかもそのほとんどは、電話によるダイヤルアップ接続である。専用線は比率が低いばかりか、高価に過ぎる。つまり、現在のインターネットは、ハントが期待し米国が必要としている新種の通信ネットワークだとは言い難い。「要するに、われわれは電話とは別のパケット交換型の世界大のネットワークを必要としている。」つまり、データを苦労して送る音声のネットワークでなくて、音声も容易に送るデータのネットワークがほしいのである。高速で、混雑がなく、常に信頼でき、広帯域で、データ・フレンドリーなネットワークが、競争的料金でどこででも手にはいるようにして、米国の経済を新たな高みに引き上げたい。子供たちが、教室から世界中の図書館に瞬時にアクセスできるようにしたい。アメリカ中の保健所につながっているネットワークがほしい。もっぱら大衆市場志向の、コングロマリットの支配する集中管理型で、最小公分母的内容しかない反個人主義的なメディアの代わりに、送信容量や選択範囲に制約のないメディアがほしい、云々。

そのような新しい観点からすれば、長距離対市内電話会社の競争は、実はインターネットを構築しようとする会社とその他の会社との間の争いだと見ることができる。意味のある市内競争とは、電話での競争もさる事ながら、むしろインターネットをめぐる競争なのだ。そのために必要なのは、新しいルールであって、それは

  1. 市内電話網の開放
  2. データ・トラフィックの市内交換機迂回
  3. ISPが買う専用回線に競争を導入し価格を下げる
  4. 信頼性がなく不公正なアドレス・システムの改革
  5. 家屋の内外の配線権独占の開放

などを含むものでなければならない。

ちなみにハントは、この演説の終りの部分で、パケット交換型の新通信システムの力が明らかになってきたときに起りかねない、現状維持派からの反撃の可能性についてふれている。ハントのイメージでは、それは、かつての英国私略船の跳梁に対して、最後にはスペインの無敵艦隊が本格的な反撃を試みたようなものだという。(もちろん130隻を擁した大無敵艦隊は、機動力に富んだ80隻のイギリス艦隊に壊滅的な敗北を喫したのである。)

新情報通信ネットワークの形

ギルダーがつとに予言し、アイゼンバーグが圧倒的な説得力をもって提示した情報通信の新パラダイムは、昨年夏以来、燎原の火のように米国内での影響力を広げている。おそらく今年は、日本でも広く受け入れられるようになっていくだろう。

ギルダーたちは、この新パラダイムを、「ステューピッド・ネットワーク・パラダイム」あるいは「ダム・ネットワーク・パラダイム」と呼んでいる。だが私はそれをより広く「IP(インターネット・プロトコル)パラダイム」と呼んでみたい。私流に整理すれば、それは、

  1. 現場でのクライエント・サーバー型のLAN
  2. LAN間の高速相互接続(「最初の一キロ」)網
  3. 光および無線の、市内・全国・世界中継網

を要素とする、パケット交換型のデジタル情報通信ネットワークである。近い将来でのその具体的な中身は、たぶん次のようなものになりそうだ。

まず、LANを構成する個々の機器は、現在のパソコンとは質的に異なり、アプリケーションやデータについてもネットワークの中での使用を最初から前提した、「不必要に重くない」ものになるだろう。その原型は、ウィンドウズ95やNTの使いにくさや信頼性のなさにしびれを切らしたユーザーの間で最近急速に普及し始めたLINUXやFreeBSDのようなOS(PC−UNIX)を搭載した一世代前の旧型のパソコンや、その上で動くシェアウエア型の各種のアプリケーション・ソフトウエアに見られる。それらは、ATM−LANではなく、現在のファスト・イーサーネット技術の延長線上にくるギガビット・イーサーネットで互いに結ばれていくだろう。回線的には、銅線だけでなく電灯線や無線を使ったLANにも期待がもてる。

LAN間の相互接続は、当面まず手っ取り早く入手できるISDNのサービスに依拠し、やがてDSL(とりわけ双方向対称の通信速度をもち、収容局側での設置も容易なCDSL)やケーブルモデム、あるいは固定体広帯域無線の利用へと進んでいくだろう。

中継網の技術では、フレームリレーの進化の速度が極めて速いことが注目に値する(というのがギルダーの指摘である)。それに引き換え、ATM技術の進化は遅々としているし、もともとインターネットとの相性も悪い。当面はATM利用の拡大が大勢だとしても、それは必ずしも長続きせず、むしろ、米国の新興通信会社クエストが推進しているような、SONETの上でIPを流す超高速伝送技術の実用化が意外に早く進むのかもしれない。

情報通信革命前史としての1990年代

近年の情報通信革命を主導しているのが米国であることは、衆目の一致するところだろう。めざましい発展は、とりわけ1990年代に入ってから見られるようになった。

しかし、その米国でも、通信企業やユーザーの大勢が上に見たような新情報通信パラダイムを本格的に指向するようになるのは、おそらく2000年代に入ってからのことであり、その意味では1990年代は模索と試行錯誤の十年として位置付けることができよう。

おおまかに振り返ってみれば、米国での流れはほぼ二年ごとに方向を変えてきたように思われる。

まず1991-92年は、ゴア上院議員(当時)らが中心になって、自動車のハイウェーをモデルにした政府主導型「情報スーパーハイウェー」の構築の旗が振られた時期だった。その一つの到達点が、スーパーコンピューターのネットワークを基盤とする「研究教育ネットワーク(NREN)」の構想であり、91年秋に成立した「高性能コンピューティング法(HPCA)」であった。しかしクリントン第一期政権の成立と共に、この流れは大きく変わって行く。

すなわち、既存の情報通信企業、とりわけ電話会社やCATV会社が、情報スーパーハイウェー構築の主導権を民間の手に取り戻そうとした。彼らは、「双方向テレビ」、「ビデオ・オン・ディマンド」のスローガンのもとに、DSLやケーブルモデムの新技術を利用して、既存の電話回線や同軸ケーブルによる消費者大衆相手の動画像のオンデマンド伝送を実用化しようとしたのである。そのからみで、電話会社とケーブル会社の合併や買収の試みも活発に行われ、93年から94年にかけては、「新ゴールドラッシュ」と呼ばれたような状況が出現した。他方、政府は一歩後ろに下がり、柔軟な規制の下での民間の競争による「全国情報基盤(NII)」あるいは「地球情報基盤(GII)」の構築原則を謳いあげるにとどまった。

しかしこのゴールドラッシュの命は短かった。双方向テレビの技術は成熟には程遠く、消費者の需要もほとんど見込めないことがたちまち明らかになったからである。それに代わって実際に急速に普及していたことがわかったのが、セルラー電話とインターネットであった。インターネットの開発者の一人、ビント・サーフは、1995年を「アメリカの産業界がインターネットを発見した年」と呼んだ。企業は競ってウェブのホームページを開設し、それを安価でしかも有効な広告媒体として、あるいはオンライン・ショッピングの場として利用しようとした。

だが当時のインターネットの主流、とりわけ一般消費者が利用できるインターネット・アクセスの形式は、電話によるダイヤルアップであったために、たちまち、インターネットは遅いとか混雑しているという苦情が殺到した。サーバーやルータの能力にも限界があった。またオンラインでの安全確実な認証や決済の技術も、およそ実用の域には達していなかった。イーサーネットの開発者ボブ・メトカーフはこのような状況を見て、「インターネットは1996年中に破局的に崩壊する」という有名な予言を行った。彼の予言自体はは必ずしもあたらなかったが、インターネットの商取引利用をめざした第二次ゴールドラッシュは、1996年の終りまでにはその勢いを失っていたことが明らかとなった。

そのような状況の中で、人々の目はようやく、インターネットの「業務利用」に向かっていった。企業は、その情報システムをインターネットの技術に基づく「イントラネット」および「イクストラネット」の形で再構築しようとし始めた。またそれに合わせて、企業組織や電子的な情報交換の仕組みそのものの「リエンジニアリング」が行われるようになった。他方、多くの地域コミュニティでは、住民全員の利用・参加が可能な「コミュニティ・ネットワーク」作りの試みが進められるようになった。

第二期に入ったクリントン=ゴア政権も、インターネットという言葉を施策の全面に押し出すようになった。全体の1/8にあたる行数をインターネット推進のために割いた1997年の大統領年頭教書は、それを如実に示していた。米国は、まさにその未来をインターネットに賭けたのである。教育に、行政に、ビジネスに、国際政治に、インターネットに代表される新情報通信ネットワークは、その巨大なパワーを発揮することが期待された。

1997年夏の「ステューピッド・ネットワーク・パラダイム」の提唱は、まさにそのような流れの中で行われたのであり、1997年から98年にかけてのインターネットの業務利用指向を支える理念として、急激に普及していったのである。

しかし、ここでインターネットそれ自体のための通信網構築やその本格的利用がにわかに進むと考えるのは、おそらく早計だろう。とりわけLAN間相互高速アクセスのためのDSLやケーブルモデムの商用展開は、電話会社の態度の不徹底さもあって、むしろ遅々として進まず、ユーザーの失望と焦燥をかき立てる結果に終わる可能性が強い。また、高い信頼性をもって容易に使えるネットワーク・コンピューターも、この一、二年で普及すると期待するのは無理である。

それにひきかえ、間違いなく急速に進むと思われるのは、ワールドコムやクエストのような新興の情報通信企業が推進している超広帯域光ファイバー中継網の敷設と、それを利用した低廉なインターネットFAXや電話、あるいは放送サービスの提供である。おそらく1999年から2000年にかけての二年間に人々の注目を集めるのは、新たに構築されたインターネット網と既存の電話網や放送網との間の、これらの分野での正面からの競争の可能性であろう。競争の決着が直ちにつくかどうかは別にして、その時こそ、1990年代を通じて着実に台頭していた一つの新しい流れがその明瞭な姿を最終的に顕わにし、情報通信革命の前史はここに終りを告げることになるに違いない。

CANの構築をめざして

今世紀末の情報通信革命の推移を以上のように理解する時、この革命に立ち後れたといわれる日本の私たちにとって、緊急の対応課題とその実現のための戦略が、おのずと浮かびあがってくる。私たちはそれが、全国各地域でのLANの構築・利用とその相互接続をいっせいにはかる、CAN(コミュニティ・エリア・ネットワーク)の推進だと考えている(本誌1997年1月号の拙稿を参照)。しかしもはや紙幅も尽きたので、その詳しい内容については稿をあらためて論じることにしたい。

情報通信の新パラダイム