1999年07月01日
公文俊平
コンピューターの「2000年問題」とは、たとえていえば、近代文明社会という大船団が、大小無数の氷山の散らばる流氷域に突入するようなものである。十分な情報も備えもないままにそんなことをすれば、近代社会は壊滅的打撃を蒙るだろう。
そこで、右のたとえでいえば個々の氷山にあたる、コンピューターに潜むいわゆる「2000年バグ」を修復する努力が、世界的に行われている。わが国でも、とくに昨年の秋以来、官民をあげた対応態勢が作られている。私の勤務するグローコムでは、企業やその他の機関の2000年問題担当者、研究者、ジャーナリストなどがほとんど毎週のように集まって情報を交換しあい、状況の把握に努めているが、そこから受ける印象では、わが国の対応努力は、中央政府や基幹産業部門(電話、銀行、電力、運輸等)に関する限り、世界でもトップクラスにあるように思われる。(ただし、具体的事実にもとづく情報を開示したり第三者の監査を受けたりする努力は、相対的に不十分である。)
それではもう問題はないかというと、なかなかそうはいかない。バグ取りには、漏れや新しいバグの追加がつきものである。アメリカのあるソフト会社のサンプル調査によると、日本の場合、修復済みとされるプログラムの中に、平均して1万行に4行の割合で漏れが残っている。金融監督庁には、今年の1月から3月末までに、定期預金の満期日が誤って通帳に記載されるなどのミスが、銀行、損害保険会社など25機関から52件報告されている。昨年夏に全面的に新しくした米国の航空管制システムは、旧システムに比べて作業効率が悪くなったばかりか、時々誤作動したり(たとえば飛んでいないはずの飛行機の影がレーダーに映るなど)ダウンしたりしている。シカゴのオヘア空港など一部の空港では、大幅な渋滞の解消のために、とりあえず旧い(2000年不対応の)システムに戻して急場をしのいでいるところもある。
各国の中小企業の少なからぬ部分のように、そもそも対応の手がつけられていないところもある。また米国の連邦政府は、この6月15日に全システム中93%の対応を完了したと発表したが、それは「業務上必須の」システムについてだけのことである。しかもそのようなシステムの数は、二年前は9000ほどだと言われていたのが、現在では5780にまで減らされてきている。つまり、「必須」でないシステムの少なからぬものは手つかずに残され、結果としてなんらかの問題を引き起こしてしまう恐れがある。
コンピューターにはバグはつきものであり、そのすべてを修復することは事実上不可能である。修復できたかどうかのテストも、あらゆる条件を想定して完璧に行うことはこれまた事実上不可能である。一見こともなく動いているシステムでも、バグの残っているプログラム部分やデータが呼び出された時点で、障害が発生する。そうだとすれば、程度に大小はあれ誰しも、残ったバグが引き起こす「2000年問題」の被害を受けないわけにはいかないだろう。2000年までに半年を切った今となっては、バグ修復の継続もさることながら、問題そのものの発生への備え(危機対応)に、努力の焦点を移していくべきである。政府はまず、この単純だが根本的な事実をしっかりと国民に伝え、国民の覚悟と協力を促してほしい。
複雑多様な2000年問題の難しさは、いつ、どこで、何が、どのように起こるかの予測が困難極まる点にある。問題のもとになるバグ自体、関係者のたゆまぬ努力によってどんどん減少している。危機対応の努力も、さまざまな形で始まっている。だから状況は日々(概してよりよい方向に向かって)変化しているのである。
なるほど、その名前からも想像がつくように、2000年問題の多くは2000年にかかる前後に集中的に発生するだろう。しかし、1月1日が一番危険だと考えるのは、おそらく間違っている。英国のある政府機関の予想では、問題の60%は年内にすでに発生し、2000年の初頭に発生するのは5%から10%にすぎない。残りはさらにその後(場合によっては何ヶ月も何年も後)になる。現に、キャップ・ジェミニ社の最新の調査によれば、すでに米国の企業のほとんど半分が1998年中になんらかの2000年問題に遭遇している。そして98%が年内に問題に直面すると予想している。
個々の問題の具体的な予測は困難だが、比較的短期間に集中して発生すると思われるこの種の問題には、保険や訴訟、あるいは外部の救援を待つといった通常の対策は、効果が薄いだろう。さりとて、各人が「最悪の事態に備える」こともまた不可能なばかりか、それ自体が社会的混乱を引き起こしかねない。となれば、家族、企業、政府のすべてが、それぞれにできる範囲で役割を分担して備えに努め、必要に応じて助け合うことが望ましい。もちろんグローバルな協力も不可欠である。そうしてこそ、2000年問題は最小の被害で乗り切れるだろう。政府には今後、こうした全国民的な対処努力の、中心的なコーディネーターとしての役割を期待したい。