「Y2K危機」が招く景気後退。

国際大学グローバル・コミュニケーション・センター副所長
青柳武彦

情報社会のシステム・トラブルに対処するには、徹底した危機管理と、国民への情報開示が必要。


「安全管理」と「危機管理」は違う

「コンピュータ2000年問題(Y2K=YEAR 2 KILOの略)」に対する提言活動を行ってきたなかで痛感するのは、日本人には危機管理の思考回路が欠落しているのではないかということだ。
 Y2K対応というと、とかく西暦1999年から2000年に変わる瞬間に起きるかもしれないシステム・トラブルを、ゼロにすることにばかり関心が払われているのは、その表れのように思えるのである。
「安全管理」と「危機管理」は本質的にまったく違う。安全管理は事故が起きないように対策に万全を尽くすという考え方であるのに対し、危機管理はどれほど万全を尽くしても事故は起きるものと考える。つまり安全管理が、事故が起こる確率を重視し、確率をゼロに近づけようとするのに対し、危機管理は、人間がやるものである以上、事故は起きるものという前提で、起きたときの影響の大きさに着目して対策を立てるのである。
 したがって、2000年の到来を目前にしたいま、私はY2Kにおいてより重視されなければならないのは、危機管理対策だと考えている。
 実際問題として、2000年1月1日、あるいはその後の数日間でいえば、市民の身辺に起こりがちなシステム・トラブルは、確率としてはそれほど高くないであろう。しかし、それよりはるかに怖いのは、そういう急性的、短期的な問題より、むしろシステム・トラブルの結果としての慢性的、長期的影響なのである。
「2000年問題の慢性的影響」のなかでとくに大きな問題は、一つは、社会システムの効率低下が、ネットワークを通じて相乗効果を及ぼすので、国際的規模で政治、経済(金融、証券取引を含む)、商流・物流の各段階において慢性的効率低下が発生する、ということである。
たとえば工場の操業が7割に落ち、ネットワークの各拠点すなわち倉庫の効率も、集配所の効率も七割に落ちた時には製品の七割が消費地に届くわけではない。消費地への供給は7割の7割、そのまた7割の約35%になってしまうのである。そうしたことがさまざまな商流・物流・国際取引すべてにおいて起きれば、日本経済の10%収縮などたやすく引き起こされることは容易に想像できよう。
 もう一つは、輸出入取引相手国における2000年問題の影響を、日本はまともに受けるということである。日本は先進国に類を見ないほど輸出入取引に依存している国である。相手国の2000年問題はそのまま日本自身の死活問題になるにもかかわらず日本は当事者能力をまったく持たない。

完璧なY2K対応はもはや不可能

 2000年問題の本質は、放置しておけば必ずシステム・ダウン、または誤作動を起こすことにある。
 その点でとくに怖いのは、対応したくても資金的、時間的に余裕がない中小企業である。日本の場合はどんな大企業でも何層にもわたった中小企業との取引がベースになっている。自分のところでは対応していても、芋づる式に問題が発生する恐れが十分にあるわけで、そうすると作業も費用もさらにかさむことになる。
 しかも、完璧なY2K対応は不可能といっていい。なぜなら、まずソフトウェアの問題では、業態によって対応の方法がまちまちで標準化されていないからである。
多くの企業は、西暦の下二桁が「00」になったとき、それを「1900」年ではなく「2000」年と読むようにとりあえず切り替える修正をしているだけである。したがって、下二桁が「70」のときには、それを1970年と読むのか2070年と読むのかについては企業間で統一されているわけではない。したがって企業間通信においては修正されたデータ同士の整合性がない。この問題は年の扱いをすべての企業が四桁に直すまでは、2000年以降も依然として問題が残るわけである。
 さらに膨大な量のソフトウェアすべてをカバーすることは不可能に近く、修正に要した時間以上にテストに時間がかかるという問題もある。
 もう一つは、埋め込みチップの問題である。これはソフトウェア以上にやっかいな問題で、世界で250億〜500億個のチップが動いているといわれるが、それらをすべて検査することなどできるわけがない。
 そこでチップを内蔵するすべてのシステムから、時系列対応はないと思われるもの、時系列対応があっても年月日対応はないものを除き、年月日対応がはっきりわかるものについて調べればよい、といわれてきたのだが、詳論は省くが、実はこの分別の仕方自体に問題があることがわかってきている。
 したがって、技術者としては、いままでは検査不要とされてきた部分にも故障のタネがあることを意識しなければならないわけで、たとえば電力会社が、年末年始に何千人、何万人もの技術者の泊まり込み態勢を敷くことにしているのはそのためなのである。

日本政府の対策費用は米国の30分の1

 では、2000年問題に対する危機管理はどうあるべきか。まず国家レベルの対策だが、99年10月26日、内閣官房Y2K対策室は次のような趣旨の発表をした。

  1. 民間重要分野(金融、エネルギー、情報通信、交通、医療)では年内に模擬テストを含めてすべて完了予定。
  2. 政府および地方公共団体では、中央省庁、特殊法人の重要システムは年内完了。都道府県・市町村は年内に修正が完了のめど。
  3. 中小企業は10月上旬の調査結果では、事務処理系では92%、生産設備等のチップ内蔵機器で85%まで対応済み、または作業中。

 しかし、はっきりいえば、これを信ずることはとうていできない。というのは、これは実際に調査したわけではなく、中央官庁が関係各所に質問項目にマルをつけさせる方式でアンケートを出し、その回答を集計したものにすぎないからである。
とくに問題なのは、今回の報告は最後の四半期報告であるにもかかわらず、いちばん肝心な「何が対応できなかったか」についての詳細な報告とその分析がないことである。その点を明確にしないで、どうやって危機管理を行なうのか。
 こうした姿勢自体が間違いなのは、第一に地方自治体や各産業分野からの楽観的回答を鵜呑みにしているからであり、第二に完全に対応すれば事故は防げると勘違いしているからである。これが危機管理の考え方とは違うことはいうまでもない。そして第三に、国民に心配をかけないためと称して、十分に正しい情報を出していないからである。
しかし良く考えてみると、そもそも政府は対応を推進して問題が起きないように努める立場にあるのだから、出来た部分を報告したいわけである。組織論的には、その立場にある人たちに「正直に対応ができていない点を言え」と要求するのは構造的に無理があるという考え方をするべきなのである。企業であれば、売上げを推進する立場の営業部門と、それをチェックし監視する管理部門が、同等の権限を持って互いに内部牽制を行なう構造にするのは経営学の組織論のイロハである。
 その点、アメリカではチェック・アンド・バランスの仕組みが整っている。アメリカでも大統領Y2K諮問委員会のもとにある情報センターを中心とする推進部門では、「対応はできている。心配はない」と連呼しているが、それに対して議会の特別委員会やGAO(会計検査院)、OMB(行政管理予算局)、OIG(監察局)など行政から独立した機関が監視し、調査、命令している。
 そうした日米の違いが端的に表れているのが、政府機関における対策費用の見積もり額の差である。GAOの報告によれば、アメリカ政府主要24機関における総対策費用は、97年2月時点では23億ドルだったのが、いまでは100億ドルを超えている。1ドル=105円とすれば1兆500億円である。ところが日本のこれに対応する費用は、98〜99年の2年間を合計しても346億円、およそ30分の1なのである。
 いったい、この差は何なのか。アメリカの経済規模は日本の倍にすぎず、軍事力の違いを考えても説明がつく差ではない。思うに、きちんとチェックができているかどうかの違いであり、下から上がってくる数字に対する監査力の差だと思うのだ。
 チェック機構が構造的に欠如している日本社会の仕組みと考え方がどのような結果をもたらすか。東海村のJCOの事故では臨界事故は絶対に起きないことになっていた。だから起きたときの準備はなかったわけである。しかしそれは安全管理対策でしかない。確率がほとんどゼロだとしても、事故が起きたときの重大性を考えて準備するのが危機管理なのである。

国はマイナス情報も国民に提示すべきだ

 国家としてやるべき危機管理について、われわれ国際大学グローバル・コミュニケーション・センターのY2K研究会は、99年7月、小渕首相に次のような「7つの危機管理」を提案した。

     
  • 危機1 情報の不足による国民の過剰反応  
  • 危機2 救助・復旧等共同作業の混乱  
  • 危機3 輸入原材料・エネルギー・食糧等の不足  
  • 危機4 海外でのトラブル  
  • 危機5 社会的混乱  
  • 危機6 内外勢力からの破壊活動  
  • 危機7 訴訟の乱発
 これについて、二、三、われわれの考えを述べれば、まず「危機1 情報の不足による国民の過剰反応」については、「何か言うと、国民がパニックに陥るから、マイナス情報は出さない」という考え方が、そもそも間違いなのである。
 この点でも対照的なのはアメリカである。アメリカでは98年10月、Y2Kに関する「情報開示法」を定め、開示した情報を根拠に訴訟を起こされることはないとして情報開示を奨励し、反トラスト法の一部の一時的停止(2001年7月14日まで)を決めて、独禁法の例外としてY2K対策のための談合類似行為をチェックしないとしている。また「危機7 訴訟の乱発」にも関連するが、99年7月には「Y2Kアクト」を制定して乱訴の防止を図っている。
 これは、アメリカ政府が、2000年問題はアメリカのコンピュータ産業、ソフトウェア産業を壊滅させかねない重大問題であると認識して、損害を全産業と全国民が広く薄く負担して産業を救おうとしていることを示している。
 ところが日本政府の行き方はまったく逆で、「心配ない」と言うだけで関係情報を国民に提示しない。ということは、2000年問題は産業界を根本から揺るがしかねない問題だ、という認識が皆無にひとしいわけである。
 慢性的な大きな問題になると思われるのが、「危機2 救助・復旧等共同作業の混乱」と「危機3 輸入原材料・エネルギー・食糧等の不足」である。
 とくに指摘したいのは石油の問題で、政府は99年5月27日の衆院災害特別委員会でも、9月の総合対策会議の顧問会議でも、「与謝野通産大臣が現地に行ったとき、中近東諸国は『きちんと対応します』と言った。だから、やるでしょう」などと返答しており、"超"楽観的なのである。
 しかし、先方がそう言ったからといって、どうして大丈夫といえるのか。さすがに商社の役員クラスの人たちは「何も問題が起きないということはないでしょうが、1ヶ月ぐらいの混乱で事態は収拾するでしょう」と言う。しかし中東の政治・経済・文化の研究者の中には「一ヶ月も混乱が続いたら中東の秩序は崩壊してしまう」と言う人もいる。これが長期的な政治的不安定化につながらないという保証はどこにもない。  政府によれば、日本には164日分の備蓄があるというから、確率的には大丈夫かもしれない。しかし、繰り返しになるが、危機管理というのは確率の問題ではない。中近東やインドネシアで問題が起きたときどうするのか。いざというときにすぐ手が打てるようにしておいてこそ、国家としての危機管理であるはずだ。

悲観的に準備し楽観的に乗り切ろう

 地方自治体の対応も一部を除いてきわめて遅れている。ライフラインのなかでも水道については「問題が起きれば手動でやる」と言うところが多く、事務処理はコンピュータが止まれば紙で行うというのだが、実はこれが怖いのである。
 ほかでもない、はじめに述べた社会システムの効率低下のネットワーク相乗効果の問題である。ドイツ銀行のヤルディーニ博士は、Y2Kによって世界的な景気後退が起きる確率は70%あると予測しているが、日本中でそうした状態になれば経済の収縮は目に見えている。
金融、電力、電気通信等の事業分野は、日本の場合、米国に比べてY2K対応が比較的容易といえる。というのは、ごく最近まで厳しく業際規制、新規参入規制を行なってきた関係で、いまだに大規模寡占型の産業が多く、そこでは依然として大型コンピュータによる集中処理が行われ、顧客サービスの面におけるネットワーク化の度合いも比較的低い。そのため企業の数も、関連するOS(基本ソフト)の種類も限られている。その上で十分な費用もかけて技術者も真剣に取り組んでいるので、あまり問題は起きないと思われる。それでも事故が起きる可能性はゼロとはいえない。
 それに対して、遅れているのは前述した資源輸入相手国対策である。たとえば半導体産業では、韓国や台湾にある工場が中国やインドネシアなどからシリコンの材料を安く輸入し、それをチップにして日本に持ち込んでいるわけで、仮に中国やインドネシアでトラブルが起これば一蓮托生なのである。
 したがって、必要なのは相手国に対する早期のチェックと支援ということになる。また海外輸送、輸出入荷役、通関業務などの点でも大きく遅れていることも指摘しておかねばならない。
 最後に、市民レベルの危機管理に関して一言したいのは、この10月30日、政府が小渕首相の写真入りで全紙に掲載した「2000年問題があろうがなかろうが、ふだんからやっておくべき食糧貯蔵や燃料の備えなどについてはこの際点検しておきましょう」という趣旨の広報である。
 これは明らかに2000年問題を迂回しようとしたものであり、本来であれば、いろいろな分野において問題が起きる可能性はゼロではないことを国民に説明し、理解と協力を求めるべきであるのに、2000年問題特有の慢性的、長期的問題から国民の目をそらそうとするものにほかならない。2000年問題は、「事故は起るものという前提で考えて、被害を最小限に食い止めるために常に準備を行なう」という危機管理の考え方を身につける良い機会である。悲観的に考えて準備を行ない、いざその時が来たならば楽観的に行動して乗り切ろうではないか。(終)

月刊『潮』2000年1月号より

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