「青少年社会環境対策基本法」を支持する

青柳武彦(主幹研究員)

 青少年に悪影響を及ぼす恐れのある雑誌・刊行物・テレビ・ビデオゲーム・その他のマルチメディア・コンテンツに対する取り締まりは、これまで都道府県(長野県を除く)における条例レベルで行われてきたのみであり、根拠となるべき国の法律はなかった。そこで地方公共団体からの要望に応えて、参議院の自民党女性議員グループが中心となって研究会を行い、更に同党の政策審議会の場において検討を行い、ほぼ1年間にわたる検討期間を経て「青少年社会環境対策基本法案」の素案がまとまった。自民党は近く同法案を通常国会に提出する予定であるが、その概要は以下のとおりである。

法の概要(要約・文責=筆者)

 「【目的】@青少年の健全な育成を阻害するおそれのある社会環境から青少年を保護するにあたっての基本理念を定める。A国、地方公共団体、事業者、保護者、及び国民のこれに関する責務を明らかにする。B青少年の健全な育成を阻害するおそれのある社会環境から青少年を保護するための施策を総合的に推進する。以上により、青少年の健全な育成に資することを目的とする。

 【基本理念】次代を担う青少年を健全に育成することは不可欠であるが、一方、急激な情報化の進展、過度の商業主義的風潮のまん延等により、青少年有害社会環境のもたらす弊害が深刻化している。このような傾向に鑑み、国民的課題として青少年の健全育成にかかわる全ての関係者と国民各層の協力と連携の下に、家庭、学校、職場、及び地域社会において青少年を健全に育成するための良好な社会環境が確保されるように配慮する。

 【関係者それぞれの責務】国は、基本理念について国民の理解を深め、総合的対策を策定・実施する責務を有する。地方公共団体は自主的な施策を策定・実施する責務を有するとともに、本趣旨による地域の活動を支援する。事業者は、その供給する商品又は役務について、青少年の健全な育成を妨げることがないよう配慮する等、必要な措置を自主的に講じる。また、国および地方公共団体が実施する青少年社会環境対策に協力する責務を有する。保護者は青少年の人間形成にとって基本的な役割を担うことから、有害社会環境から保護すべき第一義的責任を有することを自覚し、保護に努めなければならない。国民は社会連帯の理念にもとづき、有害社会環境からの青少年の保護が図られるように努めるとともに、国・地方公共団体が実施する関連対策に協力する責務を有する。

 【適用上の注意】本法律の適用に当たっては、表現の自由、その他の国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない。

 【基本方針】国は本基本理念にのっとり、対策の大綱、これを国民的取組みにするための基本的事項、事業者等による自主的協定・規約に関する事項、センター事業に関する基本的事項などについての基本方針を定め、閣議の決定を経て遅滞なく公表する。

 【事業者の自主規制】事業者またはその団体は、事業者の供給する商品又は役務が青少年の健全な育成を阻害するおそれがあると認めるときは、青少年の心身の発達に応じた供給方法にするなどのために、自主的に遵守すべき基準についての協定等を締結するように努める。締結した場合には内閣総理大臣又は都道府県知事に届ける。当該届出にかかわる協定等は一般の閲覧に供する。

 【指導・助言】内閣総理大臣又は都道府県知事は、必要があると認める場合には事業者又は事業者団体に対し指導及び助言を行なうことが出来る。

 【勧告及び公表】内閣総理大臣又は都道府県知事は、事業者の供給する商品又は役務が次のいずれかに該当していると認めるときは、事業所管大臣及び行政機関の長に協議した上で、必要な措置を取ることを勧告することが出来る。すなわち@青少年の性的な感情を著しく刺激し、又は性的な逸脱行為を誘発し、若しくは助長するおそれがある場合、A青少年に粗暴な又は残虐な性向を植え付け、又は暴力的な逸脱行為若しくは残虐な行為を誘発し、若しくは助長するおそれがある場合、Bその他青少年の不良行為を誘発し、又は助長する等の青少年の健全な育成を著しく阻害するおそれがある場合。

 内閣総理大臣又は都道府県知事は、事業者が正当な理由なく勧告に従わないときは、その旨を公表することが出来る。」以上である。

これまでの経緯

 ここで、同法案の立案に至るまでの足取りを簡単にたどってみよう。2000年4月に参議院自民党が同法案の骨子を立案して、警察庁、文部省、総務庁、法務省その他の関連の合計10省庁(省庁名はいずれも当時)に対して趣旨の説明を行った。5月に至り、自民党は関係省庁の意見を取り入れて「青少年有害環境対策基本法案(素案)」をまとめた。同党は、青少年に関する特別委員会(委員長:小野晋也衆議院議員)を開いて、同党衆議院議員に同法案の趣旨の説明を行った。その後、同法案の名前の「有害環境」が「社会環境」に訂正された。

 7月31日には民主党の水島弘子議員が衆議院本会議において、「子どもたちを有害な情報から守る法律を早急に作る必要があるのではないか」という趣旨の代表質問を行った。これがきっかけとなって、民主党内にも「有害情報から子どもを守るための基本法制定プロジェクトチーム」ができた。

 この間に反対運動の方も盛り上がりを見せた。6月には青木貞夫メディア総研所長、奥平康弘東京大学名誉教授(憲法)、桂敬一東京情報大学教授、清水英夫青山学院大学名誉教授、田島泰彦上智大学教授、原寿雄氏(ジャーナリスト)、渡辺眞次弁護士の7人が「表現の自由を脅かす『青少年有害環境対策基本法案(素案)』に反対する緊急アッピール」を発表し、複数の大新聞の取り上げるところとなった。その後、雑誌刊行物にもこれを批判する記事が続々と掲載されるようになった。「ほんコミュニケート」1、「GALAC」2、「出版ニュース」3、「法学セミナー」4、「創」5、「週間現代」6、「マスコミ市民」7、「サンデー毎日」8、「読売ウィークリー」9、「噂の真相」10、その他であるが、殆どの記事が同法案に対する批判で満ち溢れている。

 団体からの反対運動も活発である。当事者の中心でもある民放連は2000年9月21日にいち早く「同法案は憲法違反であり反対である」との意見を表明した。引き続き、同年10月には雑誌協会、日本書籍出版協会、日本出版労働組合連合会、及び日本出版取次協会が、12月には映画演劇労働組合総連合、日本ペンクラブが、それぞれ反対意見を表明した。2001年1月15日には民放テレビ局の6キャスター(真山勇一氏、筑紫哲也氏、安藤優子氏、蟹背誠一氏、田原総一郎氏、斎藤一也氏)が記者会見を開いて、同法案に対する反対意見を発表した。
 これらの反対意見を総合・整理すると、概略、以下のとおりとなる。

(1)表現の自由(報道の自由を含む)を侵害するから憲法違反である。

(2)メディアの有害情報の影響を受けて青少年が犯罪を起こすという因果関係が立証された例は、これまで一つもない。

(3)テレビやビデオゲームの影響を受けて犯罪に走る青少年がいるかもしれないが、それは極めてわずかな数に過ぎないから、これをもって全体を規制するのは過剰である。

(4)有害環境の定義があいまいである。

(5)善悪を内閣総理大臣と都道府県の知事だけが判断するのは好ましくない。

(6)メディアの規制は法律で行うべきものではなく、自主規制が望ましい。

(7)良い作品まで有害と見なされてしまう危険性が大きい。

反対意見への反論

 ところが筆者には、本法案がそれほど悪いものとは思われないのだ。むしろ時宜を得た提案であると高く評価したい。そこで、これらの反対意見の一つ一つに考察を加えて、反論を試みてみよう。

(1)表現の自由(報道の自由を含む)を侵害するから憲法違反である。

 日本国憲法第二十一条第一項の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」という条項は、表現の自由を絶対視するものではない。公共の福祉と利益のために制限される場合があるのは当然である。そこで、問題は青少年に有害な情報を規制することは、表現の自由を制限するほどの合理的な根拠があるか、ということになる。

 これに関しては、有名な平成元年9月19日に下された岐阜県青少年保護育成条例違反事件についての最高裁判決がある。これは、知事が指定した有害図書を自動販売機に収納してはならないという規制が、憲法違反ではないかということが争われたケースである。本最高裁判決によれば「有害図書が一般に思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観に悪い影響を及ぼし、性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長につながるものであって、青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になっている」と述べて、「憲法第二十一条第一項に違反するものではない」と断じている。

 この他にも、既にいろいろな法律的根拠に基づいて、表現の自由に対して相当に広範な制限が行われている。猥褻な表現に対する制限(刑法百七十五条の猥褻罪)、他人の名誉を毀損する表現に対する制限(刑法第二百三十条、及びその第二項、民法第七百二十三条の名誉毀損)、他人のプライバシーを侵害する表現に対する制限(民法第七百九条)、犯罪を扇動する表現に対する制限(破壊活動防止法第三十八条、第三十九条、第四十条)、道路上でのビラ配りなどに対する制限(道路交通法第七十七条第一項)、他人の家屋へのビラ貼りに対する制限(軽犯罪法第一条第三十三号など)、選挙に関係する表現行為に対する規制(公職選挙法による戸別訪問の禁止など)などがある。このように、表現の自由も公共の利益のために必要な制限を受けているからこそ、国民の安全で快適な生活が守られるのであることを国民は知るべきである。

 表現の自由をめぐる論争には米国でも長い歴史がある。合衆国憲法修正第一条には、「連邦議会は(中略)言論または出版の自由(中略)を制限する法律を制定してはならない」と規定している。例外規定さえも許さないということであるから、日本国憲法よりも厳しい規定の仕方といえるだろう。当初はこれを文字どおりに解釈して、言論または出版の自由を制限するような効果があれば、「如何なる」法律も違憲とすべしとの考え方が支配的であった。しかし、通信・放送・出版というメディアの発展の歴史と共に、米国連邦議会と裁判所は、こうした固定的かつ古典的な考え方から脱却していった。

 プールは「その離脱の仕方は、ラジオ放送とコモンキャリアでは根本的に異なっている。電報と電話という電気通信キャリアに関する法制度が創設されつつあったときには、政策立案者は、その決定により言論と出版が規制されることをほとんど認識していなかった。1920年代になって放送制度が創設されつつあったときには、政策立案者はそのことを十分認識していた。」11と述べている。

 1919年にホウムズ(Holmes)裁判官は法廷意見の中で、ある表現が実質的害悪を生じせしめる「明白かつ現在の危険(Clear and present danger)12」を持っている場合には、立法部門はそれを阻止する権限を持つべきであるので、言論の規制が許されると述べた。この基準は言論を制約する立法の合憲判定理論として長い間通用していたが、1951年には、たとえ害悪が実現される可能性が小さくても害悪が重大なときには、その取締まりは合憲であるとされて理論は拡大された。その後、これを縮小する意見13も出て、紆余曲折を経て現在にいたっている。言論の自由の制限に該当するケースとして、既にタバコのテレビ広告が禁止されている。その他にも、他人のプライバシー侵害となるもの、名誉毀損となるもの、猥褻等公序良俗に反するものを挙げることが出来る。

 表現の自由は絶対的なものではなく、社会、経済、及び広い意味での文化(教育、芸術、を含む)の分野において、それと競合する価値又は上位の価値とのバランスの上で行使されなければならない。青少年を有害情報から守るという極めて公共性の高い、かつ明確で緊急性のある案件においては、表現の自由がある程度は制限されるのは当然である。

(2)メディアの有害情報の影響を受けて青少年が犯罪を起こすという因果関係が立証された例は、これまで一つもない。

 有害情報の悪影響があるというのであれば、科学的に厳密に証明してみせろ、と言っているわけである。しかし、これは一般社会の認識とあまりにもかけ離れすぎている独善的な姿勢と言わざるを得ない。たしかに、誰にも当てはまる一般論としては、科学的に疑問の余地がないまでに立証された例はまだない。しかし、マルチメディア情報の普及にともなって数が増えつつある特定の感受性の鋭い青少年にとっては、極めて強い因果関係があると思われる科学的な根拠があるのである。

 法律的には、因果関係が科学的に厳密に証明されなくても、その蓋然性について社会的に十分な認識と合意があれば、規制をすることが出来るという説が支配的である。前述の岐阜県青少年保護育成条例違反事件についての最高裁判決の中で、補足意見ではあるが、伊藤正巳裁判官は次のように述べている。すなわち、「青少年保護のための有害図書の規制が合憲であるためには、青少年非行などの害悪を生じる相当の蓋然性のあることをもって足りると解してよいと思われる」

 科学的根拠についてであるが、最近の神経生理学(特に脳科学)と認知科学によると、人間は「無意識」に支配されている部分が意外に大きいことが判明している。テレビ、ビデオゲーム、映画のようなマルチメディア情報は、その豊富なシグナル・リダンダンシー14によりモウダリティ効果15を生むので、人間の深部における無意識の世界にさえ容易に到達することができる。マルチメディア情報は、イメージを掻き立てることにより間接的に「古い脳」、すなわち情動、反射運動などの個体維持に必要な基本的な仕組みを司っている大脳辺縁系にも影響を与えてしまうことになる。そのため、人間の感受性と精神に知らず知らずのうちに大きな影響を与えてしまうことになる。

 このことは、「意識・無意識」と「理性・感性」を組み合わせて精神現象の場面を四つのジャンルに分けて考えてみると、一層はっきりする。「意識的理性」は言語を使って思考する論理的精神現象であり、「意識的感性」はイメージの世界である。「無意識的理性」とは潜在的な認知過程の世界であり、カクテル・パーティ効果16、サブリミナル効果17もその例である。最後の「無意識的感性」の世界では、マルチメディアの果たす役割とその影響が大きい。無意識のうちに人間の神経生理に直接的な影響を与えるので、危険性も大きい。

 ポケット・モンスター事件18などの例においては、映像の影響がけいれんなどのはっきりと目に見える形で現れたので、脳が影響を受けたことを知ることが出来た。しかし、マルチメディア情報はこのような身体的・生理的な面にだけ影響をあたえるのではなくて、精神的な面及びそれに基づく行動のパターンにも影響を与えるのである。もし、これがもっと精神の深部の話であって、影響が甚大であるにも関わらず、目に見える形で現れないとしたら重大なことである。

 意識的であれ無意識的であれ、人は心に思うことをすべて実行してしまうわけではない。「新しい脳」、すなわち大脳新皮質が担当する意識的理性による自制心、すなわち抑制機構が働くからである。しかし、非常事態に遭遇して個体維持の必要性に迫られたとき、およびマルチメディア情報による反復刺激や強い刺激に影響されて、「古い脳」、すなわち大脳辺縁系の働きが勝るときには抑制機構が解除されてしまう。抑制機構がまだ強固に構築されていない青少年や、特に鋭い感受性を持っている青少年にとっては、マルチメディア情報は極めて危険な刺激になることがある。映画、テレビ、ゲームの暴力シーンやインターネット上のポルノ情報も有害である。

 人間は、自分では理性的・論理的に行動していると思っているが、実は無意識下の感性と情動に支配されていることが多い。そうなると、「人間は自分の意識と行動を理性的にコントロールする能力があるから責任能力がある、責任能力がある以上、内面的な思想と信条は完全に自由であるべきである」という、人間の自由と権利に関する大命題さえもが極めて怪しくなってくる。

 したがって本当は、問題は青少年問題にとどまらないのだ。最近の神経生理学と認知科学が明らかにしたように、意思の力は極めて限定的であるので、人間の責任能力が従来考えられてきた程あるかどうかは疑わしい。加えて、マルチメディア情報システムが発展し広く普及するにつれて、コミュニケーションのあり方と人間の心のありようが大きく変化してくる。今後、テレビやビデオ以上にアッピール力の強いマルチメディア情報機器が普及してきた時に、どのようなことが起りうるかについては、表現の自由との兼ね合いを考えつつ、今のうちから歯止めを検討しておくことが必要である。本法案は、そのきっかけとなるものである。

(3)テレビやビデオゲームの影響を受けて犯罪に走る青少年がいるかもしれないが、それは極めてわずかな数に過ぎないから、これをもって全体を規制するのは過剰である。

 現実に犯罪に走ってしまう青少年を問題にしているのであるから、対象が極めて小さな比率に過ぎないのは当たり前である。もし大きな比率であったら、世の中はひっくりかえってしまう。犯罪が偶発性のものか、必然性のものかを考えることが大切である。犯罪に走る青少年の出現が極めて偶発的なものである限りは、カリキュレイテッド・リスクとして受け入れて、個別的な対症療法を取るしかない。しかし、有害環境からの影響との相関関係が極めて高く、かつ因果関係の蓋然性が高い場合には、たとえ小さな比率であっても、必然性のある事象として捉えて、人智を尽くして原因をコントロールすべきである。

 総務庁(当時)の調査によれば、ポルノ雑誌やアダルトビデオを見たことがあるのは、普通の中学生の場合は27%程度であるのに対して、非行で補導された中学生の場合は57%程度にものぼった。この調査は長期的な変動要因の追跡調査がなかったことから、有害情報に触れたから非行に走るようになったのか、それとも非行に走る中学生にはそのような有害情報を好む性向がもともとあったのか判然としない。おそらく因果関係は双方向的であろう。

 1997年2月から3月にかけて神戸で連続女児殺傷事件を起こし5月には小学校6年生の男児を殺害して首を切り落とし、これを中学校正門前に陳列した14歳の少年がいた。兵庫県警察本部須磨署捜査本部によると、この少年はビデオのホラーものや残虐ものに強い興味を持っていたとのことである。神戸家庭裁判所が発表した「処分決定要旨」によると、鑑定人は「少年は直観像素質者19であって、この顕著な特性は、本件非行の成立に寄与した一因子を構成している。」と述べている。直観像能力を持つほどの感受性の鋭い少年であれば、常人にはさほどの影響力のない情報に対しても過敏に反応していたであろう事は容易に推測できる。単なる偶発的事象ではなかったと考えるべきである。

 2000年8月に大分県で一家6人殺傷事件を起こした16才の少年の場合、大分地裁は「日ごろから残虐なテレビゲームや映画の影響を強くうけており、殺人に対する抵抗力が少なくなっていたことも一つの要因となっている」と述べている。西鉄高速バスのバスジャック事件の犯人についても、佐賀地裁は有害環境からの悪影響があったと思われる事を認めている。これらの例を見るまでもなく、有害環境からの悪影響を青少年が受けていることについては、単なる蓋然性以上のものがあるということができる。

(4)有害環境の定義があいまいである。

 そもそも、この種の反対論には十分な反論は難しい。なぜならば、質問自体に既に反対の意思がアプリオリーに含まれているからである。定義があいまいであると批判するのであれば代替案を提出すればよさそうなものだが、決して提出されることはない。仮に妥当な定義に変更しても、反対が賛成に変わるわけではない。したがって、どのように定義しても批判は無限に継続するだろう。定義の問題は反対の本当の理由ではないからである。

 本法案においては、事業者の自主規制が実効をあげている限りは、内閣総理大臣や都道府県知事の指導、助言、勧告は行われない。行われる場合の有害環境についての判断基準は以下のとおりである。すなわち「@青少年の性的な感情を著しく刺激し、又は性的な逸脱行為を誘発し、若しくは助長するおそれがあるもの、A青少年に粗暴な又は残虐な性向を植え付け、又は暴力的な逸脱行為若しくは残虐な行為を誘発し、若しくは助長するおそれがあるもの、Bその他青少年の不良行為を誘発し、又は助長する等の青少年の健全な育成を著しく阻害するおそれがあるもの」である。筆者は、この定義づけで必要かつ十分であると考える。むしろ、これ以上に詳しく規定すべきではない。

 言葉の定義のあいまいさを突く反対論は、1996年の米国通信法の第五編、いわゆる通信品位法のケースを思い起こさせる。通信品位法の部分が、表現の自由を保障した米連邦憲法違反であるとの訴訟である。連邦最高裁まで争われた結果、翌97年に違憲との判決が下った。一般的には、このケースは青少年を有害情報から保護するという価値と、表現の自由の価値が真っ向から対立したとものと受け止められているが、それは公聴会やネットワーク上での議論、つまり法廷外の論争であった。法廷内の論争はより法律技術的で、この両価値の調和を図る必要性は認めつつも、その目的に合致した法律的効果の範囲が妥当であるかどうかという問題が審査されたのである。

 担当のバックウォルター判事は判決の中で、法律の趣旨である子供の保護という観点の重要性は認めつつも、条項に「下品( indecency)」という言葉が定義されていないこと、最高裁の判例にもないことを理由に、当該条項の発効停止を命じた。その趣旨は、表現が曖昧であると、関係者は合法たらんとして文言を拡大解釈して自主的に対応しようとするから、結果的に過大な規制になってしまう。このような状態は違憲である、というものである。

 米国の通信品位法と青少年社会環境対策基本法案の違いは次の点にある。すなわち、米国通信品位法の場合は行政が規制を行うものであるから、規制の対象となる範囲の確定は極めて重要であったのに対して、同法案の場合は事業者に自主規制を促すものであるから、有害環境についての定義は第一義的には関係者の自主的な判断に任せようというものである。

(5)善悪を内閣総理大臣と都道府県の知事だけが判断するのは好ましくない。

 別に内閣総理大臣と都道府県の知事の2人だけで善悪の判断をしようというものではない。これは、国と地方公共団体の行政府の仕事であることを規定し、なおかつ、決定のレベルが最高責任者であるという職務分掌的な規定を含んだ表現であるに過ぎない。たしかに、行政府は経済的な規制は原則として行わない方がよい場合が多い。しかし、公害規制や交通規制などの社会的規制は、きちんと行うことは行政の重要な責務である。また、その法的根拠を与えるのは立法府の責務である。社会的規制の多くは自主的規制では難しい性格のものが多いが、自主的規制が効果的かどうかは、専ら国民の自覚と実行能力にかかっている。

 本法案の趣旨によれば、対策を実行する第一義的主体は関係者の全てなのである。すなわち、国、地方公共団体、事業者、保護者等の、国民の全ての層がそれぞれの責務を自覚して自主規制を行おうと呼びかけているものである。その故にこそ国民的な運動として同法案の趣旨を実行することを呼びかけているものである。

 繰り返しになるが、適正化のための業界の自主規制が効果を上げていれば、国や地方公共団体による助言・指導・勧告などは一切発動されないのだ。また発動する場合でも、関係者と広く協議をする前提となっているから、仮に内閣総理大臣または都道府県の知事のいずれかが、個人的な極端な価値観の下に過激な規制を行おうとしても、絶対に出来ない仕組みになっている。それに規制といっても、勧告に従わないことを公表するだけのことであり、これをしも官による規制と呼ぶのはおこがましい。

 仮に為政者が社会に受け入れられないような過度な勧告を行った場合には、それが実行されないからといってその旨を公表しても、国民の合意がないから事業者に対する社会的制裁は行われないだろう。社会の良識に沿った勧告が実行されなかった場合にのみ、社会的制裁は実効があるのである。

(6)メディアの規制は法律で行うべきものではなく、自主規制が望ましい。

 この批判は珍妙としかいいようがない。この法案は自主規制を促すものであるから、それに対して自主規制で行うべきであると主張するのはトートロジー(同語反復)というか、むしろ法案に対する応援演説に等しい。もし、言われなくてもやるから法律で強制しないで欲しいというのであれば、その通りの趣旨となっているので心配はいらない。民放連は自律的に番組基準を設定しているので、法律による規制は必要ないといっているが、この法律は民放連のためだけのものではないのだ。

 しかし、現実問題として、民放連を初めとする関係業界において既に十分に対策が行われているのだろうか。民放連が昨年の4月から、第三者機関の「放送と青少年に関する委員会」を設けて努力を続けていることは評価するにしても、それが実効をあげているとは到底言い難い。夜12時過ぎの低俗極まりないテレビ番組を見てみれば、テレビ業界の自浄作用などは絵に描いた餅に過ぎないことがよくわかる。前述の1月15日に行った記者会見で、民放6キャスター達が自ら認めているように、「かなり劣悪な番組があるのは事実であり、今のメディアの状況が全て誉められた状況かといえば必ずしもそうではない」のである。

 本法案によれば、助言、指導、勧告を行ってもなおかつ改善されない場合にのみ、その旨を公表することによって規制の実効性を担保しようとしている。個人的には、果たしてそれで実効があがるのか不安ではあるが、業界の自主規制ベースで改善が進むのであればそれに越したことはないので、関係者の一層の努力を望むものである。

(7)良い作品まで有害と見なされてしまう危険性が大きい。

 これは神経生理学的、認知科学的認識を全く欠いた意見である。良い作品というのは、「新しい脳」すなわち大脳新皮質による理性的判断の結果、良い作品という評価が与えられるものである。しかし有害な影響を与える作品というのは、青少年の「古い脳」、すなわち大脳辺縁系に悪い影響を与えて、無意識のうちに青少年を性的逸脱行為や残虐行為に駆り立てたり、それを自制する抑制機構を解除させたりする効果を持つ作品のことである。したがって作品の価値とは無関係である。暴力を否定する趣旨の「良い作品」であっても、過激な暴力場面が多い作品は悪い影響を与えることも十分あるのだから、大脳新皮質の前頭葉における抑制機構の十分に発達していない青少年には見せない方が良いのだ。

 深作欣二監督・北野武主演による映画「バトルロワイヤル」が昨年の12月に封切りされ、さまざまな議論を引き起こしている。無人島につれて行かれた中学3年生全員が武器を与えられて、一人が生き残るまで互いに殺しあいを行うという筋書きで、残虐シーンの連続である。ここでは殺人がまさしくゲーム感覚で描かれている。暴力描写が過激ということで映倫の「R〜15」(15歳未満入場禁止)に指定されたが、18歳未満入場禁止の「R〜18」に指定すべきであった。実際、この作品で言わんとしているような高尚な内容は平均的な16歳程度の青少年が理解できる範囲を越えているのである。

 大脳のシュヴァン鞘20を染色することにより、各部位のニューロンにおける有髄化21の程度、すなわち成熟度を測定することができる。この検査方法で調べると、「新しい脳」すなわち大脳新皮質の中でも前頭連合野、頭頂連合野、及び側頭連合野は一番成熟が遅くて、意外にも20歳直前、すなわち大学に入学する頃でないと成熟しないことが分かっている。大学時代というのは、まさにこのような高度の精神活動能力の始動期に相当するのである。16〜17歳では成熟がようやく始まった程度である。

 10代の少年少女達のきらめくような感性、豊かで厚い情動、旺盛な知識欲と記憶力を見ていると到底、彼等の理解力、認識力等の高次な精神活動能力がまだ発達していないなどとは信じられないのだが、これは厳然たる事実なのである。少年少女達が、「なぜ援助交際をしては悪いのか分からない」、「いじめるのは面白いからやるだけだ」、などと言うのは、ふて腐れているところもあるが、一面真実の叫びでもあるのだ。「バトルロワイヤル」のような高度な「良い作品」は、連合野におけるニューロンの有髄化、つまり成熟化が完成していない高校・中学・小学校の生徒に見せても、「百害あって一利なし」なのだ。

終りに

 言論・表現の自由は、重要な国民の基本的人権の一つであるが、絶対的なものではない。公共の利益の為に制限されることがあるのは当然である。本法案の趣旨は、「青少年の性・暴力に関する価値観の形成に悪影響を及ぼし、性的・暴力的な逸脱行為、残虐な行為を誘発・助長するなど、青少年の健全な育成を阻害するおそれのある社会環境が存在すると認識し、その中にあって商品又は役務について必要な措置を事業者が自主的に講じることを促すものである。また内閣総理大臣及び都道府県知事は事業者に必要な指導及び助言、場合によっては必要な措置をとることを勧告できる。更に事業者が正当な理由なく勧告に従わない時はその旨を公表することができる」というものである。青少年を有害環境から保護するためには、表現の自由がある程度まで制限されてもやむを得ないのである。

 たしかに制限の仕方は、法律によるものではなく自主規制または第三者機関によるものが望ましい。しかし、そうかといって自主規制や第三者機関による自浄努力が実効をあげていない状況下でも、問題点を放置しておいて良いということにはならない。その場合には、立法府及び行政府の当然の責務として法律的規制を行う事が求められるのである。

 この青少年社会環境対策基本法案には罰則規定があるわけではなく、事業者による自主的規制を促すものである。わずかに、改善のための勧告をして成果があがらない場合は、事業者の名前を公表するというものである。国民的な理解と協力の下に本法案が無事に成立して、所期の効果を発揮することを願うものである。

 1 2000年7月号、長岡義幸氏の「出版会・ホントのほんと70 子どもの権利を侵害する変な法律」

2 2000年8月号、坂本衛氏の「青少年有害環境対策基本法なんて、けっとばせ!!」、及び2000年11月上旬号、田北康成氏の「メディア規制の潮流とマスメディアの消極的対応」

3 2000年7月下旬号、橋本健午氏の「『青少年有害環境対策基本法案(素案)』の問題点」、及び同年8月中旬号、清水英夫氏の「意見書」(違憲立法との批判を免れがたい)、及び2000年11月中旬号に「日本出版取次協会の同法案に対する見解」

4 2000年9月号、笹田佳宏氏の「メディアフォーラム、青少年とメディア有害情報を規制」

5 2000年10月号、「情報の焦点」、及び2000年12月号、長岡義幸氏の「規制強化に出版界でも第三者機関構想浮上」

6 2000年10月21日号、「ジャーナリズム/検証『青少年社会環境対策基本法案』報道」
7 2000年11〜12月号、竹内淳氏の「言論・表現の自由を脅かす『青少年社会環境対策基本法案』」

8 2000年11月5日号、鈴木嘉一氏の「メディアの性・暴力表現の研究、規制強化の“包囲網”広がる」

9 2000年11月12日号、鈴木嘉一氏の「一方的有害指定に反対の大合唱、放送・出版会に問われる自浄努力」

10 2001年1月号に山崎京次氏の「施行に向けて着々と進行中の青少年条例改定」の中で同法案に触れている

11 イシエル・デ・ソラ・プール(1983年)「自由のためのテクノロジー」東大出版会 137ページ

12 ハリソン・フォード主演の映画の題名(邦名「今そこにある危機」)にもなった。

13 1969年には合憲性を持つのは「Clear and imminent danger(明白かつ切迫した危機)」に限るという理論を縮小する意見も出て、現在にいたっている。すなわち、当該表現が違法な行動を直ちに取るように呼びかけたり、違法な行動を誘発したりする可能性がある(likely)という明白かつ切迫した危機の場合にのみ、言論の規制は合憲であるというものである。(『英米法辞典』田中英夫他 東京大学出版界による)

14 Signal Redundancy とは、信号が異なったメディアを通じて視覚、聴覚、嗅覚、触覚、など複数の受容器官を通じて知覚されること。モウダリティ効果により認識の度合いが深くなる。

15 Modality Effects/Murdock,B.B1968。Modalityとは感覚の一定の様相のこと。複数の異なった相の刺激を同時に知覚すると、刺激は単一相の刺激の場合より強烈に、かつ深部に到達して認識される。外国語の単語を記憶する場合、文字を見るだけよりは、聴くこと、発音すること、書くことを組み合わせる方が認識の度合いは深い。また良く記憶もされるので、再生率も高くなる。

16 パーティでどんな騒がしくても、特に意識はしないで相手の人の話だけに注意を集中することができる。集中度が強ければ周囲の音は聞こえなくなる。ところが周囲の話の中に自分の名前が出てきたりすると、突然周囲の話が聞こえてくる。人間は、耳に聞こえてくるすべての音声を、聴覚の「前処理過程」において無意識に選別を行っており、関係のある話だけを選択的に、より高級な処理過程に乗せていると考えられている。

17 人間があるものを見る時には、注意を向けている対象以外のものは意識していないが、無意識の「前処理過程」階層が視覚にも存在しており、無意識の中ではこれを見ていることが知られている。1957年にヴィカリィは、映画の中で3ミリ秒だけ「コーラを飲もう」「ポップコーンを食べよう」というメッセージを入れたところ、6週間の実験中にコーラの売り上げが58%、ポップコーンの売り上げが18%も上昇したと発表した。事実とすれば、人が意識していないうちに広告の影響を受けてしまうことになりフェアーでないので現在では禁止されている。しかし、このヴィカリィの実験は架空のもので、サブリミナル効果は人を購買行動に駆り立てるほどの効果はないことが、その後判明している。

18 1997年12月16日の夕方6時半から、テレビ東京及びその系列放送局で放映されたアニメ番組「ポケット・モンスター第38話・電脳戦士ポリゴン」を見ていた子供達700人以上が、光感受性発作と呼ばれる症状、すなわち意識不明、けいれん、ひきつけ、呼吸困難、頭痛、吐き気等を起こしたり気分が悪くなったりして、救急車で病院に運ばれる事件が起こった。共同研究班ESGS(ビデオゲーム誘発発作の成因と対策に関する研究会・代表:清野昌一国立療養所静岡東病院(てんかんセンター)名誉院長)は、「小中高生の5〜10%が光に過敏な体質で異常を起こしやすく、ここに被害が集中した傾向があり、赤や青に点滅する場面は、異常を起こしやすい閃光刺激頻度(1秒間に12〜20回)のようだ」と分析した。

19 直観像能力(対象物が消え去った後でも、恣意的にこれを鮮明に再生することが出来る能力)の素質を持っている者。

20 ニューロンが育つにしたがって神経線維をつつむ鞘のような組織ができてくるが、これをシュヴァン鞘(髄鞘)という。

21 成熟期になると、神経線維をいくつもの鞘が並んで巻きついた状態がほぼ全長にわたって続くようになるが、これを有髄化という。有髄化すると神経の信号伝送速度が格段に高速化する。