外国語が下手な日本人

青柳武彦

 日本人は他の民族に比べても特に外国語に弱い。その原因の一つに、成人の日本人にとっては外国語の発音を聞き取ることが生理的に難しいという事情がある。「私は、話すことは出来ないが、聞き取ることは大体出来る」という方が時々おられるが、筆者には信じられない。本当は、外国語を聞き取れないから、話すことが出来ないはずなのだ。

 また、日本語は正確な子音の発音よりも単語や文節のアクセントに重点をおく傾向がある。したがって日本人は、聞き取れなかった子音の部分は無意識のうちに予測と補完を行うという習性を持っている。そのため、外国語を聞き取る場合には、ますます聞き間違いを起こす危険性が大きくなる。

言語の周波数

 各国の言語の声域には、それぞれ固有の優生な周波数帯があって、それを「パスバンド」と呼んでいる。日本語は125〜1500ヘルツまでの比較的低くて狭い周波数帯にある。それぞれの言語を使う民族の大脳言語野の細胞は、その固有のパスバンド内の音しか言語として認識しない。それ以下、および以上の周波数の音が聞こえていないわけでは決してないが、それらの音は聴覚野で言語以外の音として仕分けされて、言語野以外の感覚野に送られてしまうのだ。

 日本人にとってはなはだ困ったことには、英語を初めとする欧米系の言語は、一様に日本語固有のパスバンドをはるかに越える高い周波数帯を使用している。つまり、外国語の聞き取りにもっとも重要な子音は殆どが日本語のパスバンド以上の周波数帯に属しているのだ。イギリス英語は2000〜1万2000ヘルツの間である。米語はもう少し低くて1000〜4000ヘルツ位、フランス語は1000〜2000ヘルツの間で、ロシア語を使うスラブ民族は125〜8000ヘルツという広い帯域を使っている。したがってロシア人は外国語に堪能になる素質があるといえる。広い周波数帯を聞き取ることが出来るということは、次に述べる音韻を正確に把握することができることを意味する。

音韻

 言語の構成要素となる一つ一つの単音に対応する、それぞれの心理表象を音韻と呼んでいる。音韻の単位は言語により異なるが標準的な日本語では110位ある。英語などの欧米系言語では、音韻の単位はもう一つ下の段階の音素(Phoneme)である。例えば「l」と「r」、「h」と「f」の区別が重要であるが、日本語では区別する必要はない。la li lu le lo でも ra ri ru re ro でも同じ「ラリルレロ」として通用するのである。音韻論の重要な役目の一つは、異なった言語にどのような音素から成り立っているのかを決定し、かつそれぞれの音素がどのような特徴を持っているのかを研究することである。

 面白いことに、このような音素の区別を認識するのは細胞単位で行われているらしい。つまり「l」を認識する細胞と「r」を認識する細胞は別なのだ。片方の細胞しかないと、laとraの違いを区別することは出来ない。こうした特定の言語のさまざまな音韻を区別することのできる細胞の組み合わせ図を、「音声知覚マップ」という。

幼児の言語聞き取り能力

 人間は、どんな周波数の音素でも認識するのに必要な種類の細胞をすべて持って生まれてくる。しかし、誕生後2年くらいまでの間に頻繁に耳にする言語の周波数帯に反応する細胞を残して、他はすべて消滅してしまうのだ。したがって、乳児に英語やフランス語を絶えず聞かせていると両国語の音素の周波数に反応する細胞は温存されることになる。テレビのCNNのニュース番組を四六時中つけっぱなしにおくのは、神経生理学的には意味があることなのだ。ただし幼児が言葉を解するようになったら、つまり言語野が発達してきたら、その音素を使った言葉で話し掛けてやる必要がある。そうしないと、その細胞は聴覚野の他の部分で発達してしまって、肝心の言語野で発達しない。

 ただし、フランス語だけを聞かせると「h」を知覚する細胞は整理されて無くなってしまうから、「h」を知覚することも発音することも出来なくなってしまう。「橋」は「足」、「林檎の花」は「林檎の穴」としか発音できなくなってしまう。日本語と一緒に聞かせるならばそうした心配はない。

 米国のクール(P.K.Kur)が行った実験1によると、生後6ヶ月の幼児にして、すでに自国語の音素特性の変化(自国語の音声知覚マップ)のみに反応し、他国後のそれには反応しなくなり始めることが観察されるとのことである。まだしゃべり始めてもいないうちに、細胞レベルでの編成替えは生じているのである。

 英語のヒアリングで、筆者がいつまでたっても「r」と「l」がごっちゃになって、 rice (米)と lice(しらみ)を区別することが出来ないのは、別に勉強不足のせいでもインテリジェンス不足のせいでもなく、実は幼児時代における細胞再編成の必然的過程によるものと知って、安心したが同時にがっかりもしたものである。では、いくら練習してもムダなのだろうか。

成人の聞き取り能力向上のために

 幼児期に死滅してしまった細胞が復活することはあり得ない。しかしその後でも、訓練を重ねることにより、別の種類のニューロン2の軸策が伸びてシナプス3を形成し、新たなネットワークを形成する。そのネットワークが、死滅した細胞が担うはずであった機能を代替して備えることがあり得る。つまり細胞ベースではなくネットワーク・ベースで弁別能力を形成することが可能であるから、必要以上にがっかりすることはない。

 成人してから外国語を聞き取れるようにするには、日本語よりも高い周波数の音を人工的に言語野に送り込んで、そこにこれを識別するニューロンのネットワークを生成することが必要である。それは長時間の繰り返しの訓練によるしかない。子音を覚えるのに口腔内の舌の位置などを説明してもらって理解しても、また、正しい発音を覚えても何の役にもたたない。高い周波数帯の音が聞こえていないわけではなく、それを処理する細胞が言語野に存在しないことが問題なのである。

 ATR人間情報通信研究所の山田玲子研究員は、成人のボランティアを募って「l」と「r」の識別実験を行った。light(光)と right(右、権利)、love(愛する)と rub(こする)のような単語の272組を、5人のネイティブに発音してもらう聞き取りテストを行った。そして、テスト結果に基いて組み上げたカリキュラムにより特訓を行った。その結果、被験者の9割近くは何とか識別が出来るようになったとのことである。ただし、これは特訓をしなければ識別できないことを同時に意味しているのだから、安心し過ぎてもいけない。

 聞き取り訓練は、テニスやゴルフなどのスポーツの練習と同じで、長時間かけて繰り返し繰り返し練習をすることにより、脳の言語野にニューロンのネットワークを創生するのである。レコードやテープ、CDを何回も聞いたり、映画を繰り返し見る(聞く)ことも有用である。

 また、音声回帰といって、低周波(例えばヘルツ以下)をわざと遮断してしまって高い周波数帯の音だけを言葉として聞く練習をすることにより、言語野に新たなニューロンのネットワークを作る方法もある。新しい言い回しを覚えるためではないから、良く知っているやさしい(しかし聞き取れない)表現でよい。今まで言語以外として処理されてしまった音を、言葉として注意して聞くことにより、強制的に言語野に送り込んでしまうのだ。はじめはその音を処理する細胞がないから聞き取ることが出来ないが、少しずつ判るようになる。

 高周波の音を豊富に含んだモーツァルトやグレゴリアン聖歌などの音楽を聴くのは、精神の安定のためには非常に良いが、外国語を聞き取る訓練にはならない。高い周波数の音を聞きとって、それを音楽を愛でる領域で処理できるようになっても、外国語の聞き取り能力には関係がないはずである。音楽家でも外国語が下手くそな人がいるのは、極めて広い周波数の音でも自由自在に楽音として処理する細胞が発達しているくせに、言語野に限っては普通の人と同じで、1500ヘルツまでの周波数しか処理する細胞を持っていないからである。

 外国語が聞き取れないのは、高い周波数の音が聞こえないからではなくて、それを脳の聴覚野が仕分けの段階で言語野以外の感覚野に送ってしまうからである。もっとも言語野に送られても、それを処理する細胞もニューロンのネットワークも存在しないから、初めのうちは認識できないことには変わりはないが、訓練にはなる。次第にニューロンのネットワークが形成されてきて、ある日突然に聞き取ることが出来るようになるのだ。

 学校の外国語の教師は、その外国語固有のパスバンドの周波数帯の音声で生徒に話しかける能力を持っていないと役に立たないことになる。日本の英語教育も、このような神経生理学的な見地から検討し直す必要があるのではなかろうか。

1 山鳥重『ヒトはなぜことばを使えるか』1998 講談社

2 脳はニューロンと呼ばれる神経細胞と、それをとりまくグリア細胞から出来ている。一つのニューロンは本体とも言うべき「細胞体」と、そこから多方面に伸びる「樹状突起」、さらにはその先に長く伸びる「神経線維」からなっている。

3 ニューロン同士の接合部。1個のニューロンの表面には、他のニューロンから伸びてきたシナプスが多数見られる。一つのニューロンには100から時にはなんと10万個ものシナプスが見出される。成人では平均して1万個といわれている。