9月11日
土屋大洋(GLOCOM主任研究員/メリーランド大学国際開発・紛争管理センター訪問研究員)
朝7時半、目覚し時計がわりにセットしたラジオから、「ニューヨークのワールド・トレード・センターに飛行機が衝突しました...」という声が聞こえてきた。何事かと飛び起きてテレビをつけてみると、すでに事態は大変なことになっていた。しかし、最初に見た映像をなぜか記憶していない。しばし呆然とするしかなかったのだろう。
私はその朝、サンフランシスコにいた。サンフランシスコの朝7時半は、ニューヨークの朝10時半である。我を取り戻すと窓の外を見た。特に変わった様子はない。
パソコンを起動し、インターネットにつないでみる。スムーズに接続された。すでに所在確認のメールがいくつか来ている。いくつかに簡単に答えたあと、日本の家族に電話をする。これも1回でつながった。
朝食はレストランでブュッフェの予定だったが、そんな暇はない。急いで服を着ると、ホテルの1階のカフェに向かった。エレベータの中で会った老夫婦に「バッド・モーニングだよね」と言うと、「全くだ」と言ってうつむくだけである。
カフェにはすでにたくさんの人がおり、朝食をかじりながら視線はテレビにくぎ付けだった。テレビの真下に陣取った日本人一行が日本の新聞を広げ「台風が来たんだって」と話している。
カフェの横には空港行きのシャトル乗り場がある。しかし、空港は閉鎖されており、行き場を失った人々はうろうろするしかない。ガードマンだけが、ホテルに入る人を厳しくチェックしている。
朝食を買うと部屋に戻り、パンをかじりながらテレビを見る。再びネットにつないで、ニュース・サイトを見てまわる。
9時に同行調査団一行とホテルのロビーで落ち合う。10時から予定されていたインタビュー調査が、1時間遅れで始まる。しかし、一行の関心はボリュームをしぼったテレビに集中している。
インタビュー調査を終えて、エレベータに乗ると、スーツケースを携えた人がいる。「飛行機は止まっているのにチェックアウトするの?」と聞くと、「車で8時間かけて家族のところに戻る」と言う。
午後の予定はキャンセルになり、再びテレビを見る。「明日昼間まで空港は閉鎖。ディズニーランドは閉鎖。サンフランシスコのピア39(フィッシャーマンズ・ワーフ)は閉鎖。ゴールデン・ゲート・ブリッジでは通行規制。タイからの飛行機を空軍がエスコートしている。東京から着いた最後の便では、到着直後にFBIが機内でパスポートをチェックした。サンフランシスコでは何の被害もない。カリフォルニア州知事の声明がスペイン語で発表される。アフガニスタンのカブールで爆発あり。パールハーバー以来の出来事だ」といったニュースが次々に入る。
夕刻、サンフランシスコはまだ明るいが、すでにニューヨークは暗くなっている。瓦礫の下から携帯電話で連絡してくる生存者がいるとテレビが報じている。しかし、どこにいるのかわからない。
「国際政治学者としてどう見る?」との問いかけに何も答えられなかった。次々と来る消息確認のメールにも、「サンフランシスコにいて無事です。サンフランシスコは平穏です」という以上の言葉がなかなか見つからない。
夜のダウンタウンでは、各所で半旗が見られたが、人影はまばら。歩いているのは暇を持て余した観光客ばかりで、パブだけが大繁盛だった。