デジタル世代の創造力と教育改革

中村伊知哉(スタンフォード日本センター研究所長)

インタビュアー
山内康英(GLOCOM主幹研究員)

ネットで育てる次世代の表現力

山内  本日は、京都のスタンフォード日本センター研究所長に着任された中村伊知哉先生をお招きして、情報社会と教育についてお話をうかがいます。まず、はじめに先生の近況と、日本センターのプロジェクトについてご紹介ください。

中村  去年9月11日のとき、私はニューヨークにいたんです。ボストンからニューヨークに入る用事があって、その橋のところで「ここから先は行けない」と言われて、何だろうと思ってボストンに戻りました。ボストンでテレビを見てみたら、あの事件で、近所は大騒ぎでした。それで日本の人たちに聞くと、みんなリアルタイムで見たというわけですよ。アメリカの東海岸では朝の通勤時ですし、西海岸は寝ている時間ですから、リアルタイムで映像で見ていた人はほとんどいないと思います。「ああいう事件のリアルタイム性は、その場所とは全然離れてデジタルでつながっているな」と、そのときすごく実感したのですが、同時に、そうやってデジタルで世界中がつながって地球が狭くなったといっても、つながってわかり合うと争いごとが減るかというと、ひょっとすると逆かもしれない。わかり合って、違いがはっきりしないと戦争なんて起こらないですからね。そうしたら、それをどう解決すればいいのかというのをずっと考えてはいるんですけれど……。

 私が役所を出てMIT(マサチューセッツ工科大学)に渡ったのがほぼ4年前です。MITに行ったのは、MITのメディアラボという研究機関がメディアと子どもに関する研究所を作りたいというので、そのコーディネートのために行ったのですが、結局まだできていなくて……。そこでの考え方というのは、ツールや技術は大人が提供するけれども、それをどう使って新しい社会を作っていくのか、どういうふうに自分を表現して相手を理解するのかというのはデジタルの世代の役割だというスタンスに立っていて、要するに、インフラや技術のところは大人が準備する、場は準備するとしても、コンテンツは子どもたちが作るという考え方に基づいて活動しましょうということです。面白いと思って、それをやりたいと思って行きました。当時、アメリカでインターネットがすごく爆発していたころで、ネットバブルがどんどん膨れ上がっていって潰れて、というのを目の当たりにしたのですが、そうした過程でインターネットの質というのがちょっと変わってきたかなと。私が行ったころ、まだインターネットは情報ハイウェイと言われていて、ハイウェイって道です。道というのは誰かが作ったものを運ぶもの、誰かが作ったコンテンツを運搬するものです。だけど、いまインターネットに入ってきている人たちの見方は多分そうではなくて、場というか広場というか。最初インターネットは教会だったかもしれない、誰かお偉い方のありがたい話を聞く所だったかもしれないけど、いまはみんなが店を出す所になってきている。

山内  なるほど。

中村  ネットの本質はそれだろうと。自分のものを、お金かもしれないし、アイデアかも、刺激かもしれないし、そういうものを持ち寄って交換して共有して、そこで新しい価値を生んでいくべきもので、やっとそういう状況に来たかなと思っています。それを生かしたいということもあって、子どもの活動というのを始めています。その子どもの活動の中身をちょっとだけ説明しますと、いまMITのメディアラボで作っているようなテクノロジーを使って、京都の南のけいはんな学研都市に「CAMP」という名前の子どものセンターを作りました。その子どものセンターは日本で初めてワークショップを専門にやるところで、そのワークショップというのは、子どもが自分で物を作って、世界に向けて表現するという活動です。たとえば、僕だけの、私だけのロボットを作りましょう。ロボットに自分でプログラミングして、いろいろ素材を組み合わせて、自分だけの生き物を作るというような活動です。それから、粘土でアニメーションを作りましょう。粘土をこねてアニメーションを使って、それをブロードバンドで世界に発信するというコンテンツを作ってみましょうといった活動です。この前は即興音楽ワークショップというのをやりました。自分で楽器を作って、自分で音を作って、自分で演奏して、みんなに聞かせるという、これをトランペッターの近藤等則さんにやってもらったのですが……。技術はMITやその他国内の大学とか、協力してくれる人が出してくれるし、各国の子ども博物館の活動を持ってきて、それを紹介するというのをやったりしています。

 ただ、それだけだとつまらないので、これからは日本独自のワークショップ、日本の表現というのをやっていきたいと思っています。たとえばマンガ作りワークショップ、アニメ作りワークショップ、お茶でもお花でも何でもいいんです。私は漫才ワークショップをやりたいと思っていて、吉本興業にやりませんかという話をしに行っているのですが、どつき漫才みたいなのをやりたい。

山内  ハッハッハッ。

中村  このやろ、何やっとんや、バーン! みたいに、叩いてコミュニケーションをとるコミュニケーションのやり方って、多分日本だけだろうと。それを子どもに作らせたい。日本語でいいから世界に発信する。それを各国の子が見て、「そんなコミュニケーションはない。何だ、それは」と言われたら、「じゃあ、君たちはどういうコミュニケーションを持っているんだ」と話をする。もう少しわかりやすいのは、本を作るワークショップです。たとえば平和とかお母さんとか、何でもいいから同じテーマで子どもたちにアナログで本を作らせて、デジタルにしてブロードバンドに載せると、多分、同じテーマでも全然ストーリーが違ったり、色合いが違ったりしてきますよね。何で違うのかを子どもたちに議論させるというワークショップをやりたいと思っています。そういうのをやりだしたのはいいのですが、結局、点で、その場所だけで止まってしまう。日本でも各地でそういう活動をいろいろやっている方々がいて、ITと、学習とか教育とか表現というのを組み合わせたいと思っておられる先生方がたくさんおられるので、そういう場所をつないでいって、情報を共有して、みんなでできるようにできないかなというためのNPOをいま作っています。

 そのNPOが「CANVAS」という名前で、まだ申請中なので認められるのは年末になると思いますが、副理事長が私と東大情報学環の山内祐平助教授、理事長は昔NHKの会長をされていた川原正人氏です。これは、政府のe-Japan戦略を推進する一施策としても位置づけてもらっていて、e-Japanにもコンテンツを増やしていくという題目がありますが、これからのブロードバンド社会というかピア・ツー・ピアの時代は、ハリウッド型の、プロがお金をかけて作るコンテンツを増やしていくという政策ではないのではないか。一人ひとりの表現力とか創造力とか、日本だと1億人がどう考え、どう表現するかの底上げ策が必要なのではないか。では、その活動をやっていきましょうということです。従来のコンテンツ政策とか文化政策とはちょっと違ったアプローチかもしれませんが、そういうふうにやっていきましょうという運動というか、活動の一つとして始めようとしているものです。これが子ども関連で、いま始めているものです。

山内  ということは、けいはんなに「CAMP」という場所が実際にあって、子どもたちがデジタル・コンテンツを作っているわけですか。

中村  はい。CAMPは去年の4月にオープンしましたので、それから1年くらいそういう活動をやってきています。ここだけではないだろうと、いろいろ調べてみると、各地にいろいろな活動をやっている方がおられて、仙台でも、東京でも、どこかの山奥でもやっている。ですから、みんなでそのやり方などを持ち寄って、そのあとは小学校や中学校で普通にやってもらうような、何という授業にしたらいいのか――いまは総合的な学習の時間ということでやっていますが――デジタル表現とか、国語・算数・社会デジタルみたいな、そんな感じになっていくと面白いかなと。

「格好いい」日本の文化

山内  GLOCOMの活動の中にも教育関連のものがありまして、日米教育委員会フルブライト記念基金から委託をいただいて、日・米の教員の交流をインターネットの共同授業で支援するというプロジェクトを3年間続けています。フルブライト記念基金では毎年600人、米国の先生方が日本の学校を訪問する、という活動を主催していますが、この中から情報通信技術の利用に力を入れている学校を選んで共同学習を行う。たとえば環境教育ですが、アイオワ州の先生が四日市の学校に来て、付近の川で水生昆虫と環境汚染の関係について野外で実験をする。実際に資料を採って見せて、トビゲラがいたら川の汚染度はこのぐらいだという話をする。アメリカの学校でも同じ実験をしていて、インターネットを使った共同授業で、お互いに学校の周りの環境問題を議論するというようなことです。総合学習の一環として、日本の先生方の取り組みも本格的になっています。

中村  どの自治体も今すごくこういうのに関心を持っていて、ハコものはいろいろ作ったのだけれど中身がなくて、ITだとか教育だとか、みんな一緒になって、そこをつなげたいという需要がたくさんあります。今度11月に岡山でマルチメディア祭があって、CANVASとしてもそこで二つくらいワークショップを出して、そこに知事さんや自治体のみなさんが見に来るというので、見てもらって、自治体としてこういう分野でどう取り組めばいいのかということをやりましょうというのが始まっています。この活動は、私としてはMITでもスタンフォードでもなくて、そのすべてというか、やりたくてやっているのですが……。ここからちょっと派生してというか、随分はずれているのですが、ポップカルチャーの研究会というのをやることになったんです。これはスタンフォード日本センターに絡んでいるということかもしれないんですけれども……。一人ひとりが表現を作っていくというときのバックボーンというか、文化的な土壌というか、そういうのをちょっと考えてみませんかという研究会を始めることになりました。よく90年代を失われた10年と呼んだりしますけれど、どうもそれに違和感があります。ちょっと上の世代のアメリカ人に日本ってどういうイメージだと聞くと、ゲイシャとかハラキリとかカミカゼとか、戦争イメージですね。僕らの世代になってくると、トヨタとかホンダとかソニーというイメージになって、競争ですかね。でも、子どもたちに聞くと、全然イメージが違う。アメリカ人の子どもたち、ヨーロッパ人もそうですけれども、「日本って知っているか」と聞くと、まずポケモンが出てきて、セーラームーンが出てきて、ドラゴンボールZが出てきて、スーパーマリオが出てきて、アイボが出てきて、日本というのは戦争でも競争でもなくて格好いい、「cool country」だと言うんです。多分、100年経って90年代は何だったかというと、失われた10年ではないんじゃないか。日本が初めて格好いいと世界に思われ始めた10年、そのほうが多分、本質的な動きなのではないか。ではそういう日本の強みというか、いわゆるマンガとかゲームとかいっているような、そういう表現文化って何だと。いろいろ調べようとしたのですけれど、ちゃんと全部を見て研究しているというのはない。ということで、1回ちょっと集まってみないかと。いまこれをぼちぼち10月から本格化しようと思っているんですけれども、結局オタクに集まってもらってやり合ってもらわないとわからない世界だということがだんだんわかってきて、webの上で人を集めてやろうかと……。

山内  なるほど(笑)。

中村  マンガとかアニメとかゲームとか、そこに特化するつもりは全然なくて、というかそれはもう終わった世界で、興味があるのはこれからのコンテンツ、たとえばみんなが表現し始めるときのwebとか、携帯とか、これからのデジタル表現というのは、これまでの経済、文化、社会の歴史みたいのを土壌にして日本はどう出てくるのか、どこに強みがあるのかとか、いまコンテンツの分野はハリウッドにやられていると言いますけれど、みんながブロードバンドになったときに、まだハリウッドなのか。どこが強いのだろうか。日本のそういう表現が強いのか、人数の多い中国が強いのか、どうなんだろう、みたいなことをやりたい。

 とりあえず、しばらくそれをやってみて、そこから、じゃあ、いま子どもたちはどういう活動をしたらいいんだろうかとか、そういうふうにつながればいいなと思っているんですけれど……。来年度になると国際研究をやりたいと思っているんです。スタンフォードの人たちとも話をしているんですが、こういう研究をやりたいとスタンフォードに持っていくと、すぐ、じゃあ日本研究をしている人たちに出てきてもらってとなるけれど、それはやめて欲しい。日本研究だったら日本のオタクのほうが結局強いから、アメリカのことをよく研究している人、たとえばハリウッドの専門家とかジャズの専門家とかに出てきてもらって、アメリカはこうだ、日本はこうだと、ちょっと戦わないか、ののしりあいをしたい。フランスならフランスでガチガチの芸術主義者に出てきてもらって、ちょっと「そんなんポップちゃうわ」というか、そういうのをやりたいと思っているんです。

不思議なコミュニケーションの能力

中村  コンテンツに限らず、日本にはおもしろいポップなコミュニケーションや表現の形態がありますよね。携帯でパパッとメールを打ってコミュニケーションをとっているような、あれって、これまでの速度からすると何か変なコミュニケーションのあり方だとは思うのですが、ひょっとするとこれからのインターナショナルな、とても大事な能力かもしれない。そんなことやっているのは、とりあえずいまのところ日本の彼ら彼女たちだけだから。それをどう生かせばいいのか。生かし方がわからない。変なやつらと思うのですが……。デートをして、電車がなくなったらマンガ喫茶店とかに行って、静かに二人別々のマンガを読んで、しかも携帯でメール打ちながら二人でしゃべっているみたいな、変なコミュニケーション、それをどう生かせるものか、ちょっと考えているんです。それで、子どもたちに何かやらせようというのとか、ポップカルチャーのどこかにそんな秘訣があるのじゃないかとやっています。

山内  それは経済活動として、そういう能力が生きるのですか? つまり、産業化の現在の局面としての情報産業化で生きる能力なのでしょうか、それとも彼らはポスト産業化という段階に入っているのでしょうか?

中村  どのへんかというとよくわからないのですが、メディアの世界が変わっていって、みんなが映像で表現ができるようなツールを手に街をぶらつくようになるころの、これからの新しいコミュニケーション、新しい表現は多分その世代、日本の彼らが引っ張っていくんじゃないかなと。それが世界的にどのくらい広まっていくかというのは、1世代、2世代はかかると思うんですけれど。そういうパソコンのインターネット型の、文字の、というのとはちょっと違う、もっと他の表現の仕方とかコミュニケーションのあり方とかがあるような気がします。

山内  そのような社会の在り方は、もうある程度見えているのでしょうか?

中村  私はある程度見えてきているかなと。

山内  それをもう少しお話しください。

中村  具体的な例ですが、粘土でアニメーションを作る。もともとはワシントンD.C.の子ども博物館でやった活動で、なかなか楽しくてかわいい、いい作品をアメリカの子どもたちが作る。それで、日本にも持ち込んでCAMPでやってもらったんです。15人集まって、3日かけてアニメを作ったのですが、まずストーリーを決めなさいと。「できました」と、15人の子どもたちが持ってきた。それが何かと言えば、「オカマのどろぼうが女装をしていて、プールに落ちて変装がばれてつかまる話」。「おまえたちが作った作品を世界に見せるんだから、それでいいのか」と言ったら、「いい」と言うんです。

山内  いくつぐらいの子どもたちですか?

中村  小学生と中学生です。それを3チームに分けて、ストーリーを書きなさいと言ったら、ストーリーをパパッと書いちゃう。今度は、それをコマ割りにして、絵コンテを描けと言ったら、ササッとたちどころに描いちゃうわけです。4コマとか8コマとか、こういう場面で、こう展開して、人物がこう入って、ここはアップでバーンというシーンだとか。すごいなって。初めてやっても、多分よその国でやる子どもたちに比べてめちゃめちゃうまい、日々見たり描いたりしているから。それで、粘土をこねて、キャラを作って、作品を作って……とやったんですけれども、結構そういう土壌はあって、表現力はある。だけど、これまでちゃんとした表現手段を持ってなかったし、そういう手法で考えてもこなかった。やりだしたら、いろいろ生むだろうなという感じがします。多分それをもう少しやってみたら、上手下手の問題ではなくて、各国の子どもたちが違うということが際立ってくると思うんです。それでいいんじゃないかという気もします。

山内  それは、うまくストーリーどおりのアニメになりましたか?

中村  いや、なかなか。3日べったりかけて1分の作品が出来上がるんです。そううまくはいかなかったが、結構面白い。

山内  ちゃんとプールに落ちましたか?

中村  落ちてた。入れ歯とか、かつらがプールに浮かんでくる。そんなところばかり凝るんです(笑)。

山内  そういうことが好きな子どもが、たまたまその中に一人いた、というわけではないのですか。

中村  みんな、そういうことが好きでしたね。

山内  それは、関西にある小学校から任意に選んだ子どもたちですか?

中村  webで募集するのですが、すぐに集まりました。たまたまCAMPが置かれている地域がけいはんな学研都市で、あそこにはいろいろな企業の研究所などがあって、親御さんがすごく熱心なわけですね。その点で、人集めにはあまり苦労しません。

山内  情報化のいっそう進んだ社会について、どのようなイメージをお持ちなのか、もう少しおうかがいしたいのですが、たとえばインタフェースはどうなるのでしょうか。今のようなキーボードとかパッドみたいなものですか。それともバイオ技術と融合して、大脳と直接接続する、などという方向に進むのでしょうか。

中村  インタフェースは千差万別でしょうね。いまみたいな形の四角四面のコンピュータもかなり残るとは思いますが、現にいまコンピュータは形を変えている。それこそ私がやっているメディアラボの基本的テーマですけれど、ウェアラブル・コンピュータという方向で、もっとバラバラにして身に付けましょうと。それには、コンピュータの進化の方向を一から変えなくてはいけない。

 モバイルとウェアラブルの違いというのは、モバイルは使いたいときにネットにアクセスする、いつでもつなぐことができる。ウェアラブルは、ゴーグルというか眼鏡を通して、バーチャル空間もリアル空間もずっと見ているという世界ですから、いつでもつながるではなくて、いつもつながっている。常時24時間、寝ているときも起きているときも、ネット空間とアクセスしているという状態です。そうすると、ずっといつもつながっていてくれるバーチャル――それはコンピュータでもあり、ネットワークの世界でもあるんですけれども――それにかなり自分のことを知ってもらわなければならない。自分自身のデータベースもどこかになければいけないし、次こういう活動に出るぞというときに、いまこう思っているというのを理解してもらわなくてはいけないので、人工知能というか、知識をどこまで組み込むかというのが勝負です。そこがずっとうまくいかなくて、インタフェースのところだけはずっと改良が進んでいて、大変メディアラボも苦労しているんですけれど……。ただ、インタフェースというかコンピュータ自身の形は産業レベルでいま大変進んでいて、多分いま一番進んでいるのは日本でしょう。ロボットペットとかああいう世界で、「アイボ」は高級品ですが、セガトイズの出した「プーチ」にしてもちゃんとしたコンピュータのチップを積んでいて、タイガー社の「ファービー」もただ単にちょっとおしゃべりをするぬいぐるみですけれども、それでも積んでいるチップの性能は月面着陸したアポロが積んでいた全コンピュータより高性能なものですから、もうコンピュータが生き物の形をとって、人間と一緒に生きる、フレンドリーになって形を変えて出てきたということだと思うんですね。そういうふうにすべてのものが、服であろうとロボットであろうとペットであろうと、机であろうと車であろうと、全部デジタル化されて全部が常時つながっている状態になるでしょうから、そういうデジタルなものと人とのつき合い方がかなり変わるでしょうね。

山内  アメリカ人は、そういうときに人間の体に改造を加えることに反感がありますか? 臓器移植については、日本よりも進んでいるという印象があります。たとえば視覚障害者のために、視覚野に電極を埋め込んでCCD(Charge Coupled Device)と結びつけてしまう、といった実験もありましたが‥‥。

中村  あの国は便利で機能的で合理的であればやってしまうというところがありますから、それはあるかもしれないですね。だから、便利、機能主義というか近代テーゼで生んだコンピュータみたいなものがその線でずっと行くとすれば、そういうことは十分に考えられるとは思うのですが、日本はちょっと違うのかもしれない。そういう、スピードが速くて太くて便利で、というだけの価値観ではないところが、特に今の若い人たちにはある。それよりもかわいいとか格好いいとか、そっちをいま大事にしてきている。面白いから使うとか、便利だから使うのではないような、そうでないと説明がつかない変な使い方をしているのが結構あります。

山内  たとえば?

中村  携帯で彼らがやっている、不思議なコミュニケーションのあり方なんていうのは、便利だからやっているわけでもないし、それから携帯にジャラジャラいろいろなものをいっぱいくっつけているんですが……。便利で合理的だとか、面白いとかいうのではなくて、何か違う。コミュニケーションをするようなコンピュータロボットが日本ですごく流行るというのもそうだと思うのですが、そういうのとコミュニケーションとりたいとか、かわいいとか、ムダなものと言うか。コンピュータが形を変えてもっと人間のほうに近寄ろうという、そんな姿は日本のほうが早いのかもしれないですね。

メディアラボ・モデルとプラットフォーム・モデル

山内  MITのウェアラブル・コンピュータの話をしていただいて、私はインタフェースの面から特徴づけようとしましたが、中村先生は人間とコラボレーションを行うためのインテリジェンスの部分が重要だとおっしゃっています。それでは、MITでは何が面白かったのか、メディアラボのご経験の中で、これが一番発展しそうだ、といったお話を少しお願いできますか?

中村  メディアラボでいうと、そういうテクノロジーとか技術開発の方向とかで、実は「すごい」ってそんなに思わなかったんです。勉強になるなというか、これは持ち込んだらいいなと思ったのは、やはり産学連携のあり方ですね。メディアラボはMITの中でもちょっと特殊で、完全にラボとして自立しているんです。

山内  それはやはりニコラス・ネグロポンテ所長の個性?

中村  うん。集金能力、ビジネスモデルの立て方です。メディアラボの話をすると、30人の教授グループがあって、1教授あたり6人くらいの弟子をとっています。弟子は、graduateの学生たちで修士、博士課程です。小企業が30くらい集まって一つのラボになっているという感じです。学生は全部学費タダで、逆に月給20万円くらいをもらえる。そういうお金は、教授のお金も学生のそういうのも全部、年間スポンサー料で賄う。スポンサーが全部で150社くらいあって、1社あたりだいたい年間2,000万円くらいずつを出しています。150社の半分がアメリカの企業で、残り50%の半分がヨーロッパで、半分がアジアです。最初は日本企業も非常に多かったのですが、だんだん減ってきました。

 だいたいそれで成り立ってきているのですが、スポンサーにとってのメリットは、一つは知的財産です。スポンサー期間にできた知的財産というのは、その後ずっとタダで使えます。知的財産プールに、みんなでどんぶりでお金を出しているという感じです。それがベネフィットだということでお金を集めているのですが、多分そこにそんなに魅力を感じているスポンサーはいないんです。第二のメリットは、その教授や学生たちをガンガン使いこなせる、使い回せるというんですか。使うのが上手な企業は、使うんです。アメリカの企業のインテル、モトローラ、IBM、そういったところは、自分たちの研究テーマでうまくいかないなというのを持ち込んで、ぶつけてブレーンストーミングしたりして、これはと思った学生を連れて帰って、ガンガン頭の中を使って出して、出たら、ハイさよならって、使うんですよ。日本企業はそこに遠慮があってかうまく使えていないんじゃないか。それが第二のメリットです。第三の、私が最大のメリットだと思うのが、その企業のコミュニティ、150社のコミュニティをうまく作り上げたというところで、資産というか、MITメディアラボの競争力です。15年経ってもまだうまくいっているのはそこにあって、年に2回、春と秋に大きな会議をやって、スポンサー代表が集まるんです。そこで何か生まれる。スポンサー同士で何か。

山内  異業種交流みたいなものですか?

中村  はい、そうです。同業種交流でもあるし、異業種交流でもある。デジタルに関心のある主だったところがだいたい集まってくるじゃないですか。同業の、たとえば研究所のヘッドが集まる機会ってそんなにないでしょうが、そこだったら集まって普通に話をするわけです。ごはんを食べながら、パーティしながら。そこで、これまで口ではああ言っていたけれど、本当は彼らここに関心があったんだというようなことが見えてきたりするし、あるいは全然違う業種でこことあそこをくっつけて、こういうビジネスをというようなことが生まれたりする。私が直接かかわった例でいうと、セガの代表が「ネットワークでのゲームを考えたい。世界各国のゲーマーをつないでゲームをやらせるのをどうしたらいいか。いい知恵はないか」ということを、パーティの時に言ったんです。そうしたらネグロポンテが、「あっちのスウォッチを呼んでこよう」と。スウォッチはスウォッチで、世界で共通の時刻設定みたいのをやろうとしていて、ネットの上でそれぞれの国で時刻が違っていても不便でしようがないので、ネットの上でパッと共通の時刻設定をして……。

山内  どこかにタイムサーバを置いて、そこで同期しようという……。

中村  そうです。そういうことをやろうとしていて、「じゃあ、そういうのを組み込んでゲームを展開したらこうなる」とか、逆にセガがスウォッチに対して「こういうのをスウォッチの時計の中に組み込んで、その時計をどこかにかざしたら、こういうふうに動くというのをやってみたらどうか」とか、話がそこでまとまって、すぐ記者会見。そこでMITは前面に出ない。セガとスウォッチで記者会見をして、両社の株がポンと上がって、そのへんのメリットです。それでスポンサーとしては十分、元が取れている。そんなやり方があって、そういう場をどうやって作るかが非常に大事になってくる。

山内  なるほどね。スタンフォード日本センターの今井賢一先生は、第三者間の結びつきを作り出す場を提供するビジネスとして、「プラットフォーム・ビジネス」を提唱されました。インターネットというのは、グループ形成という点からプラットフォーム・ビジネスに適していて、中村先生が最初におっしゃったように、インターネットは、実はスーパー・ハイウェイではなくてパブリック・プレースだった。それをバーチャルにやっているのがネグロポンテ所長だ、ということになりますか?

中村  そうです。そのコミュニティのメンテというのが、とても大変で、かなりエネルギーを注いでいて……。

山内  それはシリコンバレー・モデルとも重なりますね。つまりシリコンバレーという自動車で1時間の範囲があって、そこにエンジェルがいて、技術者と起業家を結びつけていく、というのが青木昌彦先生のお話でしたが。

中村  そうですね、リージョンとしてつくった。それが成功したのがシリコンバレーだと思いますね。メディアラボのやってきたのも一つの例だと思いますし、いろいろなタイプのそういう場ができてくると思いますが、それがインターネットを通じてアクセラレートされるのか。そうでなければ、もうこれからは成り立たないでしょうね。そういうのをやっていくうえで、日本はとてもいいポジションにいるだろうと思います。

山内  日本がいいポジションにあるとすれば、どのような点からでしょうか?

中村  たとえば、じゃあ世界の子どもたちをどうこうしましょう、つないでいきましょうよということをアメリカから発信しても、あまり説得力がなかったりするんですね。いまそれを中東に言ってみても……。しようがないですよね、アメリカが自分のやっていることを振り返ってみれば。

山内  「次は爆弾か」ってものですね。

中村  だからそういう意味で、日本から発信したほうが、グローバルに巻き込んでいくときやりやすい面があっていいんじゃないかと思って見ているのですが。

山内  いまのお話のメディアラボ・モデルは、京都の日本センターでも実践されますか?

中村  うーん、メディアラボのモデルというのは結局、お金をどんと集めてというのがついてきますから、そういうことをやってラボ型にやっていこうという感じはいまのところないです。

山内  スタンフォードというのは、お金は集めてこなくていいんですか?

中村  集めてくる必要はあるのですが、それ以上に何ていうか、プレーヤがちゃんと外にたくさんいて、それをつなぐというのをやっていきたいと考えています。それをこっちへ集めて抱え込んで、そこの場でどうのという感じではないです。

進化しはじめた教育の手法

山内  スタンフォード日本センターの今後の研究領域をどのようにお考えですか?

中村  いまはアントレプレナーシップの研究をスタンフォード大学とかアジア諸国と共同して始めていて、これがメインですから、しばらくやっていきます。その後、ポップカルチャーの研究もそうですし、子どもの活動もそうですし、遠隔教育のようなもの、スタンフォード大学の資産みたいなものをどう使うかということで、向こうのものをこっちに紹介するというのもあります。そういうのを1個1個組み立てていくのですが、バックボーンとしてのスタンフォード大学というものがありますから、あそこはやっていることが広いので、それを少しずつ日本とつなげていくというのが私の役割ではあるんです。ただし、これまでやっていたのが今井賢一さんと元通産省の安延申さんで、新理事長が情報通信審議会委員をやっている林敏彦さん、それに私もIT系なので、結構デジタルとかITとかが中心になっていくと思います。そういうことに関心のある、GLOCOMも含めていろいろなところと一緒に何ができるかをこれから考えていこうとしているところです。

山内  「総合的な学習」が始まって、そこでは授業のテーマが設定できるようになりましたが、今度は教員の方々が、生徒の自主的な学習の意欲に応えなくてはならない。これまでの教室というのは、極端に言えば、各教科の指導要領に従って、教壇からそれを一方向的に教える閉じた空間であったわけです。よく言われることですが、これを開かれた教室というものにしなければならないだろう。「開かれた」という意味の一つは、外の学習資源と教室の活動をどうやって結びつけるのかということになります。これは教室という一種の緩やかな組織と、地域や学習産業、NPOや自治体といった外部の組織の協働作業(コラボレーション)を作り出さなければならない、ということです。野中郁次郎先生の言葉を借りると、知識というのは組織的なダイアローグの中で創造されていくわけで、この場合もコラボレーションというのは、一種の知識創造(knowledge creation)であろうということになります。少なくとも生徒の一人ひとりにとってはそうであろう。ですからオープン・クラスルームというのは、実は「knowledge creating classroom」でなくてはいけない。問題は外部の学習資源と教室を、どのようにして生産的に結びつけるのかということです。そこで国立科学博物館や宇宙開発事業団などの専門家にうかがってみると、彼らは独自の学習用のカリキュラムを持っていて、小学校や中学校で使って欲しいという。ところが、こういった供給側の思惑がうまく学校の先生のところまで届いていない。

中村  そうですか。

山内  たとえば、県の教育委員会に案内が行くと、それが市に行って、市から学校に通達が下りて校長のところに行って、さらに先生方に「こういうのがあるよ」となるのだけれども、その中で、「今回はこの学校を」などといった、自ずからなる選択というのが入るらしいのですね。まぁ、学校の先生方は大変お忙しいですから、逆にこういったガードも大事だと思いますが‥‥。私たちは日米の共同学習の取り組みを3年ほど続けてきて、地域や課題ごとに、学校の活動と連携する情報や知識のネットワークが必要だと感じるようになりました。そこで情報プラットフォーム活動、つまり第三者間の結びつきを作り出す場を提供する活動を、学習資源を持つ外部の組織と教室の間に設置できないか、と考えています。こういった協働学習のための情報プラットフォームを作れば、必要に応じて先生方がやってきて、たとえば理科で環境学習をやりたい、あるいは、その環境学習の教材を使ってこういう成果があった、というようなことについて、専門家や仲間と情報を交換したり、知識を共有化したりできるかもしれない。このような仕組みとして一種の社会的なグループウェアがうまく使えるのではないか。実際のシステムとして立ち上げるのは、かなり大変ですが。

中村  大変でしょうね。私たちのこの活動も、学校の熱心な先生方が入ってきてやろうとしているんですが、それをどう広げていったらいいか、まだ始めたばかりでよくわからないのですが、ちょっと大変だと思います。MITのメディアラボで学習とか教育とかをずっとやっているシーモア・パパートという教授がいるのですが、そのパパートに言われてアッと思ったのが、「学校の教育の仕方、学習活動の仕方はずっと何百年も変わっていない。たとえば同じ先生と呼ばれている人でもお医者さんだと、150年前の医者がいまの病院の現場に立ったら多分、何にもできないはずだ。環境も医療器具も、医療理論も全部変わっていて、何もできないだろう。が、150年前の教師を呼んできて教室に立たせたら、全然苦労せずにすぐ授業できるだろう。教育のメソッド、テクノロジーとか、何にも変わっていない。世の中こんなに変わっているのにおかしいじゃないか。そこをどう改革するかをずっとやっているんだよね」。それはわかったのですが、みんな手法をどうしたらいいか、まだよくわからない。大変なところだと思います。ただ、それを変えられる一番強いツールがデジタル技術だとは思うのですが、まだ出てきたばかりで、こなせていないということだと思います。

模索が続く「デジタルの次」

山内  パパート教授はロゴ言語を作った人でしたね。まだ、メディアラボでがんばっておられるのですか?

中村  はい。子どもにこういうロボットを作らせましょう、自分でプログラミングもする小さいロボットを作りましょうとかいうのは彼のグループです。

山内  どういう組織や企業が支援しているのでしょうか。

中村  その支援は、特定の企業が付いてというのではないです。それが150社集まったプールの中でやっている感じです。そのなかでもレゴは結構いろいろやらせてもらいましたということで、どんとお金を出したりしていますけれども。それを評価して入ってきたのがレゴであり、日本のおもちゃ会社たちであり、それからCSK/セガの大川功さんですね。そういう活動をもっとちゃんとやりましょうという柱が1本立って、センターをつくろうとなっているんです。だからメディアラボもずっと成功してきたんですけれども、いま、次をどうもっていっていいのか見えにくくなっている。みんな答を持っていないと思います。できたのが1985年で、当時はずっと「世の中がデジタルになる」と言っていた。「世の中の活動が全部デジタルでバーチャルに置き換わってくる」とネグロポンテが盛んに言っていて、それは90年代にインターネットで実現した。世の中で行われている商業活動にしろ、医療にしろ、教育にしろ、行政にしろバーチャルにできるようになるよと。そのあとネグロポンテが言いだしたのは何かというと、今度はバーチャルがリアルに戻ってくる番だと。それがユビキタスであり、ウェアラブルであり、バーチャル空間で行われていることがリアルの世界でも全部コンピュータを埋め込んでいって、もう一回、引き戻してコンピュータなんかなくしちまえというテーゼですね。もう、それは見えたと。技術的にはできる、作っていけばできる世界だと。じゃあ次どうするのかというのが、いま突きつけられている課題で、それは見えない。

山内  有名な「ネグロポンテ・スイッチ」の予言のように、放送が光ファイバになり、電話が無線になる。それも実現されたわけですね。

中村  それはもう実現する。もう方向は見えた。研究のテーマとか方向性ということでは、もう終わっているわけですよね。それで、いま多分どこの研究所でもデジタルの次はどこへ行って何がテーマか、よくわからない状態に入っていて、だからメディアラボも拡散をしているわけです。技術系の人たちは「ナノテクだ、バイオだ」と言っているし、ある人たちは「エクスプレッションだ、アートだ」と言って、音楽とか絵とか右脳を使う世界に行っているし、ある人たちはこういう子どもだとか、デジタルデバイドだとか、途上国をどうするんだとか、要するにアプリケーション、デジタルをどう使うのかという、そっちのほうの研究にまわっていっている。すごく拡散していて、面白いといえば面白いんですけれども、次に何かそこからテーマとかテーゼとか、世界へのメッセージが出てくるかというと、まだちょっと時間がかかるかもしれない。

山内  たとえば30個の小企業である研究室が、さらに10個ずつに分かれていくような感じですか。

中村  そうです。多分しばらくそういうふうになるんじゃないですか。

山内  ネグロポンテ教授というカリスマが、次のテーゼを打ち出さないとすれば、そうやって試行錯誤する以外ないですね。

中村  ですね。ひょっとしてデジタルってそういうものかもしれないなというのが浸透して、「これからはこういう時代だ」という感じではなくて、もう当たり前に溶けちゃっていて、ステージが変わったと言うか、そういう時代に入ってきた証拠かもしれないですね。

場の形成・共有から教育制度の変革へ

山内  GLOCOMも1993年ごろは「次はインターネットだ」って言っていればよかったのですが、そういった牧歌的な時代は過ぎました(笑)。

中村  また、元のスキームに戻るっていうか。インターネットって当時、縦の一つのテーマだったのが、全部溶けるとまた元の縦、法律だとか経済だとか、教育だとか文化だとか。

山内  それぞれが、課題になってくるわけですね。

中村  結局インフラなので、そうではないかという気がします。私は早くそうなれと、ずっと待っていたんです。インターネットで縦になっているのは何か変だと。郵政省にいたころに一番違和感あったのは、情報通信産業が大きくなって、リーディング・インダストリーになっていって素晴らしいという、あの論調です。「何で?」と。通信産業が10兆円になりました、20兆円になりましたと喜んでいる人がいるけれど、500兆円になったらいいことなのかと。逆じゃないかなと思うんです。0兆円になって、CANのネットワークのように自分たちでインフラを作れて、産業なんてなくなって、みんなが自由にフリーに使えるようになるのが通信政策の目標とすべきことであって、通信産業がGNPの90%を占めるようになりましたといったら、困ったことだろうと。

山内  なんか変ですよね。

中村  だんだんそういうふうになってきて、やっと変わっていく。

山内  逆に言うと、これからはその社会的インフラの上での行政が大事になっていくわけですね。

中村  そうです。だから、これまで通信行政とか言っていたのが、縦軸の領域として立っているのは本当は不健全な姿で、それが全部の分野に入っていって、それを使ってどう教育やるのか、どう医療するのか、どう行政するのか、それぞれのユーザー官庁のほうの仕事になっていく。そうすると、旧郵政省とか旧通産省の情報通信を担当していたところというのではなくて、経産省でも産業の情報化の人たち、総務省でも行政情報をどうするんだとか、ユーザーとしての旧総務庁とか旧自治省の系統のIT行政とか、そっちのほうに多分シフトしていく。そうするとユーザーでばらばらになってしまうから、共通で何をしたらいいのかを、もう一つ上の官邸とかのほうでちゃんと仕切らないといけないというのが出てくる。

山内  それは官邸ですか?

中村  官邸か、どこか別のところかもしれないけれど、全体をじゃあどうするかというのを見るという……。

山内  この対談シリーズは、ネティズンの政治参加ということですが、市民(シティズン)は、産業社会の中で経済的な力をつけて、やがて市民革命の主体になって新しい国民国家の担い手になった。この類比が正しいとすれば、産業社会の次の段階においても、情報産業化の過程で、今、新しい経済的な領域を開拓している社会集団がどこかで連携して、自分たちの政治的な発言力を増していくことになるだろう。そうでなければ、いつまでたってもインカンベント(既存)産業の発言力だけが政治過程に反映されることになる。霞が関というところは、インカンベントとの間に非常に強いネットワークを持っていて、それが政・官・産のトライアングルの実体である。ここのところにどうやって新しい利害関係を入れていくのか、それが実はネティズンの政治参加なのではないか、そういう気がするのです。

中村  結局、それぞれの官庁をどういうふうにコントロールしていくかというのがテーマで、それは政治そのものです。だから、みんなで行政問題だとか官庁がどうだこうだと言っていることの多くは、大事なことは政治問題で、政治家の役割だろうと。それが、いま行政官が多くを担っているところがおかしくて、それを直そうと、みんなが要求している相手が行政官だからおかしいのかもしれない。それは政治が意思決定して変えていくべきものなので、僕はそういう意味での政治機能の強化というのが日本の政治行政システムの一番大事な課題になっていると思う。だから、その政治家は誰でどういう意思決定してというのを選んでいるのは有権者なので、そこの意識の問題に全部帰着すると思う。おっしゃるとおりだと思います。

 ちょっと話題を変えて、通信でも独立行政委員会とか、独立行政機関を作るべきだ、そうでないとうまくいかないというような議論がありますが、あれはそういう意味でいうと逆だろうと思う。そうではない。そんなのが独立されたら困る。むしろ、政治のコントロール下にどう置くかが課題だと僕は思う。総務省の彼らがけしからんというのであれば、そのけしからん人たちが独立して勝手にするという話は一番困った結果なのであって、そうでなくて、それをどうコントロールするかが大事で、それをコントロールする政治機能をどう作るのかが大事だろうと思う。みんなが問題だというのなら、みんなでそういうふうな行動をするしかないじゃないか。そういう意味でいうと、行政のあり方とか、それを政治的に市民がどうコントロールしていくのかとか、どういうふうに意思を反映させていくのかという面でいうと、なにか逆の方向に議論が流れていることが多いと思います。

山内  今後は、大学も含めて、日本の教育制度についても大きな変化が起こるのではないかと思いますが、このような改革の流れに今後参加していくようにお考えですか?

中村  まだそこまでの道筋は私たち全然見えていないのですが、何かそういうふうに変えていかなければいけないとか、こういうものを取り込んでいかなければいけないとか、自分たちでやらなければいけないという熱が起こっているなというのは感じるんです。京都で子どものセンターを作ったときは、あまりそういう意識はなかったんですね。作ってみて面白いからちょっと取り込んでやってみようかとしたら、いろいろなところから問い合わせがあって、うちでもそういうのをやりたかったんだとか、やりたいと思っているんだけれども、どうしたらいいのかわからないから教えてくれとかいうのがたくさんあって、結構みんなが、そういうことをそれぞれの現場で考えているんだなということが、ようやくわかったところです。だから、じゃあNPO的にみんなでやってみませんかということでやり始めているところで、それが本当に日本のシステムとして組み込まれていくかとか、制度を変えるようなところまでいくのかというのはまだ見えない。面白いかなとは思っています。

山内  NPOをお作りになって、おそらく最初にいろいろな方々の意見を一度集めてみて、方向性を見るべきなのでしょうね。

中村  そうです。ですから、まず調査、声を集めること。来年度くらいに、何か新しいワークショップをもう一つやってみて、みんなでパッケージとして使えるようなものを作っていくのをやってみましょうかと。e-Japanがあと4年というのもあって、4年くらいで時限措置として目標が達成できるようにしたいと思っているんです。それくらいまで、みんなで底上げできるようなことをやってみて、あとはそれぞれ現場で自分たちでつながっていくだろうと。間にそういう組織が絡まなくても、やれるようにしないと、ちゃんとしたものにならないという感じがしているんです。

山内  いろいろな動きを、コンファレンスやワークショップで特徴付けるということですね。

中村  そうです。

山内  それは楽しみです。中村先生であれば、いろいろと面白い試みが集まってくるでしょう。そのなかでネグロポンテ教授のところのように、いろいろな結びつきも生まれるのではないでしょうか。

中村  そうですね。結びつきは生まれてくると思う。そういうことをやっている先生方が非常に熱心なので、そういう人たちの熱がちゃんと共有されれば動いていくかなと期待はしています。

山内  それが最初におっしゃった場の形成ということですね。今日は、どうもありがとうございました。

(2002年9月25日GLOCOMにて収録)