心理社会学へ向けて

石橋啓一郎
(GLOCOM研究員)

 ハリ・セルダン博士の創始になる心理歴史学(psychohistory)という学問がある。この学問は、「一定の社会的、経済的刺激に対する人間集団の反応を扱う」ものである。この学問では、人間の反応はモデル化され、刺激に対して一定のルールで反応するものであり、その反応は関数によってあらかじめ確率論的に計算できる。無論、ある一人の人間がどう反応するかを正確に予測するのは難しいが、対象の数が何億、何兆、何京と大きくなるにつれて、集団としての動きは統計的に予測可能になる。これは、空気の分子ひとつひとつの動作は不確定性原理により予測不能だが、それが集まって気体となれば熱力学やその他の理論によって振る舞いを予測可能であることと相似形をなしている。心理歴史学では、実際に歴史の行く末を確率論的にではあるが計算することもできる。

 このような学問があれば、社会の問題の多くは解決するだろうと思えるが、残念ながら実際にこの学問が実用段階に入るまでには、1万年以上の時間がかかることになっている。しかも、この学問があってさえ、社会の問題を正すのは実は簡単ではない。(念のために記しておくと)もちろんこの学問は架空のもので、親愛なるアイザック・アシモフ博士によって50年ほど前に考え出され、名作SF小説『ファウンデーション』で紹介されたものだ。早川書店から『ファウンデーション』として、創元社から『銀河帝国興亡史』として出版されている。

 僕はアシモフに中学2年生の時に触れ、虜になった。今でも折に触れて読んでいる。心理歴史学は、学問のひとつの究極の姿を示している。人間社会の中にある構造の中で重要なものについてはすべてを解き明かし、それを客観的に分析し、関数化し、定量化し、その正しさを検証しなければ実現しないからだ。もちろん、社会構造の変化のルールについても織り込んであるだろう。

 僕は近年、地域情報化研究に取り組んでいるが、この延長上に心理歴史学があるのか、と思うことがある。IIJの浅羽登志也さんは、「ISPは最近ようやく黒子になった」とおっしゃっていたが、そのとおりで、インターネットはここ数年ですっかり社会基盤のひとつとして定着しており、情報化の問題は「ネットワークをどう普及させるか」ではなく、「ネットワークをどう社会で役立てるか」ということになってきている。言い換えれば、社会全体がかかわってくるということだ。産業の問題あり、人材の問題あり、社会の活力の問題あり、インフラ構築手法の問題ありと大変複雑な領域になってきている。心理歴史学同様、社会の構造の分析が必要で、正しい答えを出すためにはその全体の関係を見なければならない。

 数多くあるテーマの中でも、ひとつ考えてみたいと思っている領域に、技術がどう社会に浸透し、受け入れられ、社会を変えていくのかという問題がある。技術の普及論と言ってよいかもしれない。インターネット技術は汎用の技術であり、使い道は無限にある。現在のインターネットの主要な利用方法は、その一端に過ぎないと言ってもいいだろうと思う。直感としては、社会全体がインターネットの持つ潜在的な力を引き出して活用し始めたら、おそらく社会のあり方は根本的に変わるだろうと僕は考えている。しかし、まだその段階には至っていない。

 日本のインターネット人口は非常に多く、すでに半分以上の人が何らかの形では触れている。インターネットの商用サービスが始まってからわずかに7年ほどしか経っていないことを考えると、これは異常な早さだ。これに匹敵するものは携帯電話しかないが、携帯電話は既存の固定電話網と相互接続していることを考えると、新しいメディアが普及したというよりは、単に「場所」から解き放たれたに過ぎないとも考えられる。しかし、インターネットは利用法も新しく、一からの普及に近かったと考えてよい。ただし、現在の「利用率の増加」は決して真の普及ではない。現在の利用者が、インターネットが秘めている力を十分に使っているとはとても言えないからだ。

 そう書いておきながら、「インターネットの真の力」が何かということを定義するのは難しいことだ。双方向性だとか、発信できることだとか、グループ形成力だとか、状況によっていろんな特性が強調される。今までは自分の中に溜め込んでいる情報でしか勝負できなかったのが、インターネットを利用することで、必要なものを必要なだけ呼び出して使えるようになったことも大事だ(僕やその近辺の人たちの間では、この能力のことを「クリック力」と呼んでいる)。地域情報化研究会では、「自分たちでやれる・作れるという自律分散型の発想を人々に持たせる」という機能が大切だとも考えている。他にもあるだろう。ともあれ、現在使っていると言われているユーザーのうち、メールとWEBを読む機能以外のアプリケーションを使っている人はまだ少ないだろう。それは、本気で使い始めると、社会構造を変えてしまう力を持っていることの裏返しかもしれない。そして、それを地域全体でしっかり使えるようになることが、地域情報化のゴールだと考えていいだろう。

 今までの活動が少し便利になるようなツールは、簡単に普及する。しかし、根本的に何かを変えるようなものは、新しもの好き以外にはなかなか普及しない。人間は習慣や人間関係を簡単には変えられないからだ。このため、変化は少し便利になるところから一歩ずつ起こり、長い間かけて知らない間に大きな変貌を遂げていたりするものだ。社会的グループごとに浸透して、それが一定のルールで他のグループに伝染していくのかもしれない。その過程が分析できれば、どうすれば一刻も早い真の普及が達成できるかを解き明かせるかもしれない(実は「普及学」という既存の研究はあって、学びたいと思いつつ残念ながらまだほとんど手をつけることができていない。これに手をつけることが今年のテーマのひとつだ)。

 しかし、この「技術による変化を読む」というのは、実は僕の中では心理歴史学のイメージと密接にかかわっていたりするのです。やはり若いころから読み続けているアシモフに、研究の発想も大きな影響を受けていたりするのかもしれません。