第2回 【認知】「認知科学と天才プログラマー」 (渡邊氏×砂田氏) / 2008年05月11日

第2回 【認知】「認知科学と天才プログラマー」 (渡邊氏×砂田氏)
2007年12月17日@GLOCOM
発表者:
渡邊 克巳 (東大先端研准教授) 「他者の力: 意思決定と社会」
砂田 薫 (GLOCOM主任研究員) 「日本の天才プログラマーとイノベーション」
ファシリテーター:澤 昭裕 (東大先端研教授)

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渡邊 克巳 (わたなべ かつみ)
東京大学先端科学技術研究センター 認知科学分野 准教授

東京大学文学部心理学科卒業。 カリフォルニア工科大学(Caltech)計算科学-神経システム専攻博士課程修了[Ph.D]。認知科学(知覚、感覚間統合、発達、注意、眼球運動、社会的認知、意思決定)、神経科学(動機、報酬、大脳基底核、脳磁界、発達障害)が専門。学術論文、国際会議など発表多数。"Crossmodal attention in event perception"など、著書多数。2008年度 ヒューマンインタフェース学会研究会賞など、受賞多数。

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澤 昭裕
東大先端研教授 兼 GLOCOM主幹研究員

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砂田 薫
国際大学GLOCOM主任研究員

情報通信の政策史研究および政策提言が専門。『情報通信技術とグローバル経済社会』(財務省・財務総合政策研究所「グローバル化と我が国経済の構造変化に関する研究会」)など、発表多数。

2-1:「他者の力:意思決定と社会」

認知科学による潜在課程の解明

第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
(c)やまざきゆにこ2007

心理学科を出て、猿、大脳の研究をして、
そういったものを産業界で実用化できないかと考え、
二年前に先端研に移った。

ミクロなスケールでのインタラクションに興味がある。
マクロなものよりも、少人数なものの間に起きるもの、
言語とかではなく、身体的なものを研究したい。

トランス科学の逆、インヴァーストランス科学をやろうと。
潜在課程を解明し、顕在的なところに生かしたい。

2-2: 無意識な同調

人間の動きは、模倣行動、無意識な同調に支配されている。


第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
(c)やまざきゆにこ2007

生まれて数時間の赤ちゃんが、模倣行動をする。
模倣行動は基本的なレパートリー。
テニスのプレーヤーのやることであっても、ついまねしてしまう。
そのときの脳の働きは?
行動を起こすということと、行動をみるということは、すごく密接であるという、
ミラーニューロンシステムということが最近言われている。
猿には言語野に近いところに、そういうニューロンが存在している。
人間では確認できていないが、きっとあるだろうと言われている。
他者をみての学習、さらには共感につながるもの。
現実に、共感しているときの脳の動きを見ることができるわけではない。

行動の速度も感染する。
マトリクス、仮面ライダー、そういったものを真似をする。
できないにもかかわらず、それを真似してしまう。
実際の行動に、見たものが影響しているのではないだろうか。

このことを証明するものとして、
バイオロジカル モーション(biological motion)というものがある。
点でできた人の動き、それを見た人が真似するかどうかの実験。
結果、半分の速度を見ていると、ボタンを押すのが遅くなる。
人の形の動きに見える点だけが、その効果を生む。
その効果は、1秒くらいしか効かない。
速くしようと思ってやっているわけではないからである。

つまり、素早い動きを見ることが、身体に影響を及ぼしてしまう。
単純なボタン押しの操作すら、見たものに影響を受けている。
つまり、心理的限界がミクロなところに効いている。

速いボールが動いたから、自分が速くなるわけではない。
人の動きだけが、感染する。
自分の身体に対応できないと、真似しようがないからだろう。

2-3: こっくりさん実験と情動操作

人は無意識に同期している。同期することで、自分自身の意識も影響を受ける。

第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
(c)やまざきゆにこ2007

こっくりさん実験は、元々はイギリスのターンテーブルから来ていて、
マイケルファラデーなども研究している。
言語などのレベルだけではなく、振動レベルで、
人と人が合う、合わないがある。

指と指を近づけたとき、動きはシンクロしたりしないが、
速度の絶対値が一致することがわかった。
他人が存在することで、速度・加速度の絶対値が似てくる。

こっくりさん実験でもっとも興味深いことは、
自然に動いてしまったという経験。自分が動かしたのか、
他人が動かしたのかわからないということが、オカルト的に感じる。

動きに追従したかどうかで、二人の同期度を調べようとしている。

仮説だが、社会性の基盤は、低次の潜在的感覚的レベルにある。
顕在的な目に見える動作は、そのようなベースの上に存在しているのでは。

もともと合っている人がいるという仮説もある。
合う、合わないも、波みたいなものがあるかもしれない。
そもそも一緒に歩けない人がいる、ということ。
こういった他人に合わせること、それが学習できるかどうかも、
座っているだけで人に好かれるということもあるのでは。
それは顔が好きとかではなく、もっと基本的なところにあるのでは。

とにかくタスクは、「自分の指を動かすな」ということだけ。
相手の目を見る人はいない。相手の指を見ることが多い。

ここで言いたいことは、
模倣行動というよりは、ただ存在するだけで、
真似しようという意識もなく、無意識的に同期してしまうこと。

運動系、知覚系に問題があって、真似することができない、
そういうことが障害としてあるだろう。

赤ちゃんに真似されると親もうれしい。
共感があるから同期があるというよりは、
同期しているから共感しているという考え。

もう一つ、注目して欲しい実験が、
「声の変調による情動操作」である。

人はなぜ泣くのか。
キャノンバード説。悲しいから泣く。
ジェームズ・ランゲ説。泣いたから、悲しいと思う。
7割方、こちらが勝ちと言われている。

しゃべった声を自分にフィードバックする実験。
自分の声を、ちょっと悲しい声にして、耳に戻す。リアルタイムに。
自分がしゃべった声を骨伝導で聞こえないようにし、
7分間かけて、ゆっくりゆっくり変えてやる。気がつく人はいない。
オンラインで変えないといけないので、しゃべった声を悲しい声にする
フィルターを瞬時に通さなければならない。技術的にはたいへん。

だんだん声を震えさせると、自分が悲しい気持ちになる。
でも、なぜ悲しいのかわからない。
さらに、文章が「怖い話だ」と無意識的に思ってしまう。
つまり自分の感情は中から沸き起こるわけではない。ジェームズ・ランゲ説の傍証。

人は、自分の声が悲しくなっていくと、
悲しくない声を出そうとする。
そういう傾向が見つかる。

経験すると、いやなもの。
悲しい声と、怖がった声は作れるが、
楽しい声は人によってすごく違って、
簡単に変調することはできない。

楽しみの表現は人によってさまざま。
苦しいものは、ものすごい具体的にできる。
楽しいことは、とても曖昧。
地獄はものすごい具体的だが、天国は抽象的で、
いいんだけど、具体的に何が楽しいか表現できない。
でも、身体のレベルは「楽しさ」の表現はいろいろ。

2-4: 欲望について

大脳基底核は、頭の中心にある。
腹側線条体(ふくそくせんじょうたい)は快楽を、
それを行動に変換するのが、背側線条体(はいそくせんじょうたい)

第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
(c)やまざきゆにこ2007

猿に、右と左に出る光を見ると、
右に出たときだけ水がもらえるような実験。
左に出たときも見ておかないと、
右に出てもあげない。だから、猿は両方見る。
でも、「右に出るといいなぁ」と思う。
こういうニューロンが、尾状核。
左を見るときも、「今、がんばっておかないと」
というところが発火する。

つまり、大脳皮質ではなく、
もっと深いところで欲求というのは働いている。

猿にリモコンを与えて、YouTubeでザッピングさせる。
ボタンは二つ、一つは次のビデオ、もう一つは続きを見る。
それをやらせておくと、猿がどんなビデオが好きかわかる。
そういうシーンでも、水が飲めるような一次報酬のニューロンが
働くかどうか、それを見ている。

脳の前の方にくればくるほど、高度な反応をする。
報酬に結びつくからではなく、単に複雑な、面白いものを
見るだけで反応する、そういう欲求に反応するニューロンがある
のではないか。
美しいと思うこと、それが食べ物や水がほしいということと、
同じなのではないか。
(そういうことを言うと、神経学者にすごく怒られるが)

自然科学者なので、役に立たないものは存在しないと思っている。
水を飲む、食べ物を食べる、それと音楽を聴くことは、違うのか?
ここらへんのニューロンも、同じように働くのではないか、
というのが実験仮説。
哺乳類くらいは、こういう感覚を持っても不思議ではないと思う。
一次報酬以外の欲求を調べるのは、動物には難しい。
ザッピングは、比較的うまく実験できている。

「好き」と「欲しい」の違いを明確に分けたのが、
ロビンソン&ベリッジの「インセンティブ刺激理論」

好きと欲しいは一致するか?
アルコール中毒などは、やめたいがほしい。

好きと欲しいをどう分けるか?
甘いものを食べると、赤ちゃん、猿、ねずみ、すべてが好きそうな顔をする
苦いものは、皆、いやそうな顔をする。

ネズミの実験で、
ライキングパスを壊すと、ほしがらないが、あげると喜ぶ。
ウォンティングパスを壊すと、どんどん取りに行くが、楽しそうに食べない。

「好き」と「欲しい」は同じではない。
消費者を見るときは、「欲しい」を見ているのが現状。
それだけではつまらないだろう。「好き」をどう提供するか。

2-5: 好みの形成

好きになるには、どうしたらいいか?
その理由には、目新しいから、慣れているから、の二つがある。

第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
(c)やまざきゆにこ2007

顔の好き比べを続けていく、形や風景でもいいが、
何度も見ている人をだんだん好きになっていく。
政治家が名前を連呼するのも、その理由。

顔については、だんだん好きになる。いっぱい見る方が好きになる。
背景やシーンは、前見たことない方が、好きになる。
だからCMでは、同じ顔、異なる背景、それが交換をもたれる。
この関数がかなり安定的で、確実に起こる。
新しいから、なじみだから好き、という単純なものではなく、物によって違う。

フランス印象派は、パトロンがいて、
大量に似たような物を出させる。そのときは商業主義で、
絶対量を増やすことで人気を博した。

アミノ式など、
同じパターンを使って、その異なるバリエーションを加える。
それが人気につながる。
新しさと親しみやすさの絶妙なバランスがあり、それをうまくやると、
人気を博すことが可能であろうということ。

同一の被験者に、
なじみ深いですか? 新しいですか?
と聞く。これらは逆の質問のはずだが、単純ではない。
弱い逆相関はあるが、両方が「好みliking」に影響している。

さらに親近性に加え、再認性がある。

新規性と親近性は同一軸ではない。これらを別の物として扱う。

2-6: 好みの「後付け」傾向

好みは、10分の1秒で、好き嫌いが決まる。
それは後でじっくり見てても、変わらない。
でも、それは基準が明確だという意味ではない。

第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
(c)やまざきゆにこ2007

手品師をやとって、「こちらが好き」と選んだカードを
すりかえてしまうと、すりかわったことに気づかない。
自分で選んだのに、覚えていない。
さらに、自分が選んでいないものなのに、「どうして
選んだのか?」という質問に、きちんと答えてしまう。
違う人を選んだはずなのに、違う方の説明を誰もがする。

本当に選んだ人についての説明と、
すりかえられて後付けで説明したものとの間に、違いはない。

ジャムの実験。
両方を食べさせて、中身をくるっと入れ替える。
それを選んだ後に、違う方を食べさせる。
それでも、ほとんど気づかない。
さらに違う方の良さを説明してしまう。

1割から3割の被験者しか、自分の選択を覚えていない。
判断に先立つ意図など、存在するのか?
神経学者は、人間に意図がある、
意志があると信じていないところがあるが、
意図というのは後付けの説明なのではないかと考えている。

シャンプーなどの購買行動、無意識で選んでいて、
後付けで説明する。
パートナー選びもそう。
つきあった後に、うまく説明できる相手を選ぶ。
証言や自白、集団的意思決定も、後付けに成る可能性になる。

議事録は、もしすり替えてしまうと、誰も思い出せないかもしれない。
ビデオやボイスレコーダー、パスモやスイカ、クレジットカード、
そういった自分の行動履歴が残っていることは、きわめて不可解なこと。
買ってないのに、履歴が残っている。そういうこともある。

専門家であっても、自分の判断を翻せないかもしれない。
実験者がだますとは思っていないから、自分をだましてしまうだろう。
現実世界は重要、世界は安定している、人は人をだまさない、
そういう強いテーゼがある。

コンピュータが間違えると、けっこう人は気づく。
コンピュータでも、アバターが動くと、だまされる人が一気に増える。
Webでも、ただ単にそこに人の姿があるだけで、信頼感が高まってしまう。

単に目に飛び込んでくる人の姿が、
身体的に信頼を高めてしまっているという仮説が面白い。

2-7: イノベーションは後付けである

好みによる意思決定はかなり後付け。
イノベーションも同様である。

第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
(c)やまざきゆにこ2007

あるものを信頼するというのは、どういう理由なのか?
集団的な意思決定のリアリティは、けっこうゆらぐ。
同期があって、行動があって、その繰り返し。

たとえばネーミング。名前をつけておくと信頼が増す。
言語化は重要だが、言語がどれだけ行動に影響を与えているか、それは微妙。
我々の意思決定で重要なのは、曖昧な、悩ましいところでどう意思決定しているか、
ペプシとコーラどっちを選ぶ、みたいなところに本質がある。

悩んでいるというよりは、選べと言われれば選べちゃう。
悩むより行動、というのが人間の進化の歴史。
難しい判断は、まず行動して、判断は後でやる。
そういうふうに進化過程でわかっている。
考えて決める、というのがいいという価値観が出てきて、
もしかするとすごく最近かもしれない。

流されて決めたことも、「自分で考えて決めたんだ」と
言わなければならない社会。
どんぐりの背比べのものを選ぶときに、考えるだけむだ。
行動した方がいい。
でも、それに理由をつけることが要求されるのが、今の社会。

自分のやりたいことは、誰もがはっきりしない。
でも自分のやっていることを説明できるかどうかはある。
それなのに、「自分のやりたいことを探せ」などと言うから、
難しくさせている。あり得ない問題に挑戦させている。
あるのは、今の自分、それを説明できる自分しかいない。
そのループを繰り返しているにすぎない。

過去の歴史認識が変わると、考え方がばーんと変わってしまう。
自分自身の人生の記述の仕方が、もっとうまくなることは大事。

満足が問題で、効用が問題ではない。
いかに満足するかであり、その方法はなんでもよい。
効用はやり方が大事だが、満足は、説明がつけば、うまくやっていける。

個人個人は理不尽に説明付けしているが、
全体として、効用を生んでいるのではないか。
個人個人に効用を求めずに、全体としては効用を生んでいる。
もっとマスで集まったときに、うまくいく。その状況はなんであろうか。

「創発」は、現象。うまくいっていることのネーミング。
そのメカニズム。
なぜうまくいっているのか。

イノベーションもそれに近くて、
イノベーションのメカニズムを知りたいと言ったとき、
イノベーションは、こと、事象であって、創り出すものではない。
イノベーションは後付けであると、ばっさり切ることもできる。
イノベーションというのは、基本的に我々が決めることではない。
ちょっと後の世代の人が、「あれはイノベーションだった」と言う。
今これがイノベーションだというのは、語義矛盾。

裏方でイノベーションをファシリテートしようとするならば、
先の世代の感性をきちんと予測しないと、だめではないか。
我々にとってイノベーションだと思うことは、イノベーションであった試しはない。
30年、50年先の感性のあり方をきちんと調べる、あるいは30年前の歴史を調べ、
その違いがどうしてイノベーションと呼ばれるようになったか、それを調べる。
思いをはせる方が、いいのではないか。
それでも予想はつかない。
とにかくやると、コトは起こす。何がいいかはわからない。
説明をつけやすくする筋道をつけられる人がいると、
イノベーションにきちんとつながる。
変化はたくさん起こっているが、
それをイノベーションにつなげる言説のようなものがあると、
イノベーションに近くなるのではないか。
ちょっとしたことをイノベーションとして解釈できる言説能力があると、
イノベーションの数、量は増える。
それが本質である。

澤さんコメント

なんでここに彼を呼んだか忘れたが、
後付けで、彼を呼んでよかった。

何を言っても後付けになるが、
いつもイノベーションを語っているのと違う人を呼んだらどうかと。
自分の頭を刺激してくれるような見方、それを提供してくれる。
異分野ディシプリンの人を呼んでくるとよい。

政策は決まっていて、なぜそれをやるのかで一年かかるとか。
逆説的には、理由のない政策をやることが、大事なのかもしれない。
イマジネーションが欠ける政策になりがち。
理由のない、面白い政策、そういうものが国の政策にない限り、
イノベーションは起きないのではないかと思う。

個人が自分を正当化するために後付けするというが、
他人の行動を理解するためにも役立つ。
だから慣習とか、規範ができて、それで他人を理解する。
それが、全体の効用を生むことにつながる。
慣習とか規範が、個人からどう生まれてくるか。
それがイノベーションのメカニズムにつながるのではないか。

秋山さんコメント
快・不快の規範で、不快を選んだときにイノベーションと言うのではないか。
コンプライアンスでは、過去の人が快と思ったことを不快としなければならない。
みんなにとって快であることを求めたらだめ。
差異化を競っているだけのものはイノベーションとは呼ばないだろう、
他の人が不快と思っていることを快と思わせないと。

イノベーションの意味づけ、それを広めていける、それがアメリカ人は上手。
日本人は発信が苦手、またはほめることが下手。

生物的には快だが、文化的には不快というのがチャンスだと思う。
そのときにWeb2.0など、歴史的意味づけをすることによって、古い人がマイノリティに
なるぞというときに、時代変換が起きる。
不祥事起こした会社にはいると、悪いことに名前をつけて、袋に入れて捨てる。
そしていいことに名前をつけて、そちらに移らせる。

渡邊さんまとめ
ほめることが大事。言葉だけでもいい。それだけでも個人の満足度が違う。

基本的なところは、日米、まったく違わない。
個人の差としては、出ない。
文化よりも、個人差の方が、はるかにでかい。
日本独自というのも大切だと思うが、人類の、という考え方が大事だと思う。

2-8: 日本の天才プログラマーとイノベーション

経産省のプログラムで、天才を見つける目利きの人がいて、
スーパークリエーターという名前で呼ぶ認定をしている。
日本で、162人が認定されている。
最近では、飛び級で千葉大に入った人が選ばれて話題になった。

第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
(c)やまざきゆにこ2007

この中では まつもとひろゆきさん が一番有名で、
Rubyというソフトを開発した。Linuxに匹敵する。
ビルゲイツみたいな実業家タイプではなく、
いいプログラムを書いていれば幸せ、というタイプ。

プログラム開発は自分のため、内的動機。
会社のためというよりは、ネットで広まることで社会に役立つことがうれしい。
ネットのオープンソースコミュニティで誉められることが一番うれしい。

2-9: IT産業史の視点


第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
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計算パラダイムから、情報処理パラダイム、
そしてコミュニケーションパラダイムへと変わってきている。
情報処理パラダイムまでは、
IBMなどのメインフレーム企業が牽引していた。
このときまでは企業がユーザであり、
イノベーションの担い手は企業であった。
それが主要ユーザはコミュニケーションパラダイムでは、
個人になり、ネット系企業や個人の天才プログラマーが
活躍する時代となった。

情報化という現象は、テクノロジーと言葉の二つの面から進行している。
情報化に対する言説というのは、テクノロジーと同じくらい重要。
それをアップルという会社は、よく理解していたのではないか。

Macのおかげで、ジョージオーウェルの1984年は迎えなかったというCM。
このCM自体も、広告のイノベーションであった。
ITのイメージを変えたCMであり、
小さな制作会社(シャイアットデイ)でありながら、
CMとしてもすごく話題になった。
この広告によって、アップルは全米に知れ渡る企業となった。
情報化がテクノロジーとメッセージの両面から、という面白い例。

グーグルも多くのイノベーティブなものを生んでいるが、
これがイノベーションかどうかは、もう少し時代を待つ必要がある。

では、イノベーションはどのように起こっているのか?
その中での天才の役割は?

改良、差異化は漸進的と言うならば、
ラディカル、根本的に変わるようなイノベーションもある。
メインフレームが中心の組織から、
個人が中心のコミュニケーションパラダイムにという違い。
だがアップルだけでは、パラダイムを変えることはできなかっただろう。
インターネットができて、WWWが出て、それで個人のPCというのが、
いろいろな技術が星団のように出て、それでパラダイムが転換する。

アップルの功績は、シュンペーターの発明、革新、普及の三段階では説明しづらい。
C.フリーマンの言う、根本的革新、
コンピュータの意味を変えてしまったというのがふさわしいだろう。

もう一つは、ユーザが起こすイノベーション。

最後に、日本の今の天才プログラマーの役割を考えてみると、
次のようなものになりそうだ。
・漸進的イノベーションの範疇である
・ユーザとしての役割を担っている
・組織と個人の関係において、新しい人たちが現れてきたという意味

2-10: イノベーションは後から意味づけ、人は誉めて育てる


第2回研究フォーラム「認知科学と天才プログラマー」, 2007
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野村コメント
人は意志をもって選ぶわけではなく、自分の行動の意味づけに過ぎない。
イノベーションも、うまくいったものの後付け。
新しい世代にとって意味のある、そういう意味づけをしてあげること、
それが政策的にできること。
自分で説明できないこと、それがイノベーションの種かもしれない。

服部さんコメント
イノベーションの担い手として、昔は国、次は企業、今は個人。
そんなきれいなものなのかどうかはわからないが、
従来企業の中の個人がやってきたことを、
それを組織として捉えた方がよいかどうか。
こうやって三つの段階に分けてやるときれいだが、
それでいいのか。

澤さんコメント
天才組織を作るという本があったが、天才が集まるときがある。
インタフェースになるコーディネータが噛み合ったときだけ、
それが成功の条件。
研究に没頭でき、知的刺激ができる環境を作る。
どうしても金集めに遁走する時間は、違う脳みそを使う。
それを一人でやらせるのは無理。
また、グルーピング、インタラクティブに議論できる場が大事。

アメリカでは、いろんな人が、誰もができるようにする、そういう
方向で開発する。異文化のベースで作った国。
日本みたいにインフラが同じではないかという国、プラットフォームに
着目しないところ、アプリケーションの先っぽに注目するのとは違う。
日本みたいのが勝つ時代もあるが、プラットフォームが勝つ時代もある。
プラットフォームの方がビジネスにしやすく、英語の方がすぐに全世界の
プラットフォームになりやすい。

産学連携やっていると、企業の研究者はかわいそう。
組織人。縦組織では、イノベーションは生まれない。
一人ひとりを自立させて、利己主義でも生きていけるようにしないといかん。
権限を持って駄目だしするのは、だめ。
短期的成果主義が蔓延して、四半期で成果をみながら、
十年先のネタを出せと言う。大学に相談にくるのは、そういう人たち。
10年後までっていわれると、今の企業のマネジメントでは無理。

渡邊さんまとめ
カフェに集まってしゃべれというとき、そこで重要なのは余裕。
ノーベル賞科学者のような余裕のある人が集まれば、
それは盛り上がるに決まっている。
若い余裕のない人、それが集まって盛り上がるか。それがチャレンジ。
自分のやっていることへの自信、それをやっていいよ、という信頼。
余裕を作るには二つの方法。
まずは、誉める。
次に、個人個人をしっかりとエスタブリッシュする。
自分の研究がうまくいっていると、他人の研究も聞く気がする。
それを勘違いすると、異文化衝突みたいになる。
余裕をどう作り出すか、それが日本人には大切。