情報化と近代文明3
公文俊平(所長)
第2章:近代化のあらすじ
第4節:産業化のS字波
次に、前節でみたようなS字波のモデルを、産業化過程そのものに対してあてはめてみると、第2-4-1図が得られる。
産業化のもっとも顕著な特徴は、“機械化”と“サービス”化として現れる。機械化とは、主体の行為の機械による代行であり、サービスとは、主体の行為の他の主体による代行である。
第2-4-1図は、産業化のS字波それ自体を、その出現、突破、成熟の各局面に対応する三つの小さなS字波に分けて示している。すなわち、18世紀の中葉以後、ほぼ百年ごとに出現してきた第一次、第二次、第三次の各産業革命のS字波がそれである。
第一次産業革命では、機械化とサービス化は、“生産”(運輸をも含む)の領域にまず浸透した。石炭を燃やす蒸気機関に動力源を依存する鉄製の巨大な機械が、工場での生産過程に投入された。あるいは、蒸気船や蒸気機関車の形で、工業原料や製品の大量輸送を受け持つようになった。人々はまた、それまでは自家生産していた食料や衣料の多くを、市場から購入するようになった。同時に、家内制手工業過程は、雇用労働力に生産を担当させる工場での機械制大工業過程に変わった。つまり、“生産のサービス化”(当世風にいえばアウトソーシング)が、製品の商品化と労働力の商品化の両面で、同時に発生したのである。軽工業(消費財産業)の産業化(=機械化・サービス化)として出現した第一次産業革命は、鉄道と蒸気船の普及を通じて、大量生産された消費財が各地の消費者の手元まで大量かつ安価な流通が可能になる過程で、その成熟を見た。
第二次産業革命は、重化学工業の台頭によって出現した。初期(つまり、出現から突破局面にかけて)の重化学工業の製品を主として利用したのは、国家や旧産業(とりわけ米国の農業)のような既存の主体だった。各国は、重化学工業が生みだした、大艦巨砲、機関銃や戦車、航空機、毒ガスのたぐいを競って購入して実戦に投入し、ために戦争の性格は一変した。戦争の大規模化、長期化、総力戦化は、第二次産業革命過程を通じて進行し続けたが、ついに核兵器(およびそれに勝るとも劣らぬ殺傷力をもつと思われる生物・化学兵器)の登場を見るにいたって、戦争を手段とする近代軍事文明の“威のゲーム”の正統性は、決定的に失われるにいたった。1 他方、米国の農業は、トラクターで耕作して、人造肥料や農薬で収量を上げ、コンバインで収穫してトラックで市場に出すというように、重化学工業の成果をフルに利用する方向にいちはやく進んだために、家族による大規模農業経営の生産性を急速に向上させることに成功し、世界の穀物市場を制覇する結果となった。
他方、第二次産業革命の成熟局面では、機械化とサービス化は、乗用車や家電製品の大量生産・販売を通じて、また教育・医療産業や交通・外食・観光産業などの発展を通じて、消費者の日常生活のさまざまな側面に、広く深く浸透した。20世紀の産業諸国に普及した“耐久消費財”とは、言い換えれば消費者用の機械に他ならなかったのである。2
産業革命の第一次から第二次への転換の意味を、すべての国や企業が的確に理解して、これに適応し得た、あるいは転換の先頭に立ってこれを推進し得たわけではない。たとえば日本は、日清・日露戦争などにおいて、重化学工業の軍事利用(とりわけ海軍力への利用)にはある程度の適応力を発揮したが、機関銃の利用では遅れをとって、ロシヤ軍に苦しめられた。そもそも重化学工業自体の本格的立ち上がり自体、第一次世界大戦の軍事景気を待たなくてはならなかった。産業利用の面で言えば、人口肥料の利用はともかくとして、農業の大規模化、機械化は、大幅に遅れてしまった。ようやく戦後になって、農業の機械化と化学化はある程度進展したとはいえ、大規模化は今日まで実現しえないでいる。より深刻なのは、産業化の “消費”過程への拡大という第二次産業革命(とりわけ成熟局面の)の特質の理解を、日本が十分できなかったところにある。第二次産業革命を円滑に進行させようとすれば、ある時点で、消費者用の機械やサービスの大量生産に転換しなければならなかった。つまり軍需から民需への転換が必要であった。しかも、最先端の消費者用機械を購入して使用できるのは、産業化の先進国の国民であるとすれば、そうした消費者用機械は、途上国に普及させるよりは、先進国に普及させる、なかんずく自国の消費者に普及させることが必要であった。いいかえれば、外需、つまり輸出主導型から内需主導型への転換が必要であった。日本がその必要をようやく曲がりなりにも理解し得たのは、侵略戦争(自国の“生命圏”つまり原料と製品の市場を、海外の途上国に確保しようとした戦争)の失敗というショックを受けた後のことだった。しかし、その場合でさえ“内需”拡大を重視すべきだという教訓は、中途半端にしか学習しなかったように思われる。3
さて、ここで第2-4-1図にもう一度目を向けてみよう。そして、この図の上での現在、つまり西暦2000年の位置の意味するところを考えてみよう。この図では、西暦2000年は、産業化の大きなS字波でいえば、それが成熟局面にはいってしばらくたった後にあたることを示している。また、個々の産業革命の小さなS字波でいえば、現在は、
(1)第二次産業革命が、その成熟局面の後半(爛熟とでもいいたいような局面)にさしかかっているばかりか、
(2)第三次産業革命も、その出現の局面を経て、いよいよ突破の局面にさしかかっていること
を示している。そこで次に、第三次産業革命のS字波自体を、それを構成するより小さなS字波に分割してみよう(第2-4-2図)。そして、それらのより小さなS字波を、
(1)出現:1950年代に出現するコンピューター産業主導のS字波
(2)突破:2000年代に出現する通信産業主導のS字波
(3)成熟:2050年代に出現する(と想像される)第三のS字波
とそれぞれ名付けてみよう。そして、その意味を次のように解釈してみよう。
すなわち、第二次産業革命の基本的特質が、産業化(機械化とサービス化)の消費過程への拡大であったとすれば、第三次産業革命のそれは、産業化の情報処理・通信過程へ、さらにいえば人々の思考・コミュニケーション過程への拡大だということができるだろう。
この意味での第三次産業革命は、1950年代のコンピューターの出現と共に出現した。いいかえれば、第三次産業革命の出現局面を主導してきたのは、コンピューター産業だった。このコンピューター産業自体の発達過程も、さらに小さな三つのS字波の連鎖という形でイメージしてみることができる。すなわち、
(1)出現の出現:1950年代に出現するメーンフレームのS字波
(2)出現の突破:1970年代に出現するダウンサイジングのS字波(ICの発明と、それを組み込んだパソコンやワークステーションの普及)
(3)出現の成熟:1990年代に出現するコンピューター間のネットワーキング(クライエント・サーバー・モデルの普及やインターネットの民営化から始まったこの過程自体は、通信産業の主導する第三次産業革命の突破局面――より正確には突破の出現局面――と少なくとも一部重複している)4
に細分してみることができる。
そして西暦2000年の今日、第三次産業革命はいよいよ突破の局面に入ろうとしているのだが、それを主導するのはもはやこれまでのようなコンピューター産業ではなく、むしろ“通信”ないし“通信ネットワーク”産業になるように思われる。そこでのキーワードは、“広帯域IPネットワーク”であり、“ASP”であり、“B2B”である。
ところで、ここでもまた、コンピューター産業の場合について見たのと同様な、通信産業のより小さな三つのS字波(たとえば、2000年代、2020年代、2040年代にそれぞれ出現するような)について語ることが可能かも知れない。だが、インターネットの時代の1年は通常の7年にあたる“ドッグイアー”だとか、通信産業が主導する時代の変化を律する法則は、コンピューター産業が主導した時代の“ムーアの法則(18ヶ月で倍増)”に代わって“ギルダーの法則(12ヶ月から3ヶ月で倍増)”になるといわれるほど変化の激しい今日、とくに私のように技術知識の乏しい者には、20年後や40年後の通信産業のあり方を予想することはまったく不可能である。したがって、ここではそれは諦めて、次の二点について読者の注目をうながすにとどめておこう。
その第一は、“通信産業”が主導するという場合の“通信”の性格である。これまでは、通信といえば当然人間相互間の、文字や音声あるいは画像を通じた通信であって、それを通信機械や、通信サービス産業が部分的に代行すると考えられてきた。ふんだんにビデオ画像をオン・ディマンドで行おうとしても、通信帯域やコンピューターの処理能力が圧倒的に不足している、といった嘆きもそれを前提としていた。逆に、人間がコミュニケーションに割ける時間は、たかだか一日の何分の一でしかないのだから、通信産業に対する需要の大きさにはおのずと限度があって、そんなにやみくもに帯域を増やしてみても、需要なんかでてくるはずがないという悲観論も、同じ前提にたっていた。しかし、日本の村井純氏やカナダのビル・セントアーノー氏が強調するように、これからはありとあらゆる事物や場所(人体をも含む)に通信装置が組み込まれて、相互間での通信が時々刻々行われるようになり、その結果に基づいた評価や意志決定や行為の代行が行われるようになる。そのほとんどは、人間の意識にはのぼらない、あるいは人間の注意を喚起することのない機械間の通信であって、それに比べると、人間相互間の通信は、動画像の通信まで含めたところでほんの九牛の一毛にしかあたらないウェートを占めるにすぎない。われわれは今、そのような意味での社会の通信能力の爆発する入り口にたっているのである。
その第二は、第三次産業革命の成熟局面のあり方である。いいかえれば、先に第三次産業革命の“第三のS字波”とだけ名付けた小S字波は、どのような性格を持ち、どのような産業によって主導されることになるだろうか。
この点について考えようとすれば、過去の経験を振り返ってみることが有用である。すなわち、第一次産業革命は、人々がこれまでは自家生産していた製品の多くを、市場で購入される商品に変えた。第二次産業革命は、人々の“消費”生活の中にも多種多様な機械を普及させた。その結果として、産業社会での人々の生活環境は、道路から建物、あるいはその上や中で使用される事物やサービスのほとんどすべてが人為的に生産され制御される“人工物artifacts”に満ち満ちたものになってしまった。その結果、かつて村上泰亮が指摘したように、産業社会での人間生活のリズムは、自然の時間の経過や昼夜の別、あるいは気象や気候条件の変化とは無関係に営まれる人工的なものになってしまった。それでは、第三次産業革命が成熟局面に入る頃には、人々の生活環境やライフスタイルは、さらにどのように変化していくのだろうか。
おそらくもっともありそうなことは、1990年代に“バーチャル・リアリティ(VR)”と呼ばれるようになったサイバースペースの中の“仮工物”とでもいうべき人間の産物、つまり、人間の感覚器官には、通常の現実世界に存在する自然物や人工物よりもはるかに大きなリアリティをもってせまってくる各種の事物に、人々が常時取り囲まれてすごすようになることである。これらの仮工物は、既存の人工物とは独立に存在することもあれば、それらに付随して(“オーバーレイ”されて)存在することもあるだろう。いずれにせよ、人々の意識の中では、両者の厳密な区別はとりたてて自覚されなくなるのではないか。そして、それらの仮工物の少なからぬ部分は、“人工生命(AL=artificial life)”ないし“仮工生命(VL=virtual life)”として、つまり従来の機械よりははるかに洗練された自動的・自律的な機械として、多種多様なサービスを人々に提供するようになっているだろう。現在、“エージェント”あるいは“コンピューター・ウィルス”などという言葉で呼ばれている通信ネットワーク上の自動機能体は、この意味での“仮工生命”のはしりにあたると見ることができそうである。いいかえれば、それこそが、第二次産業革命成熟期の消費者用機械(乗用車や家電)にあたる第三次産業革命成熟期の情報生活者用機械に他ならないと思われる。5
第5節:情報化のS字波
ところで、第2-3節で見たように、S字波的な観点からすれば、近代化の第二の波である産業化の成熟局面にあたる現代は、同時に、近代化の第三の波である情報化の出現局面にもあたっている。そして、産業化の波を、第一次から第三次の産業革命を示す三つの小さなS字波に分解してみることができるとすれば、情報化の波も、それを構成する第一次から第三次の情報革命を示す三つのS字波に分解してみることができるかもしれない。少なくとも、現在は、情報化の波の出現局面にあたる第一次情報化の波の時代だと考えてみることは、十分可能だろう。その場合には、産業化の成熟局面に対応する第三次産業革命のS字波と、情報化の出現局面に対応する第一次情報革命のS字波は、ほぼ重なっているとみなせることになる。そこで、次に、第2-4-1図と同様な仕方で、情報化のS字波と、それを構成すると思われる三つの小さなS字波とを第2-5-1図のように図示してみよう。そこから得られるのは、第三次産業革命と同様、第一次情報革命もまた、西暦2000年という現時点では、出現から突破の局面にさしかかろうとしているとい]う認識である。
そこで、これまた第三次産業革命の場合と同様、第一次情報革命についても、それをさらに小さな三つのS字波に分解してみよう(第2-5-2図)。すなわち、
(1)出現:1950年代に出現する第一のS字波
(2)突破:2000年代に出現する第二のS字波
(3)成熟:2050年代に出現する(と想像される)第三のS字波
への分解がそれである。そして、その意味を次のように解釈してみよう。
すなわち、第2-2節で見たように、産業化の基本的特質が、主体の経済的エンパワーメントと、それを担う新しい組織としての近代産業企業の台頭にあったとすれば、情報化の基本的特質は、主体の知的エンパワーメントとそれを担う新しい組織としての近代情報智業の台頭になければならない。
この意味での情報化の出現局面を代表する第一次情報革命は、何よりもまず、既存の国家(ないしその政府)や企業とは異なるタイプの主体の出現によって主導されるはずである。すなわち、1950年代に始まった第一次情報革命(の出現局面)を主導する者は、先に見たNGO-NPOあるいは私のいう“智業”であったといってよいだろう。そして、2000年代から始まる第一次情報革命の突破局面は、これらの新型組織の構成メンバーとしての“智民(英語ではネティズン)”に固有の権利意識や行動様式の台頭ではあるまいか。それは、智業の主導から智民の主導への局面の転換、あるいは智民の“政治化”の局面への転換だとみることができるだろう。そして、少なくとも一つの可能性としていえば、2050年代に始まると想像される第一次情報革命の成熟局面は、智民たちの政治化の極まるところ、“智民(ネティズン)革命”とでも呼ぶことが適切な政治革命によって主導されることになるかもしれない。6
だが、そのような遠い将来の話はさておいて、ここではまず、1950年代以来の第一次情報革命の出現局面、つまりNGO-NPOなどと呼ばれた新型の組織の台頭局面を振り返ってみよう。ここでもまた、この出現局面自体を、さらに小さな三つのS字波の連鎖という形でイメージしてみることができそうである。すなわち、
(1)出現の出現:1950年代に台頭した脱工業社会論(ダニエル・ベル)や知識産業論(フリッツ・マークルップ)など
(2)出現の突破:1970年代から80年代にかけてのネットワーク組織論(リプナック&スタンプスや社会学者の一部等)や“水瓶座族の共謀”論(マリリン・ファーガスン)など
(3)出現の成熟:1990年代に出現するネティズン論やネティズン運動 7 あるいは社会進化論としてのネットワーク論(デービッド・ロンフェルト)など(この過程自体は、次の第一次情報革命の突破局面の開始と、少なくとも一部重複している)
のような“情報社会論”とでも総称できるような社会論の流れと、それらの関心の対象となってきた一連の新しい社会現象や社会運動を考えてみることができる。
1999年から2000年にかけて、第一次情報革命がいよいよ突破の局面に入り始めたことを象徴するようなできごとが、相次いで起こっている。
1999年の10月と2000年の4月には、米国のシアトルとワシントンDCに、世界中から数万人のネティズンたちが集まって、多国籍大企業によるインターネットの支配(その行きすぎた市場化、ないし資本主義化)や、それが引き起こす地域間、国家間、所得階層間、民族間、世代間等々の情報・知識格差、すなわち“デジタル・ディバイド”の拡大への異議申し立てが半暴力的な形で行われ、多数の負傷者や逮捕者を出した。WTOの総会を契機としてシアトルに勃発した「バトル・オブ・シアトル」は、クリントン政権を震撼させ、総会は事実上粉砕されてしまった。
日本でも、1999年にはたった一人のネティズンが立ち上がって、国際的大企業である東芝の製品の品質やアフターケアの悪さに対し、インターネット上で異議申し立てを行った。この人物のホームページには数百万ものアクセスが集中し、マスメディアの取り上げるニュースにもなって、大東芝をきりきり舞いさせた。
2000年に入ると、アメリカのYAHOOやAOLなどの巨大ポータルサイトに対して、一部のネティズンによる「デナイアル・オブ・サービス」攻撃がかけられ、これらのサイトは長時間にわたって機能麻痺を起こしてしまった。日本政府のいくつかのサイトには、中国のネティズンと見られる人々からの攻撃がかけられて、内容の書き換えが行われた。また、昨年の“メリッサ”、今年の“ラブ・バグ”など、マイクロソフト製ソフトウエア(とりわけアウトルック)がもっているセキュリティの弱点をついたプログラム(“ワーム”と総称される)が、電子メールを媒介として短時間に世界各地に伝搬し、それぞれ数十億ドルにのぼると見られる被害を与えた。これらの犯罪は、コンピューターやネットワークの専門家というよりはほとんど素人の域を出ない人々によるいわば稚拙な攻撃であったにもかかわらず、その被害は甚大だった。8 今や、この種の犯罪は、ごく通り一遍の知識しかない人でも、ネットワークの上から適当なプログラムをダウンロードしてきて走らせれば、とくに罪を犯しているという自覚すらなしに、いや場合によっては善行でもしているつもりで、容易に実行できる“自動化犯罪automated crime”になったという指摘さえある。9
もう一つ興味深いのは、今年になって爆発的な普及を見せている、ナプスター、ヌーテラ、フリーネットなどといった、分散的情報通有システムの出現である。たとえば、ナプスターは、このプログラムをどこかからダウンロードしてきて、インターネットにつながっている自分のパソコンの上で走らせておきさえすれば、自分や(同じプログラムを走らせている)他人のパソコンに置かれているMP3の音楽ファイルを検索し、自由にダウンロードしあえるようになる。とくにウェブのサイトを立ち上げたり、情報提供のために専用のサーバーを走らせたりしなくともよくなったのである。その結果、米国の大学でのインターネット・トラフィックの大半が、あっという間に(恐らくそのほとんどが違法の)音楽ファイルのやりとりになってしまった。米国レコード産業協会はただちにこのプログラムを開発・配布している企業を告訴し、とりあえず勝訴はしたものの、この種のプログラムの開発や利用を根絶できるという保証はどこにもない。すでに、その次に出てきたヌーテラの場合は、通有可能なファイルは、MP3の音楽ファイルに限らずどんな種類のものでもよくなり、ファイルの相互検索のためのディレクトリーも一カ所のサーバーに集中される必要はなく、いろんなところに分散しておけるようになった。ということは、ヌーテラのサービスを提供しているサイトをすべて摘発して潰すことは事実上不可能になったことを意味する。さらに、その次に開発中のフリーネットというプログラムでは、ダウンロードしている元のファイルがどこにあるかは情報を入手する側には知り得ないという匿名型の情報提供の仕組みが組み込まれている。こうなると、仮に違法コピーが行われたとしてもその摘発はできないばかりか、“違法”な情報の配布一般を取り締まりようがなくなる。いまやネティズンたちは、それこそ“ネティズン革命”推進のための最も強力なコミュニケーション手段を獲得したといってよいだろう。もちろん、こうした手段が、何も犯罪や革命のためだけでなく、通常のコミュニケーション活動にも利用できることはいうまでもない。第一次情報革命の“突破”は、まさにこのような分散的情報通有技術やシステムの普及を通じて、実現されていくと思われる。訴訟や禁止政策によって、これらを圧殺することは不可能だろう。
第6節:今日の“IT革命”の本質と歴史の教訓
近代社会は、いわゆるコンピューター2000年問題への取り組みを、官民を挙げて、またとりわけインターネットを通じてのグローバルな情報交換に基づいて、徹底的に行った結果、ほとんど被害といえる被害をださずに、2000年への転換に成功した。その後とりわけ日本では、“IT革命”やそれを利用した“イー・ビジネス”の推進という言い方が急速に普及している。毎日の新聞や雑誌には、これらの用語がいたるところに氾濫している。
しかし、それではこの“IT革命”なるものの本質が十分的確に把握され、対応が適切に行われているかというと、いささか心許ないといわざるをえない。
これまでの記述から明らかなように、今日の“IT革命”には、産業革命としての側面と、産業化を超える近代化の第三波の一環である情報化としての側面がある。さらに前者には、第二次産業革命の成熟というか爛熟の局面で生じている変化としての側面と、第三次産業革命の出現から突破にかけての局面で生じている変化としての側面がある。つまり、今日の“IT革命”には少なくともこれら三つの側面が同時に含まれていることの理解がなくてはならない。
だが、たとえば“情報家電”という言葉がほとんど一人歩きしているような状態や、放送(とりわけ地上波放送)のデジタル化、放送と通信の“融合”、あるいは“モバイル・インターネット”などといった言葉の氾濫をみるにつけても、日本での情報化論議は圧倒的に第二次産業革命の延長線上で理解され構想されている感が強い。
もちろん、第三次産業革命の進行に伴って、第二次産業革命のそれも成熟過程を代表する製品やサービスに第三次産業革命の成果を取り入れていく努力は、当然行われてしかるべきである。たとえば乗用車や各種の家電製品にコンピューターを搭載して機能の高度化をはかったり、通信機能を付加したりする試みは、歓迎すべき事には違いない。ましてや、敗戦のどん底から立ち上がった日本が、遅蒔きながらではあれ第二次産業革命の成熟局面における消費者用機械の重要性を認識して、その開発と普及にめざましい成功を収めたことの意義は、いくら高く評価しても良いだろう。
しかしそのことが、新しい産業革命の出現の理解を妨げているとしたら、それはやはり問題である。先にも見たように、現代は、第二次産業革命の成熟と並んで、第三次産業革命が出現からさらに突破へと向かいつつある時代である。そうだとすれば、そこでの主要課題は、
(1)新しい産業のためのインフラ整備をはかること
(2)新しい産業そのものをいちはやく立ち上げること
(3)新しい産業の技術や製品を利用して、政府や企業などの既存の組織のより効率的な運営をはかること、
にあるはずである。もちろん、乗用車をコンピューター化するとか、電話をモバイル化するといったように、既存の産業の製品やサービスに第三次産業革命の成果を取り入れる努力は、重要であるには違いない。しかし、それだけにもっぱら力を入れていたのでは、新しい産業の立ち上げや、既存の産業やその他の組織の“リエンジニアリング”ができなくなってしまう恐れがある。過去の日本は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての時代が、新しい産業である重化学工業の出現から突破の時代にあたっていたことの理解が十分でなく、そのためのインフラ整備や新産業の立ち上げに、さらには重化学工業の成果を利用した既存産業(農業や軽工業)のリエンジニアリングにも、立ち遅れてしまった。
どうやら20世紀後半の日本は、第二次産業革命の成熟に腐心するあまり、過去の過ちをまたしても繰り返してしまったのではないか。なるほど、1960年代の後半から1970年代の初頭にかけての一時期、産業化の次の局面としての情報化に注目しようとする試みは、ほとんど世界に先駆けてといいたいほど早く、いったんはなされたものの、おそらくは石油危機の影響で、たちまち立ち消えになってしまった。1980年代の前半の“ニューメディア・ブーム”も、短命に終わってしまった。結果的に日本の情報化は、ゲーム機や携帯電話のような第二次産業革命の延長線上にあるものは別にして、第三次産業革命の推進の面でも、第一次情報革命の推進の面でも、各国に大きく差をつけられてしまったのである。この点は、第二次産業革命成熟期の後発国として産業化の歩みを開始したアジア諸国が、第三次情報革命の到来に対しても高い感度を示して、その推進にめざましい成果をあげているのとは、対照的である。10 それに引き替え、これまでの日本では、“情報化”というとすぐにその“光と影”という話になり、どちらかといえばもっぱらその“影”について飽きずに語ることが多かった。日本人は、第二次産業革命の成功で気力が尽きてしまったのかもしれない。あるいは、今や世界の最先端に到達したとか、もはや海外に学ぶべきモデルはないところまで来たといった自覚に奢って、その眼前で、産業化の次の流れや、近代化の次の流れが出現していることへの感度が失われてしまったのかもしれない。よく目を開いて世界を見れば、全体として採用すべきモデルはないにしても、個別の事例として学ぶべき事、参考にすべきことはいくらでも見つかったはずなのに、その確認作業を怠っていたのかもしれない。あるいは、自らは産業化の最先端にあり、他方これまで産業化を主導してきた米国やソ連はいまや衰退の一途を辿っているという認識にもとづけば、日本人の対外情報アンテナはもっぱら環境・資源問題にチューン・アップされていたのだろうか。[次号に続く]
1 もちろん、そのことは戦争行為そのものの終焉を意味するものではなく、したがって“自衛のための戦争”の国際的正統性を否定するものでもなかった。
2 では、それを購入した“消費者”たちは、いったいそれで何をするのだろうか。いうまでもなく、(通常は自分やその家族の)消費のための、財やサービスの生産を行うのである。その意味では、第二次産業革命は、生産過程を“消費者”の家庭(というか運転なども含めれば“消費生活”一般)の中にまで、再び拡大させもしたのである。国民経済統計が、国民の“厚生”の指標でもあるとすれば、それは当然、消費者が消費者用機械を購入(つまり“投資”)して行う“生産”の種類や質や規模をも計測してしかるべきであろう。しかし、持ち家から発生するいわゆる“帰属家賃”の算定を別にすれば、そのような努力は、今日までほとんど行われていない。
3 他方、米国は相対的に内需を重視しすぎたといえるかもしれない。
4 ここではとりあえず、三つのより小さなS字波がそれぞれ約20年の期間をおいて出現するものと想定しているが、あるいは25年程度の期間をおいて出現すると想定する方が、全体の図柄との調和はとりやすいのかもしれない。しかしその場合には、1990年代のネットワーキングの進展への評価が不十分になってしまう恐れがある。そうだとすれば、新しいS字波の出現が早くなるような加速化現象が、第三次産業革命の時代には見られると考える方がよいのだろうか。この点の解釈は、今後の課題として残しておこう。いいかえれば、第三次産業革命の“突破”が、1990年代においてすでに始まっていたと見るか、それとも2000年代から始まると見るかは、まだしばらく時間がたってみないと決定的なことは言えないということにしておこう。
5 ここでいう“仮工物”や“人工生命”については、拙著『情報文明論』の第十章をも参照されたい。ただしそこでは、これらの言葉の代わりに“具身”という言葉を使って、“バーチャル・リアリティ”の様々な側面や意味が論じられている。
6 もちろんそうした考察は、まったくの想像の域にとどまるものにすぎない。それにしても、もしも第2-2節で見たように、情報化の時代には、軍事化時代の闘争や産業化時代の競争に代わって、“協働”が主体間の中心的な相互作用方式になるものとすれば、過去の近代化に見られたような“独立戦争”や“市民革命”のような血なまぐさく激烈な政治権力の移動や行使は、考えにくいのではないか。“智民革命”は、かりに起こるにしても、その実態は、より平和的な権力交代ないし権力への参加になると期待したい。なお、智民革命ないしネティズン革命についてのより詳しい考察は、私の旧論文、「ネティズンとネティズン革命」を参照されたい。この論文は、私の編著『ネティズンの時代』(NTT出版、1996)に収録されている。
7 ネティズンという英語自体は、1993年に、当時コロンビア大学の学生だったマイケル・ファウベンが、最初に使い始めたことが分かっている。デービッド・ロンフェルトの画期的な論文「部族、組織、市場、ネットワーク――社会進化理論の枠組み」は、1996年にRANDから出版された。その邦訳は、私の編著『ネティズンの時代』(NTT出版、1996)に収録されている。
8 コンピューター・セキュリティの専門家Kevin G. Barkesからのメールによれば、昨年のメリッサや最近の“ラブ・バグ”ワームなどは皆、アマチュアの書いた出来の悪いプログラムだが、それでもあれだけの混乱と被害をもたらした。もし本当に熟練したプログラマーが悪意をもって自己増殖型の電子メールワームをまき散らしたら、どんなことが起こるだろうか。IPOの機会を逸した天才児が腹いせに世界中のパソコンのハード・ディスクやバイオス設定を壊すようなプログラムを作ってばらまいたとしたら。だが、真に驚くべきは、そうしたことが可能だということではなくて、それが現実にまだ起こっていないということだ、とこのメールの筆者は述べている。
9 Donn Parker, "Automated Crime," Information Security Magazine, September 1999
10 戦後長らく、事実上日本をモデルにして産業化の道を歩んできた韓国でも、1997年以降の“IMF”体制からの脱却過程で第三次産業革命の重要性に注目するようになり、インターネットの普及に全力をあげている。その結果、2000年の初頭で、韓国のインターネット人口は全人口の40%強にあたる、2000万を突破したといわれる。人口規模が韓国の3倍近い日本のそれが2700万にとどまっているところからしても、この普及率は驚異的である。さらに韓国での広帯域インターネット・アクセス(ケーブルモデムやDSL)の家計普及率は、年内に25%(300万世帯)に達すると見積もられているという。同じ時期、米国での普及率は高々5%と見積もられているところからすると、この普及率はさらに驚異的である。