ドメイン・ネームをめぐる二つの問題
アダム・J・ピーク
インターネットのドメイン・ネームをめぐる問題が議論されるようになってすでに久しい。この問題に取り組んできたInternet Corporation for Assigned Names and Numbers(ICANN:アイキャンと読む)は、現在二つの大きな問題に直面している。第一に、どのようにして一般利用者を代表する理事をICANNの理事会に迎え入れるのかという問題、第二に、どのようにして新しいトップ・レベル・ドメイン・ネームを導入するのかという問題である。7月15、16日にパシフィコ横浜で開かれたICANNの今年2回目の四半期公開会議では、この二つの問題を中心に熱心な議論が交わされた。そして、まもなくICANNはその答えを出そうとしている。本稿では、これまでの経緯を振り返りながら、何がICANNに求められているのかを論じたい。
ICANNの誕生
ICANN誕生のきっかけとなったのは、1998年6月に米国政府が発表した『インターネットのネームとアドレスの管理』と題する声明である。1 通称『ホワイト・ペーパー』として知られるこの声明は、ドメイン・ネーム・システムがどのように運用されるべきかに関する米国政府の考えを述べたものである。この中で、システムを管理する新しい組織の運営の基礎となる四つの原則が示された。第一に「インターネットの安定を確保する」、第二に「競争と利用者の選択を導入し支援する」、第三に「これまでのインターネットの特徴となってきたボトム・アップのガバナンスを反映する」、第四に「広範で拡大しつつあるインターネット利用者のコミュニティからの意見を採り入れながら全体の利益を鑑みる」、というものである。そして『ホワイト・ペーパー』は、新しい組織とその理事会にインターネットの利用者や重要な利害関係者の代表が参加しなければ、その組織の正当性は得られないだろうと指摘した。しかし、米国政府は、「インターネットの利用者」や「重要な利害関係者」が何を意味するかを定義せず、新しい組織の運営資金を提供することもなかった。そこで、新組織は非営利の民間会社として設立され、その設立定款と法人化条款に『ホワイト・ペーパー』で示された運営原則を反映させることになった。これがICANNである。
1998年10月に設立されたICANNの主な業務内容は、ドメイン・ネーム・システムの維持、IPアドレスの配分、ルート・ネーム・サーバーの管理、プロトコル番号割り当ての調整である。それまでこうした機能は、インターネットが国防総省の研究プロジェクトであった時代に結ばれた米国政府との契約と合意の下で、南カリフォルニア大学に置かれたIANA(Internet Assigned Names and Numbers)という組織が担当してきた。しかし、インターネットがグローバル化、商業化するにつれ、IANAでは対応しきれなくなってきた。そこで、米国政府は、こうした管理調整活動を民営化、国際化したいと考え、その責任を担う民間組織としてICANNを設立したのである。
一般会員理事の選出問題
ICANNが現在抱える第一の問題は、その最終意思決定機関である理事会の構成をどうするかという点である。ICANN設立時、その理事会は、インターネット利用者を代表する9人の一般会員理事と、特殊かつ技術的な利害を代表するICANNの支援組織(Supporting Organization)から選ばれた9人の理事、これに社長(President)が加わった19人と想定されていた。この構成バランスは『ホワイト・ペーパー』で述べられている代表についての要求を十分に満たすものであった。最初の18ヶ月間、ICANNは、アドレス支援組織(ASO)、ドメイン・ネーム支援組織(DNSO)、プロトコル支援組織(PSO)という三つの支援組織の設立にエネルギーを費やした。支援組織は、それぞれの専門領域に関する提言の作成においてICANNの活動を支援するものである。1999年11月、三つの支援組織はそれぞれ3人ずつ、計9人の理事を選出した。
支援組織から理事を選出するのに比べて、一般会員を組織し、そこから理事を選出する作業ははるかに難しい。グローバルな民主的選挙を行うために、国際的な会員制度を何らかの方法で創設する必要があるが、これは壮大な試みである。さらに、ICANNは一般会員制度によって直接選ばれる理事の質を懸念し、誰でもがICANNの理事になれると仮定すると、ドメイン・ネーム・システムが安定して機能しつづけるかどうかという点についても懸念した。2
こうした懸念に対し、1999年8月、ICANN 事務局は、「18人からなる一般会員評議会を投票で選び、この一般会員評議会が、一般会員理事として理事会に座る9人を選ぶことにしてはどうか」と理事会に提案した。しかし、これは直接選挙による理事選出からの後退であり、多くの一般利用者からの反対に遭った。反対意見の多くは、「一般理事の候補者はすぐれた資質を持ち、責任ある理事会を作り出すだろう」というものであった。結局、ICANN事務局は、2000年3月のカイロ会議でこの提案を取り下げた。ところが、さらにICANN事務局は、「2000年11月までに、五つの地域のそれぞれから1人ずつ、計5人の一般会員理事を選び、残りの理事はその後に別の方法で選ぶ」という代替案を示した。この5人の理事の任期は2002年11月までとされた。候補者は、ICANNが作った選定委員会による指名と、一般会員からの追加指名によって選ばれる。こうした手続きに加えて、残りの4名の理事の選出に向け、理事会は、一般会員制度の概念、構成、プロセスについての包括的な調査・研究を行うことにした。この調査・研究は、5人の一般会員理事選挙後に始まり、パブリック・コメントの機会を含めて、2001年11月のICANN年次会合までには終わることになっている。調査・研究が終わり、その結果を踏まえて理事会が関連措置をとるまで、一般会員理事の選出の仕組みとプロセスに関連する定款の条項を保留にすると決定した。
しかし、ICANN事務局は、カイロでの理事会の決定の意図を拡大解釈した新提案を、7月の横浜会議が始まる前に理事会に提出した。これは、理事会に9人の一般会員理事を参加させるという、これまでの合意を覆そうとするものだった。理事会がこの新提案をそのまま採択すれば、一般会員理事の数は2001年に5人に減らされることになり、2002年11月にはゼロになることもありえる。もしそうなれば、『ホワイト・ペーパー』以来想定されてきた支援組織と一般会員の間のバランスは、根本的に損なわれてしまうことになる。
幸いにも、事務局の新提案は、横浜での公開理事会において修正され、理事会の最終提案には、理事会への一般会員代表の参加が明記されていた。つまり、5人の一般会員理事が選出され、2002年11月まで務めるのである。そして、一般会員理事に関する将来のいかなる変更も、一般会員制度に関する調査・研究の結果と理事会の意思に従うということになった。
理事会の構成を根本的に変更する提案を、極めてショート・ノーティスで理事会に提出するというICANNの混乱ぶりは、設立から2年経ってもICANNが効率的に機能していないという印象をさらに強めることになった。一般会員からの代表を欠けば、ICANNは技術的かつ特殊な利害を持つ支援組織のみで構成されることになり、公共の利害に基づいて運営される中立的組織ではなく、業界団体のようになってしまう。欧州連合のICANN政府諮問委員会代表であるクリストファー・ウィルキンソンは、「一般会員制度がなくなれば、政府から見てICANNはカルテルのような存在になり、政府の監視と反トラスト規制が導入されることになるだろう」と理事会に対し警告した。
こうした議論が行われる一方で、一般会員制度の構築は、すでに横浜会議の前から進められていた。ICANNは、理事選挙に必要な一般会員数を最低5千人と設定し、人々に参加を呼びかけた。会員拡大活動は、ローカルなボランティア・ベースの努力であり、成功のレベルは国により様々であった。2000年2月25日、3月のカイロ会議で一般会員制度が創設されることを見込んで、ICANNは人々が会員登録できるウェブ・サイトを開設した。
当初ICANNは、会員登録をせいぜい1万人ぐらいと想定し、余裕を持って、2万人程度の登録が可能なオンライン・システムを構築した。ICANNが、選挙に最低必要な数を5千人と設定したとき、多くの人は、(インターネットのアドレス・システムの技術的管理を主たる目的とする組織にすぎない)ICANNが、バーを高く設定しすぎたと考えた。しかし、いくつかの国々でのボランティアによる会員拡大活動の成功や、ドメイン・ネーム問題が何年もの間報道されてきていたことによる予想以上の意識の向上、そして最も重要なことだが、ナショナリスティックな競争心が組み合わさって、一般会員の登録は、予想されていた1万人をはるかに上回ることになってしまった。
6月はじめに会員数に関する最初の統計が発表され、幾つかの国で行われてきた拡大努力の成功が明らかになった。例えば、米国を除く先進国のほとんどが数百人であったのに対し、ドイツでは4千人以上が登録していた。
理事はアフリカ、アジア・太平洋、欧州、ラテンアメリカ・カリブ海諸国、北米の5地域から一人ずつ選出される。各地域の住人は、自分の地域の候補者にだけ投票できる。6月の最初の会員統計発表は各国のナショナリズムを刺激した。組織的に会員拡大活動を行った国に対して、そうでない国が対抗心を抱いたからである。その結果、「一般会員は必ず自国の候補を支持するはず」と考える候補者が、自国で大規模な会員獲得運動を開始した。こうした予想外の動きが新たな問題を提起した。つまり、当初ICANNは、理事への立候補に際して、自分の在住する地域の登録会員のうちの、10%から支持を獲得しなければならないとしていた。しかし、登録会員数が予想以上に増加したため、10%という数字は各候補者にとって非常に大きなものになってしまった。横浜会議において、この数字は2%に減らされたが、依然として大きな数字であり、また、必要な支持の確保に2週間しか残されていないことも問題であった。これを見たICANNの批判者は、「個人の直接参加をICANNが快く思っていない証拠」だと考えた。
2000年7月31日の一般会員登録締切までに、15万8,593人からの会員登録の申し込みがあった。そのうち2万475人はドイツからで、1万9,501人は米国からである。最も驚きだったのはアジア諸国からの申し込みであった。中国3万3,670人、台湾9,193人、韓国6,439人、そして日本3万8,931人である。横浜でのICANN事務局の報告によれば、アジアからの申し込み数は6月末から伸びたという。予想以上に登録が殺到した結果、ICANNの会員用ウェブ・サイトと登録システムは、全ての登録を処理できなくなってしまった。そして、一部の人々が登録できないまま、一般会員の登録は締め切られた。選挙は10月1日から10日まで行われ、新しい理事は、2000年11月13日から15日に行われる、ICANN理事会の年次会合に参加することになる。
一般会員理事の選出をめぐってICANNは迷走を続けてきた。しかし、ICANN理事会には一般利用者の代表を参加させなければならない。ウィルキンソンの指摘どおり、一般利用者の代表なくしては、各国の政府はICANNを潜在的な反トラスト法違反と考える可能性があるからだ。もし、政府がそのように考えれば、政府はドメイン・ネーム・システムの維持、ひいてはインターネットのガバナンスそのものに規制と監視が必要だと考えるに違いない。それは、インターネットのネーミングとアドレシングのシステムを、民間の手で行うという実験が失敗したことを意味するだろう。インターネットは政府の手を借りなかったからこそ、ここまで成長してきたはずだ。政府の規制と監視が各国内にとどまらず、グローバルなレベルで展開されたならば、インターネットの活力そのものが失われることになる。この問題を乗り越えなくては、ICANNはおろか、インターネットの将来すら危うくなってしまうだろう。
新しい一般トップ・レベル・ドメインの導入問題
ICANNが抱える第二の問題は、一般トップ・レベル・ドメインの追加をどのように行うかという点である。1993年、ネットワーク・ソリューションズ社(NSI)は、誰でも取得できる一般トップ・レベル・ドメイン・ネームである<.com>、<.org>、<.net>のレジストリとレジストラとして活動する契約を、全米科学財団(NSF)から獲得した。それに従ってNSIは、NSFから代行料を受け取って、各種団体から申請されたトップ・レベル・ドメインを登録していた。しかし、1994年末から1995年にかけて、インターネットにおける商業活動が急増し始めた。この状況を見て、米国政府は「ますます商業化するネットワーク運営に使われる補助金を、なぜ米国の税金でまかなわなくてはいけないのか」と考え始めた。そこで、1995年9月、NSFはNSIに対して、<.com>の登録に関して年間50ドルを徴収する権利を認め、同時にNSIに対する支出(代行料)を停止した。3
1995年9月当時、<.com>の下に約10万のドメインが登録されており、それはNSIが、毎年少なくとも500万ドルの収入を見込めるということを意味した。当時、その後のインターネットの劇的な成長を予測した人はいなかったものの、多くの人が<.com>の登録数は確実に増加すると考えていた。そして、インターネット・コミュニティの多くの人が、「NSIの独占は公正なものか」、「他の全ての運用面において、ますます商業化され、競争が進みつつあるインターネットを運用するための正しい方法なのか」と疑問をもち始めた。また、NSIが登録に料金を課し始めるとすぐに、「ドメイン・ネーム登録に関して、NSI以外の会社を選択できるようにならないか」という意見も出てきた。さらに、「<.com>以外の選択肢を提供するような、新しい競争的なトップ・レベル・ドメインの導入は可能か」という問題提起もあった。ドメイン・ネーム・システムへの競争導入の是非に関する議論は、米国政府が『ホワイト・ペーパー』を発表するまで、ほぼ3年もの間続いた。
『ホワイト・ペーパー』を受けてICANNが設立されると、米国政府はICANNに、レジストリとレジストラになるための必要条件を決めるよう求めた。ICANNの三つの支援組織は、それぞれの専門領域に関する提案作成に責任を持つが、新しいトップ・レベル・ドメインの追加に関する権限を有するのは、ドメイン・ネーム支援組織(DNSO)である。
米国政府の要求は、DNSOの下部組織であるネームズ・カウンシルに付託された。さらにネームズ・カウンシルは、新しいトップ・レベル・ドメイン、知的所有権、商標に関するアドバイスを行う二つの作業部会を設立した。
商標と知的所有権についてネームズ・カウンシルは、誰でも知っているような有名な商標(例えば、Coca Colaなど)の保護のために何かしらのメカニズムが必要だとする一方で、全世界規模の有名な商標一覧を作成する必要はないとの答えを出した。商標権者が受ける保護は、新しいトップ・レベル・ドメインの仕組みに従うということも決めた。また、正当な手続きを踏んで、限られた数の新しいトップ・レベル・ドメインを導入し、導入後一定の評価期間が設けられるべきだと提言した。しかし、この問題を検討していた作業部会の、「6個から10個のトップ・レベル・ドメイン導入が適当」とする結論は、ネームズ・カウンシルが理事会に提出したレポートには含められなかった。なぜネームズ・カウンシルがこの提言を無視することになったのかは不明である。一般的に、理事会は支援組織からの提言に従うことが慣例となっており、横浜において理事会は、ネームズ・カウンシルの提言に従って数に言及しなかったということになっている。しかし、数に言及しなかったということは重要な意味を持っている。というのは、理事会あるいはネームズ・カウンシルが、外部から政治的圧力を受けていた可能性があると取れるからだ。有名な商標・知的所有権者たちの多くは、新しいトップ・レベル・ドメインの追加に消極的である。なぜなら、トップ・レベル・ドメインが増えれば増えただけ、保護する手間がかかるからである(例えば、<.shop>や<.store>が導入されることになったら、アップル社は、<apple.com>の他に<apple.shop>、<apple.store>を他者と争って獲得・保護しなくてはならなくなる)。ICANNはそうした筋からの圧力を受け、踏み込んだ決定ができなかったのかもしれない。
ネームズ・カウンシルの提言に関する憶測は、横浜の会議場のあちこちで聞かれた。しかし結局は、理事会がこの問題の決定を先送りしたために失望が広がった。理事会は、新しいトップ・レベル・ドメインの数を発表せずに、その採用のプロセスだけを明らかにした。つまり、新しいトップ・レベル・ドメインの創設とその運用、あるいは資金提供を行いたいと考える者から、どのようなドメインが必要かという提案申請を受け付け、ネームズ・カウンシルの提言をガイドラインとして、それを審査するというのである。その申請にあたっては、必要な費用として、申請料としては高額の5万ドルを支払うことが求められた。
横浜会議において理事会は、トップ・レベル・ドメインの申請受付期間を8月1日から10月1日とする強行スケジュールを設定した。そして、申請されたものの中から、事務局独自の基準により妥当と思われるものに関して、10月15日までパブリック・コメントを受け付ける。理事会承認後の11月20日、ICANN事務局が、理事会が承認したものの中から適切と思われるもののを選出し、トップ・レベル・ドメインのスポンサー、レジストリ、運用者として契約交渉を開始する。そこではどのような基準で審査されるかは不明である。交渉終了の目標は12月31日である。
ICANNは、この強行スケジュール以外、細かい問題については何も決定しなかった。審査基準さえ明らかにされず、ネームズ・カウンシルの提言に沿うという以外に情報は提供されなかった。しかし、その決定を行った理事の中にも、議論の質が低く、ドメイン・ネーム・システムの発展にどのように理事会が関わっていくのかに関する指針が欠けていることに、フラストレーションを感じていたメンバーがいた。会議中、多くの理事が6個から10個の新しいトップ・レベル・ドメインを期待すると発言したにも関わらず、議事録に入れられた注釈は、「強硬な日程とスタッフの作業量から想定すると、新しいトップ・レベル・ドメインの数は少なく抑えられる」というものだけであった。5年の歳月と世界の全ての大陸で行われた国際会議に使われた膨大な費用が生んだ結論は、「適切な数の新しいトップ・レベル・ドメインの導入に対して、ICANNには十分な資源が不足しているため、その数は限定される」という、失望を呼び起こすものでしかなかった。
多くの人はまた、高額な申請料に懸念を表明した。5万ドルは、商業ベースの組織にとってはさして大きな金額ではないにしろ、非商業ベースの組織にとっては大きな負担であり、特に、ICANNがどんな基準で審査するかがわからなければ、リスクの大きなものとなるだろう。
ICANNが申請者のメリットを考えるならば、こうした申請を、希少資源の利用に関するライセンス申請であるかのように取り扱うべきではない。例えば、電波の周波数は有限であり、その分配には公正な競争あるいは正当な手続きによる裁量が必要だろう。時には政治的な判断が求められることもある。しかし、トップ・レベル・ドメインの追加はドメイン・ネームという資源そのものを拡大させようとする試みに他ならない。政治的な思惑で左右されることがあってはならない。ICANNは、各申請者が提案する新しいトップ・レベル・ドメインの必要性の有無を審査し、その申請者の利害関係を判断するに際して、オープンかつパブリックなコンセンサスに基づくプロセスを採用すべきである。
ICANNの理事会と事務局が不明確な基準で審査するということは、政治的な思惑の余地を多く残していることを意味する。それは、貿易慣行における反トラストなどと変わらない不公正なものである。
ICANNの将来
ICANNは、明らかに問題を抱えたままで、最初の民主的な一般会員理事選挙を進めている。一般会員理事に関する定款と組織構成を変えようともした。1998年10月に設立されて以来、ICANNは9箇所で定款を変更してきた。多くの人は、こうした組織としての不安定性が、ICANNの信頼性を著しく低下させていると考えている。信頼を回復するためには、一般会員理事の選挙を成功させるとともに、残りの4人の一般会員理事をどうやって選出するか、慎重に判断しなくてはならない。
また、新しいトップ・レベル・ドメインの申請プロセスとその結果は、インターネットの機能を民営化する試みが、成功するか失敗するかの判断材料として使われるだろう。誰もが公正と認める方法でトップ・レベル・ドメインが追加されなかったとしたら、ICANNはその求心力を失い、求められる役割を果たすことができなくなるだろう。
ICANNが抱えるこの二つの問題は、自律・分散・協調といわれてきたインターネットが、今後も政府の介入を受け入れることなく存続しえるのかという、根本的な問いかけへとつながる。ICANNは『ホワイト・ペーパー』が提示した原則に立ち返り、政治的な思惑を排除した合意形成を目指すべきである。そして、われわれは、ICANNの将来がインターネットの将来を左右する重大事であると再認識する必要がある。
翻訳:土屋大洋(主任研究員)
1 Department of Commerce, National Telecommunications and Information Administration, "Management of Internet Names and Addresses (White Paper 6/5/98) <http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/domainname/domainhome.htm#3> 参照。『ホワイト・ペーパー』は、ドメイン・ネーム・システムの発達と、米国政府の関与前の論争に関する包括的な歴史を提供している。
2 Lawrence Lessig, “A Bad Turn for Net Governance”, September, 1998, TheIndustry Standard <http://www.thestandard.com/article/display/0,1151,1718,00.html>. この懸念は新しいものではない。初期からインターネットに関わってきたエンジニアや、ネーミングとアドレスの機能を民主化しようとしてきた人々が、ICANNを作ったとレッシグは述べている。
3 現在のことについては以下を参照。David S. Bennahum’s interview with Dr. Jon Postel, September 1995 <http://memex.org/meme4-01.html>. (※このインタビューは、ネットワーク・ソリューションズがドメイン・ネーム登録に課金を開始することを宣言した週に行われた。)