"IP over the Air"最新動向
上村圭介
シドニーオリンピックが開幕し、それにあわせて日本ではBSデジタル放送の試験放送が開始されました。BSデジタル放送の本格的開始が近づくにつれて、BSデジタル放送の仕組みを利用したインターネットへの期待も次第に高まっています。これは、デジタル化することのメリットを旧来の「放送」だけに使うのではなく、コンピュータ向けのコンテンツ配信にも利用しようということが狙いと言えます。現実的には法制度上の点から難しいところもあるのですが、今回は、電波によってインターネットコンテンツを多くのユーザに同時に送信する“IP over the Air”の最近の動向についてご紹介しましょう。
“IP over the Air”とは、一言で説明すれば「インターネットを空から降らせる」サービスを提供するための技術ということです。もう少し詳しく言えば、ブロードキャスト型の電波を利用したインターネット/イントラネットサービスということになるでしょう。似たものとして“IP over DTV”がありますが、これはデジタル放送用に確保された帯域をインターネットに「転用」するものであり、デジタル放送用の帯域を利用せずにIP通信を行うサービスも存在しますので、ここでは総称してブロードキャスト型の電波を使ったインターネット/イントラネットサービスのことを“IP over the Air”と呼ぶことにします。また、いわゆる“Mobile Internet”のような、移動体端末用の移動インターネット技術とは区別しておきたいと思います。大きな違いは、“IP over the Air”技術では、受信側は移動体端末とは限らないことと、双方向サービスを想定しないことの二つです。
“IP over the Air”の技術は、通信衛星からの電波を使ったものがもっとも一般的ですが、放送衛星からの電波や、地上波を使ったものも存在します。まず初めに、“IP over the Air”のサービスにはどのようなものがあるのかを概観しておきましょう。
ユニキャスト型サービス
ユニキャスト型は、衛星通信を使って通常の地上系のインターネットと同じように双方向の通信を行うものです。冒頭で示した定義に従えば、“IP over the Air”技術とは言えないのですが、これまでのサービスの実績などを見てみると、初めユニキャスト型として試して成功せず、マルチキャスト型に転換した経緯もあるようですので、まずユニキャスト型のサービスを振り返っておきましょう。
もっとも典型的なものは、上り回線と下り回線の両方に衛星通信を使いますが、下りだけに衛星を使い、上り回線には有線系のインターネットを使うハイブリッドのものもあります。ユニキャスト型は、受信を単独で行うか、複数のユーザ単位で一括して行うかという点で、衛星モデム型と衛星ルータ型に分けられます。
衛星モデム型は、一人のユーザが衛星リンク(の一部)を占有して双方向の通信を行うものです。上り回線と下り回線の両方に衛星を使うサービスの場合は、衛星の電波を受けることができるところであれば、どこからでも利用可能となるのが特徴です。(図1)
衛星モデム型が、一人のユーザにだけサービスを提供するのに対し、衛星ルータ型は「LAN単位」でサービスを提供するものです。LANに接続されたユーザ全員に対してユニキャストのサービスを提供するため、一人あたりのコストが下がり、企業向けのサービスとしては現実味をもっています。日本では、MegaWave Pro、DirectPCなどがこのサービスを提供しています。(図2)
以前は日本でもこのタイプのサービスを行う個人向けプロバイダも存在しましたが、現在では個人向けサービスはマルチキャスト型に移行しています。例えば、NTTサテライトコミュニケーションズ(NTT-SC)では、ユニキャストサービスのMegaWaveというサービスを、個人ユーザを対象に提供していました。MegaWaveは、衛星を利用して高速インターネットを提供するという点では非常に画期的なサービスでしたが、NTT-SCが提供できる衛星インターネット全体の帯域は一定であり、ユーザの増大によって一人あたりの帯域が極端に低下する時間帯が生じたこと、高コストな衛星通信を使うわりには、サービス料金が低く設定され採算が合わなかったなどの理由で、2000年9月末でサービスを終了しました。衛星を利用した通信と言えば、携帯電話サービスの「イリジウム」が事業として失敗してしまったのは私たちの記憶にまだ新しいところです。そういう経緯もあり、衛星を使ったIP通信では、次で示す“IP over the Air”型のマルチキャスト配信の比重が高くなっています。
マルチキャスト型サービス
ユニキャスト型の高コスト性を解消することと、電波が本来的にもつ一斉同報性を活用するという二つの点で、現在衛星を使ったIP通信サービスの主流となっているのがこのタイプです。要は、衛星によってテレビ番組を放送する代わりに、インターネットのコンテンツを空から降らせるというもので、冒頭で示した意味での“IP over the Air”ということになります。衛星からの下り回線だけでは十分なサービスが提供できないため、大抵は上り回線として地上系のインターネットを利用しています。
マルチキャスト型サービスでは、CS放送と同じ衛星を使いながら、テレビの衛星チャンネルとは別に、IP通信を行うための専用チャンネルを持っているものが大半です。NTT-SCが新しく開始したMegaWave Selectなどがこのタイプに該当します。また、CATVネットワークに対して、衛星インターネットでデータを転送するHitHopsと呼ばれるサービスも、このタイプになります。(図3)
これまでに紹介したサービスを整理すると次のようになるでしょう。
| ユニキャスト | マルチキャスト | |
| 単独 | 旧MegaWave | MegaWave Select |
| LAN | Mega Wave Pro DirecPC |
HitPops DirecPC |
電波の「受け方」の違い
これまでに紹介してきたものは、衛星通信の一部を「間借り」した専用のチャンネルをもつタイプですが、この他に、デジタルテレビ用に割り当てられた帯域の余った部分をIP通信用に利用する、言わば「共用チャンネル型」のサービスがあります。共用チャンネル型の代表例として注目したいのはGeocast Networksです。これはDTVの余分な帯域にインターネットコンテンツを埋め込むもので、アメリカでは地上波デジタルテレビ放送で「余って」いる帯域を利用して、IPマルチキャストを行い、コンピュータ向けのコンテンツを配信しています。DTVを放送しつつ、その傍らでマルチキャストコンテンツも流せるところが特徴です。(図4)
コンテンツの受け方
マルチキャスト型サービスでは、すべてのユーザに同じデータを一斉に送信することになりますが、単に衛星から降ってきたコンテンツを、受信するのと同時に受信端末で再生するのでは、テレビやラジオと何も変わりません。そこで、マルチキャスト型サービスのこの制約を超えるために、コンピュータで利用することのメリットを活かした、いくつかのバリエーションがあります。そこで、マルチキャスト型サービスをコンテンツの受信と再生の方法の点からもう少し見てみましょう。
マルチキャスト型は、一つの送り手から、複数の(一つであってもいいが)受け手に対して、一斉に同じデータを効率的に送信できることから、放送サービスとしばしば比較されます。どのような受け手にとってもデータを送り届けられるので、時事報道、気象情報、株式市況などの一斉通知に使われる傾向があります。
ところが、マルチキャスト型のネットワークでは、情報は送り手がスケジュールしたとおりにしか送られてきません。インターネットはしばしば「双方向の」メディアだと言われてきましたが、これはユーザが情報を必要としたときに、その要求に応じて情報を受信することができるということです。しかし、マルチキャスト型のネットワークでは、極論すれば、情報の受け手は情報を受動的に受けるだけということになってしまいます。
もちろん、今のテレビやラジオでもそうであるように、流れてくる情報のチャンネルを選択することである程度の能動性は持つわけですが、この場合でも、時間が過ぎたものを見ることはできません。テレビ番組は、時間とチャンネルの2次元の表で一覧されますが、実は時間を選択することはできないので、チャンネルを選択する次元と、見たい番組が放映される時間に自発的に予定を開けておくという消極的な選択しかできない0.5次元とが組み合わさった1.5次元の表なのです。インターネットの多くのコンテンツのように、ユーザの要求に応じて、コンテンツが配信されるわけではありません。
そこで、マルチキャスト型のサービスの中には、ディスク装置にデータを記憶しておき「時間差で」再生できるようにすることで、そのような欠点を補うものが出つつあります。
例えば、Geocast Network Systemsが現在開発中の“Personal Server”は、ユーザが気付かないうちにコンテンツを受信し、ディスクに蓄積します。ユーザが、コンテンツを利用したいと思ったときは、ディスク上に既に記憶されているコンテンツの中から検索し、目的のものを探し出して再生するという手順を取ります。こうすることで、マルチキャストでありながら、コンテンツに対するユーザのコントロールを相当程度高めることが可能になります。
また、Geocastの仕組みを使えば、ウェブサイトを丸ごと転送しておき、ユーザがそのページをリクエストするとネットワークを解さずにページを表示させるということも可能です。これは単なるキャッシュとは異なり、Akamai、Inktomiなどのコンテンツデリバリネットワークを提供する事業者が行っているのと同じことをユーザのローカルな環境で行うものです。もちろん、ウェブサーバの提供者がアップデートするのに応じてユーザのPersonal Server内のデータを更新するなどの機能にも対応しています。
ここで紹介したGeocastのPersonal Serverの発想と似たものに、TiVoやReplayTVなどの「タイムシフト」型テレビがあります。タイムシフト型テレビとは、放映中の番組を逐次に「録画」しておき、番組の一時停止や巻き戻し、あるいは一度録画した番組であれば早送りなどが可能になるもので、Personal Serverと機能的に重なる部分はありますが、タイムシフトテレビでは、番組(または裏番組)を時間差で見せることができることが基本機能ですので、コンテンツの送り方は従来の番組表を元にしている点などが異なっていると言えるでしょう。
マルチキャストを単なる大容量の一斉同報と考えてしまうと、インターネットがユーザにもたらした多様性や双方向性などの特性が失われてしまいますが、一斉同報することによって失われた特性を、ディスク記憶によって置き換えることで、新たなサービスが生まれようとしています。このように、衛星通信などの手段を利用した“IP over the Air”のサービスは、個人消費者向けには、マルチメディアコンテンツを一括して配信するサービスとして生まれ変わりつつあります。
アメリカでは、地上波デジタル放送が既に開始されていますが、当初期待したほど高画質の番組が放送されていないことから帯域が余っていると言われます。そこで、この余った帯域を利用したインターネットコンテンツ配信が、デジタル放送の代替として期待されており、ここで紹介した“IP over the Air”の技術が注目されています。日本では2000年12月12日からBSデジタル放送の本放送が開始されますが、成りゆきによっては、ここで紹介した“IP over the Air”の技術が注目されるようになるかもしれません。