『韓国併合への道』
呉善花著
2000年10月12日、『韓国併合への道』を テ ーマに、呉善花(オ・ソンファ)GLOCOM主任研究員によるIECP読書会が行われた。
1. 著者のスタンス
著者は、強固な中央集権の李氏朝鮮による小中華思想(中国を宗主国として仰ぎつつ、周辺国、特に日本を蔑視する思想)からの価値観や制度の中に、今日まで続く反日感情のルーツを指摘する。この説は、韓国人の「常識」からは全く異端視され、日本に買収された意見とまで言われた程である。そして、今回のこの本の論旨は、日本による韓国併合が、実は韓国側にも日本に併合されざるを得ない歴史的な事情が存在したのだという点にある。これに対し、今のところ韓国内では意外なほど反応がないという。
2.韓国は変わったのか?
1997年の経済危機を契機に韓国に大きな変化が起きている。南北会談に加えて、日本を意識した観光開発、日本企業誘致、IT重視政策などであり、この間、反日感情もか なり薄まってきた。
3. 韓国の歴史
古代の三国時代を経て、新羅による統一、その後の480年にわたる高麗王朝までは仏教国家であり、寺院建築や絵画や青磁など文化的には最も輝いていた時代であった。 1392年の李氏朝鮮の建国以来、世界にも希な約500年も続く長期王朝は、儒教思想に基づくイデオロギー国家で、この間仏教を弾圧し、文化的にも停滞した。支配層は、 国家官僚となる資格をもった両班(文官である文班と武官である武班)であり、末期になる程、世襲による両班が人口の48%にまで増大し、かつ両班内部の不毛な内紛が激化した。その下には常民階級である農・工・商があった。職人層は蔑視され、その作品にも名を残すことはなかった。李朝では、科挙に合格した両班の子弟から成る、ソウル中心の中央集権の縦の官僚機構による統治が徹底した。両班というものの文人が重視され、人口1300万の内、軍人はわずか2千人に過ぎず、軍事的には、宗主国である清に依存する体質であった。
4.李朝末期
日本の明治維新前夜にあたる26代高宗の時代は、欧米列強による開国要求が激しく、李朝は建国以来最大の危機を迎える。李朝末期は、より儒教的・身分的・専制君主志向の後ろ向きの政策が行われた。特に、高宗の父である興宜大院君(高宗の父)および妃である閔妃(ミンピ)による統治は、この間中国や日本が開国に向かう中で、極めて復古主義の強い政治であった。その中でも特筆すべきは、独立・開化を目指した金玉均(1851〜94 日清戦争勃発の前年に暗殺)など独立党の動きであり、この間の日本の動きも見逃せない。結果的には改革派の動きは弾圧され、この間、李朝政府は、清 ・ロシア・日本の狭間で揺れ動き、恐怖政治を続けたのである。
5.ハングル文字
1443年にハングル文字が制定される。ただし、当時の書き言葉は漢文であり、ハングル は長らく普及はしなかった。戦後、漢字を廃しハングルが採用され、今日では 80%が ハングル文字世代となり、漢字文化との断絶が危惧されている。ソウル大学の63万冊の蔵書利用率は2%という。韓国の言葉の80%は漢字起源であり、表音文字であるハングルでは非常に多くの同音異義語が発生する。漢字を失ったことによる抽象表 現や想像力の欠如、発想そのものの単純化を危惧するとの指摘は、英語やカタカナ語への対応も含め、日本にとっても他人事ではない。
小林寛三(GLOCOMフェロー)