CRM四方山話
青柳武彦(主任研究員)
インターネットを利用した電子商取引が進展するにつれて、CRM(Customer Relationship Management)への関心が深まっている。CRMは、SCM(Supply Chain Management)やERP(Enterprise Resource Planning)と共に、IT経営革新の理念を現す言葉の一つである。従来はコスト的に実現に困難で、殆ど夢に近かった部分が多かったものであるが、情報通信技術、特にインターネットの発達と電子商取引の発展により、十分にかつ広範囲に実行可能になりつつある。それが現在CRMが注目されている所以である。
考えかたそのものは、従来からの経営学やマーケティング用語でいう、“One to One Marketing1”、 “SFA(Sales Force Automation)2”、 “Data-Base Marketing3”、 “Tele-Marketing4”、 “Direct Marketing5”、 “FSP(Frequent Shopper's Program)6”、 及び “CSM(Customer Specific Marketing)7” などの中で共通に主張されてきたものであり、特に新しいものではない。とはいえ、単なる「お客様は大事にしましょう」という掛け声でも標語でもない。顧客を大切にするのは当たり前のことであるから、わざわざそれを経営戦略として掲げるということは、それなりの意味がある筈である。
1. CRMとは?
CRMの訳語として「顧客関係性管理」や「顧客関係管理」という言葉が当てられているが、筆者にはどうもピンとこない。誤訳というほどではないのかもしれないが、どうもCRMの本質をついている表現とは思えないのだ。CRMの本質は、「顧客関係(性)を管理する」ことではなくて、「顧客関係性に重点を置いた経営を行う」ことだからである。
企業の内部には必ずCRMに競合する、あるいは対立する価値体系がある。それを乗り越えてCRMを重視する経営方針を持つかどうか、ということがポイントである。それが、単なる標語以上の意味がある所以といえよう。したがって筆者は「顧客関係性による経営」又は「顧客関係性重視経営」という訳語の方が良いと思っている。GLOCOMの米国人の同僚に意見も聞き、調べてももらったが「あなたの意見の方が正しいだろう」とのコメントをもらった。8
CRMにおいては、従来のように市場シェアだけを気にしているのではダメと考える。顧客との理想的な関係を構築して、顧客に与える満足度を向上させることにより、顧客シェア(ある特定の顧客の全購買中に占める自社製品のシェア)を高めなくてはならないと考える。消費者の立場から言うと、企業が自分を市場の一構成要素ではなく、どこのだれだれという個別的存在として対応してくれるというわけであるから気分は良い。
更にまた、継続的に顧客価値を維持・拡大することにより、当該顧客が生涯にわたって自社にもたらしてくれる可能性のある価値=LTV(Life Time Value=生涯価値)を最大にするように、常に努める必要があると考える。企業も顧客も互いに末永くつきあいましょう、というわけだ。
実際に、企業の収益性に大きな影響を与えるのは、むしろ商品別の市場シェアではなくてLTVであるという実証的な研究が行われている。ラビ・カラコタ博士9 及びマルシア・ロビンソン10はこのような事情を調査して統計的分析を行い、“e-Business”という著作の中でCRMの数値的な裏付けを発表しているので、以下に紹介する。多少、本当かなと首をかしげる部分がないでもないが、分かりやすいし説得力もある。
(1)「新規顧客開拓は、既存顧客維持より6倍のコストがかかる」
たしかにそうかもしれない。別の調査研究であるが、米国のサウスウエスト・エアライン社は市場シェアが低いにもかかわらず高収益をあげている。固定客の層が厚いので収益性が極めて高いのだ。同社の場合、新規顧客の開拓は、既存顧客からの追加購買を獲得するコストの7倍(上記調査と数字がちょっと違うが)もかかるので、LTVを最重視した方が収益性確保には効率的であるというわけだ。
(2)「不満を持った顧客は平均9人の知人に話す」
これはマイナスの評判が如何に早く市場をかけめぐるかについての警告である。消費者はわがままなものだから、仮に完全無欠の商品(そういうものは存在しないが)を買ったとしても、必ず何かしらの不満を抱くものである。特に自動車や住宅などの高額商品はそうである。そうなると顧客に満足を与えるためには、完全無欠な商品を作り出して売ろうと試みる(どの道コスト的に無理)よりは、顧客の不満を如何に吸収して気分を直してもらうかに全力を尽くした方がコストは安いし、効果も大きいということになる。
そのくらい顧客との良い関係を樹立することが重要であるということだ。極限すれば、多少の欠陥はあった方がむしろ良いということになる。もちろん深刻な欠陥では致命的になるが、見方によっては欠陥ともいえなくはない、という程度の欠陥がちょうどよいのだろう。
(3)「顧客保持率を5%増やすと収益が85%増える」
顧客は放っておけばどんどん減るものであるから、顧客保持率の低減をカバーするだけの新規顧客開拓を行わなければ、売上高は維持できないことになる。上記(1)に見るように新規顧客開拓のための費用は極めて高額であるから、こういうことも有り得ることは納得できる。
(4)「 既存顧客への販売可能性は50%あるが、新規顧客へのそれは15%」
これは感覚的にもうなずける。一旦ある商品を購入すると、同じブランドまたは同じ企業については何らかの愛着が生じるのは当然である。しかるに、この原理を活用している企業は驚くほど少ない。顧客に買ってもらったら「その後、支障はございませんか」位のフォーローアップの電話くらいは入れたらどうだろう。しかし、実際にはほとんどの企業がこんなことはやっていない。セールスマンにしてもガミガミと文句を聞かされるのは必定であるから気が重いのであろう。しかし、そのために金銭に代え難いチャンスをみすみす逃しているのだ。
文句をいう客からは、もしかすると本当に役に立つ商品改善のヒントを得られるかもしれない。何よりも、誠意を持って対応すれば、その顧客が将来また自社の製品を買ってくれるかもしれない可能性を確保することができるという、極めて大きいメリットがある。
(5)「クレームに迅速に対処すれば70%が取引を継続」
これも、顧客の心をつかむためには完全無欠な商品を供給するよりは、顧客の心をつかむ努力をした方が良いという事実を物語っている。
クレーム対応は企業にとって一種の危機管理といって良いが、危機管理の要諦の一つに「災いを転じて福となせ」というのがある。どんな深刻な危機の場合でも、いくつかある対応の選択肢の中には将来のプラスを産み出す可能性のあるものが必ずあるものである。例えば企業が倒産の危機に瀕した場合には、平時ではできないような思い切った構造改革を全社員が心を合わせて断行することが可能となる。それが市場の変化に対応する生き残り策になる場合が多いのだ。対応にはどの道、相当の労力と費用をかけねばならないのであれば、将来のために前向きに生かすことができる側面に注力するのが望ましい。
(6)「90%以上の企業では、『販売』と『サービス』の統合がなされていない」
統合がなされていないどころか、顧客サービス部門を外注に出してしまっているところが多い。外注に出さないまでも、サービスをCRMのチャンスとして捉えている企業の如何に少ないことか。これだけ競争が激しくなっている世の中なのに不思議である。この分析は米国の話ではあるが、日本も同じようなものだろう。90%以上もの企業がまだCRMを十分実行していないということは、ある意味では朗報である。競争に参入して勝ち抜く可能性があるということだ。
2. CRM不在の経営
顧客を大切にするのは当たり前のことであるが、「言うに易く行うに難し」である。CRMを採用しないとどうなるか、つまり対立、競合する価値体系の方を優先するとこういうことになる。
アンチCRMに陥りがちな組織の論理
組織における価値体系は、組織の都合や管理の便宜を中心として組み立てられていることが多い。某コンビニエンス・ストアの会長からうかがった話である。あるデパートへ行ったら社員が飛んできたそうである。
「○○○の会長さまでいらっしゃいますか?」
「はいそうですが・・」
「恐れ入りますが、ちょうど手前どもの社長があちらにおりますので、ご挨拶をお願いできませんでしょうか?」
「私は客ですよ。お宅の社長が会いたいなら、こちらにお出でになったらどうですか?」
「・・・・・・・・」
この社員にしても悪気はなかったに違いないが、組織の一員として社長に対するロイヤリティを示したいという内心の価値体系を重視するあまりに、それをCRMに優先させてしまったものである。
パソコン
パソコンは、これほど競争が激しい開発・販売競争が行われているにもかかわらずCRM不在が随所に見られる不思議な例である。メーカの技術者が技術的理想に燃えて、造りたい物を造っているだけではないかと勘ぐりたくなる。利用者には不必要な機能とソフトを満載しており、そのために価格も下がらない。処理速度も記憶容量もせっかくインテルが開発努力をして作り出しても、ソフトを造るマイクロソフトが全部費消してしまって、何時になっても消費者のものにならない。「インテルが創りマイクロソフトが費消する」という言葉の通りである。
パソコンのエラーメッセージ表示などはCRM精神不在の最たるものである。特に間違った操作をしたわけでもないのに「不法な操作をしたのでファイルを閉じます」などというメッセージが表示されて、ストップしてしまう。利用者をまるで犯罪者扱いである。利用者が気を悪くしているのは誰でも知っていることなのに、不思議なことに何年たっても誰も直さない。
新しいパソコンの立ち上げは実に煩雑である。分厚いマニュアルを読みこなさないと初期設定もできない。インターネットに繋げるなどは、これからパソコンに挑戦しようという主婦(決して差別しているわけではありません)や中高年には殆ど無理といってよい。この問題も古くから指摘されている問題であるが誰も直す気はないようである。
「キャプテン」は、利用者発信能力が不足していた為にコンテンツが成長せず、残念ながら国民的ネットワーク資源としては不発であった。しかし、簡単に立ち上げることができるという点ではCRM重視の設計思想が盛り込まれていた。キャプテンのように、基本的な使い方は、素人でも機器を買ってきてプラグに差し込むだけでできるというシステム環境を先ず整えるべきである。しかる後に、熟達者はオプションでより高度なバリエーションを実現することができる階層的なシステム環境を創ることはできないものだろうか。
もっとも現在のように電話線を使ってインターネットに接続する方式の方が多いという情況では、これをプラグイン方式で標準化して固定してしまうのは良策ではない。まず、広帯域通信サービスを低額の定額料金で常時接続にして、いくらでも使えるという環境を作ることが先決だから。
役所の窓口行政
役所の窓口行政には顧客(住民)サービス精神が全く不在である。縦割り行政という役人の仕事の都合に顧客関係性を従属せしめているから、単純な仕事の受付にも住民は窓口をたらいまわしされる。誕生、死亡、結婚、引越し、国民健康保険、年金事務などの普遍的な手続きは、一度で一箇所の窓口でできなければおかしい。住民は腹がたっても他の役所に行くわけにゆかないから我慢をせざるを得ない。
証券会社などは、規制緩和と共に全ての金融取引をワンストップでできるようにして顧客サービスに勤めて競争に生き残れるように必死になっている。しかし、役所のサービス部門には競争がないために管理者側の都合が常に優先されてきたものである。
現在、電子政府の実現が提唱されているが、役人の今までのやり方をそのまま電子化するのでは、国民は何時までたっても窓口をたらいまわしにされることになる。是非ともCRM精神を導入してワンストップ窓口の実現を望みたい。
この他にもCRM不在の例は枚挙にいとまがない。かつての旧国鉄の経営はCRM不在どころかその対極にあるものであった。顧客に対するサービスはないがしろにしてストライキばかりうっていた。チッキと略称された鉄道手荷物などは、乗客に対して荷物を「持ってこい、取りにこい」の殿様商売であった。宅急便にかなうわけがない。
これらのCRM不在の例は、全て顧客無視でも仕事が続けられた環境における出来事である。CRMは、競争環境における必然的な企業戦略であるということができよう。
3. eCRM
CRMによる経営を実現させるためには、経営陣と社員全員の意識改革を行うことが必要である。そこで、意識改革を待たないで情報通信システムを活用したソリューション・システム(eCRM)を導入してしまうのも一案である。
心がなくても形を先に導入してしまえ、というわけである。すると「心が伴わないのに形だけ真似しても何にもならない」という人が必ず出てくるものだが、間違っている。実現困難な正論だけ述べて方法論を示さないのは百害あって一利なしである。
マクドナルドの店へ入ると店員が大声で「いらっしゃいませ!」と叫んで、最敬礼をする。マニュアルにそうせい、と書いてあるからだと分かっていても悪い気はしない。あるコンビニエンスストアでは、「こんにちは!」である。「いらっしゃいませ!」なら黙っていても差し支えないが、「こんにちは!」といわれると、何かいわないと申し訳ないような気持になって、「どうも」なんて頭をさげてしまう。店員にとっても最初は客を大事にする「心」が無くても、丁寧にする「形」をとっていると、自然に客を大切にする心がともなってくるものである。
eCRMには、顧客コミュニケーション管理11、顧客接点管理12、顧客ポートフォリオ13、顧客知識データベース14等があるが、これを活用していると自然にCRMの形ができる。心も後からついてくるから意識変革もできるというものである。
このeCRMオペレーションをプロフィット・センター扱いにしているか、 コスト・センター扱いにしているかで企業の意識改革の程度がわかる。コールセンターを例に取ると、米国では53%の企業がプロフィット・センター扱いとしているのみである。つまり、47%の企業はいまだに、守備的な取引メンテナンス程度の気持ちで外注に出してしまったり、コストを一般管理費扱いにしてしまっているだ。(外注に出しても積極的に取引推進に活用しているところも勿論ある)
前にも述べた通り、アウトバウンド(発呼)のテレマーケティングにおいては、顧客に電話をした時に嫌がられたり反感を持たれたりしないようにしてメッセージを聞いてもらうことが第一歩である。高額商品を買ってもらった後などは、顧客に電話をガチャリと切られる心配は皆無なのであるから、長期的な好ましい関係を創り上げる極めて貴重な機会なのだ。
しかし筆者の経験からいっても、何か買った後で店から「お買い求め頂き有難うございました。ご不満はございませんか?」などという電話をもらったためしがない。だから顧客は、常に一つのブランドから他のブランドへと浮気に走るのだ。一つ買ってもらったら、全ての不満を吸収してその顧客を取り込まなくてはいけない。
また、eCRMのソリューションを実践するにあたってはインターネットを活用することが極めて重要である。インターネットの普及により、個人、企業、NPO、NGO等がエンパワーされた結果、従来からの規範意識からはみ出てしまうような積極行動主義が増えている。このような社会現象をサイバー・アクティビズムと称しているが、それには光り輝く面だけではなく、暗黒面もある。
NPO活動によるWTO総会への妨害、東芝ビデオデッキ修理問題、ナプスター/ヌーテラ問題など、従来の社会制度の枠を越えた社会現象が起きている。このような情報化の新局面においてCRMを考えるには、従来とは異なる全く新しい視点が必要である。
マーケティング戦略の策定のために、インターネットを通じて消費者情報を蒐集して活用することは極めて有力である。POS情報だけでは全く得られない情報が手に入る。例えば、2000年8月に行われたプリマハムによるリカちゃん人形プレゼント・キャンペーンなどは大成功を収めた。ニコンのデジタルカメラ用レンズ「テレスコマイクロ」キャンペーンの成功も、インターネット上での消費者のチャットやおしゃべりから得た情報を利用したものである。IT時代のマーケティング企画はインターネットの消費者情報なしには生まれてこないだろう。
4. CRM重視の経営
今度はCRM重視の例である。
アスクル
アスクル(株)は、もともとは文具メーカのプラス(株)の通販部門として発足した会社である。転機は、ある顧客から競争相手の会社の製品を供給するように要請された時におとずれた。もし親会社から出向してきていた社長が、また親会社に戻って出世したいなどと考えていたら、そのような要請は蹴っていたであろう。
しかし、その時にCRMにより客へのサービス改善を優先して考えたことから急成長が始まった。「お客のために進化する」をモットーとして経営を行った結果、インターネット経由の受注比率が自然に高くなったとのことである。CRMを選択するということは、その他の価値体系を廃止または組みなおして、経営を顧客優先主義に組み替えることである。
日立建機
建設機械の業界は長い間、コマツの一人勝ち情況であったが、最近大きな変化が起こりつつある。日立建機鰍フ急追である。同社は、建設機器の製造、販売、リース業であるが、最近の「日本企業のIT経営度総合ランキング」においては、親会社の日立製作所が41位なのを尻目になんと第2位に躍進した。
同社は米国ベンチャー企業であるファイヤー・ポンド社と提携して、同社の受注生産システムを導入して、事業モデルの変革を行った。その結果、例えば「ご希望のパワーシャベルを作ります」というような、顧客の希望を中心とした製品揃えを行う営業が可能になったものである。従来は、生産している何通りかの機種の中から選んでもらうしかなかったものであるから、顧客の立場からいうと、常に「帯に短し襷に長し」のきらいがあった。
この受注生産では、例えばパワーシャベルを欲しい顧客は、馬力、アームの長さやバケットの大きさ等、希望のスペックを営業マンが持参するコンピューターに入力すれば良い。必要な馬力を出すエンジンを入力すると、組み合わせが可能な部品とその仕様がディスプレイに映し出される。そして画面のアニメーションで完成品イメージが表示される。
こうして発注後4日後に「カストマイズド建機」が届けられる。従来は営業マンの粘りと価格が勝負であったが、今後はCRMで勝負することができる。こうして、既に日立建機は2000年度の国内シェアは30%を実現し、20年間首位の座を守っているコマツに迫っている。
シスコシステムズ
シスコは、95年にジョン・チェンバースがCEOに着任して急成長期を迎えた。チェンバースの着任当時は同社は従業員300名、年間売上7,000万ドルしかなかった中小企業に過ぎなかった。しかし着任後たったの3年目、創業後でもわずか15年目の99年度には約122億ドルの売上を誇る大企業にまで急成長したのである。
シスコの急成長の秘密はCRMにあるとジョン・チェンバースは明言している。同社の反面教師であるIBM の社是は “Think”(市場の動向、技術動向、その他について常に考えよ)であるが、シスコの社是はこれと対照的に、
“Listen” (顧客の声を聞け)である。経営戦略を決めるのは自社の技術ではなく、顧客のニーズであるというわけだ。
シスコにおいては、商品開発の場合にしても技術者が造りたいもの、あるいは経営者が技術動向から見て造るべきであると思うものを造るのではない。顧客が欲しがるもの、金を払ってくれるものを造る。しかし顧客が常に正しいわけではないから、大きなリスクはある。しかし、それでもシスコによると「自分が独自に考える場合よりもリスクが少ない」のだそうだ。
シスコ急成長のきっかけとなった93年のクレセンド買収もCRMの結果である。顧客のボーイング社が「この1,000万ドルの注文は、御社には無理なのでクレセンド社に発注する」といった由。シスコは「ちょっと待ってくれ」といって、同社を買収してしまった。
デル・コンピュータ
デル・コンピュータ社の例はCRMとSCM(Supply Chain Management)の見事な合体ということができる。同社は2000年のPC販売実績で遂に全米の第1位に躍り出た。同社は消費者向けの直販の方が有名なので B to C に分類される場合があるが、実は90%が企業や官公庁向けのB to B 調達ビジネスである。現在、販売店経由の販売は一切やめて企業及び消費者向けの在庫を持たない注文生産としている。
創業社長のマイケル・デルは、少年時代から当時のコンピュータ・ビジネスへの疑問を持っていた。IBM-PCの販売価格は3,000ドルもするのにパーツを買ってきて組み立てれば600ドルでできてしまう、販売店の仕入れ価格でも2,000ドルに過ぎない、販売店は1,000ドルも儲けているくせに何の知識もないし顧客に対してたいしたサービスはやってくれない、という情況に疑問を持っていた。これが、後のビジネスチャンスの発見につながったのである。
デルは、「造りたいものを造って売るBTS (Build to Stock)」のではなく、「顧客が望むものを造るBTO(Build to Order)」すなわち完全注文生産を目指した。そのために従来と全く異なる部品調達、組み立て、配送の仕組みを考えた。デルは全く新しい巨大な組み立て工場をテキサス州オースティン郊外に建設した。部品供給業者には周辺にリボルバーウエアハウスを配置してもらった。工場の西側にはトラック搬入路35ゲートを設け、ここからディスプレイ、基板、モデム等を運び込む。東側にも搬出口が35ゲートあって、製品をトラックでどんどん送り出す。部品の搬入から出荷までたったの4〜6 時間しかかからない。その結果、消費者から受注後5〜8日で製造配達が完了できる。
5. CRMの陥穽
CRMは絶対ではない
これまでに述べたようにCRMとは「顧客との関係性」という価値体系を、その他の経営上の価値体系よりも優先せしめる企業戦略であるが、必ずしも絶対的なものではない。顧客に満足を与えてさえいれば企業は繁栄するかというと、そうとは限らないので厄介だ。顧客は浮気なもので、しかも市場の先行きに対して常に先見性を持つとは限らないから、盲従するとミスリードされる。
また、顧客のことばかり気にしていると社内にせっかく持っている重要な経営資源を不当に軽く扱う危険がある。激動の時代における新しい経営パラダイムの中では、自分の得意な分野に資源を集中させることが重要である。そして広い視野で何をやるか、何をやらないかをはっきりさせるべきである。
印刷会社がプリント基板技術を応用して半導体製造に乗り出しても、印刷業界の顧客が喜ぶわけではない。レーヨンなどの人口繊維を製造していた会社が高分子化学の技術を利用してコンタクトレンズの事業を始めるのも、旧来からの顧客関係性とは無関係である。
Disruptive Technology (破壊的技術)への対応
また、目先のCRMにとらわれて長期的な視野をもつことを忘れると大きな波に乗り遅れることがある。ハーバード大学ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授が、その著書The Innovator's Dilemmaの中で指摘したところによると、多くのエクセレントカンパニーが突然凋落するのは、経営に誤りがあったからでもCRMを無視したからでもない。むしろ顧客に提供する商品やサービスについては過剰品質なほどである。しかし、過去の収益源に捕らわれて、台頭するDisruptive Technology (破壊的技術)への対応に失敗するというのである。
そもそも技術には、エクセレントカンパニーが長い間にわたって営々と発展・維持・向上させてきたSustaining Technologyと、それとは不連続な下位層に突然のように現れるDisruptive Technologyの二通りがある。実は後者は、当初は取るに足らないように見えるが、新しいマーケットが徐々についてきており、サービスや製品の質が急速に上ってゆくと、ある瞬間からユーザーは雪崩をうってそちらに移る。
かくして、エクセレントカンパニーは運命的に凋落し始めるというものである。そして、Disruptive Technologyは次世代のSustaining Technologyとなり、新たに勃興してくる別のDisruptive Technologyに蹴落とされるまで栄えることになる。
経営戦略としてのCRMは、取引の極めて基本的な部分についての理念である。現実の経営戦略を策定するにあたっては、長期的な視点や経営資源の効率的配分の視点などの異なるレイヤーの戦略と組み合わせて考えるのが現実的といって良いだろう。
【注】
1 市場シェアの獲得を目指したマス・マーケティングに対して、個々の顧客の満足度を高めることに重点をおいたマーケティング手法で、D・ペパーズによって提唱された。
2 営業組織の情報化を推進して顧客志向の経営を行うマーケティング戦略
3 顧客データベース(特に購買履歴や行動履歴に関する)を充実させて、詳しい分析を行い、その顧客または顧客集団の要望に添った対応を行うことを推進するマーケティング戦略。カードを利用してデータベースを構築する手法が広く取られている。
4コールセンターを構築して、電話により顧客へ商品の売り込みを行ったりサービスの提供を行ったりする。アウトバンドとインバウンドがある。
5 広告宣伝媒体を使ったマーケティングではなく、ダイレクト・メール、テレマーケティング、テレビショッピング、ネット通販などの顧客との直接的な接触を重視する販売促進戦略
6 固定顧客をいかに獲得して維持するかを重視するマーケティング戦略。頻度の多い顧客には特別のサービスを提供する。航空会社のマイレージ・サービスなどがこれにあたる。
7 全顧客に均一なサービスを提供するのではなく、顧客それぞれの企業利益への貢献度に応じて特別有利な価格その他のサービスを提供するマーケティング戦略。顧客データベースを最大限に活用する。P・B・ウルフにより実務的に体系づけられた。
8 “Management by Objectives” が、「目標管理」ではなく、「目標による経営」であるのと同様である。
9 Dr.R.Kalakota はジョージア州立大学教授で、e-コマース・ストラテジー社のCEOでもある。
10 Marcia Robinson はe-コマース・ストラテジー社のCOO(社長)で、CRM分野のコンサルテーションを担当している。
11 一般消費者をロイヤル消費者にするプロセス管理を行う
12 営業マン、テレマーケティング会社のコールセンター、支店、代理店、販売店という顧客との接点で発生するすべて接点を顧客満足度の指標を使って評価する
13 顧客データの分析によって顧客価値を計算して、ポジショニングを行う。上得意客には特別のサービスを提供して他者に取られないようにする。ABC分析などの手法を活用する
14 上のシステムにより獲得したすべての顧客データを統合的に管理して、活用する