沖縄の時間、日本の時間
西山裕(主幹研究員)
仕事で本土から沖縄を訪れたサラリーマンの“沖縄評”には、どうやら共通したものがあるようだ。
3年前、那覇に転勤したF氏は、「子育てにはこれ以上のところはありません。私も家族も沖縄を気に入っています。ただ仕事をするにはちょっと・・。女性は良く働きますし有能な人が多いとおもいますね」と言っていた。子育てには良くて仕事をするには・・とF氏に言わせたのは、どうやら沖縄独特な時間の流れ方にもよるらしい。
昨年から今年にかけて、沖縄についての提言・報告が相次いで出された。その中のいくつかには、沖縄のひとびとはもう少しビジネス社会の常識を持つよう書かれているものがある。F氏が言ったのもビジネスをする相手としての、特に沖縄の男性についてのようだ。
たしかにこの間、プロジェクトを進めるために沖縄と往復していると、東京から勢い込んで乗り込んだ身には、どうものれんに腕押しの感があった。東京で日々生活していると、テキパキと仕事も暮らしも対処するのが当たり前になっている。産業社会が生み出したもののひとつが、均質化した時間だと読んだことがある。たしかに産業社会は、ひとびとが固有の時間観念を持つことを許そうとしない。産業社会にあっても、産業社会の時間観念にとらわれずに生きてきたのが一部の芸術家と詩人であろう。これらのひとびとは、おおきな歴史の時間軸を持っていても、産業社会の時間にとらわれはしない。
日本は、全体としては、産業社会の時間を生きている。だから沖縄に日本一般とちがう時間が流れているとしたら、F氏にかぎらず沖縄を訪れるビジネスマンのある種の感想が、共通してくることも想像にかたくない。どうやら、沖縄という土地をもうすこし理解し近づこうとすることは、沖縄の固有な時間に身を置くことのようである。
時間というものをおぼろげに考えながら、司馬遼太郎の「街道をゆく六 沖縄・先島への道」を読んでいたらこんな部分に出会った。
『やがて、樹木で陽がさえぎられた地面に、人工の石組みが遺っていた。
「鍛冶場のあとです」
運転手がいった。そういえばふいごを据えるための石積みの囲いのようにも見える。
この遺跡は、竹富島に鉄が導入された歴史を雄弁に物語っている。このことは、あるいはすぐには信じられがたいことかもしれないが、八重山諸島では十七世紀まで石器、木器の時代がつづいていた。話は飛躍するが、この事実を、冷静に知的にそして濁りのない情緒で把握しなければ、現代にいたるまでの沖縄史と、沖縄問題の本質をとらえぞこねるのではないかと思える。
われわれが人間の歴史を考えるとき、歴史教科書的な把握法からまぬがれることは、どう用心しても困難である。つまり、歴史は均等に発達するものだという迷信を理性のなかに組みこんで物事を論じてしまうことである。
教科書的にいえば、人類が鉄器時代に入るのは気が遠くなるほどの古代で、紀元前一二〇〇年このかただという。しかしそれはごくかぎられた地域の現象にすぎない。歴史は感電性の高い導体のようにたちまち物事や技術が伝播するという場合もあるが、逆にそうではなく、歴史は新技術に対して不導体のように受けつけることのない「地域」というものを抱きこんで存在しているものだという見方もなりたつ。』
司馬遼太郎が「不導体」と書いたのは、もちろん沖縄の、それも特に先島である八重山諸島に想いをめぐらしてのことであった。
(1人、那覇のホテルにて)