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『文明の進化と情報化』公文俊平著

 2001年5月9日と6月6日の2回にわたり、公文俊平GLOCOM所長による、i-civil研究会とIECPとの合同読書会があった。本書は、『情報文明論』(1994)の続編として、その後の大きな社会変化を踏まえて書かれたIT革命の文明論である。

1. IT革命の位置づけ

 IT革命には、まず大きく2つの側面、即ち、(1)更なる産業化の進展("スーパー産業化")と(2)産業化を超える社会変化("トランス産業化")がある。(1)はさらに、(1-1)第二次産業革命の爛熟(日本はこの面では強い)と(1-2)第三次産業革命の突破(日本ではまだ理解が不十分)の側面に、また、(2)についても(2-1)近代化の第三局面としての情報化(情報文明)の出現と(2-2)近代文明を超える新文明(いわばポストモダンへの移行)としての智識文明の出現というように、合計4つに細分できる。

2. 文明と文化

 生物学のアナロジーで言えば、文化(その個々の要素は文化子)は遺伝子型(genotype)にあたり、文明(その要素は文明素)は表現型(phenotype)に相当するという意味で、文化は文明の設計原理となっている。さらに、文明の場合には外的環境に加えて、いわば内的環境(社会の構成員による政策や計画など)の影響も受ける度合いが大きい。(ただし、そのことは文化が遺伝的に伝達されることを意味しない。文化は遺伝子型そのものではなく、後天的に学習され伝達されていく。文化の伝達過程は、反省を必要としないという意味で、ほとんど無意識的に行われる。)

3. 二つの主要な文明群

 (1)ユーラシア大陸中央部の乾燥地帯に広がる宗教文明群と、(2)その東西の周辺に位置する西欧(北米に拡大)および日本の近代文明群とがある。13世紀のモンゴル帝国は、ユーラシア大陸各地の宗教文明(中国の道教、インドのヒンズー教、オリエントのイスラム教、スラブのギリシャ正教)諸国を政治的に統一して初めて世界史を生みだした。そのモンゴル帝国に挑戦する形で、大陸の東西周辺の近代文明地域において、15〜16世紀に大航海時代、倭寇など軍事・航海革命が起こり、近代文明はその過程で、新大陸をも「発見」した。宗教文明が過去準拠・存続志向型文明であるのに対し、近代文明は未来準拠・発展志向型である。前者が、世界や人生の意味や目標についての知識重視であるのに対し、後者は、目標を実現するための手段やパワーの獲得、エンパワーメントのプロセスをより重視する。

4. S字波モデルと近代化の局面

 社会変化の過程を出現・突破・成熟の3局面からなる「S字波」の概念モデルで理解する。横軸は時間だが、縦軸は進化の活力というか成果を示している。このモデルを積極的に拡大活用すると、S字波は互いに一部重複する(前者の成熟局面と後者の出現局面とが重複する)より小さな一連のS字波に分解できる。小さなS字波は、さらにより小さなS字波の連鎖に分解できるというように、社会変化はフラクタル構造を成している。この基本テーゼによれば、近代化過程は16世紀半ばから出現局面に入り、近代化の第一局面として軍事化による国威の増進・発揚競争「威のゲーム」が国際社会を舞台として始まり、18世紀半ばから近代化の第二局面としての産業化に伴って、近代産業企業が登場し、富の蓄積・誇示競争「富のゲーム」が世界市場を舞台として広く行われるようになった。20世紀半ばからの近代化の第三局面は情報化の局面であって、地球智場を舞台に「智のゲーム」が普及し始める。このようにほぼ200年ごとに、近代文明の出現から突破へ、さらに成熟への局面転換が起こった。

5.近代化の第三局面としての情報化

 情報化のS字波は、やはり三次にわたる情報革命から成ると想像される。まず、1950年ごろから出現した第一次情報革命は、第三次産業革命と同時進行しつつ、従来の国家や企業とは異なる「智=抽象的・一般的な説得・誘導力」の獲得と発揮を目指す智業が台頭し、デヴィット・リードのいうGFN (Group Forming Network)をプラットフォームとする多種多様なグループが形成され、インターネットはそれらのグループが交流・共働活動を推進するためのインフラとなる。ネットワークの価値は、マスメディアの場合は加入者数Nに、パーソナルメディアではNの2乗に、そしてグループメディアでは2のN乗に、それぞれ比例する。番組コンテントが重要なのはマスメディアであって、後者になるほどコンテンツは相対的に価値を失い、キラー・アプリケーションもグループ活動支援型アプリケーションの中から登場してくる。近年見られる大企業用のIPネットワーク(VPN)や電源・耐震・セキュリティを強化した電脳都市(iDCなど)は、第三次産業革命のためのインフラとして大都市集中傾向が進む一方で、その外側に各地域で共同利用型の大きなネットワーク(iCC=Internet Community Centerと呼ぶ)が、その中心的なノードとして登場する。(カナダのようにダークファイバを借りて相互接続の地域ネットワークの自主運用を目指すコンドミニアム方式、あるいは今年に入って各国に爆発的に拡大し始めた、広帯域無線LANをベースにした公衆インターネットなど)

6. 第二次情報革命以降

 これに続く2050年頃から出現する第二次情報革命を想定すれば、そこでは、様々なグループ(智業)によって、優れた手段よりは優れた目的(人生や世界の意味・価値)を発見し普及させる(本格的な)「智のゲーム」が広くみられるようになろう。さらにそれに続く2150年頃からの第三次情報革命では、ついに一個あるいは少数の智業による世界観・価値観の間の大統合が実現するようになり、それとともに、近代文明とは異質の文明、即ち過去準拠・存続志向型の智識文明が本格的に出現してくることになるだろう。

7. IT革命の転換期

 「情報文明論」の方法は、ラッセル・アコフの議論を参考にすると、まず機械時代の還元主義、分析的思考、および機械論(還元主義的因果論)的な方法ではなく、システム時代の拡張主義、構成的思考、目的論的な方法によって、「情報化」という社会変化をより大きな「近代化」の一部として観察し、それに先立つ軍事化や情報化と比較した上で、また近代文明を、さらにそれ以前のさまざまな文明と比較した上で、未来を思い描こうとしている点にある。また、それが考察の対象としているこれからの文明(情報文明)は、我々自身その一部を構成しており、それについての理論的記述は、未来の予言ではなくて、むしろ今後のわれわれ自身の主体的な行為を通じて実現できる可能性を示そうとしている。

 第一次情報革命の中では、その出現から突破への転換に伴って、従来のマス/パーソナル・メディアに加えて、グループメディア(GFN)が出現してくる中で人々の行動形態が変わり、新しいタイプのネティズンの登場が見られるようになる。1950年代以来の第一次情報革命の出現期に登場した最初のネティズンは、パテントや著作権、企業経営や経済運営をコントロールしようとした法律家、テクノクラート、金融やメディアの支配者だったのではなかったか。それに対し、第一次情報革命の突破期に台頭してきている「ギーク」たちをその主導者とする新しい種類の智民は、情報通信ネットワークのインフラもコンテンツも自分達で作り、運営しようとしている。

■Q&A

Q:ドッグイヤーやマウスイヤーのような指数関数的な変化で、情報社会ではS字波が拡散しないか?

公文  変化の急激なものと、そうでないものが混在している。全体としては、S字波を弾力的に現実に当てはめれば、情報化の過程でも、これまでと同様にS字波のような三つの局面を通過しつつ、変化は全体としてこれまでとほぼ同じ速度で進行していると見ることができるのではないか。

Q:情報化の次のS字波は何と呼ぶか?

公文:近代文明に関する限り、情報化の次に位置するS字波はないと想像している。次に来るのは、未来志向型とは質的に異なる過去準拠型の新文明(智識文明)となるという仮説だ。

Q:なぜ小さなS字波は100年周期か?

公文  その根拠は特にないが、これまでの近代化過程を観察した結果としてそう言えそうだ。正確にいえば、ほぼ100年おきに、新しい小S字波が生まれているように見える。また、周期の中での変化のレベルというか質は異なってくるとしても、周期そのものはさほど変わらない。乗り物で言えば、長距離なら数時間、短距離なら1時間前後といった時間感覚はそれほど違わないにしても、移動距離は大きく違ってくる。

Q:S字波の横軸は時間(スカラー量)だが、縦軸は変化量(近代社会の変化量=エンパワー)を示すベクトル量ではないか?

公文  縦軸もスカラー量と想定している。

Q:サイバー空間はリアル空間に属するのではなく、異なる2つの活動の場が併存すると考えるべきではないか?

公文  併存するというのはその通りだ。サイバー空間の方が利用する上での物理的制約も社会的制約も小さいと言えるが、ただし、通信技術やセキュリティなど技術的制約は大きい。逆に、社会的制約の少なさがネットワークワーカーの引きこもりやオタク化現象を生むので、リアルコミュニティ(地域コミュニティ)からの制約も必要となろう。

Q:第三次産業革命期でも、IT産業において富の平準化が見られないが、今後の展開は?

公文  軍事化の突破から成熟の局面では、富の分布の不平等より国民の政治的権利の平等化(参政権等)に関心が集まる。他方、産業化の成熟(=同時に情報化の出現)局面では、政治的権利の分布の不平等(あるいは、平気で棄権するといった意味での権利の行使の実質的不平等)が拡大するが、さほど注目されないようだ。概していえば、近代化の各局面では、その出現から突破に向かう中で、その局面に固有の価値(つまり、その局面で増進するようになったパワー)のより平等な分配に人々の関心が向かうと思われる。それが軍事社会では民主化への要求となり、産業社会では、富や所得の平等化への要求となったのではないか。21世紀の情報社会では、デジタル・デバイド解消要求がそれに当たる。

Q:過去準拠・存続志向の智識文明は「目的論の知」と考えられるが、これは先験知か経験知か、また矛盾世界か無矛盾世界か?

公文  智識文明の哲学は多分先験知に立脚しているが、哲学はすべて先験知とも言えそうだ。矛盾か無矛盾かについては自信のある回答はできない。

Q:日経連セミナーで、ITはパワー革命(社会革命)ではなくツール革命だといった財界人の見解に対するコメントは?また、誰が主体でパワー・ストラグル(power struggle)を起こすのか、あるいは予定調和的となるのか?

公文  パワーは外部から押し寄せるのではなく、ITという強力なツールを得て人々がエンパワーしていくことが情報化の最大の意義だ。この結果、不平等が拡大し、次のフェーズになってある程度の平等化が進む。なお、米国では近年になってデジタル・デバイドは意図的にデジタル・オポチュニティと表現されている。

 なお、パワーを利用した結果として生まれる制度の中身は、文化や環境の影響を受けざるを得ない。かつて「日本的経営論」が花盛りだったころ、一部の経営者の間に、「日本的経営などというものはない、私の経営があるだけだ」という反発があった。確かに、個々の経営者の立場に立てば、自分の経営をどのように組織していくかは、経営者が決めることのように見えるかもしれない。しかし、多くの経営者が主体的に行った選択の結果を横から眺めてみると、日本の経営には結果的にいくつかの共通の制度的特徴が見いだされることは否定できない。つまり、まったく自由に何でも作れるというわけにはいかないのだ。その点を念頭におくならば、これからの情報革命の中で生まれてくるビジネスは、ネティズンの主導する第一次情報革命によって作られる自前のインフラとコンテンツを新しい「ビジネス環境」と考えて、そこに生まれてくる新たなプラットフォーム上で、智民たちが求める(とりわけグループ活動支援のための)有用で強力なアプリケーションを、さまざまな製品やサービスの形で提供するものになるのではないか。

Q:マスあるいはパーソナルコミュニケーションからグループコミュニケーションへの転換には、どういう意味があるのか?

公文  時間・空間を超えたグループコミュニケーションは6世紀頃から存在していたが、それが今日ITによって大きくエンパワーされたことの意味が大きい。なお、智識・情報を生み出して通有しあうようになったことで、人間やもの(だけ)ではなく、異なる知識や情報を(も含めて)測る共通の尺度が必要となる。(労働価値説の考えと逆)これを"bit"ならぬ"wit"と呼ぼうといったおもしろい提案も以前あった。知識や情報は、熟考であれ閃きであれ、その有用性というか価値は、それを生み出すために費やされた時間にはよらず、それが人々の間で如何に多く受け入れられ、引用され、思い出されたかによるのではないか。しかも、そうした価値は、個々の知識や情報が普及していく過程で、(骨董品のように)時間とともに変化する可能性がある。

 本日の議論は、おもしろかったが回答するのも難しかった。第2回目はQ&A中心で、大いに考える種・ヒントをもらった。どうもありがとうございます。

小林寛三(フェロー)

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