グローバル化と日本的経営
森下洋一(松下電器産業株式会社代表取締役会長)
グローバル化という言葉が盛んに使われはじめたのは、思えば10余年前、ベルリンの壁が崩壊し、ポスト冷戦の時代を迎えたころであったでしょうか。市場経済が世界のほぼ全域にひろがり、あの中国までもが「社会主義市場経済」を進めるなか、人、もの、金、そして情報の動きを梃子にして、世界は確実にボーダレスな構造へと向かっています。
この構造変化が世界の産業界にもたらしたのがメガコンペティションでした。一つと化した大競争の舞台で熾烈をきわめるのはビジネスの競争だけではありません。企業経営のあり方までもが声高に議論されているのです。そして、脚光を浴びるのはアングロサクソン流のルールやスタイル。こうしたなか、独自の様式を貫いてきた日本企業は、いかなる道を歩むべきなのでしょうか。
日本的経営のありよう
経営の様式は文化の独自性と切り離すことができません。同じ欧米といっても、アメリカにはアメリカの様式が育ち、ドイツにはドイツの様式があります。フランスのそれは、また異なるでしょう。欧米だけではありません。アジアの国々にも同じことがいえるでしょう。もちろん日本についてもしかりです。
日本企業、とりわけ製造業の世界では、「雇い、雇われ」という線引きを超えた一体感が培われてきました。会社と従業員が経営理念を共有し、一つとなって臨む「全員経営」です。では、そのような「全員経営」で運営される企業とは、いったい誰のものなのか。この議論になると欠かせないのが、ステークホルダーという言葉の解釈でしょう。
これについても日本は独特であり、読者の皆さんの多くはステークホルダーといえばまず株主、と理解されるでしょうが、じっさいに日本企業の経営に携わってきた私の捉え方はいささか異なります。
株主が重要なステークホルダーであることに間違いはありません。しかし株主重視だけが突出するあまり、より良き製品やサービスの創出よりも、株価上昇が優先されるような経営に陥ってはなりません。企業市民という表現もあるとおり、企業は資金に限らず、人材、土地、建物など、あらゆる経営資源を社会から託され、その活用を通じて価値を創造することを期待されています。こう考えれば、株主のみならず、従業員、取引先、地域社会、そしてもちろんお客様も、といった具合に、企業が接点をもつ人々は、すべて大切なステークホルダーと考えねばならず、偏りなく尊重すべきなのです。個々には多少の違いがあるでしょうが、これが日本企業にほぼ共通する解釈ではないでしょうか。
さらにもう一つ、日本企業を語るさいに忘れてはならないのは、人にたいする考え方です。企業とは従業員が持てる能力・資質を発揮する場です。これはまさに万国共通の考え方といえるでしょうが、加えて日本には「企業は人を育てる場」と見なす伝統があります。特筆すべきは、そうした育成が業務上の能力開発にとどまらず、人間的成長を促がす領域にまで及ぶ点にほかなりません。そして、日本企業が長期の雇用を基本とする背景にも、この「人を育てる」との意識が強く息づいているのです。
世界と日本、日本と世界
以上、日本企業の特徴のいくつかを例示してみましたが、いや増すグローバル化と大競争のなかにあっては、世界が認めるルールやスタイルを大いに吸収すべきでしょう。だからといって、すべてを変えよ、日本的なものを払拭せよ、というのではありません。変えるべきは何か、逆に護りぬく日本の良さとは何か。これをとことん突き詰めるのが経営者の務めといえるでしょう。
たとえば資本収益性の重視は、経営資源を企業に託す社会の期待に応えるとの観点に合致するわけですから、大いに取りこむべき世界の潮流です。しからば業績回復の近道となりうるレイオフはどうでしょうか。労働市場が未熟な日本の実情を考えると、とても社会の期待に沿える手段とはいえません。その一方で、先に述べた「全員経営」や「人の育成」を、時代を超えて継承すべき日本の良き伝統と考えるのは、私ばかりではないでしょう。
このように日本的経営の新たな方向性を探るなかで、いま一つ看過してはならないことがあります。それは、たとえば欧米の流儀をそのまま日本に落としこめないのと同様に、いかに経営理念やブランドを共有しようとも、傘下にある海外現地法人や事業場に、もしくは提携企業に、日本の流儀を100%強いることはできない、ということです。これはまさに海外事業の要諦です。
改めていいますが、企業経営は連綿と継承されてきた文化の体現でもあります。文化の差異性を軽んじて、各国・各地域での経営を特定の様式で画一化しようとしても、さまざまな局面で齟齬をきたすだけです。グローバル化とは世界を一つの色で塗りつぶすことではありません。キャンバスは世界共通なれども、多様な色がきわだつこと。これが真のグローバル化とはいえないでしょうか。
●この論文のオリジナル版は「国際情報発信プラットフォーム/http://www.glocom.org」に掲載されています。