く・も・ん・通・信
世界を震撼させたあの9月11日、私はたまたまマンハッタンにいました。南米での会議出席の後合流する会津泉、アダム・ピーク両GLOCOM研究員を待っていたのです。朝の8時半ごろ会津さんから、「飛行機が大分遅れたが、それでもいま無事ケネディ空港に到着したので、これから市内に向かう。3時間後にホテルで会いましょう」という電話がありました。しかし、それから待てど暮らせど何の連絡もありません。何か電話もかけられない状況に遭遇しているとしか思えないが、せめて電子メールでも届いてないかと思ってチェックしてみたら、事件についての日本からの第一報が目に入りました。後はテレビにかじりつきっぱなしの一日でした。
結局、会津さんから電話があったのは、夜に入ってからでした。タクシーは途中でおろされ、地下鉄もストップし、やむなくレンタカーでニュージャージーの知人宅にころがりこんだということです。会津さんがリムジンなら雇えるかもしれないと言うので、早速ホテルに問い合わせると、ホテル専属のリムジンの運転手に聞いてみろと言われました。教わった携帯電話にかけてみると幸いその場で電話が通じ、明朝迎えに来てやるという話になりました。後で聞いたところでは、彼はその時刻、別のお客を乗せてフィラデルフィアに向かっている途中で、午前3時になってやっとホテルに戻ってきたそうです。
ホテルのフロントはそんな事情は知らず、トンネルが全部封鎖されているので外には出られませんよなどと言っていましたが、さすがはプロのドライバーで、かなり遠回りにはなるものの、ジョージ・ワシントン橋は通れるから大丈夫だと言います。では、と出発しようとしたところに、ホテルにいた別のカップルがやってきて、自分たちも途中まで連れて行ってくれと頼みます。私の行き先まで同乗させてやってもよいかとドライバーが尋ねるので、もちろん結構だと言って3人で乗り込みました。彼らはなんと、インディアナポリスから友人が救出に駆けつけている途中で、ニューヨークには入れそうもないから、どこでもいい、ともかく外に出ろと言われたのだそうです。
市中の道路表示には、トンネルも橋もすべて閉鎖中とあります。本当に大丈夫かなと不安になったのですが、橋のたもとまで行ってみると、上のレーンだけは開いているという表示があって、無事脱出に成功しました。橋の上からマンハッタン島の南の方を眺めると、世界貿易センターのあったとおぼしきあたりに、まだ煙が立ち上っているのが見えました。
ニュージャージーまでのドライブは比較的順調でしたが、反対側はどこまで行っても車、また車です。リムジンのドライバーは、この調子だと自分がニューヨークに帰ってくるのはいつになるかわからないなと言って、携帯電話で奥さんに連絡を取り、帰宅時刻は不明だと告げていました。私も気の毒に思い、思いっきりチップをはずみました。
そんな次第で、やっと会津さんたちと合流し、そのままレンタカーでフィラデルフィアからワシントンとまわりました。ワシントンは、町中をパトカーがサイレンを鳴らしながら走り回っていました。ありとあらゆる流言飛語が飛び交っていたそうです。それでも町を行き交う人にはパニックめいた感じは全く見えませんでした。翌日の夜は、たくさんの人が出て、ろうそくを燃しながら死者の冥福を祈っていました。私も、ブルーリボンを一つ分けてもらい、旅の間ずっとそれを胸に付けていました。
というわけで、その後もオタワ、モントリオールと車でまわり、そこからロンドンに飛んで、無事帰国してきました。印象的だったのはカナダ国境で、米国に向かうトラックの列が延々長蛇の列を作っていたことです。後で、トヨタがカナダからの部品入手難で米国内の工場閉鎖に追い込まれたという記事を読んで、それももっともと思い当たったことでした。
会津さんたちががんばってくれたおかげで、今回の旅行も、ニューヨークを別としてほとんどすべての予定をこなすことができました。米国のテレコム事情について、また今回のテロの持つ意味について、いろいろ考えさせられたことは多いのですが、それは別の機会に譲りましょう
公文俊平