グローバル都市と情報革命
講師:サスキア・サッセン(シカゴ大学教授)
情報通信技術の普及により、現実世界における「場」がますます無意味化するという主張が一方にありながら、他方、さまざまな経済活動上の機能が大都市に集中しているという一見「矛盾」した現象は、なぜ起こるのだろうか。10月15日に行われたサスキア・サッセン教授(シカゴ大学)によるIECPコロキウムは、この問いに答えるものであり、「グローバル化」とひと括りに呼ばれてきた「現象」の本質が一体何であったかを、われわれにあらためて認識させるものだった。
この「矛盾」の典型的な例として、サッセン教授は卸売り金融市場を挙げる。金融市場では情報通信技術が高度に浸透しつつも、分散化あるいは価値の脱物質化などは生じていないという。確かに、金融市場においては、とりわけニューヨーク、ロンドン、東京という三つのグローバル都市への集中が進んでおり、3都市の機関投資家上位25社による取引が、世界の取引全体の8割を占めている。しかも、上位25社の資本の94.5パーセントは、この3都市に集中している。また、上位銀行100社による資産、資本、収益のほとんども、この3都市に集中しているというのだ。
金融市場における活動を地球規模で展開すればするほど、その企業は、法律、商慣習、文化がまったく異なる地域をまたがって活動しなければならない。その多様性に対応するために、企業中枢は複雑化し、高度に階層化され、機能分化した集中構造を必要とする。そして多くの場合、中枢機能は外部に依託されることになる。グローバル都市には、電気、通信、交通、メディアなど、技術としてのネットワークが整備されているほか、価値観や評価といった標準化できない「情報」あるいは「智」をもたらす人的・社会的なネットワークも、同時に充実している。起業活動の命運を分ける、情報の「掘り出し物」は、グローバル都市の人的・社会的ネットワークがあって、初めて得ることができる。シリコンバレーにいわゆるIT企業が集中したのも、このような標準化できないネットワークを求めてのことだった。これがグローバル都市という矛盾の謎解きなのである。
実は、サッセン教授は、冒頭で紹介した一見「矛盾」に見える現象は、インターネットの分散アーキテクチャが、われわれの経済活動をはじめとする社会の諸側面にも同じように分散化をもたらすはずだという誤解(これをサッセン教授は「社会科学の致命傷」と呼ぶ)から導き出される謬見だと指摘する。技術のインパクトは、社会、経済、政治、文化を通じてさまざまな形で現前するため、情報通信技術が分散的な構造を持っているからといって、われわれの社会の構造が、その構造をそのまま反映するわけではない。本来、対象とする社会現象を観察者としての立場で分析するはずの社会科学が、対象そのものの中に自らの観察者としての立場を見失っているという致命傷への批判は、情報社会学の構築を目指すわれわれGLOCOMには耳の痛い話であった。
サッセン教授の話を聞いた後で、不思議に思ったことが一つある。なぜ、今語られるのは "globalization" であって、"cosmopolitanism" ではないのだろうか。cosmopolitanismという言葉がかつて持っていたはずの未来への明るい希望は、今やglobalizationという言葉に透かして見える略奪的なイメージに置き換わってしまったのだろうか。
上村圭介(GLOCOM主任研究員)