『デジタル・デバイド』の構図
原田泉(国際社会経済研究所主任研究員/GLOCOMフェロー)
IT革命は、その名の示すとおり、産業革命以来の社会大変革である。日本政府は、IT革命を「世界規模で、生じている高度な情報通信技術の活用による産業・社会構造の変革」と定義し、これを「新生経済の起爆剤であるとともに、社会生活そのものを大きく、しかも短期間に変えるもの」と考え、「子どもからお年寄りまでがその恩恵を享受できるような『日本型IT社会』実現のため」努力するとしている*1。
実際、ITは、今後の経済の中心となる知識産業・サービス産業(ニューエコノミー)の新しい物的基盤(インフラ)を形成し、既存の法体系では律しきれない、これまでに存在しなかったさまざまなビジネスやサービスを生み出していくだけではなく、従来の経済・生産活動(オールドエコノミー)の仕組みも大きく変えるものである。そこでは距離や国境を越えた情報交流と資本交流が自由に交差し、流通のあり方自体を変え、生産の効率性を飛躍的に高め、よりスピーディでよりフレキシブルな経営が可能となる。
しかし、反面、このような社会の大変革であるがゆえに、そこにはさまざまな問題も発生する。その主要な一つが「デジタル・デバイド」と呼ばれるものである。
「デバイド」の直訳に「格差」という意味はなく、「分ける」、「一線を画す」とか、「分水嶺」とかの意味であり、IT革命に参加するか、しないか、ITをうまく活用するか、しないかでの「デバイド」、すなわち「区分け」が行われ、そこにさまざまな格差が生じるのである。
この「デジタル・デバイド」によって生じる格差は、市場原理の下では、競争の原動力となり、一概に是正しなければならないものとは言えない。しかし、それが過度になれば、社会的不公正をもたらし、社会不安や国際緊張の激化にもつながりかねず、その意味で是正しなければならない問題と言える。
IT革命は、社会全般にわたって起きており、したがって「デジタル・デバイド」の問題も社会に広範に広がっている。本稿では、議論の混乱を防ぐ意味からも、広範な「デジタル・デバイド」の問題を整理し、今後の政策提言等の一助としたい。
1.「デジタル・デバイド」とは何か
「デジタル・デバイド」という言葉が、頻繁に使われるようになったのは、1990年代中盤の米国においてだと思われる。IT革命の進行とともに、またインターネットの一般社会への普及に呼応して、若者や高学歴者、高所得者などがITを活用してますます高収入や雇用を手にする一方、コンピュータを使いこなせない高齢者や貧困のために情報機器を入手できない人々が、より一層経済的に困難な状況に追い込まれるといった現象が顕在化しはじめたことで、問題視されるようになった。いわばITの活用度合いの差が、新しい社会的経済的な格差を生み出し、また既存の格差を拡大するという一種の社会構造の問題として「デジタル・デバイド」が認識されたのである*2。
一方、IT革命の進行は米国に止まらず、急速に先進国はもちろんのこと、開発途上国にまで伝播し、インターネットが世界的な存在にまでなりはじめると、この問題は、一国内の社会構造の問題だけではなく、国と国の間に存在する格差を拡大する、むしろ世界構造としての分水嶺と認識されるようになってきたのである。すでに世界銀行の『世界開発報告1998/1999』や国連開発計画(UNDP)の『人間開発報告1999』でも、世界の地域開発における「デジタル・デバイド」の問題は取り上げられてきており、新たな形での南北問題を形成しているとも考えられる。そして、折からこの国家間の「デジタル・デバイド」の問題は、2000年夏の「九州・沖縄サミット」で議題として取り上げられ、地球規模の新たな格差の問題として注目されるようになった。
米国を中心とした先進工業国は、ITによりますますのその発展を加速化させる一方で、アジア、アフリカなどの途上国は、資金難や人材不足、インフラの未整備などでITを活用できず、これまでとはまた異なった形で「置き去り」にされ、国家間の既存の格差がますます拡大していくというのである。
以上のように、「デジタル・デバイド」は、1990年代中盤からIT革命の進展やインターネットの普及に応じ、一国内の社会構造的問題と国際的な国家間格差の問題として顕在化してきたのである。
IT革命を、「冷戦構造崩壊後の市場主義、グローバル化の世界的潮流を背景として、自律分散型のコンピュータネットワークシステム、すなわちインターネットを中心とした技術体系を活用することで、個人、企業・組織、国家等が、自己責任、自律性の原則のもとに、より便利で快適な個人生活や、効率的な経済活動、行政運営等を営めるような環境(制度、物的インフラ、意識構造、価値観等)を創り出そうとする社会革命」と定義するなら、IT革命に乗り遅れ、そこで生み出されるさまざまなメリットである「デジタル・オポチュニティ」を享受できないために、新たな格差が生じ、また、既存の格差が拡大・強化されてしまうことを、ここでは「デジタル・デバイド」と呼ぶことにする。もちろん、「デジタル・デバイド」と「デジタル・オポチュニティ」は一つのコインの裏表であることも、忘れてはならない。
別の言い方をすれば、IT革命が進むと、ITを使い情報を数多く収集したり、他者とより効率的にコミュニケーションをとったりすることができる個人および集団と、そうでない個人および集団とに分けられて、その結果、さまざまな格差が生じ、またさまざまな既存の格差が拡大・強化されるのである。
ここで言う「集団」とは、主に「社会的集団(コミュニティ)」、「企業・組織」、「地域(都市と地方)」、「国家」を指し、さまざまな格差と既存の格差に関しては、「経済・便益格差」を中心に、「教育・文化格差」と「軍事・セキュリティ格差」が考えられる。また、当然のことながら「デジタル・デバイド」は、個人および集団におけるIT革命の進み方に規定され、またそれぞれの既存の格差によっても規定されている。
ここで、IT革命の進み方という場合、具体的には、ネットワークを使う個人および集団のいわば、インターネットやコンピュータを使いこなせる能力、ITの「読み書きそろばん」の能力である情報リテラシーが問題となり、また、そこでのネットワークインフラの量と質の問題となる。
ネットワークインフラの「量」とは、端的に言えばインターネットの伝送容量とその普及度である。単に文字(テキストベース)や、音声、画像のレベルのコミュニケーションなのか、動画像をスムーズに送ることのできるいわゆるブロードバンドなのか、またそれがどの程度整備されているかで、ネットワークインフラの量的側面が量られる。他方、「質」とは、主にそのインフラを流れるコンテンツの内容やその形態のことを指す。このネットワークインフラの量と質が、格差の量と質を決める大きな要因と言えるのである。
2.個人間の「デジタル・デバイド」
「デジタル・デバイド」は、個人間ではまず「経済・便益格差」として現れる。まさに、利用主体である個人のIT活用度合いやIT革命の受容度・利用度が、その経済的利益や享受できる便益(サービス)を左右するということである。個人の情報リテラシーが深ければ、その経済・便益的成果は大きい。
例えば、インターネット上には、オークションや株式トレード、コミュニティの参加による情報交換などの多種多様のサービスがあるが、これらのサービスを上手く活用することで、消費の節約や、雇用機会など、さまざまな経済的なメリットを獲得できるし、サービスも享受できる。特に、最近では、雇用条件にITリテラシーが給与額との連関であげられている場合や、就職活動において、インターネットからの応募や、電子メールでの連絡を条件としている企業が出てきている。インターネットを使った予約や購入については料金を安くする、といったサービスを行う企業もあり、そのため、PCや情報端末を持たない人や、それらを活用できない人には、経済的デメリットが生じるケースも見られる。電子政府や電子自治体が整備されていけば、行政サービスの便益格差も大きくなると思われる。
個人間の教育・文化格差で言えば、例えば、米国では、家にパソコンとインターネットがある子どもは、学校の宿題をするために、これらを使い情報検索を行い、調べものを簡単に行って、レポートを作成することができる。パソコンを持ち、インターネットを利用するか、しないかということが、子どもの教育や成績に大きく影響するのである。
一方、個人間のセキュリティ格差は、むしろ、情報化が進んでいる個人が、これまでにないプライバシーの侵害やネットワーク犯罪の被害者になる可能性が高いという面を持つ。利用しなければ、被害にも遭わないのであるが、利用しつつ、被害に遭わないためには、情報リテラシーを高め、自分は自分で守ることが個人レベルでの方策となる。
3.社会的集団間(コミュニティ間)の「デジタル・デバイド」
国や地域によってさまざまな社会的集団(人種、民族、世代、性別、障碍者、出身校等)が存在し、いわゆるコミュニティを形成しているが、そこでの情報化の度合いと、既存の格差拡大の間には何らかの関係があるようである。
例えば、米国では、人種ごとにコミュニティが形成されており、情報化の度合いの違いが、経済格差や教育格差を拡大する傾向があるといわれている*3。
また、障碍者のコミュニティを考える場合、情報化の進展において、キーボードが使いにくかったり、モニターの字が見にくかったり、適切なソフトがなかったりして、さまざまな新しいバリアが生み出されているのも事実であり、情報化に取り残されていくという側面もある。しかし、逆に、ITは、障碍者や高齢者、単独外出の困難な方などにとって、情報の入手手段、職域の開拓、ひいては自立と社会参加等の意味から不可能を可能にする希望の技術であり、ITの活用によって、障害があっても人生はすばらしいと実感できるような社会参加とノーマライゼーションが実現される「デジタル・オポチュニティ」の面も大いにある。そのためにも、障碍者も高齢者も、誰もが簡単に利用できるユニバーサルデザインの普及が望ましい。
また、個人間、社会的集団間の問題として、特別の事例としては、象徴的には新たなテクノクラート層としての「ギーク」*4がある。コンピュータ技術やインターネット技術、ソフト開発技術に特別優れた若者は、これまでの学歴や成績の序列とは関係なく、また、彼ら自身の思想・価値観とは関係なく、組織の中枢部における最重要部分を担うことになる。こうした意味において「ギーク」と呼ばれる新しいテクノクラート層は、既存の秩序に適合するか否かは関係なく、権力の一部を担うこととなる。
4.企業・組織間の「デジタル・デバイド」
現代の企業間競争において、情報力の差は、競争力を規定する決定的要素とも言える。IT革命は、これまでなかった電子商取引(EC)を生み出し、インターネットの世界的結合がもたらした市場のグローバル化は、市場のあり方を大きく変え、インターネットにまつわるさまざまな新しい産業(業種業態)やサービスを生み出す一方、これまでの仕事の進め方や経営管理の方法に至るまで大きく変える。経営管理面では、CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)、SCM(サプライチェーン・マネジメント)、ナレッジマネジメントといった情報化と一体となった手法が登場し、その導入が企業間格差をもたらすことになる。ここでの格差は、当然「経済格差」が中心ではあるが、企業における教育や開発においても、情報化の進展度合いで格差が生じ、またセキュリティの面でも大企業と中小企業の間には、大きな格差が存在する。
5.地域間(都市と地方)の「デジタル・デバイド」
インターネットの急速な普及は、自治体と地域住民の関係に大きな変化をもたらし、行政サービス分野では、時間と距離の制約を越え、新しいサービスが模索されている。また、新しい価値観や多様化する住民ニーズへの対応が求められ、日本ではとりわけ、少子・高齢化、地域の活性化分野で、地域情報化に大きな期待が寄せられている。
反面、情報化の長所の一つは、地理的制約にとらわれずに、都市でも地方や過疎地でも同様に情報サービスを受けられるというものだが、実際には、市場原理、すなわち民間の採算性等に委ねられ、回線の整備状況・人口密度等によって、通信サービスの利用環境・料金などに関して地域格差を伴わざるを得ず、また、各自治体の情報化への対応の差異によっても、地域格差は生じている。
6.国家間の「デジタル・デバイド」
経済格差の面から見れば、IT産業の分野にあっては、コンピュータ、インターネットの発展は米国が先導し、中心的役割を担いつづけている。OSやサーバ等の主要ソフトや機器において圧倒的なシェアを占めるばかりか、特許やビジネス特許といった分野でも現在のところ米国の優位は揺るぎないものに見え、特にインターネット関連の特許を独占してしまうことで、発展途上国が経済的に不利な立場に追いやられるといった問題も懸念されている。
他方、グローバルなIT革命の進展は、アジア経済に対し、これまでの生産基地という面だけではなく、携帯電話やインターネットの普及という面では、市場としての役割も付加しつつある。こうした状況下、アジア諸国のうち、国家的なIT振興政策をとりつづけ、IT産業の集積化や、自国のITインフラの構築を進めている「ネットタイガー」と呼ばれる韓国、台湾、シンガポール、香港のほか、マルチメディア・スーパー・コリドー計画を実現中のマレーシアといった国々と、いまだいわゆるオールドエコノミーに依存したインドネシア、フィリピンといった国々の間で、アジア内での「デジタル・デバイド」が生じつつある。この結果、アジア経済危機以前の雁行陣型の経済成長モデルは大きく変貌し、今後IT革命の波にどれほど対応できたかで、引き続き成長を続けるグループと、そうでないグループに分かれ、経済格差の拡大が定着していくように思われる。
また、一部の情報化先進都市(シンガポール、バンガロール、新竹、上海、ソウル等)は、現在都市内ネットワークのブロードバンド化が進み、生産開発面でもIT産業が力をつけ、都市のみで見れば、先進国よりも先行する状況にさえある。他方、これらの国では、都市と地方との間できわめて大きな「デジタル・デバイド」が生じることとなる。
軍事力格差の面では、IT革命は、湾岸戦争でその一端が明らかになったいわゆるRMA(軍事革命)が、軍事戦略から、軍隊の組織形態、兵器体系、精度等を革命的に変えるばかりか、サイバースペースという新たな戦場まで作りはじめ、インフォメーション・ウオーフェア*5という戦いが繰り広げられようとしている。
具体的には長距離精密誘導兵器の利用や、各種センサの活用など、さまざまな領域での飛躍的な精度の向上のほか、いわゆるナレッジマネジメントによる軍組織のスリム化が行われ、指揮官と前線の隊員とがコンピュータネットワークで結ばれ、情報伝達や指令を効率的に行うことで、企業組織と同様に中間的人員を減少させられるのである。
また、インフォメーション・ウオーフェアでは、国家の経済活動を支える金融システムにインターネットを通じ、攻撃がかけられることが想定され、金融システムが数時間でも停止した場合には、国益に与える影響はきわめて大きいこととなる。社会の多くの部分がITに依存するようになった現代では、ITインフラを通じた各種コンピュータシステムに対する攻撃は、国家に対して直接的な影響力を及ぼすようになるのである。
また、インフォメーション・ウオーフェアは、ときには遠隔制御などを介して物理的な破壊をももたらすことが可能なのである。
ここでも、米国は、1990年代中頃よりRMAという概念を打ち出して、具体的な研究、兵器開発、部隊編成等での絶対的優位を保っており、軍事的な優位性は当面不動である。アジアにおける核抑止体制は持続するものの、米国の東アジア軍事戦略における、いわゆる「核の傘」から「情報の傘」への転換は、東アジア全体の安全保障を考える場合に考慮しなければならない重要な問題と思われ、まさに軍事面での「デジタル・デバイド」の発露と言える*6。
その他、今後国家の枠組みを超えたテロや犯罪組織が、ITの力を利用して社会に対し攻撃を仕掛けるようになると、その脅威は国家間戦争より大きなものとなって市民を襲うかもしれない。従来のテロ行為に対して、国家の治安当局はその装備や能力において優位性を保持してきたが、サイバーテロにおいては、それらが失われ、互角の勝負をしなければならない。ここでは、国家間での協力・協調が不可欠であり、そのための具体的取り組みが早急に必要である*7。
以上のように国家間の「デジタル・デバイド」では、経済的格差と軍事的格差が主要なものと言えるが、この二つの要素の双方で米国を頂点とする新しい形の国際間の序列、別言すれば新しい南北問題が形成されていると言える。
このほかの国家間の「デジタル・デバイド」には、「教育・文化格差」があげられる。これは、インターネットの創出過程にも所以するが、現在のところ言語的に英語圏に有利な状況であり、今後インターネットがグローバル化するなかでは、決して特定の文化を他国に強制するものであってはならず、利便性の名のもとに現状の固定化が肯定されるようなことがあってはならないと思われる。
7.おわりに
以上のように「デジタル・デバイド」を整理してみると、表1のようにそれぞれに固有の問題が見えてくる。
これらの問題を解決するためには、表2のようなさまざまな方策があろう。国内政策で言えば、情報インフラの整備や国民や地域住民の情報リテラシー向上のための政策が必要となるだろうし、国際間の問題では、国際条約の締結といったものから、国際標準作りや国際援助も必要であろう。
他方、政策的なもの以外にも、サイバースペースにおけるモラルの向上や文化の促進活動も必要となろう。
先にも書いたが「デジタル・デバイド」のすべてをなくせば良いというものでもなかろう。特に行政の場では、機会の公平さを担保するような仕組みを作ることが肝要であり、結果としての格差は、ある程度受容していくことが、活気ある社会を作ることにも繋がると思われる。
「デジタル・デバイド」と「デジタル・オポチュニティ」は、一つのコインの裏表である。国内政策としては、誰でもが安価に容易に「デジタル・オポチュニティ」を積極的に生かせるような環境を整備することが、機会の公平さを担保することになるであろう。すなわちインターネットへのアクセスが、いわゆる「ユニバーサルサービス」として、全国どこでも、あまねく公平に受けられるサービスとなることが前提となるだろうし、情報リテラシーの教育もその前提となるだろう。
国家間における「デジタル・デバイド」を是正するには、少なくとも市場原理の下で、各国がIT革命推進の努力を行い、開発途上国が「デジタル・オポチュニティ」を享受できるような環境作りを先進国は率先して作る必要があろう。そのためにも、インターネットにおいても電話と同じような国連の下部機関としての国際組織を設立し、公平な国際規則・標準を作っていかねばなるまい。日本は、将来を見据えて、中国やアジア諸国とともにそうした政策的努力を行い、また、そのための国際的貢献をしていくべきである。
*1森総理の所信表明(第149回国会2000年7月28日)<http://www.kantei.go.jp/foreign/it_e.html>参照
*2 米国では1990年代中盤から論議されはじめ、1999年7月の商務省報告書「Falling Through the Net: Defining the Digital Divide」では、年収7万5,000ドル以上の世帯は、最低所得層の世帯に比べインターネットにアクセスできる比率が20倍以上、パソコン所有率も9倍以上、また最高度の教育を受けた層と最低度の教育を受けた層のアクセス格差は1年間で25%上昇、と指摘された。
また、クリントン政権は2000年1月の一般教書演説で、社会的弱者の就業機会が狭まっている問題を解決するため、学校、図書館、新設の全米千カ所のテクノロジーセンター等でインターネットの利用機会を提供することと、教員の再訓練実施を提唱した。
2000年10月のシリーズ第4弾報告書「Falling Through the Net: Toward Digital Inclusion」においては、インターネット世帯普及率が58%を超えた普及の現状、劇的な格差縮小、そして、家庭からアクセスできない人に公共施設のアクセスポイントが貢献していることを指摘しているが、体が不自由な人や人種などにおいて依然として格差が存在すると同時に、ブロードバンドアクセスが新たな格差を生んでいることを示している。
日本でも2000年版「通信白書」が、居住する都市の規模の大きさ、世帯主の年齢の若さ、世帯年収の高さによって、インターネットの普及率が高まる現状に言及し、デジタル・デバイドの是正の必要性を指摘している。
また、総務庁が発表した「1999年全国消費実態調査」によると、2人以上の一般世帯1,000世帯当たりのパソコン所有数量を見ると、年間所得411万円以下では195台だが、1,036万円超では800台と4.1倍に達した。また、766万円以下までの所得層ではワープロ所有台数がパソコン所有台数を上回っている。
*3 The Univ. of CA, Santa Cruz Professor Latin American & Latino Studies(2001年9月10日)、Mr. Manuel Pastor, JR.のヒアリングによる
*4 ジョン・カッツ著、松田和也訳『ギークス GEEKS』飛鳥新社(2001年)、ペッカ・ヒマネン著、安原和見・山形浩生訳『リナックスの革命』河出書房新社(2001年)参照
*5 インフォメーション・ウオーフェア(Information Warfare)は、情報の利用をめぐるあらゆる戦いに対して用いられる概念であるが、その定義は、多くの研究者、軍関係者、軍組織それぞれによってさまざまに行われている。インフォメーション・ウオーフェア自体は新しい概念ではないが、これまでの従来型の情報の戦いを情報戦と呼び、ここではIT革命後のいわゆる新しい情報戦をインフォメーション・ウオーフェアと呼ぶことにする。IT革命によって従来の情報戦の概念自体が変わったのである。
*6 ジョセフ・S・ナイ、ウィリアム・A・オーエン「情報革命と新安全保障秩序」、『中央公論』(1996年5月号)参照
*7 サイバーテロ防止にはネットワークトラッキングが不可欠であるが、ネットワークトラッキング技術そのものが、必然的にプライバシーに踏み込むことになるため、トラッキング技術を用いたITセキュリティの仕組みとプライバシー保護のバランスをどう対応させるかは、国によって異なり、議論が進みにくい面がある。
しかし、グローバルネットワークにおけるセキュリティ対策には国際協力が不可欠であり、セキュリティ対策が遅れている国は、サイバーアタックやクラッキングの拠点に使われてしまうおそれがある。コンピュータウイルス、クラッキング等といった新たな脅威に対処するためには、セキュリティの確保・向上が国際的に協調を取りつつ行われる必要があり、そのための公平な国際機関の役割が重要となる。そこでの情報の共用、技術やルールの国際的なハーモナイゼーション、標準化、ガイドラインの作成等が、国際的なセキュリティレベルの向上に果たす役割は大きいと思われる。