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Center for Global Communications,International University of Japan

智場、GLOCOM Review、コラム…


 

く・も・ん・通・信

サミュエル・ハンチントン教授が、今年の2 月にコロラド大学で行った講演を読みました。中に2 点、とても気になる発言がありました。

 その第一は、日本文明の位置づけです。彼は、「東アジアは、中国系の人々を中心とする経済統合に向かうだろう。日本が中心になることはない。日本は孤立した単独の文明だから だ」と言い切っています。日本が東アジア経済統合の中心になるかどうかはともかくとして、 孤立した単独の文明だという見方は承伏しかねます。梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」以 来、日本の文明を西欧と並ぶ近代文明の一つの分肢として位置づける見方は、日本の学者 の間では(そして大方の日本人の間でも)常識となっています。文明の区分は、青木昌彦さ んたちが“制度”について主張しているのと似た、“主観的な共有信念”のレベルで考えるの が一番適切ではないでしょうか。つまり、日本人の多くが、自分たちの文明を近代文明だと 考えていれば、それは近代文明だといってかまわないと私は思います。それに、おそらくは文 化のレベルでも、今日の日本は、合理主義を核とする進歩主義や手段主義、あるいは自由 主義といった近代文化の主要な柱を、かなりの程度まで、他の近代文明諸国と通有してい ると思います。

 今、始まった近代文明擁護の戦い――もちろん今あるものをそのまま擁護するというより は、必要な反省や変革を含めてというべきでしょうが――においても、日本は、まさに近代文 明の一員としてそれを擁護する側に加わっているのだという信念を明示するとともに、その点 の理解が欠けている他国の人々がいたら、説得に努めなくてはならないでしょう。 そ の第二は、アメリカ文化の位置づけです。ハンチントンさんは、アメリカでは歴史的には 西欧文化が支配的だったが、その後の移民によって多民族、多人種国になり、さらに多文 化国になる可能性さえでてきていると言います。しかし、本当に多文化国になったら、社会を 統合する原理がなくなってしまうというのが、彼の危惧するところです。いや、独立宣言に具 体化されている政治的な諸原理――自由、平等、個人主義、民主主義、法の支配、私企業 ――があるから大丈夫だという反論に対しては、それらはもともとあった西欧文化の産物にす ぎないので、その文化自体が消失したら、もはや抽象的な政治原理によっては社会を一つ にまとめていけなくなる。そのことは旧ソ連やユーゴの経験が示していると答えています。だ から、もともとの西欧文化をリニューして強化できるかどうか、それとも引き裂かれ分断した文 化の国になるかということが、21 世紀のアメリカ人にとっての大問題だ、とハンチントンさん は結論します。

 しかし、本当にそうでしょうか。それぞれの文明が持っている文化は、その成員の間に暗黙 に通有されている世界観・価値観によって定義するのが最も適切でしょう。しかしこの意味で の文化には、文明に影響されやすい層と強固に永続する層のような階層の違いが、多分何 重にもあると思われます。だからこそ、進歩主義や自由主義のような“近代文明”が共有する “近代文化”のコアについて語ることに意味がでてくるのです。つまり文明は“文化化”し得る のです。今日のアメリカは、一面では多文化社会になりましたが、他面ではこの意味での近 代文化を、その成員が通有し続けている社会だといってよいと思います。その近代文化は、 ハンチントンさんのように西欧の伝統文化に無理に結びつける必要はありません。彼のよう な見方からすると、近代文明は西欧にしか成立し得なくなってしまいます。 西欧の近代文明は、千年に近い歳月を経るなかで、十字軍当時の閉鎖的で好戦的で野 蛮極まる文明から、今日のアメリカに見られるような、開放的で多面的で良心的な文明に進 化を遂げてきました。同じことは、日本の近代文明についてもいえるでしょう。そうした進化は これからも続くはずです。いや続かなくてはなりません。そしてその成果の一部は、文化とし て内面化され、暗黙知となっていくことでしょう。私はそれを信じたいと思います。

公文俊平

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