イスラム社会から見た同時多発テロと文明の衝突
中田考(山口大学教育学部助教授)
前田充浩(政策研究大学院大学助教授/GLOCOM客員研究員)
山内康英(GLOCOM主幹研究員)
イスラム世界との出会い
山内 GLOCOMでは、かねてから国際関係を重要な研究領域の一つとしてきました。今回の同時多発テロについては、安全保障的な側面と文明論的な側面があり、われわれとしても非常に興味を持っているところです。今回の事件では、イスラム世界についての読みというのが、事件の全体像を理解するための決定的なカギになるだろうと思います。イスラムというのは、どのくらい外に向かって攻撃的になり得るものなのか、あるいはイスラムという宗教がどの程度、その社会の志向を決めているのかといった読みが正確でないと、多くの推測が狂うと思います。今日は、山口大学教育学部の中田助教授に、この点について伺うことになりました。まず、中田先生からご研究のバックグラウンドをお話しいただいて、その後、公文所長の提唱する文明の枠組みを提示し、これについてご意見を伺いながら、今回の同時多発テロについて、お話しいただければ、と思います。
中田 私は東京大学の文学部イスラム学科で勉強しました。ご存知の通り、東京大学は、1年、2年と教養、3年で専門になるのですが、2年まで私は駒場の聖書研究というサークルに入っていました。聖書研究といっても信者の団体ではなく、信者もいましたが、学問的にユダヤ教やキリスト教の研究をするというサークルでした。そこで最初に勉強しはじめたのですが、私自身、もともと一神教が好きでしたから、子どものころからキリスト教には親しんでいました。私は、学問的な面と信仰の面で興味を持っていたということです。特に、われわれの世代は、高校生のころにイラン革命とか中東和平を進めたエジプトのサダト大統領の暗殺などがありまして、イスラム教がすごい宗教だなという潜在意識はありました。大学に入って勉強していくなかで、歴史的に、ユダヤ教やキリスト教の先にイスラム教が出てきたということを再認識しました。たまたま、3年になる前の進学振り分けのときに、イスラム学科というのが新設されました。ですから私たちが第1期生になります。ご承知の通り、本郷には、ユダヤ教やキリスト教を勉強するところはありません。だったら宗教学よりも面白いかなと思って、イスラム学科に進みました。そこで1年間勉強しました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じセム系の一神教ですので、あまり違和感はなくて、どれを選ぶかということだけでした。結局イスラム教がいちばんわかりやすくて、楽だというのが大きかったですね。一般の方は、イスラム教は厳しい宗教だと思われるかもしれませんが、もともと宗教に関心を持っていた者からみれば、キリスト教の方が大変です。十字架についてすべてを捨てるということが基本的な考え方ですから、真面目に考えると結構大変です。それに比べてイスラム教は、1日5回礼拝していればいいということですから、簡単です。それでイスラム教を選ぼうと思ったわけです。ですから、専門を1年終わった後、私はムスリムでありつつ、イスラムを研究するという立場で、ずっとやってきました。イスラム学科ができてからすでに20年経ちましたが、いまだにムスリムになったのは私一人だけです。
イスラム原理主義とビンラディン
中田 その後、指導教官との学問的な衝突などがあり、結局、修士を終わった時点で大学院を出まして、そこでたまたま板垣雄三先生のご友人で、ハッサン・ハナフィー先生という国連大学にいたエジプトの先生を頼って、カイロ大学に行きました。そこで、1992年に博士号を取得するまで6年間勉強しました。私の狭い意味での専門は、イブン・タイミーヤという14世紀に活躍したシリアのイスラム法学者なのですが、これが直接的に、特にスンナ派世界、俗に「イスラム原理主義」といわれる運動の源流になっています。今の原理主義運動、特に武装闘争派は、その人がもとになっているのですが、私はそれが専門なので、その研究をエジプトでやっているうちに、一緒にテキストを読んでもらっていた家庭教師の先生などを通して、原理主義者と呼ばれる人たちとも、個人的に知り合う機会がありました。
そういうことをやっているうちに、サウジアラビアで専門調査員の職があるので来ないかという話がありました。そのときは行く気があまりなく、「まだ学位も取れてないし…」と、はっきり返事をしていなかったのですが、1992年に博士号が取れてしまったので、行くことになりました。サウジアラビアはご承知の通り、イスラム原理主義の国とも言われています。ワッハーブ派という派がありますが、イブン・タイミーヤの理論に基づいて、それを再興してつくった国なので、私の専門にはいちばん近くて、当時はサウジアラビアの動きを知らなければいけない、という意識を持っていたときでもあったので、渡りに船でした。
実はそのとき、すでにビンラディンは、私にとって馴染みの人でした。個人的には面識はありませんが、おそらく日本で、ビンラディンについて研究発表したのは私が初めてではないかと思います。サウジアラビアでは、世界のイスラム団体に対する支援を、研究テーマの一つとしていました。サウジアラビアは、官民あげて世界のイスラムを支援しているのですが、民の部分、個人の篤志家のレベルでイスラム支援をしている人たちの中で、突出していたのがビンラディンでした。支援といっても、いろいろなレベルがあります。サウジアラビアはお金持ちの国ですから、お金を出すという人もいるし、イスラムの知識を先生として与えるとか、人的貢献をするとか、いろいろあるのですが、彼はお金を出すということでも、身を呈して戦うといった面でも、彼自身、当時アフガニスタンのジハードに出ていて、一身に体現しているような人で、非常にシンボル的な存在でした。当時から、イスラムの運動家の間では有名人だったわけです。
私がサウジアラビアにいたのは1993年頃ですが、当時はイスラム世界の中で、イスラム原理主義の武装闘争派といわれる人たちが国内闘争をやっていた時期です。特にエジプトとアルジェリアで、武装闘争が非常に盛んでした。サウジアラビアとエジプトの関係は非常に微妙で、ご承知の通り、現在でもサウジアラビアには、エジプトからの出稼ぎの人が200万人います。そういう意味で、エジプトは、サウジアラビアの言うことを聞かないわけにはいかない、サウジアラビアに対してはあまり強いことを言えないということがあるのですが、その200万人の内のかなりがイスラム原理主義者で、実際に、エジプトの反政府運動をやっている人たちだといわれています。そういう人たちをサウジアラビアが応援しているというので、エジプト政府は非常に神経質になっていて、ただし正面きっては言えないので、エジプトの週刊誌を使って「サウジアラビアがテロ支援を行っている」と叩くわけです。私がエジプトで勉強していたときも、ウサマ・ビンラディンはエジプトの週刊誌で叩かれていて、それを読んで記事にしたというのが、私の研究者としてのビンラディンとの出会いだったわけです。それからずっと見ているわけです。
アルカイダは、緩やかなネットワーク
前田 ビンラディンの話は後ほど詳しく伺うとして、中田さんとナーズィム師への弟子入りについてお話を伺いたいのですが…。
中田 説明が非常に難しいのですが、シーア派は置いておいて、スンナ派の流れとして、一般にイスラム原理主義といわれるものがあります。このイスラム原理主義というのは、われわれ思想史研究家から見ると、カトリックでいうプロテスタントに近いものです。コーランと預言者の言行録(ハディース)というのがあって、それに帰れという、中世の伝統を断って「原点」に帰れというのがイスラム原理主義の主流になっています。サウジアラビアのワッハーブ派が最も代表的です。そのもとにあるのがイブン・タイミーヤです。これは何を否定しているのかというと、中世的、伝統的なイスラムであって、その伝統的なイスラムの中核にあるのがスーフィズムです。スーフィズムというのは、おおざっぱに言うと、イスラム神秘主義です。私は、もともと研究者として、イスラム復古主義を研究していたのですが、研究している過程では否定される方の研究もしなければなりませんから、スーフィズムの研究もしています。やはり、スーフィズム的な部分を否定してしまうと、イスラム全体が成り立たないという認識にたどり着いて、それをまず勉強しなければと思って、個人的にスーフィズムを勉強しました。その中で、いろいろな出会いがありました。カイロで会ったスーフィズムの人たちの中でいちばん精神性が高いと感じたのが、シャイフ・ナーズィムのお弟子さんたちでした。この方はトルコ系キプロス人です。ナクシュバンディー教団という、もともと中央アジアから出てきたグループですが、今は中央アジア、トルコ、パキスタン、インドネシア、マレーシアに広がっている教団です。イスラムの場合は、緩やかなネットワークは持っていますが、たとえばカトリックのイエズス会のようなヒエラルキーはありませんので、師匠(シャイフ)について免許皆伝をもらうと独立してしまいます。そういう人たちがたくさんいます。シャイフ・ナーズィムは、ナクシュバンディーの中でも、世界的に有名な人です。実はこの前、初めて日本にいらしたのですが、そのときに少しお会いしました。
前田 それは布教のために来たのですか。
中田 米国からの帰りに、日本にも寄って行かれたということです。わずか数日間しかいらっしゃいませんでしたが。米国で非常に大きなウェブサイトを開いているのですが、この前見たら閉じられていました。おそらくテロ事件の影響だと思います。その方に私は弟子入りしているんです。ただ、イスラム自体がそうですが、スーフィズムは非常に緩やかで、教団があるわけでも、オフィシャルなものがあるわけでもないので、メンバーシップが非常にいい加減です。たとえば、私は宗教法人日本ムスリム協会に入っていますが、会員はせいぜい150名くらいしかいません。それでも、日本では会員数最大のムスリム組織なわけです。入っていることに、それほど意味がなくて、ほとんどの人が入っていないわけです。スーフィズムの場合はそのような意味の組織ではなく、入るといってもどこかに登録されるわけでもなく、たまたまシャイフと個人的につながっているというレベルです。私はシャイフ・ナーズィムのほかにもう一人の先生がいるのですが、それもメンバーとしてどこかに登録されているというものではありません。要するに、イスラムのあり方というのはそういうものなので、どこにも組織はないんです。さすがに最近の数年間で、米国の諜報部も「アルカイダ」が実は組織ではない、というのがわかってきてはいるようですが、マスコミレベルでは全然広まっていません。これは後の話につながってくると思います。
話を戻しますが、復古主義の流れとスーフィズムの流れは犬猿の仲なので、私のように両方とつきあっているというのは、イスラム世界では非常に珍しいケースです。これは、別に隠しているわけではないのですが、聞かれたことがなかったので、今、初めて公にしました。他の研究者も詳しくは知らないと思います。アラブ世界では、どちらも敵同士だと思っていますから、両方とつきあうというのは非常に難しいのです。ですから、私もあえては言っていないのですが、これが私のバックグラウンドです。
予測しやすいイスラムの論理
前田 入信に至る経緯は?
中田 これは特別なことはなく、さきほども言った通り、私にとってはセム系の3宗教は同じようなものでしたので、いろいろと個人的なことはあるのですが、1983年の時点でどれかを選ばなければならないというときになって、イスラムを選びました。シャイフ・ナーズィムについたのは1991年、湾岸危機のときです。そのときに、最終的にスーフィズムの先生にもついたということです。シャイフ・ナーズィムの特徴的な教えとして、終末論があります。終末が非常に近いということです。20世紀中にマフディーという救世主が来るというのが彼の教えですが、どうやら現れませんでした。彼自身ころころ主張を変えるので、はずれたとしても、誰もそれほど文句は言いません。キリスト教ほど強くないですが、イスラムの教えにも、やはり救世主が出てきます。最終的にイスラム世界が不正に満たされたときに、救世主(マフディー)が現れて、地に正義を確立するという教えがあって、それがもう近い。つまり、救世主はもう生まれて神の命令を待っているだけだという教えがあります。ハルマゲドンが近いといった予兆なのかなという意識が、中東にいたときにはあって、話を聞きに行ったわけです。
山内 宗教体験というのは、知性の面から追いかけて行っただけではたどり着けないところがありますね。
中田 そうですね。私は、そういう意味では宗教的な人間ではありません。あくまでも、倫理的な人間です。倫理的に正しいという意味ではなくて、倫理的あるいは道徳的な志向しかないということです。超越的な感性はないです。
山内 そういう感性がなくても、スーフィーにもなれるし、復古主義にもなれるわけですか。
中田 復古主義の方は、むしろないほうがなりやすいです。スーフィーの方は、私は自分に欠けているという意識が非常強いので、それを補うためにも修行しないといけないという、むしろそういう感じです。
山内 イスラムにも、身体論に基づいた修行というのはありますか。
中田 あります。
山内 そのような宗教体験をして入信するわけですか。
中田 違います。そういう人はごく一部です。イスラムは、スーフィズムの伝統はありますが、そういう体験は重視しません。基本的には、最後の啓示はムハンマドの啓示であって、その文言に照らし合わせて行動していくということです。もちろん、宗教体験があっても、それが正しいか正しくないかはわからないので、啓典に照らして、それに合っていればその宗教体験は神聖なものであるということになります。もし、それに反していれば、悪魔のささやきであって、むしろそちらの方が強くなります。
山内 合理的ですね。
中田 そうですね。基本的には、いったん信仰してしまえば、あとは論理的に演繹されてくる世界です。わかってしまえば、非常にその行動は予測しやすい。イスラム原理主義については、ほぼ完璧に予測できますね。
山内 たとえば、親鸞とかルターをみても、あるところで、従来の教理とは違う一歩を踏み出すときに神秘体験があったと思うのですが、復古主義の方はそれがなかったわけですか。
中田 ありません。もちろん深い部分ではありますが、われわれが読み解いていく部分ではあまり関係してきません。たとえば、ホメイニ師の場合、彼自身は大変な神秘家です。その側面はあまり知られていませんが、彼は非常に深い神秘体験のある人です。ただし、表に出てくる言説は、それとは一切関係なく理解できるものですね。
同時多発テロをどう見るか
山内 GLOCOMの世界観というのは、もちろん非常に非宗教的なんですが(笑)、つまり、近代化と産業化に諸局面があり、これに基づいて現時点をどう見るのかということです。現在の局面は、産業化の中の第2段階が終わって、第3段階に入ったところです。第2段階というのは、20世紀型の重化学工業化です。つまりわれわれは、これから情報産業化と近代文明の中の情報文明が始まる、というところにあります。他方で、この近代文明自体が大きな変化の局面にあって、今の近代文明が終わり、次の新しい文明、すなわち「智識文明」が始まるであろう、ということです。つまり、現在の産業化を生んだ近代文明はまだ終わってないのですが、その次の新しい文明の予兆は見えているだろうということです。そして現在の情報産業化が次に来る文明を導引するであろう。そういう見方をすると、いくつかの段階や局面が重なっているわけですから、今回の同時多発テロについても、いろいろな見方ができるというわけです。
まず、今回のテロには、パレスチナ対ユダヤという歴史的な現象が反映しているだけだという見方があります。次は、宗教文明間の戦いであるという、つまり、キリストという宗教文明とイスラムという宗教文明が戦っているという見方です。これは十字軍対ジハードということになります。ブッシュ大統領は最初に少しこういうことを言いましたが、すぐに引っ込めました。三番目は、近代文明対宗教文明の戦いという見方です。それはさきほどの近代化で言うと、今の近代文明の前に宗教文明があって、この宗教文明が残っていて、現在産業化の段階にある近代文明とぶつかっているということです。これは、ハンチントン流の文明の衝突になります。
四番目は、三つのパターンに分けることができます。その一つは近代文明内部の戦い。つまり近代化の中の産業化においては、先発国対後発国に分かれている。その先発国と後発国が現在ぶつかっているという見方です。二つ目は、グローバルな産業化が進んでいて、それに対する反発だろうというものです。三つ目は、近代文明の産業化の競争の一側面として、ソビエト連邦という社会主義をもって産業化を行おうとしたものと、米国という資本主義でもって産業化を行おうとしたものの対立があって、それがソ連のアフガン侵攻の反作用としてタリバンをつくりだし、それが今、精算されようとしている。比喩的には、カンボジアでクメール・ルージュが東西対立の中で出てきて、それがUNTAC(国連カンボジア統治機構)によって最終的に解消されたように、タリバンという冷戦の中で出てきた国家の蛭子みたいなものが、最終的に精算されようとしているという見方です。
前田 補足しますと、中田さんのお話では、イスラムというものは、強固な組織を持たない緩やかなネットワークということですが、緩やかなネットワークというのは、まさに情報文明の特質を表すキーワードです。それがすでに7世紀以降実現されているとなると、実は、イスラムは、情報文明に組織論上は親和的であって、そのことによって、近代文明に住んでいるわれわれよりも早く情報文明のエッセンスを理解することができて、またそれに従った行動ができ、それが今、現実に起きつつあるのではないかという見方もありますが、いかがでしょうか。
中田 まず、そもそも今回の同時多発テロは、米国がビンラディンの仕業だと見ていて、タリバンを攻撃しているというのは事実として明らかですが、実際に誰がやったのかということは、はっきり言ってまだわかりません。
山内 ビンラディンの仲間ではない可能性がある、ということですか。
中田 イスラムの場合、ネットワークですので、どこにでもつながります。極論すれば私にもつながるわけです。そういう意味では境界がありません。ということで、仲間ではないとは言えませんが、直接ビンラディンが指揮したのか、直属の部下が実行犯に指示したのかというと、私はまったく信じていません。たぶん違うと思います。もちろん何らかの意味で関わっているとは思います。つまり広い意味でのイスラムの反体制武装闘争派ネットワークの周辺部で起こったことであると思います。
さて、今の分類の最初にあった、ユダヤとイスラムの戦いというのは、ある意味で非常に正しいのです。あとで出てきた文明間の対立というよりはむしろこちらです。これは非常に単純な話で、文明間の戦いということは言わない、その前に、イスラムとテロリズムを一緒にしてはいけないということが、ジャーナリズムや学会での暗黙の前提であるわけです。むしろ、これは基本的には米国の問題なのです。米国はそう言われては困るので、文明世界あるいは西欧文明とテロリズムの戦いと言っていますが、直接的には米国の問題なのです。米国外交の失敗としてのパレスチナ問題だけです。しかし、そう言われては困るので、一種の情報操作をやっている。イスラムはイスラエル問題があるがために反米になっているわけで、湾岸戦争の際の反応もあくまでもその経緯でしかない、というのが私の見方です。
なぜ、米国が狙われるのか
中田 歴史的にみても、米国は決して反イスラムの国ではありません。というか、日本もそうですが、帝国主義列強と言われる中で、唯一手を汚していないのが米国です。むしろ問わなければならないのは、それがなぜイスラムの敵であると見られて、しかも、われわれも含めて何も違和感を持たないのかということです。イスラムが米国は敵だと言うと、そうだと思ってしまう。これは、米国の外交が若干下手だということもありますが、基本的にはパレスチナ問題です。イギリスとかフランス、日本もそうですが、イスラム教徒を直接迫害して恨みを買うということは米国には一切ありません。むしろ、短期的にみて、ユーゴ内戦でムスリムが虐殺された民族浄化のときに、助けに行ったのは米国だけであって、イスラム世界は一兵も動かしていません。そういう意味でも、米国はイスラム世界の恨みを買うようなことはやっていない。湾岸戦争で、なぜ、ビンラディンが怒ったのかというと、決してイラクを攻撃したからではありません。
イラクのサダム・フセインはアラブではありますが、イスラムかという点では、反イスラムです。これはわれわれにとっては常識です。イスラム世界は、現在の体制というレベルでは、すべて反イスラムです*1。イスラム政治論的に言うと非イスラムというより、むしろ反イスラムです。アラブの中でも最悪の反イスラム政権が、サダム・フセインです。クウェート、サウジアラビアという湾岸諸国を含むアラブ諸国を見た場合、これは冷戦のときの構図ですが、表面的にイスラムを掲げていたグループと、アラブ社会主義を掲げていたグループがあって、そのときアラビズムと社会主義がくっついたのがエジプトのナセルであり、シリアとイラクのバース党です。こういったグループが世俗主義を代表していて、それに対抗するイデオロギーとして、サウジアラビア、クウェート、モロッコ、ヨルダンといった国が、イスラムを支援していました。
われわれは冷戦構造で、自由主義陣営あるいは民主主義陣営と、社会主義陣営あるいは共産主義陣営が敵対すると見ていましたが、アラブ社会の中では、世俗主義対イスラム主義だったわけです。世俗主義のチャンピオンがイラクであって、イスラム主義のチャンピオンがサウジアラビアだったわけです。これに、イランが入ってくるとややこしくなるのでイランは置いておきますが、イランのときも、米国はイランのイスラム革命に対する防壁としてイラクを使った。反イスラムということで使ったわけです。そういう意味でも、イラクは反イスラムの国です。それが、クウェートに侵攻してサウジアラビアを脅かすという状況で、米国は、多国籍軍ではありましたが、サウジアラビアに入ったわけです。これが素直にイスラムの友邦としてとられなかったのはなぜかというと、パレスチナの問題があったからです。何をやっても信じられないということです。彼らに言わせれば、明らかに不正なイスラエル、これはイスラムの論理からというのではありません。イスラムの論理が表に出てきたのは、1980年代以降ですから。それ以前から、イスラエルの行動というのは、世界中が批難していて、米国だけが拒否権を使っているという、どう見てもおかしい状況です。それを米国だけが支援しているということです。しかも、エルサレムという聖地が入ってきますから。その一点で、米国はイスラムの敵とみなされてきたわけです。
山内 イギリスはどうですか。
中田 イギリスに対するテロで生まれたのが、イスラエルという国です。特に今のシャロン首相もそうですが、その前のベギン首相は、イルグン(リクードの前身)という組織で、イギリスの委任統治下で、民間人も含めたテロ事件を起こしています。イギリスは、ユダヤ人が入ってこようとしたのを抑えようとして抑え切れず、イスラエルができてからは完全に手を引いています。イスラエルができてから支援しているのは明らかに米国だけです。まさにその一点があるおかげで、米国の行動はすべて信用できないということになっているわけです。
今回の事件も、本当は、イスラエルに対する米国の軍事支援、経済支援、これだけが問題です。米国としては、これを知られたくない、認めたくないということで、目を逸らすために情報操作をしているわけです。このように直接的な理由としてはそれだけ、つまり文明の問題ではなく、米国の問題です。しかも、米国の自由主義という体制の問題ではなく、イスラエルへの支援だけです。ビンラディンという人は、全然深い思想のない人ですから、米国が何をしようとどうでもいい。イスラエルとサウジアラビアから撤退してくれればそれでおしまいで、テロも一切起きません。今回のテロが自己目的のように報じられていますが、テロには目的があって、その目的実現のためにやっているわけで、その目的とは、彼がはっきり言っている通り、サウジアラビアとイスラエルから米国が手を引く、手を引けばそれでおしまいです。
イスラム武装闘争には組織がない
中田 ただ、今回の事件の複雑な点は、そういう構造が、情報操作その他によって明らかになっていないところです。ビンラディンのグループの思想ははっきりしているのですが、地下組織になっているので、周辺部で訳のわからないものがたくさん出てきて、これはエジプト国内でもそうですが、そうすると、そういう議論も何もなく、愉快犯的にテロを起こしてしまう人間が出てきても、コントロールできないんです。ビンラディン自身にもコントロールできません。今回の事件も多分そういうことではないかと私は思っています。これはまったくわかりませんが…。そういう意味で、テロが拡散していく可能性はありますが、本来は、そうではありません。きちんと議論すれば、つまり米国が手を引けばそれでおしまい、テロの連鎖もありません。これが直接的な話です。
直接的にはそうですが、それにいろいろ話があるんですね。さきほどの分類では、近代化と産業化に分けて、どこで戦っているのかということですが、これも表面的なというか直接的な部分を見ると、今回の事件というのは非常に派手ではありましたが、ローテクでした。単にナイフで脅しただけ、という話ですから。資金という点でも、FBIは大きな組織でなければできないと言っていますが、そういうことは全然ありません。非常に小さな組織でできる話です。これもサウジアラビアの事情を知っていれば簡単にわかることですが、一つのファミリーでできることです。実行犯を見ても、親族で固めていますね。ファミリーは日本と違って大きいのですが、サウジアラビアのちょっと裕福な部族に2、3人放蕩息子がいて、米国で遊びまわっている、そのレベルで十分にできることです。それ以上のものは何一つ必要としません。資金的にもです。
山内 しかし放蕩息子がビルに突っ込むことができるのですか?
中田 そうではなくて、お金のレベルでという意味です。サウジアラビア人で、あの程度のお金を持って米国で遊びまわっている人はいくらでもいます。たまたまその中の何人かが、こういう思想傾向を持てば、できるわけです。組織も何も要らない、もちろんあってもいいんですが、なくてもできます。
山内 そのファミリーは、実行犯をどのようにリクルートするのですか。
中田 ファミリー自身は、リクルートしません。部族社会というのはそうなんですが、部族の中でも、必ずしも思想傾向が一緒ではありません。ビンラディン家もそうです。ビンラディン家には、20人とも50人ともいわれる子どもがいて、ウサマ以外にも何人か、あの傾向の人間はいますが、ビンラディン家がそれでまとまっているのかというと、そういうことはありません。実際、ビンラディン財閥は、ウサマの件があっても、何の関係もなく動いています。ウサマも一応勘当したということになっていますが、いまだにつながっています。サウジアラビア王家自身も、彼を庇護しているとまでは言いませんが、守っている、つまり結果的には引き渡さないわけです。部族社会というのは、中の人間を外に対しては絶対に守るんです。これは思想傾向とは関係ありません。ですから、ファミリーがリクルートするわけではないんです。どういう傾向の人間であろうと、ファミリーはそのまま自分の子どもとして扱うわけです。ですから、お金もあげる、ほかの子どもにあげるのと同じです。今回も、実行犯としてサウジアラビア人がたくさんあがっていますが、クルディ・サウジアラビア駐日大使の書いたものを読んでみると面白いです。サウジアラビア人は一人もいない、あれは偽造パスポートだと言い張っています。これも同じ論理で、サウジアラビア人を守るわけです。そしてタリバンは、これからもビンラディンを引き渡しません。
前田 今、伺ったお話は、マスコミで言われていることとは違いますね。真相がそうでありながら、ブッシュ大統領は「クルセーダ」と言って世界を動かし、NATO第5条を歴史上初めて発動し、国連決議までやっているわけです。このことについては、どのようにお考えですか。
中田 これは、ブッシュ大統領が、タリバン政権をつぶそうとしているということです。私は今回の事件にビンラディンは直接は絡んでいないと思っていますが、では、ビンラディンが危険ではないのかというと、まったくそうではなくて、米国にとって、いちばん危険なのがビンラディンであるということも確かです。私は治安関係が専門ではないのでよくわかりませんが、大使館爆破事件については、直接絡んでいた可能性はあります。ビンラディン・グループが、非常に危険であることは明らかで、米国の立場に立てば、これはつぶさないといけないと思っていたわけです。ですから、今回、渡りに船でつぶそう、ということなのでしょうが、だからといって、私は米国の陰謀説もとっていません。
私自身の今回のテロ事件の観測を言うと、米国が、ビンラディンを近い将来つぶそうと思っていた、それは明らかです。ビンラディン・グループも、米国と戦おうと思っていたということも確かです。しかし、どちらも、この時期に起こるとは思っていなかったので、大慌てした。どちらも準備ができていなかった。米国ももう少し後でやろうと思っていたし、ビンラディン側もここでこんなことをやろうとは思っていなかった。周辺部がやったことだろうというのは、そういうことです。もうコントロールがきかない部分で起こってしまったことだろうと。ビンラディンの方も準備ができてなかったので、袋のネズミになってしまって、ぼこぼこにやられているわけです。米国の方も準備が整っていないときに起きてしまったので、「クルセーダ」だと思わず言ってしまったわけです。シナリオがあれば、そんなことは言いません。
直近のイラン革命は別にしても、イスラム世界の武装闘争、スンナ派世界の方でイスラムテロと言われるものは、イスラム世界の中で起こっていたことです。そこで失敗して、その後、米国に矛先が向いているわけです。イスラム世界の方では当然内部の話ですし、もうよくわかっているはずです。しかし、最初は治安関係者にもわかっていませんでした。日本でもそうですが、やはり、宗教がテロを起こすとは思っていなかった。イスラム世界でもそうです。イスラム世界では当然みなムスリムなんですが、治安関係者にもそういう発想はできなかったんですね。私が学生でエジプトに行ったころには、治安関係者は何もわかっていなくて、ただモスクに行っている人間を片っ端から捕まえるという対応をしていました。敬虔な人間と、思想を持っている人間の区別がまったくできていなかった。組織形態が何もわかっていなかったんです。ところがさすがに、5、6年やっているうちにわかってきた。実は、イスラム原理主義と言われるもの、武装闘争と言われるものの怖さは、組織がないことなのです。コントロールしているところがどこにもないことです。中東の治安関係者は、もうわかっています。本当に小さなグループが、自分たちでうまくやってしまうこともあり得るし、しかもそれは、オウム真理教のような組織と違って、社会的な基盤があって、全然社会と遊離していないんです。普通の生活では、普通の人間です。そういう人たちが何をやるのかわからないということが、いちばん怖いのです。
テロを生むアラブの閉塞感
山内 逆に言うと、何が起こるかわからない代わりに、その人たちを特定して排除していけば終わるわけですか。
中田 それは終わるでしょうが、「今の世界が、イスラムの教えに沿っていない。これを変えなければいけない」という、その部分さえ理論ができてしまえば、いつでもどこから生まれてもおかしくないわけです。いくらつぶしていっても、またいつ、どこで現れるかわからないということです。実際、今のイスラム世界はどう見てもおかしい。これは、イスラムに沿っていないという表面的なレベルでもそうですし、根本的なレベルでもおかしいわけです。これはおかしい、倒さなければいけないという議論はどこからでも出てくるわけです。
山内 イスラムの人たちの焦りというは、あるのでしょうか。
中田 焦りはありますね。というか、アラブ世界で起きている、理論というよりはむしろ感情レベルの話ですが、大きな閉塞感があります。これは非常に大きいと思います。これは実証はできないのですが、私の実感で間違ってはいないと思います。私自身がムスリムということもありますが、それ以前に研究者として、アラブ世界を研究しているのがつらいのです。つらいというのは、つまらないということです。私は最近、研究者としてはアラブをやめて、今はトルコ、インドネシア、マレーシアを研究しています。というのは、あまりにも出口がない。研究者として見ていても、何の展望もない。民主化も自由化も発展も市民社会もイスラム化も、何の展望もありません。これはイスラム世界ではなく、アラブ世界の現象です。マレーシアやインドネシアは、見ての通り、最近自由化しています。トルコもある程度は希望があり、イランになるとさらに希望がありますが、アラブ世界は何の希望もありません。研究者としてもそうなので、実践家にとっては、それがどれだけのものかというのは想像がつきます。
これは、テレビを見ていてもおわかりだと思います。今回、パキスタンでデモがある、インドネシアでデモがある、あるいはガザ地区である、ということはテレビで報道されていますが、アラブ世界での反応というのは、一切出てきません。これは、まず第一に、報道できないのです。それでも少しはあるんですが、仮にあっても報道されない。
山内 彼らがデモンストレーションもできないし、テレビクルーも入れないということですか。
中田 入れませんね。アラブ世界というのは、いまだにそういう世界です。
泥沼化するアフガニスタン
山内 さて、一つの見方として、反タリバン同盟が、たとえば米軍のエアー・カバーを得ながらタリバン政権をつぶすだろう、タリバンからの部隊の離脱がどんどん続いて、やがて政権も倒れるだろう。もし人道援助を十分に行えば、ここにいろいろな形の、たとえば復古的な国王も入ってきて、タリバンが出てくる前の、カブールが自由だった時代のアフガンになり得るんだという予想もあります。これはどうでしょうか。
中田 全然だめですね。というか、それが失敗したのでタリバンが出てきたわけですから、彼らに統治能力があるわけがありません。そういうふうにはならない。アフガニスタンにとっては、泥沼化するというか、どうしようもない状態にまた舞い戻るだけです。
山内 ということは、反タリバンとタリバンの抗争は、短期間では終わらないということですか。
中田 反タリバンとかいう以前に民族問題です。パシュトゥンとそれ以外の分派というのが非常に大きいですから。タリバンは別として、今の北部同盟にはほとんどパシュトゥンはいませんし、国王も一応パシュトゥンですが、ほとんど支持がありませんので、パシュトゥン族がこれでまた力を失うということです。しかも、北部同盟は外国の手を借りて、パシュトゥン族の政権を倒すということになりますから、絶対に引かないですね。
山内 タリバンは、倒れることは倒れるのですか?
中田 私は、倒れる可能性の方が高いと考えています。
山内 しかし、部族の論理から言えば、ビンラディンを引き渡さないですよね。
中田 そうですね。
山内 そうすると、米国はどこかで勝利宣言したくてもできない。タリバンが倒れたところで、宣言する訳でしょうか。
中田 これもわかりません。というのは、結局、死んだかどうかまでは、わからないわけです。「死んだ」とタリバンが言った場合、どうなるのかという予想がつかないのです。「死んだ」と言って、幕切れにする可能性はあります。それは、よくわかりません。
山内 それにしても、アフガニスタンの混乱は、収まらないということですか。
中田 収まりませんね。
山内 ということは、国連暫定統治機構で、カンボジアが統一されたようなことにはなりませんか。
中田 そういうことにはなりませんね。
前田 われわれが期待するのは、今回のテロ事件で、タリバンがやられて、その余波を受けて、中央アジアの国々で原理主義的な運動が下火になって、この地域に自由主義的で西側のわれわれと価値観を同じくする政権の連合、すなわち、第二のASEANができて、みんなが経済上の競争をするという、国際秩序に協調的かつ経済成長が進む仕組みができないかということです。そうはならないでしょうか。
中田 なりません。中央アジアは別ですが、アフガニスタンは絶対ならないですね。中央アジアの場合は、私に断言するだけの材料はありませんが、アフガニスタンは無理です。
生物・化学兵器とテロ再発の可能性
山内 米国で、炭疽病の患者が亡くなりましたが、あれは震撼すべきテロだと思います。言うまでもなくBC(生物・化学)兵器の最大の問題は散布の方法です。考えてみると、既存の郵便システムを使うというのは、散布方法としては抜群のアイデアですね。
中田 そうですね。見事にローテクです。
山内 炭疽菌というのは、ご存知のようにBC兵器の中では割に使い出が良くて、芽胞の状態にすれば非常に長く生きているんです。封筒で送り付けて、対象が肺炭疽の急性症状を呈すれば、高い確率で死んでしまうわけです。これは民間航空網という産業社会のインフラを使ったということとも軌を一にします。これが米国で衝撃を起こすと、郵便や航空だけではなく、小包や鉄道なども止まってしまうわけです。さて、それでは、こういう形の継続的テロというのは、今後、日本のような非イスラム社会でも起こるのでしょうか。
中田 どうでしょうか。テロというのは、オウムのように理由自体が幻想である場合もありますが、基本的にイスラムの場合は理由があります。テロは、あくまでも目的を達成するための手段です。目的を実現するために行うテロに、どういう意味があるのかという発想でいくと、ある程度予想もできますし、予防もできるわけです。そうでなければ、どうしようもないわけです。
山内 しかし、イスラエルはそこにあるわけですし、米国はサウジアラビアから軍を引きません。
中田 ですから、米国やイスラエルが標的になる可能性はありますが、日本が標的になる必然性は、本来は何もありません。別に、自由主義陣営と戦っているわけではありませんから。けれども日本は敵になってしまいつつあります。目立たなくてもいいのに、目立つことをやっていますから。ロシアは、もともとイスラエル以上にムスリムの虐殺をやっているので、直接の敵です。しかし日本では、本来は起こるはずはないです。
山内 それでは米国では、継続的にテロが起こる可能性はありますか?
中田 それはありますね。
山内 生物兵器を生産したのはどこの国でしょうか。
中田 それは専門家ではないので、よくわかりません。しかしいずれにしても、テロの目的は、相手の政策を変えることですが、それ以前に宣伝です。
山内 ブッシュ大統領は、彼らの本当の目的がわかっているんでしょうか。わかっていて言わないんでしょうか。
中田 もうわかったと思います。最初は、わからなかったかもしれませんが。
山内 ということはタリバンへの攻撃は、ある意味で一種のカバーストーリーだと言うこともできる、ということですか?
中田 そうですね。
前田 お話を整理すると、今回のテロ事件は、アラブ世界の人々の感覚からすると、とうてい文明対文明の対立、あるいは新しい文明の勃興というものではなくて、パレスチナやサウジの問題で非常に怒っているということが根底にあり、かつそれで大半が説明できるということですか。
中田 ただ、今のは現象的なレベルの話です。それとは別のレベルで、もともとイスラムの社会はネットワーク社会なので組織はないんですね。組織がないことが弱みでもあるんです。統一的な動きができませんので、非常に効率が悪い。逆に言うと、コントロールもしにくいですね。だからこそ、非常に強権的な体制下でも、つぶされないわけです。つぶされないというのは、組織がないからです。もともとイスラムは、産業資本主義は失敗しました。しかし商業資本主義では、イスラム世界は非常に先進国だったわけで、情報に関しても、かなり先進的なところにいっていると思います。
グローバリゼーションもIT化と絡めて、イスラム社会に大きな利益をもたらしています。これは、もともとイスラム全体はネットワークとしてはつながっていた、それが国境線でずたずたにされていたのですが、再び復活したという面が非常に強いです。もう一つは、今回の事件ではっきりしてきましたが、グローバリゼーション、IT化が、英語の覇権をもたらすということになっていたわけですが、それが違うということです。英語だけではどうしようもない。英語の情報は、われわれも含めて非英語圏の人間は日々簡単に取れるわけです。しかし、これからは非英語の情報をどれだけ取れるかということで、情報戦の勝ち負けが決まる時代です。いまアラブには3億人の人口がいて、市場としても結構大きいです。一応お金もあるわけです。しかも、アラブ人は自分たちの文化に非常に誇りを持っています。それに採算を度外視して、イスラムの場合もそうですが、投資しようという人がいくらでもいますので、その部分も非常に大きいです。アルジャジーラテレビがいちばん大きな例ですが、宣伝そのものをやっていくために、今の情報化のフェーズが関係しています。直接的なレベルでは、非常にローテクなところで戦っているわけですが、それを支えているものは、産業化の時代を反映しているわけです。
山内 さて、それでは、現在のテロ対策特別措置法や難民支援、アフガニスタンの戦後復興や周辺国へのODAなどとは別に、根本的な中東問題の解決に対して日本のなし得る一番の国際貢献とは何でしょうか。
中田 もちろん、人道援助ということもありますが、根本的な部分、つまり中東和平については…
山内 非常に難しい、ということですか?
中田 まあ、そうですね。
山内 いずれにしても根本的な理解を行動の指針にしなければ、日本は行動を誤ることになりますね。本日はどうもありがとうございました。
(2001年10月10日GLOCOMにて収録)
*1 イランはシーア派で政治論の基本構造が違うため、一応ここでは議論に含めない。