第2セッション
インターネットの自由と規律
電子公衆送信法案を素材にして
問題提起者 林紘一郎(慶應義塾大学教授)
パネリスト 牧野二郎(インターネット弁護士協議会代表)
松井茂記(大阪大学大学院教授)
コーディネータ 坪田知己(日本経済新聞社日経デジタルコア設立事務局代表幹事)
第2セッションでは、インターネット時代の法制度のあるべき姿を探る討議が行われた。インターネットの登場により加速されたメディアの融合により、通信・放送といった従来のタテ割りの法制度が矛盾を露呈しつつあるなか、新たな法体系の確立の必要性が叫ばれるようになって久しい。情報技術の変化により顕在化してきた問題に対して、断片的な法改正や一部新法の成立等で対応を図る動きも見られつつあるものの、法体系全体の見直しという意味では、一部で原理・原則論が見られるにとどまり、具体論が展開されるには至っていない。
本セッションでは、こうした現状を踏まえ、長らくこの問題に対峙してきた慶應義塾大学教授・林紘一郎氏より、「インターネットの自由と規律:電子公衆送信法案を素材として」と題して、メディア融合時代のあるべき法体系の具体的な提案がなされた。これを叩き台として、日本経済新聞社日経デジタルコア設立事務局代表幹事・坪田知己氏をコーディネータに、パネリストとして弁護士・牧野二郎氏、大阪大学大学院教授・松井茂記氏を迎え、インターネット時代の法制度の方向性について活発な議論が展開された。
インターネットの自由と規律を規定する
林氏は、インターネットにより加速されるメディアの融合現象に対し、「通信」「放送」というそれぞれの現行業法を改正していくという従来型の対応は、すでに限界に達していると主張する。現在の法体系の抜本的な見直しを図り、まったく新しい法体系を整えるべき時期にきているということである。そしてそれを具現化するための叩き台として、同教授により条文形式の法案としてまとめられたのが「インターネットの自由と規律」を規定する「電子公衆送信法案」である。この法案では、1998年の改正によって著作権法に導入された「公衆送信」という概念を流用することによって、インターネットを軸に通信と放送といったメディアを包括的に扱うことを基盤としている。
具体的な法案の解説に先立ち、林氏より、こうした法案にたどり着くに至る背景、経緯についての紹介がなされた。林氏によれば、比較的早い時期から通信・放送融合時代の法体系のあり方を模索してきたが、さまざまな法体系の可能性を検討してみた結果、産業組織論でいう「水平分離」を軸とする包括メディア産業法という構想に行き着いたという。すなわち、通信、放送といったメディアの区分に対応した縦割りとなっている現在の法の枠組みを、メッセージ、メディア、通行権(Right of Way)という水平的な三つのレイヤによる区分に置き換え、それぞれのレイヤにメディア共通の法律を定めようとするものである(図1参照)。特にメッセージのレイヤに関しては、言論の自由という大原則に則り、極力規制は撤廃するものと、ここでは想定しているという。
さらにこの構想は、以下のような契機によって、さらなる発展を遂げることとなったという。まず、先に述べた著作権法改正による「公衆送信」という新たな概念の登場である(図2参照)。インターネットへの対応を念頭におき導入されたこの概念は、従来からあった通信、放送、有線放送に、インターネット上の送信を加え、これらすべてを包括的にとらえる概念であり、これを流用することによって、包括メディア産業法を具現化することができると考えるに至ったということである。
また、米国におけるインターネットの驚異的な発展の裏に存在したコンピュータ調査以降の「Unregulation政策」の評価をするに至ったことも、ひとつの契機となったという。米国政府がインターネットに関しては非規制の姿勢を貫いてきたことは、インターネットの普及に大きく寄与してきた。一方、日本がその後塵を拝することになったのは、サービスではなく設備を主体とする規制が時代に適応しなくなってきたことにあり、ここにインターネットを軸にした新たな法制度の仕組みを用意する必要があると考えるに至ったということである。特に経済的な行為、コンデュイット(conduit)の部分については Unregulation 政策が主体になるべきだと考えるようになり、こうした点から、融合法をあらためて検討することになったという。
情報技術の発展とメディアの多様化が、従来の法制度の想定を超えるものであり、これらに何らかの形で対応していく必要があることは間違いない。現在までは、こうした現象に対して、「公然性を有する通信」「特定性を有する放送」という概念の導入等により、従来の枠組み内での対応が図られてきている。では、なぜここで従来の枠組みを越える融合法が必要なのか。この点に関して、林氏は以下のように説明している。
すなわち、今後もメディアの多様化はますます進展し、たとえば地上波のデジタル放送を携帯端末で見るといったことも想定されるが、これらを通信と放送との間でどのようにとらえるのか、といった問題が続々と生じてくることは疑いない。米国の第一次コンピュータ調査で導入された「混合通信」「混合処理」という分類が期待どおりに機能しなかった事例や、国内の裁判でも線引きの曖昧性が指摘されている点なども挙げ、現行法に対するパッチワークではもはや限界がはっきりしてきており、抜本的に議論をし直すことにも意義があるのではないか、ということである。
また、こうした無理のある線引きは、制度的な歪みをもたらしつつあるという。特に、デジタルコンテンツにおけるマルチユースが主流となりつつあるなかで、著作権の問題にそれが顕在化しつつあるという。たとえば、通信衛星を用いたサービスに関する「スターデジオ事件」(CS放送「スカイパーフェクTV」を通じて提供される公衆送信サービス「スターデジオ100」に関する著作権訴訟)では、実態的には同種のものでありながら、「通信」と解釈されるか、「放送」と解釈されるかの違いにより、著作権、特に隣接権の扱いが異なることになるなど、問題がすでに顕在化している。
さらに、現行法の制定時には想定されていなかったISP(インターネットサービスプロバイダ)等の情報の媒介者の責任のあり方についても、米国のみならず日本でも大きな問題になりつつある。登場間もない存在でありながら、急速に高まりつつあるその社会的重要性を考慮すれば、何らかの規律を課す必要性が生じてきたということからも、法体系の見直しが必要になってきたのではないかという。規制の体系が不透明かつ複雑で予見性が低い状態は、こうした新しい分野における活発なビジネス活動を阻害するおそれもあり、その健全な育成という観点においては、従来の「護送船団行政」からの脱却も必要であるという。
こうした問題意識のもと、法案として構想をまとめたのが、「電子公衆送信業務の自由を保障し必要最低限の規律を定める法律(略称、電子公衆送信法)(案)」とのことである。融合化現象に対応したまったく新しい法体系のあるべき姿を議論するにあたり、具体的な条文の形で叩き台を用意することによって、論点の整理と議論の深化を図ることに寄与できるのではないか、と林氏はその主旨を説明する。
「電子公衆送信法案」の内容と課題
では、その中身はどのようなものであるのか。ここでは、詳細を紹介することはできないが、法案の骨格としては、第1章「総則」、第2章「電子公衆送信役務の規律」(利用者を含めあらゆる人が守らなければならないルールを規定)、第3章「電子公衆送信業者および電子公衆送信事業者の義務」(業として携わる人、営利事業を営む人、一定規模以上の事業を営む人がそれぞれ守らなければならないルールを規定)、第4章「電子公衆送信管理委員会」、第5章「免責と罰則」、第6章「雑則」のようになっている。
ここでは既述のとおり、著作権法改正で導入された概念を流用し、「電子公衆送信」を「公衆によって受信されることを目的として、有線、無線その他の電磁的方法により、符号、音声、もしくは影像を送り、または伝えることをいう」と定義し、通信・放送を包括的にとらえている。そして林氏が自認するとおり、「通信・放送融合法」を目指して検討を進めてきた結果、行き着いた法案は、「インターネットの自由と規律法」と呼ぶべき内容のものになっている。林氏によれば、この法案には二つの「パラダイムシフト」が内包されているという。
第一に、従来はまったく別のものと想定されてきた通信と放送を、どちらかというと「放送寄り」に再定義し、その結果、従来は「放送が通信の一部」とされていたのに対して、「通信が放送の一部」としてとらえられることになった、という点である。第二に、事業者規制を中心とする従来の規制の枠組みから脱却を図っている点である。今後のネットワークは、事業者のものと利用者のもの、有料のものと無料のもの、専用型のものと公衆型のものなどが渾然一体となっていく傾向にあり、そうした流れに対応することを考慮し、この法案では、電子公衆送信業者(業として電子公衆送信役務の提供を行う者)、電子公衆送信事業者(電子公衆送信業者のうち事業としてこれを行う者)、および利用者という3区分により規制対象をとらえている。これは個人を含むWebによる情報発信の普及、LANの普及等に見られるように、事業者に限らず誰もがネットワークを構築・運用する時代においては、これまでの事業者規制中心のやり方では有効に機能しないであろうという前提に立ったものである。たとえば私設設備がネットワーク全体の相当の部分を占めるとき、重要通信の確保は引き続き事業者だけに委ねることが可能であるのか、あるいはそれが適当なのかという問題意識に立脚したものである。しかしながら、同時にここにおいて、こうした三つの区分に関する境界も曖昧になりつつある現状を考慮すると、これらをどのように切り分けていくかという課題も残されていると付言している。
さらに、林氏は今後の検討において、電波の割り当ても含めた有線・無線の権利の付与に関する通行権(Right of Way)の部分の規定、既存の事業法等の廃止から新たな法体系へと移行するにあたっての手順、罰則規定のあり方等、新たな法体系全体を確立させるにあたっては依然として大きな課題が残っていると語った。
通信・放送の融合法は必要か
こうした問題提起を受け、松井氏は憲法学者としての立場からの見解を示した。松井氏は、特にインターネットの健全な発展のためには現行法の見直しが必要であるという点については問題意識の共有を認めつつ、そのうえで、現在の法制度をいかにインターネット時代に対応させていくかという方法論については、林氏とは対照的な見解を示した。
すなわち、インターネットの登場による融合化現象に対し、現状は電気通信事業法、電波法、放送法に対するパッチワークによる対応をとっており、通信と放送の区分の曖昧性から生じる問題の存在についてはこれを認めている。民法、刑法等についても、現行法をかなり無理に解釈することによってインターネット関連の問題に対応しており、特に、インターネットの自由を確保する、プロバイダの責任を明確化する、個人情報の保護を図る、といった点に十分に配慮する形で、法制度を見直す必要があるとした。しかしながら、それを超えてインターネットに固有の法律を用意する必要があるのか、そこで通信・放送を包括的にとらえる法律の必要があるのかどうか、という点については疑問を示した。
松井氏は包括的な法の枠組みの構築は、今日その特殊性から放送に課されている規制が、インターネットを中心とする通信の世界にまで持ち込まれてしまう危険性があり、慎重に対応しなければならないと繰り返し強調した。
放送には、電波の希少性等を根拠とする放送番組のコンテンツに課されている規制が存在し、たとえば有線テレビジョン放送法によるCATV規制において、CATVにはそのような特性がないにもかかわらず、放送法の番組内容規制が持ち込まれてしまっているという経緯がある。こうした現実に着目したとき、本来自由であるべきインターネット上の表現の自由を確保するためには、仮に放送を軸とした法体系をとるにしても、放送という概念をいま一度再整理したうえで、そこからインターネットは除外するといった措置をとるべきなのではないかと主張した。個々の条文の議論の前に、まずその総論の部分において、しっかりと前提条件を詰めておく必要があるだろうという。
さらに、法律がなければ自由かといえばそういうわけではなく、自由を確保するために法律をつくるということもあり得るとしつつも、そのうえでインターネットを特別扱いする根拠があるのか、特にインターネット上のコンテンツを規制するのであればその特別な理由は何であるのか、といった点についての根拠を明確にする必要がある。そうした観点からいえば、コンテンツに関する規制はパッチワークでもよく、包括的な規制よりも、むしろ必要な限度において特別な定めをおき、それ以外の部分ではできるだけ規制を撤廃し、自由にして、インターネットに関して競争原理が働くような仕組みを用意し、それが公衆の利益につながるような改革を行っていく必要があるのではないか、と説いた。
一方、牧野氏は、基本認識としては、林氏の提案するように、抜本的に現行の法体系を見直し、包括的な法律を目指して議論することを支持したいとした。その根拠として、以下のようなコメントを述べた。牧野氏によれば、最近の立法過程を見るとき異様さを感じる、という。パブリックコメントを求めるようになった動きは評価するものの、それに寄せられる回答は、多くの場合2桁台の数であると聞いており、そうした一部のインターネットのヘビーユーザの意見でインターネットに関するルールが決まってしまってよいのであろうか。国会で十分な議論がなされているか、弁護士、議員も十分に問題の本質を理解しているかといえばそうではない。そういう意味では、総論として統一法をつくり、国民が理解できる形でこの国の情報化社会をどのようにデザインするかを徹底的に議論していく必要があるのではないか説いた。また、古い概念を新しい現実に合わせようとしても、合わせきれないというのが現実であり、無理である。いま大きく概念を構成し直さなければならない段階にきていることは衆目の一致するところかと思うが、それをどうつくるかといった位置付けにあるのが林氏からの問題提起であると理解している、と述べた。
牧野氏は、林氏の提案に関する各論については、たとえば著作権における「公衆送信」概念の流用、通信の秘密や罰則・罰金の考え方など、今後さらに議論をしていきたいところであるが、その前段階として、ここにきて、インターネットのあり方は、かなり見えてきたのではないかという。フォーラム(電子会議室)内での過激な議論をどうコントロール、規制するのかが問われたニフティ訴訟の控訴審判決の判例をよく見ると、ここで問題となったニフティの「現代思想フォーラム」とは、思想を激しく戦わせる場であるのだという前提が置かれている。インターネットにはさまざまなレイヤのネットワークがあり、従来型のエスタブリッシュなものから過激で乱雑なものまであって、それらが結合したものがインターネットである。そして、それぞれのレイヤにおいて、それぞれのローカルルールがあるというのがインターネットであって、ニフティのフォーラムというのはその一部である。すなわち、部分社会の法理というようなものも存在し得るのではないか、ネットワークにレイヤがあるように違法性にもレイヤがあり、規制の差もそれと対応した形が出てくるのではないか、という。
こうした点を踏まえ、牧野氏は包括的な法のあり方については、理念法、すなわち方向性を示すような法にしたほうがよいのではないか、と主張した。ネットワークにはさまざまなレイヤがあり、それぞれに適したルールが存在するということであれば、立法的な問題の解決ではなく、具体的な紛争処理による私法的な解決が優先されるべきではないかという。ルール探しという形で、一つひとつのレイヤにおける妥当性を、弁護士と裁判官でディスカッションしながら、国民にわかるオープンな形で、それぞれのレイヤにおけるルールを探していく。その際の拠り所として、包括法として明確な理念をあらかじめ提示しておくというほうが、よりふさわしい形ではないであろうか、ということである。
新時代の法制度の確立をめざして
これらの両氏のコメントに対して林氏は、自分は産業法的視点に立ってこの法案を検討してきたが、憲法的視点でこれをとらえる松井氏のコメントには、そうした視点の違いから生じる差が現れているのではないかと述べた。基本的なスタンスとして、インターネットにおける自由を確保するということがこの法案の主旨であり、条文の中身としても不要な規制は含まれないよう配慮しているつもりであるが、言論の自由との関係のなかで、放送の概念を中心に、憲法的な視点から今後再整理をしながら詰めていかなくてはならないだろうと、松井氏のコメントに理解を示した。牧野氏のコメントに関しては、理念法をつくる意義というのは何なのか、理念法という形ではあってもなくても実態として変わらないという事態になってしまうのではないか、として逆に両者からのコメントを求めた。
この点に関して松井氏は、インターネット上のさまざまな通信、表現活動についてどう考えるかについて、立法者として包括的な理念を定義しておくことは意義のあることである、とした。現状においては、理念がはっきりしないまま、ご都合主義で方向性に揺らぎが見て取れるので、はじめに理念を宣言しておくことに十分に意義はあるという。日本には日本国憲法があり、その下でさまざまな自由が保障されている。インターネットを憲法的に位置付け、そのうえで立法者がインターネットにどのように対応し、個々の法律を用意すべきかを考えるようにしていくことが必要ではないか、と説いた。
牧野氏からは、個人情報保護法案の例をとりながら、まずは理念をしっかりと確立することが重要であると補足がなされた。同法案は、当初、個人情報保護基本法という理念法の形で検討されていたが、検討の過程のなかで罰則も含む個人情報保護法という実定法にすりかわり、内容について当初の意図とは異なるものへと変質していってしまった。こうした事態を生じさせないためにも、まずしっかりとした理念法を確立しておかなければならず、さもなければ素晴らしい理想を持って提唱したものが、結果として不本意なものになる可能性がある。こうした理念法によって裁判官の制限限定解釈を可能にし、判例のなかから新しい基準が出てくる、そうして自然に実体法へとつなげていくといったことが可能になるのではないか。全体像のスキームとして理念を明確にしておかないと、法案を出しても実現をみないおそれが強い、ということである。
コーディネータの坪田氏は、以下のようなコメントでセッションをまとめた。「林氏の提案には、受信者の自由、事業者中心規制からの脱却等、これまでにない新しい概念が含まれている。それらは従来の法律を解釈し、そのうえで今後の法体系を考えていくにあたり、非常に重要な手がかりになるであろう。インターネットをめぐる法制度のあり方については、憲法上の位置付けをはじめ、まだまだ曖昧であり、これを見直しまっとうなものにしていく必要性については皆が共有しているところだろう。そのためには林氏の問題提起のようなものを多くの人の間で議論していくという姿勢が重要である」。
本セッションの参加者の間でも、インターネットが民間による自由な経済活動によりさらなる発展を遂げ、そのうえで表現の自由をはじめとする人々の権利を担保しつつ、すべての人がその利益を享受すべきであるといった点においては、共通点が見て取れる。しかし、そうした前提条件のもとにおいても、具体的な針路については、その立場の違いによりスタンスに差が見られる。この種の問題は既得権等のしがらみもあり、なかなか到達点に至ることができなかったり、それが利害関係者の調整案にとどまり、必ずしも利用者にとって最善のものにならなかったりするおそれも強い。
インターネットが人々の日常生活に深く浸透するなかで、そのルールの有り様はますます重要なものになっていくはずである。こうした利用者の声を反映するルールづくりがなされることが期待されるともに、利用者一人ひとりもこうした問題の重要性を十分に認識し、与えられるべき権利を主張し、そのルールづくりにも積極的に参加していくことが必要であろう。そうした意味では、今回のセッションで、あるべき法制度の姿について、多くの人々に対して問題提起をするとともに、オープンに議論する場とすることができたことは、非常に意義あることであったはずである。
報告/花井靖之(GLOCOM主任研究員)