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Center for Global Communications,International University of Japan

智場、GLOCOM Review、コラム…


 

〈ネット・ポリティックス2001〜2002-戦うインターネットコミュニティ〉
第6回
韓国型情報化
-デジタル福祉社会をめざして-

土屋大洋(GLOCOM主任研究員/ジョージ・ワシントン大学サイバースペース政策研究所訪問研究員)

取り残されるアメリカの農村部

 インターネットがすでにアメリカの津々浦々まで普及していると考えるのは早計だ。先日、ヴァージニア州西部のレキシントン(Lexington)という町で一泊する機会があった。ワシントンD.C.からは車で4時間ぐらいの小さな町で、ダウンタウン以外は農家がちらほらと見えるだけの農村地帯である。中堅チェーンのホテルの部屋で電子メールを読もうと思ったところ、「市内通話のインターネット・アクセスは全国規模のサービス・プロバイダーからは提供されていません。長距離料金がかかります」という小さな案内が電話の傍に置いてある(写真1)。

 私がアメリカで契約しているインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)は、全国規模でのローミング・サービスを提供しており、全米の大きな町ではほぼ市内通話でインターネットにつなぐことができる。しかし、レキシントンでは確かにアクセス・ポイントが見つからなかった。

 ISPのローミング・サービスは、各地の小さなISPの間で相互開放しているにすぎないことが多い。ということは、レキシントンの町にはISPが存在しないか、ローミング・サービスに一切関係しないISPしかないことになる。もしそうだとすると、この町では、一般的にインターネットは重要とみなされておらず、家庭でのネット普及はさほど進んでいないといえるのではないか。

 こうしたネットにアクセスしにくい地域は、アメリカにはまだまだ存在する。商務省が、「Falling Through the Net」という報告書でデジタル・デバイドの問題を指摘してきた背景には、エスニシティ(ethnicity)や収入の問題もさることながら、地域格差の問題もあった。

 ベントン財団でデジタル・デバイドに関する情報交換のためのメーリング・リストを主宰するアンディ・カーヴィン氏によると、誰が「デジタル・デバイド」という言葉を最初に使ったかはよくわからないそうだ*1。ただし、政治家の中では間違いなく当時のアル・ゴア副大統領であり、彼が一時期演説で繰り返し使ったことが、人々に問題を認識させることになったという。しかし、ブッシュ政権になってからは、情報技術やインターネットに集中した施策はとられず、教育改革の中の一部としてしか取り上げられていない。

デジタル福祉社会をめざす韓国

 アメリカでは熱が冷めつつあるデジタル・デバイド論議だが、韓国ではいまだ熱い議論が行われている。むしろ、ようやく熱くなってきたというところかもしれない。2001年初めにソウルを訪れたとき、デジタル・デバイドという言葉を韓国のインターネット関係者はほとんど意識していなかった。2000年7月に出されたG8沖縄サミットにおけるIT憲章の存在も、ほとんど知られていなかった。ところが、2001年11月に訪れたときには、きわめて重要な政策課題となっていた。

 その象徴ともいえるのが、情報通信部(省)が立案している「情報格差解消総合計画」である。すでに韓国は「情報格差解消に関する法律」と同法の施行令を制定しており、これに基づいて2001年〜2005年の間に推進するのが「総合計画」である。

 総合計画推進の背景として「コンピュータとインターネットを利用できない情報疎外階層の情報格差が社会問題として持ち上がってきていることに従い」、「情報疎外階層の生活の質を向上させ、社会統合を実現し、国家全体の競争力を高めるために、全部処(省庁)にわたる総合対策を設ける」という説明がされている。推定予算は2兆3,065億ウォン(約2,300億円)である。
 総合計画の目標は「すべての国民が経済的・身体的・地域的与件等に束縛されることなく、情報化の恩恵をともに享受する」デジタル福祉社会の建設であり、以下のような施策を実施するという。

  • 2005年までに、全国すべての地域に超高速情報通信サービスを提供
  • 2003年までに、全国すべての市・町・村事務所等、最少1カ所以上の無料インターネット利用施設を設置
  • 希望するすべての国民に、インターネットの基礎教育の機会を提供し、実生活に必要な情報活用教育も実施
  • 障害者・老人・農漁村民等、情報疎外階層別に、実生活に必要なコンテンツの開発・普及を支援

     こうした政府主導の情報化に対しては批判もあるだろう。しかし、韓国政治は上意下達が比較的強く、大統領の意向とあれば、一気に政策が進むところがある。目指すところさえ間違っていなければ、政策の効果はそれなりに期待できる。

     情報化政策といった場合、基礎研究支援、標準設定、インフラ構築、法整備、ベンチャー支援などが考えられるだろうが、最終的に残るのは教育ではないだろうか。政府の資金を投入した結果、成功するものもあればしないものもある。教育の直接的な効果を測るのは難しいとしても、本人の努力しだいで将来に引き継がれていくという点では効果は大きいといえるのではないか。

     韓国はこれまで「主婦100万人情報化計画」(後に200万人に増える)など、強引ともいえる積極さで情報化教育を進めてきた。その結果、老若男女を問わずインターネット利用者が増加し、すでに国民の半数以上がインターネットを使っている。

     最近の情報化教育のポイントは、障害者や農漁村の人々である。こうした「情報疎外階層」と呼ばれる人々にコンピュータとインターネット・アクセスを提供し、彼らが本当に必要とするコンテンツの開発・普及を支援するというのである。アクセス手段提供のためにADSL導入支援や衛星サービスの拡充も行われている。

    少年院における情報化教育

     情報化を社会の隅々にまで行き渡らせようという韓国の試みは、少年院にまで及んでいる。韓国には法務部保護局の管轄下に12の少年院がある。2001年11月現在、2,719人(うち女子は179人)が収容されている。ソウル市内から車で1時間ほどのソウル少年院には316人がいる。運動場と教室、生活棟、事務棟からなる少年院の外観は、整然としているものの、やはり楽しそうな雰囲気はない。ところが、このソウル少年院にはコンピュータを使える部屋が13室あり、321席でコンピュータが使えるようになっている。つまり、一人1台以上のコンピュータが設置されているのだ。

     従来の少年院は、手に職をつけるという方針の下で機械や大工仕事のような職業訓練を行っていた。しかし、現実にはそうした職業訓練があまり活かされていなかった。そうしたところ、韓国の情報化が急速に進んだため、社会復帰を本当に可能にするには、英語教育と情報化教育が不可欠であると韓国政府は考えるようになった。そこで1999年9月から法務部は全国12カ所の少年院にマルチメディア語学教室とコンピュータ室の設置を進めたのである。

     コンピュータは、もちろんインターネットにも接続されている。もともとは少年院の教師と収容されている生徒との間のコミュニケーションの手段として電子メールが導入されたそうだ。しかし、現在は外部の友人や家族とも自由に電子メールを交換でき、ウェブに関してもポルノなどの一部のサイトは規制されているものの、基本的に自由に使えるようになっている。

     おもしろいのは、退院の時機が来ても退院したがらない少年が289人もいたという事実である。入院以前の彼らの中には、十分な教育環境で育たなかった者もいる。そうした者にとっては、24時間好きなだけ(もちろんいろいろな制約はあるとしても)学ぶことができるのは大きな喜びとなっているようだ。退院したがらない者たちの理由は、国家試験の準備のためや大学への進学準備のためである。

     韓国の少年院を退院する場合、自分がかつて所属していた中学校や高校の卒業証書をもらえることになっている。つまり、「少年院帰り」というレッテルが付いてまわらないよう配慮されているのである。大学進学も可能で、コンピュータを専攻する退院者も多いという。また、全国規模の英語発表会や電子商取引などのコンピュータ・コンテストに入賞することも多く、退院後に仲間7人でベンチャー企業を設立した例もある。

     韓国の少年院の試みは、韓国のメディアばかりではなく、日本のテレビや新聞でも取り上げられ、注目されている*2。その結果、「なぜ悪いことをした者たちが、いい教育を受けられるのか?」といった不満、批判の声も聞かれるようになった。

     これに対応するために、2000年12月からは、地域住民の情報化教育に貢献する取り組みも行われるようになった。少年院は、必ずしも少年たちを閉じ込めておく施設ではない。一定の条件の下で外出することも認められている。高い技能を持つ少年たちは、地域住民向けの講習会に講師として参加したり、障害者の情報技術利用を支援したりする機会を与えられている。

     韓国は、情報化教育の普及による国民の能力向上こそが、韓国経済の成長と安定に寄与するとの考えに基づき、とにかくデジタル・デバイドの克服に力を入れているのだ。

    経済危機と情報化

     韓国が情報化に目覚めたのはそれほど古い話ではない。むしろ、ある時期までは韓国の情報化は、アジア諸国の中でもシンガポールやマレーシアなどに後れをとっていた。転機となったのは1997年秋以降の通貨危機、経済危機であった。

     1997年7月、タイの通貨バーツの暴落に始まる一連のアジア通貨危機、経済危機は、なかでも、タイ、インドネシア、韓国の人々に大きな影響を与えた。タイでは銀行が次々に倒産し、インドネシアでは民衆の暴動から政権が倒れ、韓国では外貨準備が底をついてしまった。

     韓国はこの危機に対処するために1997年11月21日、IMFに緊急融資を要請し、12月3日にIMFを中心とした支援パッケージが決定された。しかし、このIMFの処方箋は、インドネシアなどと同様に苛酷なものであり、なおかつ、その処方箋を受け入れたからといってすぐに経済が回復するとは思えなかった。「風邪を引いただけなのに肺炎の治療をした」と人々は怒りをあらわにしたのである。
     IMFは、韓国にとって社会変革の代名詞となった。「IMF価格」といえば、株価の暴落に引っ掛けた大安売りの値段のことであり、お得なセット価格の「IMF定食」などというものも出てきた。いままで高くてあたりまえだったものも安くならざるを得なかった。経済的、社会的に大きな変革が起きていることを人々は日常生活の中で感じたのである。

     経済危機の影響で1998年の失業率は6.8%に達した。IMF危機以前には2%から3%だったから、失業者は倍以上になったことになる。1999年2月には瞬間的に8.7%(失業者178万人)まで上昇したという 。GDP成長率を見ても、1998年にはマイナス6.7%まで下がってしまった。

     そこで、失業者たちが見つけ出したのが、情報技術関連のベンチャーであった。人々がすべてのものを失ったときに残るのは自らの頭脳だけである。いわば智力を資本とするしかない。ふと世界を見れば、当時のアメリカでは空前の「ドット・コム」ブームが起きていた。これこそ生きる道と多くの人が考えた。

     典型的なのがPC房である(写真2)。手っ取り早くお金を稼ぐ手段として、ITなら需要があると踏み、若者向けのインターネット・アクセスの場を作ったのである。

     その後、ベンチャー・カンパニーが雨後のたけのこのように乱立することになる。ソウルでハイテク関連企業が集中しているのがテヘラン通りで、インターネット関連会社の80%が、ここに本社を置いているといわれている。

     さらに、経済危機が残した社会的影響のひとつとして、自由なライフ・スタイルを支持する若者が増えたことが挙げられるだろう。

     2001年1月に初めて金楠勲(キム・ナムフーン)氏に会ったとき、彼は動画ストリーミングの会社で働いていた。毎日24時間働いているというほどの猛烈さで仕事に打ち込んでいるとのことだった。しかし、彼にはもうひとつの仕事があった。ラジオのDJである。実は彼は驚くほど流暢な日本語を話す。旅行と出張で日本に行ったことがあるだけで、留学の経験はないそうだが、実によく日本社会を知っている。彼はラジオやウェブを使って「おもしろい日本語」を教えている。たとえば、やくざ社会の上下関係と呼称といった教科書には出てこない日本語を伝授している。彼のサイトは人気を呼び、著書もある。

     2001年11月、ソウルを再訪するにあたり、彼にメールを出した。すると返事には日本語で「10月13日に正式にプロレスデビューしました」と書いてあった。冗談かと思ったが、次のメールには写真が添付されてきた。実際、ソウルで会ってみると、本当にプロレスに弟子入りしており、日本のプロレスやK1についても熱く語ってくれた。彼はラジオのDJも続けており、最近ではPDA(個人情報端末)の解説本も出版したとのことだ。この本は、PalmのPDAにキーボードを接続し、その組み合わせだけで一冊書き上げたそうだ。

     より自由を手に入れた若者たちにとって、インターネットは格好のコミュニケーションの場となっている。主観的な判断だが、ネット中毒の割合は韓国が最も高い気がする。

    先行するブロードバンドとその問題点

     韓国のインターネットの最大の特徴は、ブロードバンドの普及である。おそらく世界でもっとも普及しているといっていいだろう。

     第二電電にあたるハナロ通信は、音声市場では、国営事業者である韓国通信にまったく太刀打ちできなかった。しかし、ADSLを月額3万ウォン(3千円)程度で提供することで、一気に顧客を獲得した。最近では韓国通信がADSLで猛反撃しており、ハナロは劣勢になりつつあるが、ブームの火付け役としてハナロの存在は大きかった。

     ハナロがねらったのは、アパート(日本でいうマンションや団地)の住人たちである。ソウルの住民の半分以上がアパートに住んでいる。ハナロはアパートの地下まで広帯域の光ファイバーを敷設し、アパートの中にADSLを導入した。一つの家庭がADSLを導入すると、日本と同じく横並び意識の強い韓国では、次々に他の家庭も入れていく。特に子どもがいる家庭では、教育熱心な親たちが争うようにADSLを入れた。

     政府の政策もうまく情報化を支援した。金大中政権で最初の情報通信部長官になったのは、大宇電子会長だった 洵勲(ベー・スンフン)氏(現在はKAIST[韓国科学技術院]教授)である(写真3)。長官は、光ファイバー、ケーブル・テレビ、ADSLを比較し、どれが韓国のラスト・ワン・マイルにふさわしいかを検討した。その結果、光ファイバーではお金がかかり、ケーブル・テレビは韓国では普及していないという判断から、ADSLが選ばれた。

     しかし、民間企業はどこもADSL導入に尻込みした。試算では500ドルの加入費がかかり、誰も使わないだろうというのである。そこで長官は、情報通信部の技術開発課長を呼び、100万人が加入するという想定で試算をやり直させた。そしてADSLの研究費を政府が出すこととし、サムソン電子に30億ウォン(約3億円)を与えたのである。長官の見込みは大きく外れた。2001年末現在でADSLは実に700万加入を超える成功になったのである。

     さらに韓国政府は、先述の主婦100万人情報化計画のようなターゲットを絞った情報化教育のほか、国民PCやネットPCといった安いパソコンを郵便局で販売したり、サイバーコリア21といった政策イニシアチブを打ち出したりした。サイバーコリア21は、「世界の10指に入る」という単純ながらも国民にとってわかりやすい目標を掲げた。こうした目標は追う者の強みでもある。追いつけ追い越せ型はわかりやすい。

     最も韓国のブロードバンド普及に貢献したのはオンライン・ゲームである*3。スタークラフトなどのオンライン・ゲームは、自分のアクセス・スピードよりも相手のアクセス・スピードが速ければ負けてしまう可能性が高くなる。若者たちは次から次へと高速のPC房を求め歩いた。PC房の側もどんどん設備増強を進めた。

     韓国のブロードバンドの問題点としてよく指摘されるのが、コンテンツの問題である。テレビ・ドラマが翌日にはオンラインで見られるようになっている。さらに、日本のアニメ「機動戦士ガンダム」が全話オンライン・アーカイブに収められ、字幕まで付いているのには驚かされた。しかし、少なからぬコンテンツが著作権違反だといわれている。「機動戦士ガンダム」もファンが勝手にアーカイブ化し、字幕まで付けているということらしい。

     そもそも知的財産権や著作権といった問題にこだわらないのが韓国文化だという。権利保持者からすればイライラさせられるだろうが、野放しのコンテンツのやり取りがブロードバンドを促進してきた側面は否定できない。コンテンツに課金するシステムもすでに始まっているものの、全面的な導入にはまだ時間がかかりそうだ。

     しかし、どこの国を見てもブロードバンドのコンテンツには決定打がない。アメリカでも、ナップスターのつまずきによって、著作権フリーのものであってもMP3のダウンロードは認めないという大学が多い。遠隔教育、遠隔医療が有望とされているものの、消費者にブロードバンド導入を決意させるようなコンテンツやアプリケーションはまだ見当たらない。

    韓国型情報化

     ADSLによるブロードバンドの普及は、韓国にとって半導体、携帯電話のCDMAに次ぐ第三の成功ストーリーである。いずれもアメリカに起因する技術だという批判もされるが、CDMAとADSLが商業的に見合うものであることを証明した貢献は大きい。アメリカでは、ADSLは当初の見込みほど成長していない。アメリカでは人口が拡散していることや設備が韓国に比して古いこと、規制があって地域電話会社によるブロードバンド投資が進まないことなどが原因だが、韓国の成功はアメリカにも大きな刺激になっている*4。

     韓国の情報化は、政府がある程度の役割を果たしたものの、先月号で述べた中国のような管理型の情報化ではない。むしろ、自由すぎるぐらいに自由に(特にコンテンツに関しては)、そしてあっという間に情報化が進んだ。

     しかし、同じ自由な情報化を志向するアメリカ型の情報化と違うのは、アメリカがビジネスとして情報化を進めているのに対し、韓国は個人のエンターテインメントとして情報化を進めているという点であろう。

     アメリカ人にとっては、インターネットはあくまでもビジネスのツールのようだ。ワシントンD.C.で名刺交換をすると、ほぼ間違いなく電子メール・アドレスが書いてある。しかし、彼らに家でブロードバンドを使っているかと聞くと、ほとんどの人が使っていない。「家に帰ってまでパソコンを使いたくない」、「重たいウェブの利用やファイルのダウンロードは会社ですればいい。家ではメールを見るだけ」という声がアメリカ人の間では根強い。

     それに対し、韓国の人々は、いつでもどこでもつながっていたいようだ。ブロードバンドは高速であることはもちろんだが、常時接続であることも重要だ。学生たちは家のパソコンでテレビのコンテンツを見ながら、チャット・ルームにアクセスしている。さっきまで学校で一緒だった友だちとつながっていたいのだ。もちろん、韓国でもビジネス・ツールとしてインターネットは使われているが、ビジネスだけでは家庭へのブロードバンド普及は進まなかっただろう。

     経済危機の思わぬ帰結として進んだ韓国の情報化は、まねをしようと思ってもしにくいところがある。しかし、考えてみれば、危機意識があるかどうかが情報化の進展に大きな影響を与えるのかもしれない。アメリカの情報化が進んだ背景には、1970年代後半以降の経済競争力低下に対する危機意識が強かったのではないだろうか。日本のブロードバンド普及が加速しつつあるのも、ようやく危機意識が高くなってきたからだと見ることはできないだろうか。

    *1 筆者は以前、ラトガース大学のジェームズ・カッツ教授との電子メールのやり取りの中で、カッツ教授がおそらく最初に使った人であろうという回答を得たことがある。

    *2 内山清行「IT講習で自立の道を――韓国の少年院、更生教育に導入(世界は今ティーンズ)」『日本経済新聞』2001年5月27日朝刊。

    *3 拙著「ネット・ゲームが火をつけた韓国ブロードバンド」『論座』(2001年2月号)、250〜263ページ。

    *4 拙著「意外に遅れているアメリカのブロードバンド」『論座』(2001年11月号)、268〜275ページ。

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