CAN構築への新たな期待―コミュニティの協働モデルを目指して―
丸田 一((株)三和総合研究所 研究開発第1部 主任研究員)
公文俊平(GLOCOM所長)
石井俊成(CANフォーラム運営委員長/GLOCOM客員研究員)
【司会】
西山 裕(GLOCOM主幹研究員)
西山 現在、地域情報化がさまざまに論じられていますが、われわれGLOCOMは早くから地域(コミュニティ・エリア)に目を向け、コミュニティ・エリア・ネットワーク(CAN)構築の重要性を訴えてきました。その具体的な活動として、いままで大きく三つの方向性、活動の形態があったと思います。
一つ目は、各地で地域情報化を推進しようとする人々の横の連携をつくる目的で公文所長が提唱し、1997年に設立されたCANフォーラム。現在、石井さんが運営委員長として新しい動きを模索されている活動があります。二つ目は、GLOCOMが自治体や国の事業を受け、地域と協働するプロジェクトを推進する活動。これには『品川区地域活性化・情報プラットフォーム』構築事業などがあります。丸田さんは、こうした国や自治体の事業分野について専門であり、同時にコミュニティ形成に関する研究も併せて進められています。三つ目は、あまり目立たないかもしれませんが、公文所長や西山が、地域の求めに応じて現地に行って講演をさせていただく、また、情報化プランの作成や実行のプロセスを直接お手伝いするといった活動があります。
それぞれの活動はたいへん有意義であり成果もあげていると思いますが、日本全体としては多くの困難に直面しているという感を拭えません。現時点が地域情報化にとってたいへん重要な時期にあることは明らかですが、この転換期に方向性を見いだし、それを共有することの困難さを感じています。そうしたなかで、なかなか具体的な取り組みを将来に向かって有効にデザインできないでいる現在の状況は危機的とも言えます。
一方、先日GLOCOMで行われたジョージ・ギルダー著『テレコズム』の読書会(本誌p.42参照)では、あらためてネットワークのコモディティ化が議論されました。これからのネットワークは、従来の電話的発想の延長で描くWANではなくて、無限の帯域を持ったLANになる。しかも急速な技術革新によって、たいへん安い費用でそれが可能になり、従来型のビジネスモデルは成立しなくなるのではないか、というものです。それがために、地域の情報インフラを整備する主体は、現在の通信事業者から自治体へ、そして市民へと変化せざるを得ないのではないかという問題提起がなされました。インフラ構築費用の低価格化は、いよいよ市民自らがCANを構築する可能性を開くことになるでしょうし、そうしなければ民間の通信事業者が手を出さなくなってしまう。あるいは従来型の公共事業の形でつくられたプラットフォームが、人々の自由なアイデアや自発的な動きを封じてしまう状況すら考えられます。そうしたなかで、加藤敏春さんが提唱しているエコマネーのような地域通貨なども、こうした新しい局面を迎え、積極的な機能を開発することで、地域情報化にとって大きな意味を持ってくるのではないでしょうか。
私は、こうした流れを現実化していくためには、分権化というものが本当の意味で実現されなければならないと考えています。これまでの「建前」論や、中央の機能不全を地域社会に押しつけるような方向から、地域に暮らす人々の誰にでも明らかな、個人が参画できる制度としてつくられ、地域に定着することが必要でしょう。
読書会では、これから人々は自分自身のために時間を使う楽しみに向かうことになるのだろうけれど、具体的にそれが何なのか見えていない。ブロードバンドの上のキラーアプリケーションが見えない、ブロードバンドがある暮らしとはどんなものなのか、という話がありました。私は、ネットワークの側からと言ってはおかしいかもしれませんが、そうした方向性で想像しても、なかなか答えは出てこないのではないかと思っています。おそらくは、先ほど申し上げました「分権化」というものを、「暮らし」の現場で、つまり地域社会で、小さな一つひとつのことから具体的に考えるというプロセスを踏むなかで、たぶん見えてくるものがあるのではないでしょうか。それは同時に、今後の人々の価値観や行動を決定する規範のようなものの変化をたどるプロセスでもあると思います。そうしたもろもろの意味で、地域情報化に携わる者、もっと言えば、新しい社会システムの構築に携わる者はすべて、新しい発想の「現場主義」に立たなければならないのではないか、と考えています。
それでは、公文先生から、現時点の状況をどのように認識しているか、まず口火をきっていただきたいと思います。
ブロードバンドをめぐる行政の動き
公文 現時点でのアメリカと日本の状況について、それぞれ見ていることをお話ししますと、アメリカの方は、一部では今回の不況が底を打ったとは言っているけれど、まだしっかりした設備投資の立ち直りがあるとは言えない。それどころか、通信の方は依然として不況が続いていて、グローバル・クロッシングがこの間、破産法の第11章による保護申請(日本流にいうと会社更生法の適用にあたる)を出したばかりです。これは通信関係としては史上最大です。これまでの破産の中でも第4位という規模です。それに続いてマクロードも同じ申請を出しました。その他にも危ないと言われているのが、レベル3とかウィリアムスです。ワールドコムも株価が暴落しました。ということで、通信の世界では一向に出口が見えてこない。それがコンピュータ産業にも及んで、さっぱり売れない。
なぜこんなことになったのかということで、二つ議論が出ています。一つは、結果としてアメリカは遅れてしまった、これまでは世界のトップを走っていると思っていたけれど、周りを見てみると、ブロードバンドでは、韓国やカナダに大差をつけられている。そして、日本が昨年の「e-Japan戦略」でビジョンと長期目標を出して、激しく追い上げてきている。日本は、2001年がブロードバンド元年であったわけですから、さらに今年は無線LAN元年と言われているように、その両方ができている。アメリカは、ブロードバンドだけではなくて、無線も非常に遅れている。これは周波数がないといった問題もあるのですが、これは困ったなということです。
もう一つは、遅れたことの原因探しというか犯人探しです。何といっても問題なのは、結局ラストマイルのところで広帯域化が遅れているために、せっかく幹線の帯域を増やしてもたいして使われないし、ましてやいろいろなアプリケーションやコンテンツも売れないという状況です。というのも、電話会社がラストマイルのブロードバンド化をさぼっているからではないかという意見が出ています。しかし、電話会社に言わせれば、「おれたちの手足を縛っておいて投資しろと言ったってそれはだめだ、まずは規制を緩和してくれ。ネットワークのオープン化などといわないでくれ。いますぐに長距離・データへの進出を認めてくれ」ということで、それに反対する長距離電話会社やケーブル会社と激しくやりあっているところです。
それはともかく、ブロードバンド化を本格的に推進しなければならないという点では、みんなの意見が一致してきているのですが、意見が分かれているのは、「ブロードバンドというのは何だ」ということです。どの程度のものをブロードバンドと呼ぶのかという定義問題です。これには当然裏があって、何百kbps程度でもブロードバンドということになると、「光を引かなくてもDSLとケーブルモデムで足りるね」という話になるし、もっと高速化しなければならないということになれば、光あるいは広帯域無線LANというところに話が進みますから、定義の問題であるように見えて、実は誰が主導権を握るかという争いでもあるわけです。
おそらく、あと何週間かのちに、ブッシュ政権もブロードバンド推進政策を発表することになると思うのですが、その中身はおそらく、一つは政府が研究開発にもっと本格的に投資をしなければならないということ、もう一つは、私たちのCANの議論と重なりますが、面的なブロードバンドの展開を、いわば全国的にやらなければならない、そのためにはマーケットでの競争は重要ではあるが、それだけに任せておいたのでは足りない、とくに農村部とか人口過疎地では、地方政府がリーダーシップをとって推進していくべきである。そして連邦は、そのために資金的な支援をする、あるいはそこに企業が出てきてくれるのであれば、免税措置その他のいろいろな誘因を講ずるという意味で、政府が積極的な役割を発揮しながら、民間部門と協力してブロードバンドを展開していかないと、このままいくと日本にも追いつかれるかもしれないという危機意識が高まってきています。
それに対して、日本の方は、不況はほとんど底なしという感じで、どこまで落ちるかわからない状況ですが、e-Japan戦略は、それなりに発動されて動いていますね。つまり、それぞれの地域がいっせいに情報化計画を立てましたし、IT推進の教育訓練プログラムも動き出しているし、そして何よりも、ブロードバンド化や無線LANに勢いがついています。この不景気の中で、どのようにしてその勢いが落ち込むことなしに続けていけるのか、とくに大都市だけではなくて全国的に、われわれが言うCANをこれからつくっていけるのか、というのが勝負どころだと思います。
ですから、そういう意味では、私はアメリカの例しか出しませんでしたが、たとえば韓国も、DSLやケーブルモデムのいわゆる“ミドルバンド”ではそれこそぶっちぎりの前進を見せたけれども、より本格的なブロードバンド化、光化となるとこれからの課題です。そういう意味では、世界的にブロードバンド化をめぐるある種の大競争が始まるところにいよいよ来たので、そこで私たちもがんばらなければならない、それが現状だと見ています。
e-Japanで自治体は変わるか?
西山 大きい状況認識をいただきましたが、動き始めたとはいっても、日本の社会にそういう政策を入れていったときに、やはり従来の発想や行動様式にとらわれた形で動いている。きしみもあり、政策の取り違いもあると感じています。ですから、一つひとつの政策が地域情報化を進めていって、本来の趣旨に則した形で動いているかというと、それは疑問だという気がしています。そのあたりの動きに関しては、国や地方自治体の現場も含めて、丸田さん、いかがでしょうか。
丸田 私は、シンクタンクの研究員という立場で地域情報化に携わってきました。情報化だけではなく、地域振興や地域開発にかかわる分野で横断的に調査研究を経験しましたが、どの分野も、まず社会経済指標をつぶさにみていくという作業から入ります。そこで常々面白いと思うのは、情報化の一番のアウトカム指標であるインターネット人口の増加が劇的であるということです。1年間に1,000万人も増えるという指標はほかにはありません。類似した指標として、電化製品の普及率などをあげることができますが、意味が少し違います。劇的なインターネット人口の増加に現れているように、情報化は他の政策分野とはまったく異なる性格を持っています。そこに惹かれて、私は地域情報化に入り込んだところがあります。しかし、これだけ変化が劇的なので、情報化政策はすべて後追いです。e-Japan構想も、わが国全体の旗振り役を果たしていますが、やはり遅れてしまっています。ただし、過去の政策もそのほとんどが後追いでした。たとえば、人口が集中した大都市の都市政策も、すべて現象に後追いで進められてきており、今回も同じことが繰り返されていると思います。ただし、今回は時間的なギャップが比較的少ない。ここにポイントがあります。
次に、私なりに解釈した地域情報化の現状を述べたいと思います。まず、地域での情報化を、大きく行政情報化と地域情報化とに分けて考えます。まず、行政情報化ですが、目下、e-Japan構想、e-Japan重点計画にのっとって、全国いっせいに都道府県が先導しながら県下の自治体を巻き込んで進められています。まずは、自治体のフロントオフィスの改革が狙いとなるわけですが、届け出、申請、入札の電子化が進められていて、それを支えるインフラとして住民基本台帳ネットワークや、ICカードなどが導入され、現在それらが実用化の段階に入りつつあります。そして、私たちが自治体のコンサルティングをしていて思うのは、こうしたフロントオフィスの改革が、バックオフィスの改革につながっているということです。あまり表に現れないのですが、自治体内部の業務改革が確実に行われています。情報化はすべての部署を横断する性格を持つので、情報化計画を立てると同時に、庁内に分野横断的な作業が発生します。部局間に新しいコミュニケーションを生んだり、新しい事業や施策を生んだり、まだまだ成果は小さく失敗も多いのですが、硬直的な組織に対して破壊力があることは確かです。
西山 確かに自治体の立てる情報化計画の内容が変わってきました。千葉市のものなどを見ると、BPR(Business Process Reengineering)やCRM(Customer Relationship Management)をやるんだとか、顧客の意見や要望に耳を傾け、顧客満足度(Customer Satisfaction)を上げるんだ、などという記述があって、行政が確実に変わってきて、民間の常識を追いかけ始めていることを感じます。
丸田 もう一つの地域情報化ですが、現在、ミドルバンド化がマーケットベースで進んでいて、そこで地域格差、情報過疎地域の存在が明らかになってきました。それを補うべく、先進自治体はネットワークを自前で整備することが一種のブームになりつつあります。自設網は岡山が先行しましたが、1990年代の後半まで懐疑的な雰囲気がありました。つまり、なぜ官が自前でネットワークを持たなければならないのかという疑問です。ところが、急激に進行したミドルバンド化に伴い地域格差が生まれたことで、やらなければ取り残されてしまうという危機感が生まれ、マーケットの足りない部分を官が補うという考え方が定着しつつあります。また、先進自治体の地道な努力と、技術的にもコスト的に実現しやすい環境が整ったことで、いっせいに実現に向けた検討が始まりました。現在では、半分近くの都道府県が自設網整備を検討しています。
地域情報化と行政情報化とを二つ並べあわせてみると、各地域でいろいろな取り組みが進められていますが、政策的にはまだ何も始まっておらず、これから本格化すると思っています。というのも、同じような立場にある取り組みの先進地域と遅れている地域とで、インターネット人口を比べても差が生まれていない。タイムラグもあるとは思いますが、政策の影響や効果がまだ現れていないんです。まだまだ打つ手はあるし、もっと効果的な政策を打たなければと感じています。
西山 いまの公文先生、丸田さんのお話をお聞きになって、石井さん、いかがでしょうか。
石井 21世紀の地域(コミュニティ)というのは、これまでの地域と大きく意味が変わってきているのではないでしょうか。それに着目して、自治体はいろいろなイニシアチブを取ってやっていかなければならないと思いますね。
行政の方は比較的OA化に近いような電子化から進めているのですが、その発想はまだ古くて、電話や放送のような伝統的な意識で、「上からかぶせるんだ、何かをしてやるんだ」ということになっています。そうではなく、住民に何が必要なのか、地域コミュニティに何が必要なのかという考え方に立つところまでは、多くの自治体がいまだ至っていない気がします。そういう意味からすると、意識改革がまだできていないのではないかと思います。
地方自治体の財政状況を見ますと、現状で進められているようなインフラを持ったときに、それを維持していくことに非常に負担がかかるという面があります。それが維持できるかどうかということもあるので、そのあたり、私は疑問を持っています。自治体がしっかりしたイニシアチブを取っていかないと、霞が関が何かするからついていくという感じで、住民や地域が置き去りになっているということが、地域の情報化に見られるのではないかと、CANフォーラムを通じて感じます。
公文 そこが面白いところです。一見矛盾するように見えるのですが、丸田さんが一方で強調したのは、インターネットの普及に代表されるように、携帯電話もそうかもしれませんが、民間あるいは草の根レベルで非常に急激な変化が起こってきて、それは政策的に引っ張ったわけでもなんでもない。むしろ、それを見て政策が追いかけていくという状況だという話でした。私は、もともとあらゆることで政策は後から追いかけていく方が正しいと思っています。つまり、国、地方自治体といった行政は、前衛になってはいけない。行政が後衛になって、しかし、問題点を後からきちんと整理しながらついていくという方がいい。矛盾しているように見えると言ったのは、一方で、そうでありながら、石井さんが言われたように、地域のCANというレベルで考えると、行政の情報化の動きが起こっていても、住民が後をついていくのかというとそうではありません。いっこうに地域コミュニティは踊っていない。その意味では行政の笛の吹き方が足りない。その点は、アメリカも似ているところがあって、いまここへきて、「政府が長期ビジョンを出せ」とか「ナショナルポリシーが必要だ」、つまり、全国一律である考え方を示してくれ、しかも、道路をひくのと同じように、公共事業としてまず率先してやれ、というのは後追いではなく、前へ出ろということです。しかし、これはおそらく、傾向として両方あるということで、これをどう結びつけていくか。分散的に始まっていたモバイルやインターネットの動きを、いわば面的に、それぞれの地域で自覚的に進めていくにはどうしたらいいかというところに、今度こそきたのではないでしょうか。
CANフォーラムをつくったのは、3年早すぎた(笑)。これから再出発ということで、どうでしょうか。
コミュニティは地域のセキュリティを担えるのか
西山 そこで地域のコミュニティという話になると思うのですが……。
丸田 地域にとってコミュニティは大切です。地域のコミュニティにはさまざまな機能が託されているという認識が私の中にあります。ところで、コミュニティという言葉は便利な言葉です。私はコミュニティを、「知」を共有する、コミュニティ内のメンバーで共に創っていく、あるいは共有した知を継承していく集団と定義しています。かつての地域社会は、暗黙知を共有できていたと思います。そういう意味では、きちんとしたコミュニティでした。いまは、地域社会に共有する暗黙知はないと思いますし、まして、知を共に創るという動機などほとんどないでしょう。
しかし、無理に上からコミュニティをつくれと言ってみても成功しないと思います。とくに、いまの若い世代、団塊ジュニア世代が台頭する時代になると、そうした小うるさい、上からの、偽善的なコミュニティ形成の仕組みは排除されるような気がするので、そこに気を遣っていく必要があると思います。
コーポラティブ・ハウスという取り組みがあります。これは、10年以上の歴史のある、理想のマンションをつくるためのオーダーメイドの手法です。マンションに住みたいと思っている4人なら4人が集まって、土地選びから始めて、専門家に自分たちの要望を調整してもらいながら専有空間を充実させると同時に、ユニークな共有空間を設けるというのが一般的です。しかし、このコミュニティはなかなか長続きしません。なぜなら、小うるさいからです。確かに、共有する財産を自分たちがつくって、実際そこに共同で住むのですから、そこにはコミュニティが形成されます。最初は良いのですが、人はそれぞれ別々の成長過程をたどりますから、たとえば子どものいる家庭といない家庭とでは、次第に別のコミュニティを持つようになって、結局、共有していたはずのコミュニティが崩壊して、使われない共有空間が残るという不幸な事態になります。そういう事例を見るにつけ、地域社会には、脱退自由で柔軟な仕組みを持った新しいタイプのコミュニティづくりを取り込むことで、崩壊しつつある地域コミュニティを再生する試みが求められていると感じます。そのためのツールとして情報化は、非常に有効だという気がしています。
西山 おそらくは、リアルコミュニティからの、地域に根を張ったものがないと良い形で育っていかないのではないでしょうか。さきほどのコーポラティブ・ハウスの例もそうですが、4人なり10世帯なりでつくった。そこまでは一生懸命つくったけれど、その周りの地域社会と自分たちのコーポラティブ・ハウスをつくるそのプロセスを共有したり、交流したりするところまでいくのはなかなか困難です。つまり、自分たちの建てたものが、地域の面のところに根づくことができるかどうかというところが難しいのかなという気がします。
コーポラティブ・ハウスは、私がいまかかわっている多摩ニュータウンでもやっているのですが、そこは地域の人たちが協力してつくっていこうとしています。同じような世代が集中したニュータウンの弊害を噛みしめて、多世代が生活し交流するものにしようとしています。これはある種の新しい長屋ですね。そういうものをつくって、この地域をもっと良い形の、どの世代にとっても住み良い地域にしていきましょうという動きです。実際に住む人たちと周辺の地域の人々、地域の設計事務所や工務店も一緒になってつくっていこうとしています。これは、いままでのコーポラティブ・ハウスとは違う形になりつつあるという気がしています。そういう動きや考え方が、地域に大きくひろがりつつあるのは確かだなという気がします。
公文 かつての農村共同体というものは、近隣で共同作業をしながら、日常生活のさまざまな面で助け合って暮らしていくということでまとまっていたわけです。産業社会になると、当然のことながらそれが崩れていって、その典型が都市郊外のベッドタウンです。通勤している亭主族はそこに帰って寝るだけ、近所付き合いは非常に少ないし、その必要もない。必要があればむしろ、職場やネットワーク上で、地域とは関係のない、好きな人たちとのコミュニティをつくるということができるわけです。しかし、そうばかりも言っていられないのがセキュリティの問題で、盗難が多くなるとか、うちにホームLANをつくったらたちまちにクラッカーにやられてしまうとか、そういう種類のことで、近くにいる人が一緒になって守らなければ危なくてしかたがない。いや、そういうところまでは、まだきていないのかな。
ひところあったのが、病院が高齢者のある種のコミュニティ、つまり病院に来ておしゃべりをして帰って行く場所になっていたということです。これも、医療費の負担率が上がっていくと大変難しくなりますね。もっと若い人でも、3割から4割の負担率になったら、おちおち病院になんて行っていられないという話になって、健康は別の守り方をしなければならないというニーズが必ず出てくるでしょう。また、失業率が、いまは5%台ですが、これが10%を超すと、おそらく犯罪率が数倍に伸びて、非常に危険な都市になるでしょう。農村と言っていいかどうかわかりませんが、私がときどき行く鶴岡でも、地元の暴力団員が手引きをして、強盗に入られて主婦が殺されたという事件がありました。こうなってくると、自衛のための助け合いが必要になります。他方、中高年の人は、体力はあるし元気だし、何か面白いことをやれないかという気持ちもありますから、シニアネットのようなものは意外と各地で盛んですね。ですから、そういうインセンティブもありますね。そのへんはどのように見たらいいのでしょうか。
石井 私が住んでいる世田谷では、一昨年の暮れに悲惨な事件があったのですが、あの事件のあと、近所付き合いとか地域の関係をもう少し見直してはという話がありました。公文先生がおっしゃられたように、産業化によってこれまでどんどん都市部に集中していった団塊の世代の人たちや、さらに高齢者が、定年退職や最近の停滞した経済状況から早期退職で地域に戻ってきているのですが、地域社会が昔の農耕社会のように、共同作業を一緒にやるとか、お祭りを一緒にするとかいうことがないので、どこを糸口にしてコミュニティに溶け込んでいったらいいのかという迷いや不安があります。その糸口を求めようとしているけれども見つかっていないということが、いまの社会の問題であるような気がします。老齢化のことでも、家族のことを相談したい、たとえば、外出するときに頼んでいきたいということは、昔はありましたが、もう長いことなくなってしまいました。もう一度地域に戻ってきたときに、どうしたらいいのかというきっかけが、難しいのではないかという気がします。そのへんはいかがでしょうか。
新たなコミュニティづくりに自由人のパワーを
西山 いま新しいコミュニティ形成のきっかけという話がありました。私も見ていて二つあると思います。一つは、自分たちの暮らしの場が非常に貧しい状況だという自覚が生まれ、そのことに向き合い始めたということ。たとえば、近所に住んでいてもお互い挨拶もしないし、子育てを始めたらとても不自由、子どもを保育園に預けようとしても待機児童の山でどうしようもない、団地では高齢者の孤独死が絶えない、ということが現実に起こっています。最近、活性化しつつあるということで注目されている多摩ニュータウンと早稲田商店街の両方に共通するきっかけは、阪神・淡路大震災だったと聞きました。あの災害を目の前にしたとき、「これが自分たちの地域に起こったらいったいどうなるんだろう、助け合うという基盤がない。おそらく役所に頼ることもできないという状況になる。これは、自分たちの地域に何かしらのつながりをつくっておかないと大変なことになる」ということが両方のきっかけだったわけです。そうして自分たちの地域を見つめたときに、たいへん貧しい地域社会、コミュニティとしての貧しさがあったと思います。
もう一つは、地域に楽しみを追求し始めた人たちがいるということですね。これは女性に始まって高齢者へ、そして普通の会社員などに広がってきていると思います。
石井 先日、春日井市に行ったら、まさに公文先生がおっしゃったように、NPOの中高年の人たちがものすごいエネルギーで、明るいんです。そこは総務省のIT講習を請け負っているNPOのグループで、そこの面々はいわゆる講師になっているので、共通の話題があるわけです。私がCANで訪ねたなかで、いちばん元気のいい人たちでした。私が準備していった話は全然役に立たなくて、車座になって話をするという活発な雰囲気です。問題意識を持ったりして、コミュニティの中に入るきっかけができると、勢いがついてくるのではないでしょうか。
春日井市で中高年の方々とそういう話をしたとき、なるほどと思ってテーマとして持ち出したのは、定年退職などで企業の終身雇用から解き放たれた人たちというのは、“自由人”なのだということでした。「退職者でも、高齢者でもない。男性でも女性でもない。まさに自由人なのだから、何の拘束もなくいろいろな形で地域貢献とか結びつきができる。そこから何か新しいことが生まれるのではないか」という話をしました。そうすると、みんな枠が外れて、「私はニューヨークでマラソンを走ったことがある」とか「これは健康にいいんだ」とか言って、自分の趣味から健康の話、さらに広い話題に入っていくというところがあります。いままで、失業率10%ということは考えたことがありませんでしたが、そういうことから考えると、このような要素はますますコミュニティに対するインパクト、社会での価値は大きいと思います。春日井市はエネルギーがあって、逆にエネルギーをもらって帰ってきました。
丸田 そうですね。まずは軽いきっかけでオンライン上のコミュニケーションが始まる、そういうところでコミュニティ形成に情報化がうまく使えると思います。まだ頭の中で整理されていないのですが、究極には小うるさくない形で、オンライン上にコミュニティ形成を支援するユーティリティがあるといいと思っています。実際には早く頭のいいどなたかがつくってくれないかと(笑)、思っていますが。
西山 それはたぶん、P2Pの技術を利用したコミュニティウェアとして登場してくるのでしょうね。いま石井さんの言われた自由人の発想と行動が徐々につながってくるというときに、一つ一つのテーマや問題に対して、大きな影響力を持って出てくるのが自治体です。さきほど公文先生がおっしゃったように、コミュニティ形成に関しては、本当にいい意味での後追いをしてくれればいいのですが。つまり、自由人の発想や行動を後追いするような行政ですね。私は、それが大きな分権化の流れになってくるのではないかと思います。
iCC―地域にリアルな「たまり場」をつくる
石井 いまのお話を大変興味深くうかがったのですが、コミュニティのreadiness、つまり準備しておく、いままでの自治体のITサークルの中で話を聞いていても、どちらかというと官ありきで、いろいろ準備されているところがあっても、いまここで話されているような、コミュニティが活性化しないと大変なことになる、逆にこのような現象が地域に大きく貢献できるのだという認識をしていないように思います。この辺をよく理解してもらわないと、本当の意味での価値ある活動は出てこないのではないかと感じました。自治体のreadiness、コミュニティのreadiness、公文先生が、これからまさにそういう時代になるというのは、そういう意味なのかなと理解を新たにいたしました。
公文 そういうときに、何かきっかけになったり手助けになったりするような、組織とか施設というものがあるといいのではないかと思います。昔ながらの公民館で、ただ何もない部屋があるだけというよりは、iCC(インターネット・コミュニティ・センター)というように、そこに行くとネットワークが自由に、あるいは安い値段で使えるし、いろいろ相談にのってくれる人もいるとか、CSP(コミュニティ・サービス・プロバイダ)のような企業がそこに店を構えていて、そこから有料のサービスを買ってもいい。そういった施設を通じて結びつきができていくようなことがあって、自治体が施設をつくったり、NPOやボランティアが拠点をつくったりというようなことが、うまくシナジーをつくっていければという、それが一つの期待です。
石井 物理的に人間が顔を合わせるという対面の接点は、とても嬉しいというか、感情がすぐに伝わってくるという、最高のコミュニケーションの手段だと思います。そのためにも、そういう場がないと。
プラグを差し込めば100メガつながるかという意味ではなくて、そういうところに行くことによって人と対面して対話ができたりする。また、場所という物理的なものが大事ですね。
公文 「たまり場」ですね。
石井 そうです。さきほどの自治体の話をしても、県のレベルで話をしていると、市町村の役所の窓口には高齢者がいて、パソコンは何人かに1台で、いじれる人がいないなどの話ばかりされている。市町村のようなところは、具体的な場というか建物や空間があるわけですから、それらを利用してたまり場的にやってくれればいい。必ずそれが青少年の犯罪の軽減につながるかどうかは別として、たとえばコンビニに行けば中学生や高校生がたむろしているわけですから、人にはたまり場が必要です。昔は、そういう空間があったのですが、いまはそういう場所がないので、やはり物理的な場というのが一つの基点なるということで、大切なことだと思います。
公文 いま考えてみたら、大学や高校は明らかにそうですね。自治会の部屋に行ったり、サークルの部屋に行って時間をつぶすのが、いちばん楽しいわけです。これが、いちいち申し込んで1時間か2時間だけ借りるような部屋では全然魅力がないでしょう。ですから、同好会でも何でもいいので、ある部屋を専属にして、比較的安くたまり場として提供するということがあると根拠地になりますね。
石井 学生時代を振り返ったときに、サークルの部屋に行ったり、授業がなくても学生ホールに行ったりして、要するに何となく座っていると、雰囲気がありました。とても充実しているものですから、授業には出なくても、そこには行くということがありましたね。公文先生を前にしてこういうことを言うのはなんですが。(笑)
公文 いえいえ。私も学生時代は授業にはめったに出ませんでしたから。(笑)
石井 そういうことになってくると、比較的イニシアチブ、動機をつけやすい。形をつくるのではなく、「たまり」をどこかで実現するということは、一つ実験的にも意味のあることなのではないかと思います。
丸田 学生のクラブ活動を対象にコミュニティを研究してみると、面白いかもしれませんね。私は、おおげさに言えば、知を共有するとか、守るとか、意識はしないけれど、人が集まるにははっきりした動機があるはずだと思います。クラブ活動で言えば、そのクラブが持っているカルチャーや伝統を守るというところに結びつくのではないかと考えています。また、さきほどの話ですと、危機を共有するとか、楽しみを共有するというのは、コミュニティを成立させる動機として非常にわかりやすいと思います。
マンションが拓くCANの可能性
公文 そのうえであらためてうかがいたいのですが、これまで情報社会というと、産業社会の次に来る社会なので、産業社会が経済成長を成し遂げた結果、人々はそれなりに豊かになって、時間もあれば、知識もあり、好奇心も旺盛で、相対的に健康で、何か面白いことをやろうという意味で集まって、たまり場に行って、コミュニケーションとコラボレーションをするんだというイメージがありました。私はそれはまったく間違っていたとは思いませんが、ただ最近の日本を考えると、そうばかりも言っていられないというか、幸か不幸か、事態はもっと深刻で、さきほど失業率が10%を超えたらどうなるかと言いましたが、つまり、仕事のない人がたくさん出てきかねなくなってきている。それから資産というか、自分のお金をどうするのか。ペイオフは1,000万円だから、家族一人につき1,000万円ずつあればいいと思うかもしれませんが、その1,000万円だって確実に保障されているとは限りませんね。もっとひどいことになったら、われわれは昔、新円への切り替えという事態、つまり預金封鎖を経験していますが、これはペイオフなんていう生易しいものではありませんでした。月500円しか引き出せないというたぐいの話です。そういう可能性もないとも限らない。そうなると、1,000万円あれば当分は大丈夫と言っているわけには必ずしもいかないですね。お互いに、それこそ、仕事はないかとか、銀行や円がだめになってもこれだけは安心して残せる資産はないかとか考え始めている。まさかみんなが金塊を買うわけにもいきませんし――買っている人も多いらしいですが…。ですから、そういう、それなりの職を与え、それなりの資産を預かって管理する、それから何か面白い経験も提供できるような、私設銀行であり、私設職業安定所や生活相談所でもあるような組織をつくる可能性、うまくいくとそれ自体が別の形のビジネスの単位にさえなるかもしれない可能性を考えておかないと。いや、考えなくても、そういうものが案外現実に出てくるかもしれませんが。
石井 いま銀行の状況を見てみると、まさに破綻しているのですが、これまでの日本の経済活動の特徴は、集団就職にも見られるように、何でも東京に集まるということでした。私も会社を4月に離れて元の同僚といろいろとやっているときに、起業しようと思っても、固定費があるとできない。毎月10万円の家賃を払うと年間120万円ですから、それが大きいわけです。そのときに何ができるかというと、私の友人は、若いのですが、実家に帰りました。東京にいると家賃がかかります。地方にいても生活が成り立つというような経済的な環境を、もっとプロモーションすることが必要です。いい学校に行って、いい会社に就職するという、東京へ東京へという発想が何かのきっかけで切り替えられていって、地方に戻って、分散できるような認識が出てくると、もう少し余裕も出てくる。多様化が出てきたときに、知の多角化とか柔軟性を持つことによっての跳躍が生まれるのではないでしょうか。いまは、すでに形ができあがっているから多様化ができないわけです。そういう意味で、柔軟な考え方で分散化ができれば、非常に違ってくるのではないでしょうか。東京にいるためにこうしなければならないということが、たくさんありますね。若い人たちにとっても楽しみがあまりなくて、どうせやってもあの程度なんだと思ってしまいます。それよりは、以前のように自分の地元で生活が成り立っていくということに、満ち足りたものを求められれば、もう少し余裕ができ、力も出せるのではないでしょうか。
西山 さきほど公文先生がおっしゃっていた、地域における投資と雇用ということですが、これが核になることはまず間違いないと思います。私がお手伝いしている多摩ニュータウン地域は団地が多いのですが、ペイオフの話が出てきたときに、その地域の団地に住んでいる人たちは、自分たちが共有する資産を持っていることに気がついたのです。団地の管理組合には積立金があるわけですが、100戸、200戸という単位で、10年も積み立てていると億単位のお金になります。そうすると、その1億円、2億円をどうするかということがあります。これを投資して、うまくペイオフを逃れようという話が団地の中から始まりました。それだけではなくて、地域に雇用を発生するような、自分たちの暮らしや楽しみを、さきほどのiCCやCSPではありませんが、支えるようなサービスを自分たちでつくっていこう、そこに雇用をつくっていこうという発想まで生まれてきています。団地には定年になったりして否応なく地域社会に戻ってくる人も必ずいる。そういう人たちが、生き甲斐を持って仕事をしながら暮らしていくというところでは、雇用問題をやっていかなければならない。それに対する投資を地域内でやって循環させなければならない、ということを考えています。
たとえば、いま一つの棟で1億円あるとすると、20棟あれば、20億円くらい集まってしまうわけです。もう少し広く見渡すと、この地域には20億円どころではない、もっと貯まっている。これをうまく、ペイオフにかからないように、安全を確保しながらシェアして、なおかつ自分たちの暮らしを支えるようなサービスを興していくというビジョンが見えてきます。地域のNPOが中心となり、無理のない程度に投資して、新しい雇用をつくっていこうということを設計しようとして取り組み始めている。ここでも智恵を出してくるのが、その地域に住んでいる方々です。投資銀行やファイナンスの専門家など、多様な人材が地域にはいるわけです。
丸田 私もまったく同じようなことを経験しています。マンションにはチャンスがあります。とにかく財産を共有する強いコミュニティなんです。そういうコミュニティは、現在の日本では分譲マンション以外に見当たりません。ですから、たとえばそのコミュニティが危機に直面すると、そのコミュニティの中でアイデアが絞り出されて危機を乗り越えるという、いい循環につながります。管理費の運用が良い例ですが、場合によってはコミュニティ内部に経済が生まれて、小さいながらも半ば完結した一つの経済システムができるようになります。それは地域にも広く応用できると思っています。
話は変わりますが、さきほど言われた情報社会における新しいガバナンスのモデルは何かというと地方分権です。地方分権は中央集権体制の反省から生まれたものですが、中央集権体制の弊害が最も出ているのは、地域の個性を奪ったことだと思います。自立していた地域を腰抜けにしてしまった罪は重いと思います。何よりも、その個性を復権させなければいけません。個性化です。全国どの駅に行っても、駅前の景色は見分けがつかないほど似ていますし、どの川をさかのぼっても、川の表情は同じです。全国どの地域の景色も本当によく似ています。それをどのように変えていくかというと、小さいことから始めなければなりませんが、一言でいえば地域の中に生活する、と言ってよいと思います。たとえば、建設素材をその地域のものしか使わないことにして、外部から調達することを止めてしまう。それが、地域独特の景観を生み、地域内に産業を生み、新たな雇用を生むことにつながります。そういう形で地方分権を進めていく必要があると思っています。上からの分権推進と下からの主権獲得はワンセットだと思います。公文先生のおっしゃったこととは違うかもしれませんが、上から下までガバナンスの仕組みをつくり替える時期に来ているのではないでしょうか。
公文 確かに、マンションというのは非常に大きな着眼点ですね。まず多額の資産を共同保有しているところになりますからね。そして、千人の人が住んでいるような団地で考えると、そのユニットが持っている資産量は、日本人の平均資産で考えると100億円を超しますね。そうすると、結構立派な会社を興したり、私設銀行をつくったり、ローカルな通貨も発行できるというポテンシャルは確かにありますね。そのような事業を興すための、いわば先駆けになるような人をつくる。そのための標準的なプラットフォームを誰かが準備する……。
丸田 そうです。気がつき始めていますが、まだどのマンションもやっていない。物理的にLANの敷設が始まってきましたので、チャンスだと思います。また面白いのは、マンションに入居する人たちの多くは、最初はコミュニティなど望んでいないことが多い。要するに干渉されたくないという人が多いのですが、実際一つの分譲マンションに入ってくる人は、所得階層が似ています。もっと言えば、マンションは、東京だと中心から20キロ圏が多いですね。そうすると、埼玉の人はなかなか神奈川に行かない、千葉の人はなかなか多摩に住まない。そのように自分のもともと住んでいた地域をひきずっていて、地域性も似ています。このように階層で言うと非常に近い人たちで、とてもまとまりやすく、意に反してコミュニティを体験してみると意外に面白いと感じる。結構似た人たちが住んでいて、物理的な財産を共有しているということは、すでにCANの基盤ができあがっていると考えられるわけです。
石井 集合住宅というのは、日本の住宅の3割くらいですか? もっと多いのでしょうか。非常に高い数字です。私もLANの設備を売る仕事をしたときに、数字を見て驚いたことがありました。
丸田 おそらく大都市では、このようにマンションなどを舞台にしたCANの試みが必要です。一方で、地方、とくに過疎的な地域は、CANを進めるにしても別の手法が必要となります。そこでは自治体が牽引することが必要でしょう。そこでの自治体は、東京の自治体とは意味が違っていて、地域最大の企業です。権威もあって、とにかく地域の中心的な存在ですね。そこが変われば、地域も変わるという存在でもあるわけですから、とにかく自治体が自覚して、地域のために行動を起こすということがまずは必要です。
問われる地域のイニシアチブと主体性
石井 たまたま、ある県庁に行くときに、新幹線の駅からタクシーに乗ったら、運転手に「東京から来たのか」と聞かれて「そうだ」と答えると、「また、この県のお金を東京に持っていくのですか」と言われました(笑)。住民になってみれば、本当にその気持ちはわかりますね。県に税金を納めていても、全然自分たちのところに実のなる形で戻ってこないわけですから。その言葉は非常に重みがあって、地域が元気になるには、そういう体制が崩れてこないと、斜に構えてしまうのではないでしょうか。いまの高知とか岡山という例がありますが、そういう県のことをいろいろな自治体が知るべきですね。私が地方の県に出入りして聞くのは、他に負けたくない、でも、一番にはなりたくないということです。
主体性を持つということはとても重要なことで、いままで上につながれていたところから、まさに分散型の考え方で、それぞれが小さな主体を持って大きな力を生むという時代になっているというのは、間違いないのではないでしょう。さきほど、地域金融と雇用の話がありましたが、まさに地域に帰ってきている人材が以前より豊富になったわけですから、それを活性化することによって地域の経済が活性化される可能性は十分に高まってきています。
いまの日本には、一つのきっかけ、突破口が必要だと思います。自信を失っているものだから、なかなかイニシアチブが発生しない、モメンタムが生まれないという悪循環になっているという気がします。
西山 自治体というのは、さきほど丸田さんと石井さんがおっしゃったように、横並び主義がありますから、他の地域でこういうことができた、うまく行っているようだ、ということになると、すぐに飛びついて見に行きます。ですから、さきほどの地域金融の話も含め、GLOCOMやCANフォーラムが地域とうまく連携・協働して、地域コミュニティにおける共治というモデルをつくる。あの地域ではやれているよ、ということが出てくれば、自治体は良い意味で真似できると思います。しかし、実際にはそこまでやった事例というのがまだ出ていません。私としては、早くそういうものを実際のモデルとして生み出していくことに、全力で取り掛からなければいけないと強く思っています。
公文 ビジネスモデルではなく、コミュニティモデルですね。これはぜひ推進していきましょう。来年度はGLOCOMとしては、こういう状況でもありますし、地域情報化への関与を、研究や事業のいちばん大きなテーマとして取り組みたいと考えています。そのための人事配置も逐次進めているところです。そして、CANフォーラムと非常に緊密な関係をとって活動を進めていこうと思っています。なかでも重要視したいのが、さまざまな地域で進められている情報化の事例集やその分析集とでもいえるような知識ベースづくりを、情報化のコアとなって各地で活躍していらっしゃる方々の人的ネットワークと併せて進めていくことです。GLOCOMとしては、すでに産業技術の面での知識ベースづくりや人的ネットワークづくりに携わってきた実績を持っていますので、この経験を地域情報化にも生かしていきたいと思います。
そこで、CANフォーラムのメンバーの方々にも、それこそGLOCOMを一つのたまり場として集まってきていただけるように、そしてできればいろいろな活動をいっしょになって進めていくことができるようにしたいものです。また、この座談会の読者の方々をも含めて、もっともっと多くの方々が、個人として、あるいは組織として、CANフォーラムのメンバーとして参加してくださるようになることを期待しています。
(2002年2月6日GLOCOMにて収録)