『S.O.U.P.』
講師:川端裕人
GLOCOMではこれまで、情報技術が現出させる新しい社会とはどのようなものかという考察を重ねてきたが、文学的イマジネーションのもとで情報社会を考える経験をしたというのは、今回のIECP読書会が初めてなのではないだろうか。2月21日の読書会では、作家の川端裕人氏をお招きし、近著『The S.O.U.P.』(ザ・スープ)執筆に至るまでのインターネット体験や、作品の基底にある重層的なテーマ、そして次回作への抱負などについてお話しいただいた。 この作品は、筋立てとしては、インターネット擾乱を企て、アメリカに対して宣戦布告を図る正体不明のクラッカー集団EGGを、経済産業省を名乗る人物から依頼を受けた日本のハッカー周防巧、かつて巧の協力でクラッカーを検挙した経験を持つFBI捜査員シェリルを中心とする捜査チームが追跡するという、ネット社会のクライシスを描いた物語である。
しかし、クライシスの根底には、物語の主要人物である巧が、いわゆる「ひきこもり」だった若いころに、仲間の栗本光と糸井重雄の3人で作り上げたオンラインRPG(ロールプレイングゲーム)「S.O.U.P.」に込めた彼らの想いが深くかかわっていたことが明らかになる。「S.O.U.P.」は、シリーズ三部作で計1,000万本を売る大ヒットとなり、商業的な成功を収めるのだが、実は彼らの目的は、完結したストーリーを持つゲームを作ることではなかった。彼らは、その名前の中に、"Slice Of Universe for Pioneers"(開拓者のための宇宙の断面)という意味を込めた。プレーヤーが無限の可能性を持ち、自由に行動できる「もう一つ」の現実世界を作ろうとしたのだった。
この作品を書くにあたり川端氏は、「もう一つ」の世界として展開されるRPGとインターネットとの間に密接な関係を見出している。インターネットの経路制御プログラムを最初に書いたウィル・クラウザーは、テーブルトークRPGの愛好者であり、実は世界で最初のアドベンチャーゲーム(その名も「アドベンチャー」)を書いた人物であった。インターネットは、規制できない自由な「世界」や「フロンティア」であるように見える。しかし、かつて自分もハッカーの一人であったシェリルが言うように、それは、インターネットが「ハッカーの文化を反映して、自由に作られたから」である。
作品に描かれたEGGは、ただのクラッカーではない。彼らはクラッキングによって現実世界を脅迫し、要求を突きつける「サイバーテロリスト」なのだ。彼らが、境界ルーターと呼ばれるインターネットの中枢に仕掛けたルーター擾乱というクラッキングは、インターネットだけでなく、社会活動全体の機能不全を呼び起こした。この影響で、アメリカではインターネットで遠隔医療を受けていた患者5名が死亡した。東欧ではインターネットに直接接続されていた原子力発電所(そんなものが現実にはないことを祈ろう!)が制御不能寸前に陥った。インターネットに多くの部分を依存していた経済活動が受けた混乱と損失は計り知れず、彼らは直接・間接的な影響力を通じて全世界を混乱に陥れた。
現実の世界で、サイバーテロリズムがこのような結末をもたらすとしたら、確かに悲劇的には違いない。しかしこの作品は、サイバーテロ小説というものとは少し違うかもしれない。
読書会の参加者の一人は、「インターネットも何もなかった1984年に発表された『ニューロマンサー』(ウィリアム・ギブスン著)が、SF的イマジネーションだけを頼りにして情報空間に流れ出した人間の意識を描いたものだとすれば、『The S.O.U.P.』は、同じテーマについて、想像力ではなく、すでに現実となったインターネットに基づいて描かれたものだ」と評した。そういう意味では、この作品はサイバーテロリズムを扱った社会小説であると同時にきわめてSF的な内容を持っている。
本書がもつSF的なメッセージは、作品の中で何度も繰り返される「ネットの秩序は、ネットが創造する」という言葉に込められている。EGGの本当の目的は、サイバーテロリズムを通じて、現実世界の「プレーヤー」たちにこの言葉を受け容れさせ、ネットを、本当のネットの住人に開け放つことだった。
「クラッカー」を「悪意あるハッカー」とするならば、EGGの暴走は、一面では大量に流れ込んだ「新入り」たちによって、もともと自分たちの楽園であったインターネットから疎外されてしまったハッカーたちの失地回復にも見える。しかし、実のところハッカーでさえ、所詮はネットに寄寓する存在にすぎないのだった。EGGの正体が明かされ、本当のネットの住人が誰なのかが明かされる場面は、この作品のクライマックスの一つとなっている。
川端氏によれば、この作品は癒しの物語としても読まれることがあるという。しかし、人びとがネットの寄寓者にしかなりえないとしたら、彼らの心の回復はネットに逃避することでは得られない。
Miyu(寺井ミユ)、Kumi(周防タクミ)、GEO(糸井シゲオ)、SAM(梨田オサム)、DOLPHIN・H(栗本ヒカル。日本語に訳せばH・IRUKA、つまり「ヒカル」のアナグラム!)は、すべてネットにもう一つの現実を見た者のネット上の名前なのだが、彼らの名前はどこか現実世界の名前とつながっている。彼らはネットワークの中に隠遁することを望んでいるのではない。誰かに見つけてもらうことを期待して、ネットの中に姿を隠すのだろう。作品の後半でEGGの中核メンバーとして明かされる海優と統も、同じように心の重荷を抱える者として描かれている。ネットをさまよった彼らは、ネットに映し出された自分たちの姿を見ることで、初めて自らの心の回復に成功するのだ。見つけてくれる誰かとは、おそらく自分自身以外ではありえないのだろう。
川端氏は、いずれ、ネットとジャーナリズムの新しい関係についての作品を書きたいと語った。虚実が入り乱れるネットという新たなメディアは、これまで人びとがメディアなるものに対して持っていた期待と前提を拒絶する。そして、遠からず真実を伝えていると信じることができたはずのメディアへの信頼が揺らいでいるという。
上村圭介(GLOCOM主任研究員)