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270歳の誕生日

土屋大洋(GLOCOM主任研究員/ジョージ・ワシントン大学サイバースペース政策研究所訪問研究員)

 2002年2月22日、「2並び」のこの日は、ジョージ・ワシントンが生きていたとしたら270歳になる誕生日だ。ワシントンは、イギリスからの独立を達成する独立戦争(アメリカでは「アメリカ革命戦争(American Revolutionary War)」という)を勝利に導いた将軍であり、初代大統領でもあり、1ドル札の肖像にもなっている。彼の名前は首都ワシントンD.C.と西部のワシントン州につけられ、私の所属するジョージ・ワシントン大学もその名をとっている。

 さらに、ワシントンD.C.で一番「目立つ」建物といえば、ワシントン・モニュメント(記念碑)である。なぜ目立つかといえば、法律によって、このモニュメントよりも高い建物をワシントンD.C.の中では建てられないからだ。したがってワシントンD.C.では、ニューヨークのような高層ビルは造ろうと思っても造れない。遠くから見ると、周りに建物がないせいか、モニュメントはそれほど大きく見えないが、下に立ってみると巨大である。よくこんなものを19世紀に建てたものだと感心させられる。

 モニュメントの中には階段とエレベーターが設置されており、一番上に展望ロビーがある。モニュメントの形は、古代エジプトの太陽信仰にもとづく記念碑であるオベリスクになっている。ロンドンやパリにあるオベリスクはエジプトから運んだものらしいが、ワシントンD.C.のものはメリーランド州の石材を使っているそうだ。

 モニュメントは、1998年から修復のためにたびたび閉鎖され、最近では2000年12月から閉鎖されたままだった。2001年3月には再開の予定だったが、エレベーターの調整が間に合わず遅れていた。ようやくこの日、ワシントンの誕生日に合わせて再開されたのである。前日に新聞やテレビで発表されたため、見学チケットを手に入れるために朝早くから行列ができた。のんびりと昼頃に出かけた私は、当然、チケットが手に入らなかった。

 仕方がないので、再開のセレモニーだけ見て帰ることにした。セレモニーの開始は午後1時からだが、寒風が吹きすさぶなか、すでに12時前からメディアのカメラが並び始めた。最終的には十数台のカメラの放列が敷かれた。

 セレモニーは、国立公園サービス・ワシントンD.C.地区担当のテリー・カールストン氏が、「ワシントン・モニュメントを今日、アメリカ国民にお返しすることを誇りに思います」と挨拶して始まった。モニュメントの再開は、テロとは関係ない。しかし、やはりアメリカ人にとっては感慨深いものがある。国立公園サービスのフラン・P・マイネラ長官は、モニュメントを「フリーダムのシンボル」と呼んだ。ワシントンD.C.のアンソニー・ウイリアムズ市長は、「われわれはオープンな人々であり、臆病者ではない。ワシントン・モニュメントが訪問する人々にオープンであるということは、そのシンボルなのだ」と述べた。子どもたちとともに無事テープカットは行われた。

 後日、早起きしてチケットを取り直し、展望ロビーまで上った。モニュメントの高さは555.55フィート(約170メートル)で、展望ロビーからの眺めはすばらしい。東西南北それぞれに小窓が開けられ、東には議会、南にはジェファーソン・メモリアル、西にはリンカーン・メモリアル、そして北にはホワイト・ハウスが見える。ワシントンD.C.という街は、きわめて人工的に、権力とそのバランスを意識して設計されたところだということが実感できる。

 はからずも、遠くにペンタゴンの姿も確認できた。ビデオでは見にくいが、飛行機が突っ込んだ西側にはクレーン車のようなものが立っており、修復作業が進んでいる様子もうかがわれた。