制度改革と政策プロデューサー
西田陽光(「構想日本」パブリシティ担当ディレクター)
前田充浩(政策研究大学院大学助教授/GLOCOM客員研究員)
山内康英(GLOCOM主幹研究員)
前田 今回は、NPO「構想日本」のパブリシティ担当ディレクターの西田陽光さんに、今日の日本の政策形成メカニズムにどのような問題が生じているのかという問題意識の下に、政策形成においてNPOが果たす役割などについてお話をお伺いしたいと思います。それでは、「構想日本」の紹介と、西田さんが、このような活動を始められた動機について、お話しいただければと思います。
西田 構想日本というのは政策系のシンクタンクで、旧大蔵省におりました加藤秀樹が代表を務めています。1997年4月9日に立ち上げましたから、この4月で6年目を迎えました。加藤代表とは、構想日本を始める前、都内の住民活動、学校問題でご一緒したのが縁で、構想日本の立ち上げにかかわりました。加藤代表とすばらしい仲間が熱い想いを語り合うのを見聞きし、何とか役立ちたいと思いましたのが昨日のようです。
前田 構想日本に入られる前は、どのような活動をなさっていらっしゃったのですか。
西田 市民活動の前は、主婦業兼建築設計の会社の役員をやっていました。再開発や事業計画を含んでいるので、人間と接触していくという点ではテーマが違っても今の仕事と同じです。お客様のニーズに応えたり、ご相談に応じたり、従業員の面接をするとか、プロジェクトで海外に行き、現地視察や銀行と契約するなどさまざまです。いずれの仕事も、お互いの意向があって、それを折衝していくことです。つまり、こちらの意向を伝え、相手の立場を受け止めつつ合意形成をして、プランニングを無形から有形にしていくわけです。
政治家と民のせめぎ合いが政策を磨く
山内 現在、多くの識者が、日本の政治の転換期だと言っていますが、構想日本で活動をなさって、明治以来の官僚の役割とか政治の形が変わりつつあるという感想をお持ちですか?
西田 世の中の既得権を持つ人たちは、変わらないように変わらないようにやっているのだと思います(笑)。構想日本から政策を出していくときは、構想日本のプラットフォームに集まった政策の伝え役として、議員さんを訪問して説明し、また議員さんがどのように考えているかをヒアリングさせていただいています。しかし議員の先生は、選挙に忙しいわけで、選挙のためには、地域とのスキンシップの時間をたくさん取らなければなりません。結婚式に出たり、公民館でスピーチしたり、リアルなことをこなさなければなりません。そういうことに忙殺されているので、じっくり考えることがなかなか困難です。私どもの提案をお話しすると、「それはいい提案だ」とおっしゃる。しかし、それをどのように自分の党に話せばいいのか、どのような予算の取り方をしたらいいのか、また世の中へアピールするのにどうしたらよいのか。住民に対する合意形成のための説得の材料がほしいなどと言われます。
山内 立法府の方々は、現実に政策形成のための情報や知識を必要としているが、その場合には合意形成のための説得ということも重要であるということですね。
西田 ご存知と思いますが、説得というのはデータだけではできません。一つのテーマについて、田んぼにいるおばさんたちに話すとき、商店街のおじさんたちに話すとき、漁師のおじさんたちに話すとき、都会のオフィスにいる人たちに話すとき、それぞれの状況とか現象に合わせて問題点を咀嚼して説明しなければ伝わらない。フィールドの問題をきちんと把握してスポットを当てていかないと、住民たちは自分の問題として聞いてくれません。自分の問題でなければどうでもいいということになります。その地域、地域にきちんとスポットを当てて説明できなければ、つまり、あなたの暮らしとこのテーマはどういう関係性を持っているかというところの咀嚼能力がないと、説得はできないわけです。そういう能力が、いまの教育システムの中ではなかなか身につかないと思います。
前田 「説得の能力」というのは大きなテーマだと思いますが、日本の政治家は説得の能力に欠けている、ということですか? あるいは教育システムの中に、説得の能力を育てる部分がない、ということですか?
西田 両方だと思います。教育システムの中で、説得の能力が重要視されていないと思います。そして、政治では政治家側からの説得と同時に、住民側はプロパガンダを見破る、という能力も持っていなければなりません。市民レベルと政治家のレベルの両者の能力を底上げし、互いにせめぎ合うなかで、はじめて政策というものが研磨されると思います。政治家、あるいは省庁の人たちだけで政策が議論されがちですが、彼らは、国民の側に立った視点に欠けています。政治家も役人も、生活者としては一市民でもあるにもかかわらず、そうは思っていない人が多いようです。それでは生活者の視点が欠け、問題意識も持ちにくいということになるのだと思います。また、多くの国民もメディアも、「政治」にかかわる人間関係とポストの問題にのみ関心がゆき、立法府の目的である政策に関心が低いのも大いに問題だと思います。
制度「通」の政策プロデューサーを育てる
前田 通常言われているところでは、ある政策案を政策として実現するためには、政策案の中身を考えることと、それを法案化する作業の2種類の業務がいる、ということです。もちろん、それらを同一人物が担当してもかまいません。西田さんのお話では、これらに加えて、政策形成に関与する人々に対する説得、または理解の促進ということを、独立した一つの業務として考えるべきだ、ということでしょうか。いくら優れた政策案を考えても、またいくら法案の作成に通暁していても、説得が下手だと政策は実現しにくい。したがって、説得という業務は、それらからアンバンドルされた、一つの独立した業務になり得ますか?
西田 私は日ごろ、教育問題やさまざまな問題に取り組んでいる方々のお話を伺う機会があります。彼らは、それぞれのテーマに関しては精通しておられます。ただ、そのテーマをどう社会に理解してもらうかということと、制度化ということは別の問題で、制度というものがわかっていない人が「問題だ、問題だ」と言っても、制度としては組み込まれていかないんです。制度をわかっているのは圧倒的に省庁の方でした。そういう一種の「制度メーカー」として機能するのは、これまでのところ省庁に限定されていました。100%とは言いませんが。
これに対する新たなあり方を目指して構想日本もあるわけですが、あるテーマを制度にあてはめるとどうなるのか――ある問題や法案は、他の法案との整合性も見極めなければならないわけですから――そういう制度の全体像がわかっていて、特定のテーマで制度化過程をプロデュースできる人、そういう政策プロデューサーが、いまとても重要なのではないかと思います。そこで日本の大学教育を見渡すと、法律を使う弁護士や法律を研究する学者を養成する機関はありますが、法律をつくっていくためのプロデューサー、そういう意味での法律の専門家をつくる機関はありません。そういう機関が求められていると思います。
前田 政策プロデューサーの代表というと、やはり官僚ということになりますね。そして官僚を政策プロデューサーとして鍛えるための特別な機関があったわけではなく、まずは学卒で官僚に採用し、その後一日20時間働かせて鍛えていた、ということでしょう。
西田 私は役所の経験がありませんので、あくまでも外からの推測でしかありませんが、たとえば、何時、対外的な問題が起きても不思議ではない時代を迎えているわけですし、もう少し省を超えたプロデュースをしたほうが、国のリスク管理になると思います。国益を守るという意味において制度を見直さないと、時代はどんどん変化しています。
前田 行政庁は行政庁として努力しているでしょうけれど、それだけで時代の変化に対応できるかというと心配なので、今の霞が関の官僚に代わる政策形成のプロデューサーを育てなければいけないという点では、われわれの問題意識も同じです。
政策過程のプロデュースとは
山内 それでは、ある政策課題があって、それを立法化するまでの過程をプロデュースするというのは具体的にどのようなことでしょうか。
西田 たとえば現場で「こんな問題がある。困った」という話があったとします。それを立案までもっていくには、それが条例においてはどうなのか、国の制度としてはどうなのかといった整合性の理解が必要なわけです。家を建てるときは、設計し、基礎の図面、間取りの図面、配線の図面等々があり、マスタープランを作り、全部がおさまるように、途中変更等も含み管理し、チェックするということが建築家の管理役として当然の役割なわけです。法律にもそういう青写真があって、適正に機能させる、そういうプロフェッショナルな人材が必要です。そういう人はたくさんいらして、たまたま私が知らないだけなのかもしれませんが……。霞が関に上がってくるデータは、はたしてフィールドワークができているのでしょうか。たとえば地方で、今どんなことがどこで起こっているのかきちんと把握する、そういうルートや仕組みを持っているのか。組織はあっても機能する仕組みがあるのでしょうか?
前田 いまのお話だと、現状では、政策形成の方法を知るためには、政策形成に目覚めた人が試行錯誤しながら、人的ネットワークを広げて、たまたま政策形成の方法を知っている人に出会って教えてもらうという方法しかないということでしょうか。それとも将来そういう職業が、日本にできるのでしょうか。
暮らしの中で法律を体験させる
西田 瀬島龍三さんの『祖国再生』を読んだとき、「設置法」とは何だろうと思いました。そして、「設置法」というのがどうしても気になって、いろいろ聞いてみたのですが、明快に答えてくれる人がなかなかいませんでした。そのころ構想日本のスタート時だったのですが、政策研究大学院大学の飯尾教授が、いわゆる設置法の権限規定ということをおっしゃってくださったときに、はじめて一般の国民の知らないそういう法律が各省庁に横たわっていたのかと、知ったわけです。
前田 設置法は法律なので、公開されています。決して隠していたわけではありません。
西田 しかし設置法についてはその当時、私のまわりの法律を学んでいる弁護士でも知らないし、メディアも知らないし、議員に聞いてもわからない。各省庁で設置法をコピーしてもらって網羅したものを、構想日本で集めたんです。それを読んでみたところ、結構笑えるところがある法律でした。設置法には、個人・企業・地方自治体に自由な活動を任せておくと何か不都合が起こるおそれがある。そこで省庁が、細部にまで干渉し面倒をみるべきという前提で、明治以来のわが国の中央官僚機構が自ら任じてきた役割が見えてくる。環境庁(当時)には、ミツバチの行動を規定するという法律がありました。
前田 権限の一つひとつに、歴史的な経緯があるんです。
西田 いろいろ事情はあるでしょうが、ミツバチにまで規制するのって笑えました。(笑)
前田 ミツバチに指令するのではなく、ミツバチ業者に対する監督権限の根拠として書かれているんです。
西田 もちろんそうですが、法律としてそういう書き方はどうでしょうか。「ミツバチ業者に対して」とは、どこにも書いていない。こういう法律があるということを全然知らないで、設置法って何だろうと思ったときに、世の中に答えてくれる人がなかなか見つからなかった。そのときに、飯尾教授からその実体や構造的歴史的背景を教えていただきました。民主国家だとばかり思って氷山の上の方ばかりを見ていて、ふと水面下を見たら、法的には明治時代が残っていたという実体があったわけです。私たちは、法治国家に生まれたけれど、はたして法律の実体を知っているのだろうか。実は、ちっとも知らずに暮らしているのではないか。私が結婚するとき、母は、六法全書を嫁入り道具一式と一緒に持たせてくれましたが……。
前田 六法全書にも設置法までは載っていませんね。
西田 六法全書は、子どもが小学校のとき押し花の役に立っただけです(笑)。最近になってやっと憲法を読んだのですが…。私は法律という言葉は知っていましたが、実体は無縁でした。たとえば学校教育の中で、「あなたたちは憲法で、こういう理由で公共の教育を受ける義務と権利があります」というふうに小学校で先生が伝えるといったことは、全くありませんでした。法治国家にもかかわらず、法を学び触れる空間が非常に少なかったと思います。
山内 それは、すべての市民は、法律を体験すべきだということですね。
西田 その都度、その都度に教えていく。小学校に入ったときには、「こういう法律によって公教育を受ける義務があります」というように。あるいは子どもが生まれました、幼稚園に入りました、小学校に入学しました、という節目節目に、「法に基づいて云々」ということを教えてはどうか。子どもを宿ったときにもらう母子手帳には、「母の権利義務として云々」とうたっておく。規約みたいなもので、読むかどうかはわかりませんが。少なくとも、「こういう権利と義務が発生します」ということを知らしめることで、法が身近になるのではないかと思います。
前田 政策形成に関する基本的なノウハウは、義務教育の範囲内として、きちんと教育しておくということですね。
西田 そうですね。そして教育以外にも、暮らしの中にはいろいろな法律事項があります。何事も知らないことには、関心を持てないと思います。
制度を知らなければ制度改革はできない
前田 教育でも医療でも対象は何でもいいのですが、日本人である以上、世の中を変えたいと思ったら、誰をどのように使って、どのようにして立法化するのか、という政策形成のプロセスを当然知っておくべきだということですか。
西田 そうですね。日本国民は、日本国憲法というルールの中で生きているわけですが、制度とは何なのかということを日常のレベルに落としていくことをしなければ、制度論といっても制度のことを話せないわけです。かつて国民は門外漢の時代があったかもしれませんが、これからは、法治国家、民主国家をうたっているのであれば、それにふさわしいあり方をもう一度検討し、また、それを認識した国民になる。議論はそれからではないでしょうか。たとえば、何か問題が起きたとき、ある程度制度的なことがわかっている政策形成機関があれば、そこに行って「こんな問題があるんだけど……」と相談してみる。そこで制度的問題であるのか検証し、制度なら制度提言ということで対応していく。しかし、現実はたまたまの縁で多くは動いていますから、「この問題についてはこんな窓口がありますよ」というように、もう少し道筋が見えるようにしなければ政策形成過程にたどりつけませんね。これまでは、運良く制度プロセスに明るい人がいるか、または、その窓口は政治家だという幻想がありました。実は政治家には、経済的人的要因から、なかなか実質的な政策立案専門機能がないのではないかということが、最近議論されています。
前田 そうすると、市民法律相談所の政策形成バージョンですね。法律相談というのは、主に遺産相続とか、隣の家との関係の問題とか、親子の問題とかいう個人的なものだけがテーマだったと言える。
西田 それは、すでにできている制度の機能に関する問題、運用問題だったわけです。
前田 そうではなくて、「新しい法律をつくりたい」とか、「日本国の体制を新たな理念に基づくものに変えたいのだが、どうしたらいいでしょうか」という相談ができるところ、ですか。
山内 法律相談は法律相談でも、法律をつくるほうの相談ですね。
西田 規制撤廃なのか、新たにつくるのか。たとえば、「新しくベンチャーを興すのに申請が大変だけど、もう少しスムーズにできませんか」とか、そういうときにどう動けるかということを教えてくれるところです。各活動をするのに伴う困難は、制度的な背景があるか否かを見分ける。制度の構造的分析や問題解決相談の対応をするところです。
山内 それについて二つ質問があります。一つ目は、20世紀型の産業構造から21世紀型産業構造に変化するなかで、自分たちで制度をつくるという要求が高まっているのか、ということです。二つ目は、日本人が制度を与えられたものではなく、それを擬制的なものとして客観化し、自分たちで再構成するというところまで、市民社会の水準が上がったのかということです。これらについて、どのようにお感じですか。
西田 制度というのは、ほとんどの人にとっては、新たな分野で事業を起こそうとしたり、だまされたとか、相続しようと思ったら相続税で「ああ大変」とか、何かわが身に起きたときに初めて出遭うものかもしれません。普通の暮らしをしているとなかなか実感がないために、制度というものが何か他人事のようになっています。何かしようとした人は、おそらく「おかしい」と感じることもあるでしょう。たとえば、青春を捨てて汗と涙で必死に働いてやっと稼いだにもかかわらず、法人税で半分持っていかれると、「今年は儲けたけれど、来年儲かるかはわからないのにどうしてくれるのか」というようなことですね。何かやろうとした人や何かあった人は感じているけれども、そうではない人は感じにくい。国民がすべてそういう立場に立っているかというとそうではない。法治国家なのに、法と暮らしの接点、つまり、この国が法治国家だということが顕在化されていません。
前田 たとえば、狂牛病問題で焼肉屋の売上げが激減してしまったというとき、西田さんの主張によると、焼肉屋の主人は「農水省や厚生労働省に任せておくからこういうことになった。新しいガバナンス体制を作ろう、新しい政策を作ろう」と言うべきだ、ということですね。ただし実際に今起きていることは、「農水省はけしからん」とか「坂口大臣辞めろ」と騒ぐだけですね。ただしこれでは意味がないだけではなく、役所の焼け太りを招いたりする。
西田 それは、世の中の構造がわかっていないからです。その現象の背景を知って、どういう制度がこのような機能不全を引き起こしたのかという視点で見ないで、メディアも一緒になって騒いでいる。そういう問題ではありませんね。どうしたら、そういった現象を起こさないようなシステムになるのか、という話が一般的に全然されていません。つまり制度のところにまで話がいっていないわけです。
情報技術は政策形成過程を変え得るか
前田 情報技術はこの結びつきを変えますか?たとえば、制度を変えたいと思った人が、Webなどを介して構想日本に「どうしたらいいですか」とアクセスすると、いい人を紹介してもらえる、というイメージですけれど。
西田 たしかに、Webは素晴らしいものだと思います。スピードとか汎地域性とかコストとかいう意味において。しかし、何かをつくりあげていくときに、たとえば、活字にのらない情報というのがあります。いま話していることでも、語句の音域とかアクションや顔色も一緒にして発信したり、また、聞き手も想像力を駆使して聞いていたりするので、拙い言葉でも受けとめやすかったりします。それを活字にすると何倍も時間がかかったり、こちらのバックボーンでデータを見てしまうので、意図された通りに理解できなかったりするというもどかしさがあります。リアルである程度理解したものを補足、保管するという意味においては、とてもいいと思うのですが……。
Web先進国のアメリカ大使館関連のセミナーで、上院議員の政策秘書として活躍している方が来日して講演されたときに、アメリカではインターネットを使って収集整理していて、それがいかに素晴らしいかというプレゼンテーションがありました。いちばん早い情報収集の例として、議員立法のため議会に提出するレポート用に、2時間半でクオリティの高い資料を集めたというようなお話がありました。そこで、私が「インターネット以上に、各専門に関する人間を知っていることがいちばん早いと思うんですけど」と言うと、「その通りだ」という答えだったのです。最も早く確実な情報は、人を通して収集するそうです。
情報をフィルターにかけるとき、個人は自分の経験と知識の範囲のフィルターを通したデータ処理しかできない。たとえば、いろいろな意見を言ってくるけれども、そこには商売をしたいとか、利権を取りたいとか、いろいろな思惑が入っているわけです。まことしやかな話で、読んでいると涙が出そうなこともありますが、本当のところは現場に行ってみないとわからない。その問題をどう検証するのかというと、自分で現場に行ってみて、聞いてみて、ということがセットになってきます。あるいは、それを知っている人がいるかどうかですね。それには限界があります。データを情報として活かせるものにするには、必ず目利きの目を通すことが必須となるわけです。
国家の設計図としての制度と工程表
西田 さらに利権というか利害関係だけではなくて、たとえば本当に苦しんだ側の思いとか、いろいろなものがあると思います。必ずしも悪意に基づいたものばかりではなくて、善意に基づいているがゆえのバイアスということもありますね。世の中には異なる立場の人がいて、多様な価値観を持ち、いろいろなものを背負っている。それらの仕切り、ルールづくりが制度なわけですから、双方が納得できるという線をどこに引けばいいのか。実は、その線引きのルールが制度なのです。
山内 その通りですね。
西田 そのあたりの見極めとして、まず、どんな社会をつくりたいのか。目指すべき社会という話があって、それで線引きが決まるべきものが、線引きの話、つまり方法論ばかりしていると、どんな社会をつくりたかったのかわからなくなる。ましてそれぞれが、ばらばらに意見を言っているということになります。「私たちはどんな社会をつくろうとしていたのか」ということです。日本国憲法ができたとき、1年間だけ小学生向けの憲法の解説書が出ました。そこには日本国憲法をどういう想いでつくったか、どういう目的でつくったのかということが書かれていました。しかしその後、たとえば中学生の子どもたちに、「日本は敗戦したけれども、こういう想いで、こういう素晴らしい国を目指してこの憲法をつくりました」というようなことを、フリーディスカッションなどで議論させるようなことをしてきたでしょうか。
山内 制度というのは複雑な構造です。この複雑な構造体が、実はあるべき世界の写し絵でなければならない。つまり、良くできた建築の設計図というのが、非常に住みやすい家の似姿であるように、良くできた制度と住みやすい社会や国民国家は写像関係にある、ということだと思います。
西田 本当は日本国憲法は、美しい国を目指したすっきりしたものです。それに本来は、それぞれの法案も整合性を持ってつながっているはずです。
山内 まるで建築家の考え方ですね。(笑)
西田 私が提唱し、竹中平蔵先生が使われている「工程表」というのは建築の用語です。工程表というのは、総合・企画の後、パイロット指標計画がなされ、基本プラン、実施設計、建築工事、設備工事等の工事工程表を、週間工程、月間工程、全体工程で作成し、随時予定どおり進んでいるかチェックしながら、職人の動きがわかるようなネットワーク工程も組んではじめて機能するものです。たとえば本日から7月1日に引き渡すまでにどういう工事運行がなされるかということを、図面はこうだとか、工事が入るときにはどこの業者が人を工事現場に何人入れるとか、雨の日もあるし、トラブルもあるだろうからと余力をみて、想定して組むわけです。そして確実に7月1日に引き渡さないといけないが、もしそれができなかった場合のリスクはどのように負うかということもセットになっているわけです。そういう期限があるなかで、今日はトラックが何台入るか、ガードマンは何人配置するかといった工事現場におけるかかわりが、すべて緻密に入っているわけです。そうしなければ、事故のもとになるし、納期も遅れる。すなわちリスクはすべて、余分なお金がかかるということです。1日遅れると利子が発生し、規模が大きくなれば利子も大変な額になりますから、それはどこが負担するかということも決めておきます。そういう問題が同時に考えられているものが、工程表です。やるべきだ、プランニングだ、といった甘いソフトなものではなく、完成に向けての現場のすべての動きが計画的に把握された緻密さが必要です。具体的なケースが頭に入っていないと、そういう話は出てきませんね。たとえば雇用問題でも、「どこで、だれが、どのようなことをやった。それを、このケースを、どのようにして、どの規模で取り組んでみよう」といったことです。中央に現場のマスタープランを描ける人はいませんから、「工程表」といってみても空論になる。
山内 私は、納期に間に合わないソフトウェア業者の悩みはよくわかるのですが、逆に言うと、いままでの経験に基づいて得られていた工程表や線表が役に立たなくなってきているのではないでしょうか。つまり、どうすれば雇用がつくれるのかという、線表の引きようがないわけです。なにしろいまわれわれの直面している社会現象は「構造的」なものですから。
西田 構造的だから、現場と全体がわかる人が必要なんです。人生もそうですが、常に歩いたところにしか道はありません。その先は、一歩踏み出すことによってつないでいくわけです。しかし先は常にありませんから、これまでやってみた、自分の経験や失敗ということで語るわけです。あなたにはあなたのやり方があるだろうけど、私が生きた中ではこういう失敗があった、こういうところを踏むと地雷があるよとか、人はこうするとがんばるよというように。経験のある人は、現場で得た智恵を持っている。
山内 語ることが大事ということですか。
西田 語るとは、現場の中でのリードする力とプロデュース力を指します。やってみて、やらせてみる。現場を持たないことにはどんな結果も得られません。延々と議論しているより、とにかくまずは具体的にやってみる。たとえば商売をやろうとしたら、最初は1人で売ってみたが次からは3人のほうがいいとか、それよりもお店を出したほうがいいとかいうように拡大していくわけです。でも、最初の一歩がないことには始まりません。そして、その中で学んだこと、たとえばお釣りを持っていったほうがよかったとか、領収書がほしいと言った人がいたとか、いろいろと出てくるわけです。物事を進めるプランニングを、たとえばワークシェアリングを、どこかの地域の中で小さい例でいいから実際にやってみて、フィールドを拡大していくとか、こちらのケースではどうだろうか、リスクはどうだろうかとシミュレーションしてみる。フィールドワークとマスタープランの両面は、まさにプロデュースの必須条件です。
山内 構想日本には、そういう実践のフィードバックも入るのですか?
西田 今お話しているのは、あくまでも私個人レベルの活動で得た経験からの話です。
政策形成を活性化させる梁山泊
前田 情報文明論では、21世紀の社会では人々は知的にエンパワーされることになる、と言っています。知的なエンパワーメントという概念の西田さんの翻訳は、国民全員が政策形成に関してノウハウを持つことだ、ということですね。しかもそのノウハウは、テキスト情報だけで教えられるものではなくて、実践において、身体論的にのみ学ぶことができるものですから、西田さんの主張を要約すると、これからは1億人すべてが、小さくてもいいから政策形成に取り組めということになります。(笑)
西田 政策形成に取り組むのは、1億人全部とは言っていません。政策に向く人、向かない人がいます。人には各自の適性と希望があるわけですから、畑を耕すのが得意な人、ワイシャツを作るのが得意な人、政策つくるのが得意な人、さまざまです。得意な人が政策を学んで、自分のフィールドでやる。やるんだったら、思考的な人、動く人など「梁山泊」なチームを組む。ベンチャーも同じですが、梁山泊なメンバーが必要ではないかと思います。コンセプトを考える人とファンディングや経営に取り組む人など、それぞれの能力が必要ですから。
山内 ミニマムの「梁山泊」をつくるとすると、何人くらいが必要でしょうか。それはタイプからいうと、何種類くらいの人でしょうか。
西田 石川好さんがフォーラムに来てくださったときにお聞きしたのですが、銀座のホステスをスカウトする仕事をされていたことがあって、それにはコツがあるそうです。ものすごくかわいい子だけではだめで、かわいい子、気の利く子、愛想のいい子、話題が豊富な子と、異なる個性4人セットだとおっしゃっていました。私も、梁山泊というのは、まったく異なる個性があるからこそ、うまく機能しパワーアップすると思います。そういう異なるセッティングというのが、とても大切だと思います。私が個人的に誇りに思っているのは、構想日本のボードメンバーというのは、非常に梁山泊です。それぞれ得意分野があって、個性的でいらっしゃいます。外から見ると「合うのかな」と思うくらいの異なる個性の分野の人たちが、独自のよさをすばらしく発揮しています。アメリカのトップ企業の外部重役にもそういう要素があると思いますが、営利であろうと非営利であろうと、何か機関を動かしていくには重要な要素だと思います。
山内 自分の現場を持ち、梁山泊をつくって、政策形成という土地を耕せということですね。また、政策形成にも政策以外のことがいろいろ入ってくるが、それも大事だということですか。
西田 そうです。政策だけやりたい、ということではなくてです。以前の仕事で、優秀な、いわゆるデータハンサムな人がいました。「私にアシスタントをつけてください」なんて言ってくるようなピカピカの某一流国立大の大学院卒の方ですが、現場の親方を説得できずになめられて、現場恐怖症になってしまいました。智恵があるということは、現場の人をうまく説得してこちらの意向を受け止めてもらうということだと思います。そこをどう攻略するのか、そこには常に周辺的なことが入ります。智恵も同時に持っていると、自分の立案した政策を通すために世の中に出しやすいし、合意形成を得やすい。
学問の世界であろうと、ものづくりの世界であろうと、想いを形にする、何かをやろうと動き出すときには、ソフトウェア開発以外のこともやらなければなりません。書類づくりや人集めをはじめ、諸々のことが待ち受けている。そういうことをするのがあまり合理的でないからといってアウトソーシングしてしまうよりも、自分でやるほうが世の中の実体がわかったり、いろいろ智恵が出てくることがあります。
たとえば、開業医は、患者を診ているだけではありません。患者や看護婦などへのいろいろな気遣いがあって経営ができるし、経営者がいてもやはり経営だけを専門にやっているわけではなく、個人レベルにおいての社会の付き合いをはじめとして、さまざまなことにかかわらざるを得ない。政策も同じように複合的な視点で見なくては机上論になると思います。
シンプルな制度をクレバーに使う
山内 説得という行為は、自分の生活とは切り離せないということですか? 説得のためには文字だけであってはだめということですね。
西田 いいものをつくっただけではだめでしょう。それを受け手に「なるほど」と言ってもらえるように、共感なり価値を伝えなければなりません。これは、その人に合わせた説明、ケースごとの整合性を、バックデータとしてリサーチしていないとできないことですし、つくった政策が、どう貢献するものであるかということを併せて提示する必要があります。政策の目的と効能が、政策ユーザーにきちんと理解できるものであってほしい。
山内 要するに、説得の体系を持っていなければならないということですか。説得というのは、ある意味では智のゲームです。相手の知識や考え方や世界観の中に入り込んで、それをいくぶんでも変えていこうとする、あるいは向こうはこちらに対して、こちらがいいと思っている世界観を変えていこうとする。両方の作用ですから、知識的な競争というかやり取りというか、知識ゲームですよね。政策形成というのは、そういう知識の競争であるとお考えですか?
西田 そういう面もありますね。と同時に、どれだけ本質的なものであるのかということでもあります。極力シンプルであるほうがいい。制度についても極力、ややこしく複雑でないほうがいい。ただ、それを使える国民でないと、その素晴らしくシンプルな機能を使えない。シンプルなものは、非常に知的レベルが高くないとつくれませんし、一つの法律をクレバーに使える国民でなくてはならないわけです。
前田 重要な示唆です。国民の大多数が政策形成に目覚めると、小さな政府になる可能性があるのでしょうか。それは非常に知識的な社会になりますね。
西田 知識ではなく「智恵」です。知識というのはデータですが、これをどう使えば、どんな効果を出せるかということをシミュレーションできることが智恵です。
山内 国民が政策形成のノウハウを持っていない場合には、国民が遭遇するであろうすべての場合に対処できる膨大な量の法律があらかじめ準備されておくことが必要となります。しかし国民がノウハウを持てば、それぞれの分野に基本法さえあれば、国民はそれを自分の都合のいいように使えるわけだから、基本法だけあればいい。法律の数は非常に少なくてすむ。極言すれば、憲法だけあれば、国民は本当は豊かに暮らせるはずです。
前田 中小企業の振興については、現在では膨大な数の法律があります。それは、今の中小企業の経営者は政策形成の方法を知らないから、確実に自分が支援してもらえると書いてある法律を必要とする。しかし、たとえばの話、基本法に「国は中小企業を支援すべき」とだけ書いておけば、政策形成に取り組む中小企業の経営者は、それを根拠にして、自分を含むある範囲の中小企業に対する優遇税制とか低利融資とかの政策を立案し、実現していけばよいということです。
西田 ところで、美術の世界では、非常にシンプルなものを生み出すということは、次元の高い能力が必要とみなされます。たとえば、黄金分割というのがあって、素晴らしい絵を見ると黄金分割になっている。自然にバランスがとれているか、バランスを考えて描かれている。これは美の世界だけではなく、すべてのものに通じるものだと思います。そういう智恵とは、本質的なもの、根源的なもの、普遍なもの、原理原則というものをどう機能させるかということです。つくるだけではなく機能させる。民度をあげるということは、そういう能力ある人を増やすことだと思います。
山内 前田さん、法律作成のプロとしてどうですか? つまり、いい法律はよりシンプルですか?
前田 そうです。基本法というのはとてもシンプルです。特別法になると、概念の定義に相当の無理が出てきます。
西田 時々お役人は、まるで「過保護のお母さん」のようなお話をされることがある。弱者を救済するためにという前提からだと思いますが、聞いていると、息子の中学の父兄会を思い出します。子どもが成長して自立していくということを手を出さず見守れないから、先回りして、塾にもやって、送り迎えもして、上場会社の面接もついて行く。どんどん親のほうがレールを敷いていくわけです。もちろん話の内容は違いますが、どこかで聞いた話だなという感じになってしまうときがあります。
前田 行政庁の中でも、そこまでやらなくていいのではという意見があります。でも、過保護であることをやめたら、多くの行政庁の政策の存在意義がなくなってしまうのです。
構造改革と知的プロデュース
西田 しかし自分の活躍の場や仕事などを持っているお母さんは忙しく、夫や子どもに過保護になっていられない。自分の場を生かす。省庁の人も、もっと本当の意味での国益にかかわる仕事を充実できるようにすると、それほど民間に介入せず、よりやるべき仕事で各自充足するのではないでしょうか。
前田 具体的には国民国家の固有の権能である防衛や警察、外交などですね。
前田 さて、現在GLOCOMでは、情報社会学という新しい研究分野を発展させようとがんばっています。情報社会学の当面の研究開発として7分野があげられています。文明論、技術論、サイバー政府論、文化論、権利論、経済学、社会的知識の生産論の七つです。今日の対談は、おもにサイバー政府論と情報文化学という二つの分野の参考になればいいなという気持ちで始めたのですが、実際には、技術論を除く全部にとって大変に示唆のあるお話でした。
山内 知識社会、智のゲームとは政策形成にどういう意味を持つのか。政策化というのは智のゲームであるという仮説が提起されました。また政策形成はきわめて知識社会学的な行為である。そこで文明論の局面分析とも関連するでしょう。
前田 国民の大半が、政策形成という知識ゲームに参入する、そのときに初めて日本は、開発主義を超えた、新しい発展の局面に入れるだろう、という展望が開けます。情報社会学の七つの分野は、相互にばらばらなものではなく、連関しあうものであるため、一つの分野を掘り下げると、必ず他の分野に関連します。
西田 プロデュースというのは知のゲームであり、そのすべてを含んでいます。日本の社会で法的なプロデュースができれば、その能力を持った人材は国際社会でも活躍できます。日本人が各国でプロデューサーとして活躍すれば、日本の国益という観点からは、いろいろな人脈や資源を国際的に繋ぎ合わせるネットワークづくりになるわけです。
山内 こうしてみると日本社会の法的なプロデュースというのは、実はとても知的な行為ですね。
西田 そうです。ものづくりなどの産業のコストの問題が出てきて、日本で100円かかるものが中国では10円でできる。日本はどうすればいいのかと言っていますが、これに対処する方法として、一人ひとりのプロデュースの能力を生かすことこそ、日本の資産価値がどんどん生まれることになるのではないでしょうか。
前田 考えてみれば、産業社会という制度も、まずは社会の制度に関する法的プロデュースによって成立したと言えなくはない。ですから、今後情報化社会を構築しようとすれば、まずは情報化社会の制度に関する法的プロデュースをすべきだということです。新しい時代に即応した社会をつくるということは、暴力的な革命を起こすことではなく、法的なプロデュースをすることだ、ということですね。
山内 日本の経済的な構造改革を乗り切るために必要なのは、知的なプロデュースだとも言えます。知識社会というものは、プロデューサーがたくさんいる社会ということですか。そうなれば、自然に日本社会は構造転換もできるし、景気も上向くということですね。本日はどうもありがとうございました。
(2002年2月28日GLOCOMにて収録)