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Center for Global Communications,International University of Japan

智場、GLOCOM Review、コラム…


 

く・も・ん・通・信

  先月のIECPコロキウムでは、警察庁の平野和春参事官から、冷戦後の国際システムとテロリズムについて、とても興味深いお話をうかがうことができました。平野さんは1981年の私のゼミ(国際関係論)の卒業生でもあるのですが、自分で作った見事なパワーポイント資料を使い、首相官邸のホームページに掲載されているさまざまな資料――あらためて、ずいぶん多くの情報が公開されていることに感心しました――を縦横に引用しながらの説明には、霞が関にも新時代を担う官僚が着実に育ってきていることを実感させられました。

 平野さんのお話をうかがって、次のような感想をもちました。

 近年の国際テロリズムの特徴を、テロの主体および対象と、それに対する防御機構という観点からみてみると、それぞれに新しさがみられます。まず主体は、特定の支配領域をもつ“国家”のような組織ではなく、世界に広がる不定形のネットワーク型の組織(たとえばアルカイダ)になってきました。彼らは、日本赤軍が最初に採用した自爆攻撃や、オウム真理教が先鞭をつけたNBC兵器(核・生物・化学兵器)による大量殺戮をためらわないばかりか、特定の国家(たとえばリビア)や組織(たとえばウサマ・ビンラディンの経営する企業体やオウムのような宗教的組織)の傭兵あるいは走狗として活動することも厭いません。他方、攻撃の対象は、特定の個人というよりは、国家(たとえば米国)あるいは文明(たとえば近代文明)そのものになりつつあるようです。だとすれば、それに対する防御機構も、これまでの警察か軍隊かといった二分法は通用しなくなると同時に、一国のレベルを超えた、一個の“グローバルな文明”の中のグローバルな機構を考えざるをえなくなるでしょう。

 さて、冷戦後の国際体系のあり方をめぐる議論には、田中明彦さん(東京大学教授)の“新しい中世”論などさまざまなものがありますが、その中で最近多くの論議を呼んでいるものに、英国のブレア首相のブレーンである古参外交官のロバート・クーパーが提唱している“新帝国主義論”があります。これは、世界を次の三つに分けます。

  1. その中では安全保障を征服と結びつける考え方はもはやなくなり、相互の正直な情報共有や内政干渉をも許容する“ポスト近代圏”(その典型が欧州連合)
  2. マキャベリ的な行動原理に立脚する近代国家の形成過程に、いまようやく入った“近代圏”(その典型が中国、インド、パキスタン)
  3. 国家形成に失敗して、ホッブズ的な万人に対する万人の闘争が進行している“前近代圏”(その典型がソマリアやアフガニスタン)

 そして、欧州のようなポスト近代圏としては、自治能力を失い麻薬生産や組織犯罪、あるいは国際テロの温床となっている近隣の前近代圏をそのままに放置しておくことはできず、ここには欧州内部の行動原理とは異なる介入と支配の原理を別途適用して、その植民地化を行い、統治の安定化を支援すべきではないかというのです。これがクーパーのいう“ポスト近代帝国主義”の理念にほかなりません。他方、もうひとつの脅威の源泉である近代圏に対しては、19世紀と同様の、力の行使や先制攻撃、欺瞞などのような、より荒っぽいやり方に戻らなくてはならないとも述べていますが、その詳細ははっきりしません。

 クーパーの議論は、バルカン半島やアフガニスタンのような欧州に隣接する前近代圏に対する欧州からの介入の論理を解き明かすものです。同時に、そこでは米国と共同歩調をとることをためらわない欧州が、米国のブッシュ大統領のいう“悪の枢軸”諸国に対する先制攻撃の必要性については米国とは異なった立場に立とうとする理由も、なんとなく示唆してくれます。

 問題は日本ですが、クーパーによれば、日本はポスト近代国として孤立しています。その近隣にはポスト近代圏がないのです。しかし、前近代圏もまたありません。つまり日本は、遅れてやってきた近代圏に取り囲まれていることになります。このような見方がどこまで適切なのか、適切とした場合の政策的含意は何かといった問題は、慎重に検討してみる必要があります。

公文俊平

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