GLOCOM - Publication

Center for Global Communications,International University of Japan

智場、GLOCOM Review、コラム…


 

く・も・ん・通・信

 高校時代の同級生で、元NHKアナウンサーのO君の訃報がありました。彼は、腸ガンで余命半年という宣告を受けてから2年間もにわたって、凄まじい気力で闘病生活を続けていましたが、ついに力尽きたのです。

 東中野の早稲田通り沿いにあるお寺で行われた告別式に参列して、強い印象を受けました。百人足らずの参列者とともに行われた式でしたが、法主の読経に始まり、弔辞、弔電披露、全員の焼香、最後のお別れから喪主と葬儀委員長の挨拶、そして出棺の見送りまで、すべてが1時間で滞りなく終わりました。1時間というのは、私の日常の通勤時間にも足りない短い時間なのに、たっぷり半日はかかったと思われたくらい、ゆったりとした、しかも濃密な時間の流れでした。後でこの1時間をふりかえって、「英語でいうexperience(an event or occurrence which leaves an impression on one-CODの説明)とは、こういうことをいうのかな」と思ったことでした。

 式の途中から、私はそれがなんとなく自分自身の身に起こっていることのような感じがしてならなくなりました。涙をぬぐっている遺族の方々が、私の家族のように見えてきました。お棺に横たわっている安らかな死に顔のO君が、私自身に見えてきました。しかもその全体を、空中に浮遊している私(の魂?)が見おろしているのです。それはデジャヴュ(既視感)の逆で、なんと言えばいいか、ともかく何年か後の自分に起こっていることを先取りして眺めているかのような、なんとも不思議な感覚でした。

 そしてそれと同時に、私は、ある種のカタルシスを経験したとでもいえばいいのでしょうか、友人の葬儀に参列しているなかで、自分もまた絶対に逃れることのできないさだめというか理を、まるで直接感覚を通じてであるかのように自覚させられて、ふと日常生活の迷妄から覚めたということなのでしょうか、ともかく、ほんの一瞬のことではありましたが、煩悩やしがらみ、あるいは心残りといった私の雑念のすべてを、O君の霊がいっしょに幽冥界に連れ去っていってくれた思いがしたのです。

 帰宅して数日後、天外伺郎(土井利忠ソニー常務)さんから、新著『深美意識の時代へ』(講談社)をご恵贈いただきました。さっそく繙いてみると、それは私のいう近代文明の次の文明としての“智識文明”のあり方や、それにいたる途について述べた本だと考えられ、とても愉しく一気に読んでしまいました。そこには「身体とは別に存在する魂という概念自体がケンタウロス[実存的意識]のレベルに達していない人の錯覚なのだ」(135ページ)という指摘があって恥ずかしい思いもさせられましたが、ともかく学ぶことの多い書物だと感激しました。とりわけ、日本国憲法の思想が「アフリカから朝鮮半島に移動し、さらにベーリング海峡を通ってアメリカ大陸にわたり、1万年にわたって放浪した後、五大湖のほとりに定住して“偉大なる平和の法”を生み出したイロコイ族の思想の流れを汲んでいる」という話には、すっかり驚いてしまうと同時に、これからの情報社会で日本が果たすことのできる役割について、新しい希望を与えられました。しかし、なによりも“縁”の働きを意識させられたのは、巻末にあった、「よりよい死を希望する人たちのゆるやかなネットワーク」である“マハーサマーディ研究会”の紹介に出会ったことです。私は、この研究会に強い関心をもち、参加してみたいと思ったのですが、数日前のO君の告別式での experience がなければ、「へえ、そんな研究会まで天外さんは主宰しておられるのか」と感心した程度ですんでいたのかもしれません。

 あらためてこの誌上を借りて、著者の天外さんにこんなすばらしい本をお送りくださったことへのお礼を申し上げるとともに、マハーサマーディ研究会への参加をお許しいただきたいと思います。

公文俊平

[ Publications TOP ]