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国連における「国家と智業」の協働

公文俊平(GLOCOM所長)

国際社会の“威のゲーム”の推移と国連の登場

 18世紀後半から19世紀にかけての国際社会では、近代化の第一局面にあたる“国家化”の過程が、成熟局面に入っていた。同時に、主権国家をプレーヤーとし、それ自体は非主体型の社会システムというべき“国際社会”を場として行われる“威のゲーム”(国威の増進・発揚競争)も、相対的にもっとも強大な英国が、“覇権国”(つまりゲームに勝ち抜いて独占的プレーヤーとなる国)の出現を許さない“勢力均衡”戦略を意図的に採用したことで、一種の“規制された競争”として完成し、“百年の平和”が実現した。それは同時に、相対的に少数の西欧列強による世界の寡占的な分割支配の成立でもあった。

 だが、国家化の過程自体は、19世紀後半から20世紀にかけても、ドイツや日本、ソ連や中国のようなヨーロッパやアジアの後発国の開発主義・社会主義的な主権国家化の形をとって、依然として続いていた。20世紀国際社会の特徴は、後発の“持たざる国”が、先発の“持てる国”の寡占的支配体制に反発して、世界秩序の再編成(領土や植民地の再配分や、より後発諸国の主権国家化支援)をめざしたところにあった。

 その一つの頂点となった第二次世界大戦は、枢軸国対連合国の戦争という形で戦われた。ただし、相対的にさらに後発国だったソ連や中華民国は、枢軸国の侵略対象とされたこともあり、先発国陣営と連合する道を選んだ。

 第二次大戦は、枢軸国の世界制覇の野心を粉砕すると同時に、先発寡占諸国による植民地支配体制をも終焉に向かわせ、新たに多数の主権国家、ないし主権国家形成をめざす政治勢力を誕生させるという両義的なものとなった。

 第二次大戦の後、「すべての平和愛好国の主権平等」をうたい文句として成立した国際連合は、当初、その加盟国を旧連合国に限っていた。したがって、その基本的性格は、外部の旧敵国による世界秩序の再攪乱を封じ込めるための集団的安全保障組織であった。ということは、加盟国自体の間に、とりわけ拒否権をもつ安全保障理事会の常任理事国の間に、平和を攪乱する勢力が現れると、国連の機構全体が機能不全に陥ることを意味していた。事実、有力な後発国の一つであったソ連が、米国に対抗して独自の世界秩序構想の実現をめざすようになると、国連の機能はソ連の拒否権乱発によってマヒ状態に陥り、国際社会は“冷戦体制”に入ってしまった。その結果、第三次世界大戦の勃発は“核抑止力”によってのみ、かろうじてくい止められた。

 その後、とくに1950年代の後半から1960年代にかけて、新たに国家形成した第三世界の“途上国”が多数加盟すると、国連、とりわけその総会の議決は、それぞれが平等な一票をもちつつ全体としては3分の2を超える票数をもつ途上国の意向に左右されるようになって、米国の影響力は後退し、米国による総会の議決無視や、安保理事会での拒否権発動がめだつようになった。

 国連の集団安保機能も、冷戦体制の中では、憲章第六章にもとづく“平和創造”も、第七章に基づく“平和強制”も共に機能しえず、結局、憲章には明確な規定のない“平和維持”活動に限定されるようになった。冷戦の終焉とともに、国連のガリ事務総長(当時)は、いよいよ本来の国連軍の下での平和の強制が可能になったと考えたが、ソマリアでの失敗でその期待は水泡に帰した。冷戦の終焉は、第三世界内部での対立を表面化させ激化させる結果をもたらしたのである。

 その一方で、平和維持に限らずそれ以外の各種の国連機能においても、主権国家とは異なるNGOやNPOの果たす役割がますます大きくなってきている。

国民国家化の現状と智業の展開

 ここであらためて、20世紀の後半以来の国際社会に見られる、四つの主要な傾向について考えてみよう。

 第一に、後発国の主権国家化がますます広汎に進むなかで、それに相対的に成功した諸国(中国と韓国、インドとパキスタン、イランとイラク等)が、国際社会での発言力を強めたり、既存の世界秩序の変更を企てたりする傾向は、これまでと変わりなく続いている。これらの諸国は、主権国家化の中で、軍備拡大に走り、周辺の諸地域や諸国を自国の影響・支配下に置いたり、相互の紛争を激化させたりしている。その中から、核戦争も辞さずに米国やEUに正面対決を挑む勢力が出現してくることはさすがに考えにくいが、戦術核の使用まで含む相互の戦争(インドとパキスタン)や、国際社会での自らの意思の一方的貫徹(中国による安保理事会での拒否権発動を通じた)などの試みは十分ありえよう。現在の国連は、この種の問題への対処能力をもっていない。

 第二は、国内統治の面では主権国家としての実をあげていても、国際社会では他国に対して国家主権を行使するだけの軍事力も経済力ももてず、むしろテロリストなどと連携した“ならずもの国家”として、国際社会の秩序攪乱要因となる国家群(シリアやリビア、朝鮮等)の出現である。現在の国連は、これらの諸国の行動をコントロールすることもできない。

 第三は、形の上では主権国家の体裁をとっていても国内統治もできない国(カンボジアやウガンダ、ソマリア)において、あるいはもとの多民族国家が崩壊した後や既存の多民族国家の内部で民族間の紛争が続いている地域(コソボや東チモール)において、必要とされる紛争処理や平和維持である。この分野であれば、現在の国連でもかなりの役割を果たすことができるだろう。

 要するに、国連のような組織は、国家間の紛争、とりわけ自らの加盟国(それも有力な加盟国)が一方の当事者となっている紛争の処理には事実上無力であって、それには有力な国家、あるいは複数の国家の連携による軍事・政治力の発動(帝国主義?)を待つしかない。

 以上に加えて、20世紀後半以来の世界に見られるもう一つの重要な変化として、“情報化”と総称することが適切な、近代化の第三局面への移行をあげなくてはならない。近代化の第一局面(国家化)が軍事力の集中的増進と“近代主権国家”(国家)の台頭をもたらし、第二局面(産業化)が経済力の集中的増進と“近代産業企業”(企業)の台頭をもたらしたとすれば、第三局面は知力の集中的増進と“近代情報智業”(智業)の台頭をもたらす。ただし、一般には情報化局面で出現してくる国家とも企業とも異なる組織のことは、NGOやNPOと呼ばれているが、これらの名称は新組織が積極的に何であるのかを言い表していない。そこで最近ではそれらに代わって CSO(Civil Society Organizations)という名称が普及しつつあるが、Civil Society とは何であり、近代社会の中でどのような位置を占めているかは、必ずしも明らかでない。

 近代社会の特徴は、そこに形成される組織が特定の一般的な手段の入手と行使を主目的としている点にある。国家は国威(脅迫力)の増進と発揚のための組織であり、企業は富(取引力)の蓄積と誇示のための組織である。同様に、智業は、智(説得力)の獲得と行使のための組織として形成され活動する。営利を目標とする企業が、特定の財やサービスの生産と販売を通じてその目的を実現するように、増智を目的とする智業は、特定の価値・理念(環境保全や人権擁護のような)をかかげて人々を説得し、その追求に向かわせるなかで、自らの説得力の増大をめざして互いに競うのである。

 おそらくこれからの国連は、情報社会化が進むなかで、国家と智業の協働をめざす機関、諸国家の支援のもとに多種多様な智業が活躍するためのプラットフォームを提供する機関として、再編成されていくのではないだろうか。

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