国連平和維持活動とラジオUNTAC
山内康英(GLOCOM主幹研究員)
「心理戦」の手段として、あるいはインターネットを通じたマイノリティ音楽の放送の手段として、ラジオは依然として重要な地位を占めています。たとえば、これまで戦時下では、ラジオを通じた対敵宣伝放送が盛んに行われてきました。対敵宣伝放送は、人気番組に登場する女性アナウンサーの名前と結びつけて記憶された例が多くあります。たとえば「東京ローズ」「アクシス・サリー」「ハノイ・ハンナ」などの名前が思い浮かぶでしょう。ポピュラーな音楽にのせて相手国の兵士の志気を挫くような「心理戦争」の一環として、交戦国はこのような放送を実施するわけです。
類似の活動ではありますが、必ずしも戦時の活動ではない国際ラジオ放送として、対象国の社会に直接働きかけることで政治的変化を起こすという企図をもった「非公然ラジオ放送局(clandestine radio station)」も数多く存在しています。「Radio Free Europe」は、自由主義陣営の報道を「鉄のカーテン」の反対側に住む人々に送るためにミュンヘンに設置された放送局で、1970年代以降は米国情報庁(U.S. Information Agency)が主に資金を提供していました。湾岸戦争の後、米国はイラクの世論や少数民族を対象にした越境ラジオ放送を続けています。
インターネットが普及し、グローバルなコンピュータネットワークの上でラジオ放送と通信が融合するにつれて、電波の出力によるラジオ放送の距離の限界は、なくなりつつあります。既述の「Radio Free Europe」はプラハに拠点を移し、短波、中波に加えてインターネット放送局<http://reports.rferl.org/>を設置して、旧東欧圏、中央アジア中近東に番組を放送しています。
これとは別に、国内の政治集団が自国のローカルな政治秩序を攪乱する手段として、ラジオ放送を利用する例があります。1994年のルワンダ内戦の際に、「千の丘放送局」がフツ族とツチ族の民族対立を煽った例は有名です。また、あまり知られていませんが、中波AMラジオ放送が国際連合の暫定統治機構と協力して、国民投票を通じて軍事政権から議会制民主主義に社会が変化する過程を支援した例があります。それが今回ご紹介する「ラジオUNTAC」です。
国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)
1992年3月から1993年9月にかけて行われた国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)は、大きな成功を収めたPKO(国連平和維持活動)の事例です*1。1993年5月に行われた国民選挙では、登録有権者の89.56%という投票率や、13年間政権の座にあったプノンペン政権が、僅差とはいえ、野党FUNCINPEC(United Front for an Independent, Neutral, Peaceful and Cooperative Cambodia)に破れる、などといった選挙結果が残っています。
UNTACは、国民選挙に際して、放送メディアを積極的に利用したことで知られています。たとえば選挙に先立って、UNTACは約20トンの携帯ラジオを諸外国から集めて無料で配布したといわれています。もっともプノンペンの市場には中国製の携帯ラジオが出回っており、7ドルで購入することができました。UNTACは放送用機材を持ち込んで、自前の放送局「ラジオUNTAC」と、その地方ネットワークを運営し、選挙活動期間の前後からUNTACの撤収まで、カンボジア全土にラジオ放送を行いました。UNTACの選挙部門を統括したレジナルド・オースティン部長は、インタビューに応えて「カンボジアの国民選挙はラジオ放送に支えられた」と述べています。
ラジオUNTACの活動
1993年4月7日から5月19日にかけて行われた選挙活動期間に、ラジオUNTACは、(a) 選挙に関連するプログラムを連日放送し、(b) 各政党に政見放送の時間枠を割り当て、(c) 不当に中傷された政党が反論する際の便宜を供与していました。選挙期間中に放送された内容の一例を当時の資料から再現すると、次のようになります。
A:5月23日から28日に行われる選挙は、この国の将来の政治的あり方を決めるものなんだ。もっと詳しく言えば、これは制憲議会の選挙なんだが、この議会の議席を獲得した政党は、カンボジアの政治制度を決めることになる。
B:なるほど、つまり制憲議会の議席の配分を獲得した政党は、この機関に代表を送ることになるわけだね。制憲議会の議席は120あるから、全国から120人の代表が選ばれるわけだ。
A:その通りだ。各地方の代表数は、その州の登録投票者数にしたがって決められている。
(以下略)
また、選挙終了後のプログラムのトピックスの例を挙げれば、以下のようなものでした。
UNTACスポークスマンのブリーフィング/明石特別代表の声明、UNTAC各部門からのお知らせ、カンボジア政治指導者の発言についてのレポート/国連事務総長の進捗報告、安全保障理事会決議、関連国コア・グループ会合からの報道/選挙期間中および選挙後のUNTACの中立性についての特集とドラマ/制憲議会の機能/憲法の諸原則、各国の憲法制度/民主主義社会で選挙に破れた政党の役割(インタビュー・シリーズ)/人権/ベトナム-カンボジア国境の現状(東部地方からのレポート)/帰国避難民のレポート/UNTAC各部門の活動(インタビュー)/各国大使のインタビュー(平和プロセス、国際支援、カンボジアとの二国間関係について)/基礎的経済問題と対カンボジア国際支援についての教育番組/国連機関とNGOの活動/地雷に注意を喚起するドラマ/女性、青少年および宗教問題についてのインタビューとレポート(和平プロセス、国家的和解および民主主義に焦点)、平和と国家的統合のための祈祷/『今日のゲスト』(和平プロセス、経済的再建、国連およびNGOの活動、文化、教育に焦点を当て、さまざまな人生経験を持つカンボジア人、外国人のインタビューに基づく特集)/『リスナーからの手紙』(毎日の手紙は1,000通以上)/毎朝1時間の音楽番組『ライブ・フォーン・コールズ』(合計40曲のリクエスト受付)/週間特集番組『健康と栄養の時間』/カンボジアの経済、文化、女性問題などを扱うレギュラー番組/UNTACに参加する国々の文化と伝統についてのシリーズ番組/カンボジアに関する各国報道の紹介
「良き音曲は常に弱者と共にあり」と言いますが、ラジオUNTACが放送していた音楽は、どれも明るく元気の出るものでした。また、人心の統合はナショナリズムにありますが、番組の中には以下のような愛国的な詩や唄の朗読が含まれていました(訳は大意)。
クメールの人々の苦難の道は長い。
クメールの土の赤い色は人々の血の色である。
我々の苦しみは雲と風しか知らない。
雲と風は流れてしまって戻らない。
しかしクメールの幾千の河と水田の美しさと椰子の木の影は
試練の後にも変わらなかった。
クメールは流れる水とともに生きてきた人々である。
今は怨恨をメコンの流れに流して
和解の道を歩もう。
ウンタ、クメール万歳
It was a long suffering road, which Khmer people walked upon,
Red soil of the land reflects the color of our blood.
We suffered, but cloud and wind knew how we suffered,
Which passed by never to return.
Unchanged is the beauty, thousands of rivers and fields bear
after these days of trial, and the silhouette of palm trees.
Khmer are the people, who lived with flow water.
Let old feud shed into the River Mekong and choose
the road of new reconciliation
and good integration.
Cheers for Khmer people and the UNTAC.
メディアの教育
選挙当時、カンボジアには、定期・不定期をあわせて約30種類の印刷メディア(新聞、パンフレット)と、地方局を含めて約7局のテレビとラジオがありましたが、このようなメディアの大部分は、政党と強くつながっていました。放送メディアについていえば、93年5月から放送を始めた独立系テレビ局を除いて、プノンペン政府、クメール・ルージュおよびFUNCINPECが、情報宣伝の一環として番組作成を行っており、放送内容には、それぞれの強い党派色が表れていました。とりわけプノンペン政権は、マスメディアを支配することによって、国民選挙を目標とする情報操作を行っていたのです。判断の基準となる情報を欠いた社会状況の常態として、噂話や流言が市民の行動を左右する傾向が見られました。
UNTACの活動を特徴づけたのは、選挙活動に合わせてラジオ局を設置し、独自の立場からカンボジア全国に放送を行っただけでなく、『メディア・ガイドライン』を設定して、報道の内容に一定の統制を行ったことです。『メディア・ガイドライン』は、第一に、「自由かつ民主主義的な報道」を、「言論、出版、放送、パッケージ・メディアの制作が自由であり、また検閲を受けないこと」と定義し、第二に、「誹謗中傷あるいは戦争を誘発するようなプロパガンダ、および国家的、民族的、宗教的敵意を喚起し、敵対行為あるいは暴力を唱導する不正なメディアの利用」を防止・矯正し、処罰するとの方針を述べていました。また『メディア・ガイドライン』は、カンボジアの各報道機関に、バランスの取れた報道をするように強く求めるとともに、立候補した各政党に対しては「メディアへの公正なアクセス」を保証していました。このようなUNTACの強力な活動が可能だったのは、外務、国防、財務、公安情報などの行政機関をUNTACの直接の管理下に置くことが、UNTACの活動の根拠となったパリ協定で定まっており、カンボジアの諸党派は、これに合意していたからに他なりません。
以上のUNTACの活動を所轄していたのは、情報/教育部門の統制部局(The Control Unit of the Information/Education Division)です。統制部局は『メディア・ガイドライン』を起草すると同時に、モニタリング・チームを組織して、各政党の出版物と放送を検査・評価していました。また1992年3月に「メディア・ワーキンググループ」を組織し、各政党の情報担当者が、UNTACの部員と共に会合を開いて意見交換を行う仕組みを作っていました。統制部局はまた、「カンボジア報道協会(CAMA: Cambodia Media Association)」を設立して、現地の編集者やレポーターがUNTACや国際プレスと交流する場を作りました。さらに、選挙終了後には「自由メディア移行支援チーム」を設置して、カンボジアのジャーナリズムが、プロフェッショナルな立場から中立・公正な報道を行うような社会環境を醸成するための支援活動を行いました。
情報/教育部門の部長は米国人のティモシー・カーニー氏、副部長はロシア人のバレンティン・シビリドフ氏が務めていました。とくにシビリドフ氏は、旧ソ連時代からインドシナ半島各国で外交を担当した経歴が長く、インタビューに答えて「政治におけるグラスノスチの重要性」を強調していました。このようにUNTACの情報活動は、米・ロの専門家が協力して担当していたことになります。
平和維持活動とメディア
国連の平和維持活動を成功させるためには、その活動を評価する広範な社会的支持層を作り出さなければなりません。情報や経済活動の流入が受け入れ国の社会を民主主義的でより国際環境に開かれたものにし、国連の活動がその流れを強化するという相乗作用が生じたときに、すなわち、国連の平和維持活動が、市民の参加を集めながら社会の望ましい潮流を作り出す触媒として働き始めたときに、それは単独で持つ力の何倍もの社会の動きを作り出すことになります。言い換えれば、たとえ国連平和維持活動の作り出す社会的な作用はわずかであっても、この社会の動きは、より多くの人々を巻き込むことによって、さらに大きな社会の変化の流れを作り出します。このような社会運動の「場」に人々の参加を求めることによって、その変化の動きを拡大し、より多くの人々の参加を促すことが、逆に社会運動の「場」をより実体的なものにしていく、このような一種のシナジェティックな働きにとって広く視聴者を集めるラジオ放送は、強力な「情報の場」としての役割を果たします。つまり、トランジスタラジオを通じて「想像の共同体」としての国民国家を擬似的に再建する現場に、UNTACは立ち会ったというわけです。
国連の平和維持活動が、このような望ましい正のフィードバック効果を作り出すためには、PKOを行う側の多岐にわたる、かつ同調の取れた微妙な取り組みが必要です(その一つひとつの取り組みの効果を測定することは難しいかもしれませんが…)。ラジオUNTACは、その放送プログラムの中に「UNTAC」および「クメール」という言葉を散りばめていました。この二つの言葉を強調する理由として、「UNTACは国際社会を象徴し、クメールとはカンボジアのナショナリズムを強調するもの」であり、「一方で、健全なナショナリズムの育成によってカンボジアの統合を維持すること、他方で、カンボジア情勢が国際社会の監視の下にあるという圧力を意図している」という番組ディレクターの説明を聞くことができました*2。カンボジアにおける国連のメディア利用の中に、このような注意深い取り組みがあったのは事実です。
国連の平和維持活動とは微妙な外交的綱渡りであり、UNTACのメディアが必ずしも根本的な社会的和解を作り出したわけではありません。しかし短期的に見れば、放送メディアの利用は、ある種の政治的潮流を作り出す際に大きな役割を果たす場合があります。ラジオUNTACは、広範なリスナーの信頼を獲得し、既存の政治組織が利用しようとした心理的呪縛から、人々を解放するプロセスで一定の役割を担ったと考えることができるでしょう。
(本稿は、総合研究開発機構『NIRA政策研究』平成8年12月号に掲載された記事を元に加筆修正したものです。)
*1 山内康英「カンボジア1年─日本はUNTACから何を学ぶか」『中央公論』1994年8月号。
*2 なお、カンボジア人であるこの番組ディレクターは、1970年代に米国に移住し、カリフォルニアのラジオ局で番組編集を担当していましたが、その経験を自国社会に生かすべくUNTACの活動に参加したということでした。