GLOCOM - Publication

Center for Global Communications,International University of Japan

智場、GLOCOM Review、コラム…


 

空気、水、通信

(東洋大学経済学部教授/GLOCOM特別研究員)

 通信への需要が著しく増大している。その大半はデータ通信の需要である。アメリカでは1997年ごろに、日本でも2000年ごろにデータ通信の通信量が音声通信のそれを上回り、これからも指数関数的に増加していくと考えられている。

 確かに、われわれはますますインターネットに依存するようになっている。インターネットを利用した電子メールの送受信、ウェブサイトの閲覧、情報の検索などに加えて、音声ファイルの交換や映像ストリーミングなどの形で、データ通信を利用する機会が増加している。電子商取引の市場もB to B(企業間取引)市場から立ち上がり、B to C(消費者向け取引)市場も成長を始めた。

 1990年代の後半、アメリカでは多くの電気通信事業者が設備の増強に動いた。爆発するデータ通信を呼び込むことによって、事業を成長させ、利益を得ようと考えたのである。ビジネス・チャンスが来たと思ったのである。同時期に、光通信では、WDM(波長多重伝送方式)の研究開発が進展した。2000年ごろには光ファイバ一本でテラビット/秒、すなわちメガビット/秒の通信を同時に百万件も伝送できるようになった。各社は、このWDMの採用を急ぎ、通信容量を拡大させたのである。

 しかし、FCC(連邦通信委員会)のデータによれば、アメリカで家計に占める通信費の支出割合は、1991年から1999年までほぼ一定で、%から%のレベルを保っている。通信量は爆発的に増加したのに、支出割合が増えないというのはどうしてだろう。

 それは、通信の単価が急激に低下したからに他ならない。通信への支出額は、通信量×単価で計算できる。通信量が増加した分だけ単価が切り下がれば、その積は一定になるというわけだ。

 アメリカでは、家庭からインターネットに接続するのに、モデムによるダイアルアップが最も多く利用されている。接続先は、市内にあるインターネット・サービス・プロバイダの接続点である。利用者は市内通話料金を支払うことになるが、アメリカでは市内通話は定額料金だから、どんなに利用しても月々の支出は一定のままである。つまり、インターネットを利用すればするほど、通信の単価は相対的に低下するという勘定になっている。

 日本ではDSL(デジタル加入者線)の普及が2001年になって急速に進み、2002年5月末には300万加入者を超えたという。対して、アメリカでの普及率はこれより低いという。その理由は、日本では市内通話料金が従量制なので定額制をうたうDSLが魅力的だったのに対し、もともと市内通話料金が定額制のアメリカでは、特別の事情がない限りDSLを求める消費者が少ないためであると説明されている。

 このように通信への支出が増えなかった結果、アメリカの電気通信事業者の事業収入は、予測ほど伸びなかった。そして、彼らの経営状況は悪化したのである。電気通信事業者は設備投資への意欲を喪失し、その結果、電気通信機器メーカーの業績も悪化した。こうして、アメリカでは「電気通信のバブル」が崩壊したのである。

 本稿の読者は、誰もが電気通信事業者の見込みは甘すぎたと思うことだろう。しかし、世の中には、このような「取らぬ狸の皮算用」話があふれている。

 第三世代移動通信サービスの周波数免許について2001年にオークションが実施されたとき、イギリスでは落札総額が225億ポンドに、ドイツでは988億マルクに、すなわち日本円に換算して5兆円ないし6兆円にも達した。それは、このサービスの普及で膨大な利益が得られると見込んで、移動通信事業者が入札した結果である。しかし、これも実現の可能性は低い。第三世代サービスの「売り」は高速データ通信であるが、その速度が十倍になっても、十倍の使用料を消費者が支払うとは考えられないからである。

 消費者は、衣食住への出費との相対的な価値を考えながら、通信費を支出する。日本では、携帯電話料金を支払うために大学生が昼食を生協食堂より安いコンビニ弁当に切り替えているという記事が新聞に掲載されたことがあったが、そのような大学生でも、高速データ通信に十倍の料金を支払うだろうか。実際、情報通信白書に掲載されたアンケート結果によると、消費者はキロビット/秒のモデム通信に支払う使用料のおよそ倍しか、100メガビット/秒の光通信に支払わないと答えたという。すなわち、速度当たりの単価で計算すると、100メガビット/秒の方は1─しか値が付けられていないということになる。

 需要サイドには、通信速度が上がっても支出を増やそうという意思はない。むしろ、水や空気のように通信を自由に、かつ実質的には無料で利用したいと考えているのである。情報社会とは、そのような社会である。「シャワーを出し放しにするな」と親が子供をしかることがある。しかし、子供は出し放しを止めることはない。それは、いちいち止めることで温度が変化するのは不便であるし、いずれにしろ「水道はただ(同然)」と子供たちが考えているからに他ならない。この水やもともと無料の空気のように、通信も利用したいと人々は考えはじめたのである。しかし、水道局が大もうけをすることがないように、電気通信事業者が莫大な利益を上げる社会は来ない。利用者が自由に、ただ同然で通信資源を活用して、そこから産業や文化を発展させていくのが「情報社会」なのである。

 このような社会の入り口にわれわれは立っている。そして、実質的に無料で通信が利用できる状況になりつつある。ところが、自らの意思ではなく、環境的な事情によってその状況に乗り遅れる人々が生まれつつある。それがデジタル・デバイドである。

 デジタル・デバイドには、先進国と発展途上国の格差と、高齢者・障害者による情報へのアクセスという二つの問題がある。GLOCOMでは、この二つの問題の解決に取り組んでいる。前者にはG8諸国が共同して進めているドット・フォース・プロジェクトがあり、GLOCOMは公文所長を筆頭にこのプロジェクトに参画している。後者に関連するのが、情報通信機器・サービスに対する高齢者・障害者のアクセシビリティ基準をJIS規格として作成しようという活動であって、筆者は現在、その委員会の委員長を務めている。今年1年間は、この活動に力を入れていきたいと考えている。

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