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Center for Global Communications,International University of Japan

智場、GLOCOM Review、コラム…


 

く・も・ん・通・信

 9月のはじめ、別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)で社会システム論の集中講義をしてきました。昨年に続いて2度目です。月曜日から金曜日までの一週間に、95分授業を一日3回、合計15回行います(そのうちの2回は、試験です)。講義は日本語で行いますが、受講生は日本人だけとは限りません。

 昨年の受講生は84人でしたが、今年は35人と半分以下になっていました。昨年数人いた韓国人学生は、今年はゼロでしたが、逆に昨年ほとんどいなかった中国人学生が、今年は6人(うちひとりは台湾から)もいたのが目立ちました。その何人かは電子辞書をもっていて、講義を聞きながらときどき辞書を引いていました。なかなかりっぱな日本語で質問もしてくれました。

 一夜、坂本和一学長の主催で、大学当局と非常勤講師との懇親会を開いていただいた機会に、「今年は中国人学生が多い一方、韓国人学生の姿が見えないのですが、何か理由があるのでしょうか」とお尋ねしてみると、たしかに、中国からの留学生は急増しているというお答えをいただきました。また、韓国人学生のネットワークでは活発な情報交換が行われていて、難しいと評判のたった科目は敬遠する傾向があるようだと教えていただきました。懇親会に出席しておられたもうひとりの先生のクラスも、今年は韓国人学生の姿が見えなくなっていたそうで、「やはり話が難しすぎたのでしょうな」と笑い声があがりました。なお、韓国(の初中等教育?)では、授業中に質問するのはとても失礼なことだとみなされていて、質問すると叱られることもあるそうです。

 そこであらためて思ったのですが、さまざまな文化的背景をもつ国々から、日本語の理解能力もさまざまな学生たちが集まって、一週間という短期間で、これまで聞いたこともなかったような学問分野について一通りの知識を身につけるのは、想像を絶するほど難しいことではないでしょうか。少なくとも、教える側がそうした事情を十分に承知していて、効果的な授業を進めるための工夫をこらし、技能を磨いていないことには話にならないでしょう。そうしたことも念頭においてでしょうが、APUとしては、学生による授業の評価システムを採用している一方で、評価の低い教員に対しては、授業の仕方を改善するための支援を大学側が積極的に行うよう努めているのだそうです。評価の低いものは去れというだけでは、教員の市場が発達していない日本のような国では教員の士気を下げるだけの結果に終わってしまうだろうと言われ、なるほどと感じ入りました。

 それにしても一週間で一学期分をこなす集中講義は、受講する学生たちにとってもさぞかしたいへんでしょうが、教える側にとっても、とりわけ私のような老骨にとっては、文字通り身にこたえます。一日300分近い授業を立ちっぱなし、しゃべりっぱなしですませて宿舎に帰ってくると、脚はぱんぱんに張っています。とりあえず温泉に飛び込んで筋肉をほぐした後、湯上がりのビールを一杯やりながらぼんやりと時間をすごすのは悪くないのですが、それから明日の授業の準備をしたりほかの仕事をこなしたりするだけの体力・気力は、もうほとんど残っていません。

 しかし、若い先生方もたくさんいる若い大学としてのAPUは、順調に発展しています。来年は開学3年目ですが、文科省の制度が変わって必要な単位を良い成績で履修すれば3年で卒業できるようになったために、もう今年は、数人の外国人学生を含む30人ほどの第一回卒業生を出せることになり、その多くは大学院への進学を希望しているそうです。APUの大学院は、最初の卒業生を待って開設するという、いわゆる“学年進行”のシステムを採らず、早くから開設してあったおかげで、1年早く卒業するようになった学生たちを問題なく受け入れることができます。

 その種の心強い話もいろいろとうかがえたのですが、それ以外にもとても興味深かったのは、アジアからの留学生のほとんどには、日本人の学生の場合のような“就職”問題がもともとないという話でした。つまり現状では、留学生たちはそれぞれの国々の上流階級の出身者であることが普通なので、将来は約束されています。ですから、卒業後の身の振り方を自分で心配しなくてもいいというわけです。これは、留学生の就職の世話に大きなエネルギーを割かなくてはならないだろうと予想していた大学当局の誤算だったのだそうです。

 というわけで、教えに行ったはずの私の方が、いろんな新しいことを学んで帰ってくることができました。ありがたいことです。

公文俊平

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