地上波デジタル放送への国費投入に反対する
山田 肇(東洋大学経済学部教授/GLOCOM特別研究員)
石橋 啓一郎(GLOCOM研究員)
石橋 現在 、総務省などにより地上波デジタル放送への移行が推進されており、2011年までにデジタル放送へ完全移行し、アナログ放送を終了することが計画されています。本日はGLOCOMの山田肇特別研究員をお招きして、先日「通信と放送研究会」が発表した「地上波デジタル放送への国費投入に反対する」という声明についておうかがいしたいと思います。まず、この声明がどのようなものだったのかお話しいただきたいと思います。
山田 声明の代表は経済産業研究所の池田信夫上席研究員と東京大学の奥野正寛教授で、GLOCOMからは、公文俊平所長と私も連名になっています。
この声明の中身は、「地上波デジタル放送を推進していくためには、アナアナ変換ということをする必要があるが、それを全額国費で負担をするという方針については、反対を表明する」というものです。
今日はその声明の中身について少しお話しするとともに、そもそも地上波デジタル放送が計画として推進していく価値のあるものかということについて話したいと思います。
石橋 アナアナ変換とはなんでしょうか?
山田 今、VHFとUHF帯のさまざまなチャネル(周波数)でテレビ放送が行われています。デジタル化に伴って、この帯域に空きチャネルをまとまった形で作るために、既存の放送を別のチャネルに移す作業を行うことになりました。UHF帯の既存放送を別のUHF帯に、チャネルを変更するという作業を行うことをアナアナ変換(アナログからアナログへの変換)といいます。
アナアナ変換をするのは、最終的に地上波デジタル放送を行うときのチャネルを、全国で統一するためです。こうすれば、今までのテレビ放送用チャネルのほとんどが使われなくなり、これを他の無線用途に活用しようというのが全体の構想です。
石橋 研究会が、地上波デジタル放送への国費投入に反対する理由を教えてください。
山田 総務省は、地上波デジタル放送開始に1,800億円を投入するという計画を発表しています。「通信と放送研究会」が反対したのには、いくつかの理由があります。
一つは税金投入の妥当性の問題です。アナアナ変換を行うためには放送局の無線設備を交換し、受信側の個々のテレビの設定を変更することが必要で、それに1,800億円が必要だということです。これに国費を投入する、すなわち放送事業者に対して税金を投入するという話になっています。
日本にはさまざまな産業がある中で、特に放送業界だけを選択して、そこにだけ1,800億円というような高額な税金を投入することは、社会的に公正なことではないと思います。
無線通信設備に関して周波数変換を行う、あるいはその前段として無線局免許を停止するという場合には、無線通信設備の残存簿価だけを補償するという方針を、総務省自身がすでに打ち出しています。1,800億円という額は残存簿価を超え、設備の更新費までもまかなうものです。研究会では、これは不当な支出だと考えています。
第二に財源の正当性の問題があります。この1,800億円の財源は、主に携帯電話の事業者が支払う電波使用料でまかなわれることになっています。しかし、アナアナ変換のために放送事業者が新しい放送設備を用意するための費用を、携帯事業者がまかなうというのは、正当性がありません。
そもそも電波使用料は、一人ひとりの利用者が負担したものです。あなたが携帯電話について支払った使用料が、いつのまにか放送事業者に渡されるという事態を静観してよいのでしょうか。
その他さまざまな理由があり、この声明では計画に反対しています。
石橋 総務省はなぜ、地上波デジタル放送を推進しようとしているのでしょうか?
山田 総務省が、地上波テレビのデジタル化でテレビがどう変わり、私たち視聴者にとってどんな利益があると説明しているかというと、総務省のホームページによれば、次のような利益があるということになっています。
第一に、クリアな画像と音声を楽しむことができる。ハイビジョンクラスのテレビ放送が可能になるということです。それから第二に、欲しい情報を簡単に入手することができる。第三に、放送番組に参加することができる。第四に、見たい番組を簡単に選ぶことができる。さらに五番目として、お年寄りや耳や目が不自由な利用者に対してやさしい放送をすることができる。これらのことが、総務省がデジタル化を推進する理由になっています。
これらの五つの理由について、本当にそうなのかということを検証したいと思います。
石橋 クリアな画像や音声は、視聴者にとって魅力的ではありませんか?
山田 クリアな画像と音声を楽しむことができるということは、映画館で映画を見るように、テレビの前にきちんと座ってじっくりと眺める人にとっては、魅力となる可能性があります。
しかし今の日本では、多くの人々にとってテレビは「つけてはおくけれども、必ずしもじっくり見るものではない」というものになっています。
NHKの放送文化研究所が実施した研究結果でも、視聴者は「ながら視聴」の方向に動いていると指摘されています。
テレビ視聴率というものがあります。家庭のテレビセットに視聴率計をつなぎ、どのチャネルを何時から何時まで見ていたかを調べて、それに基づいて視聴率を計算するものです。このテレビ視聴率を全テレビ局で合計すると、どの時間に何割のテレビがついていたかを知ることができます。
NHKの調査では、この率と、家にいて目を覚ましていた人口の割合との間に、強い相関があるというのです。若い人の多く、あるいはお年寄りでも最近ではそうですが、家にいる間はテレビをつけっ放しにしておいて、面白そうなことがあれば、ときどきテレビの方を見るという「ながら視聴」をしていることが、この研究では指摘されています。
映画館で映画を見るように、テレビのほうに向かっているというわけではないのです。だからテレビは、そういった「ながら視聴」をしている人たちの注目を引くために、大きな音を出したり、大きな笑い声をたてたり、びっくりするような画面を見せたり、つまり刺激を強くすることによって視聴者が本当にテレビの方を見るように、番組の中で努力しているわけです。多くの方の生活実感としても、「ながら視聴」をしている場面が増えているのではないでしょうか。つまり日本人の中の何割かの層は、テレビはもはや見るものではなくて、つけっぱなしにしておいて、なにかきっかけがあれば短い時間見るものになっているわけです。もしそうだとしたら、そういう層の人にとってクリアな画像と音声を得られるということは利益になるでしょうか。
人間に対する情報の提供手段が豊富になり、インターネット経由での情報のダウンロード、アップロードが可能になってきた。あるいはDVDを購入して、家庭で映画を見るということも可能になってきた。テレビ放送ももちろんある。さまざまな情報の受信手段が増えてきた今、本当にテレビでクリアな画像と音声を楽しめるということが、国民全員の利益になるかどうかはわからない。代替手段はいくらでもあるではないかということです。
技術的に画像がクリアで音声がきれいですよということは、利用者にとって必ずしも評価できることかどうかわからず、デジタル放送の利点として挙げることは不適切であるということです。
石橋 欲しい情報を簡単に入手できるというのはメリットではないでしょうか?
山田 欲しい情報を簡単に入手できる、放送に参加できるようになる、見たい番組を簡単に選ぶことができるという三つの利点は、実は、地上波デジタル放送の双方向性の利点に相当します。
地上波デジタル放送を見て、「ああ、このお店の情報が欲しい」ということがあれば、その画面の中の文字をクリックすると、その情報がさらに詳細に画面に表示される。あるいは、テレビ局との間で情報のやり取りをしてクイズ番組に参加をしたり、テレビ・ショッピングを楽しんだりすることができるようになる。あるいは、テレビの番組一覧表を見ながらそれをクリックすることによって、チャンネルが切り替わって画面が表示されるようになる。そのような双方向性の利点が、地上波デジタルによって実現するといわれています。
しかし、この双方向性は、家庭のテレビが電波を出して、放送局に対して応答するということではありません。テレビに通信回線をつないで放送局に対して応答を返すことで、実現されるのです。行きは電波の形で空を飛んでテレビにたどり着き、帰りは通信回線を経由して放送局に戻るようなルートを作るわけです。つまり、双方向性は、地上波デジタル放送によってではなく、テレビに放送局に戻る通信線を接続することによって実現するのであって、これは地上波デジタルの利点とはいえません。今のアナログ放送でも、通信回線でフィードバックすれば、同じようなことが実現できます。
むしろ、放送局から家庭のテレビに対しても通信回線を通して放送が送信され、通信回線を介して受信者からの応答が戻るようにしてしまえば、電波を通して放送を送信する必要はなくなります。これは、光ファイバを豊富に用意して、通信の技術によって放送を提供するという考え方で、そのほうが技術的にはきわめて容易です。
さらに、わが国のデジタル放送では、画面の中からさまざまな情報にジャンプをしたりダウンロードしたりするために、インターネットで標準のXMLやHTMLではなく、Broadcasting Markup Language(BML)という特別なマークアップ言語が使われています。このため放送局側では、BMLという特別な言語を理解できる技術者が必要になっています。しかし、インターネット技術に基づいて、XMLによって送信制御も受信制御も行うようにすれば、広く多くの技術者を動員することができるので、番組製作コストも下がるでしょう。そういう意味で、放送用に特別に作った言語を利用して通信機能をサポートするのは間違いだと思います。
石橋 最後の高齢者などへのサービスという点はどうですか?
山田 高齢者や障害者にやさしい放送サービスを充実させるということは、実は、地上波デジタルでなければ実現できないことではありません。
たとえばアメリカでは、すでに13インチ以上のすべてのテレビに、デジタルであろうとアナログであろうと、字幕放送の機能を装備することが義務づけられています。アメリカでホテルに泊まると、テレビのリモコンに「テキスト」というボタンがあることに気づくでしょう。これを押せば、字幕が表示されるようになっています。写真はその様子です。このように、これはアナログでも実現できることです。
お年寄りや障害者への対策はデジタル化で実現するようなことではなく、アメリカのようにアナログ放送でもどんどん推進すべきことです。
石橋 欧米での動向はどうなっていますか?
山田 ヨーロッパでは地上波デジタル放送が開始されていますが、ITVデジタルというイギリスの地上波デジタル放送、それからスペインのキエロ地上波デジタル放送が両方ともすでに破綻して、放送が中止されています。また、アメリカでも地上波デジタル放送は苦戦しています。
石橋 アナログ放送からデジタル放送への移行はスムーズに行えるのでしょうか?
山田 わが国で地上波デジタル放送を開始した場合に、それがアナログ放送に対して速やかに代替していくことは、きわめて難しいと思います。
総務省は、地上波デジタル放送は既存のアナログ放送と少なくとも70%以上同一の放送をすることを指針としています。しかし同じ放送を見るために、わざわざテレビ装置を買い換える人はいません。アナログ放送ではどうしても見ることのできない面白い番組があるから、デジタルセットも買おうかなという人はいても、同じ放送が流れているのにわざわざ買い換えるはずはありません。
このような指針がある限り、来年以降、地上波デジタル放送のサービスを開始しても、加入者が急激に伸びていくことはありません。むしろ特別に新しい物好きだけがそのサービスを買い、そこで加入者数の伸びは頭打ちになるという悲惨な状況になる危険性が高いと思います。
つまり、総務省の「70%以上同一番組を放送すること」という指針自体が、すでにマーケットの原理に反しています。
石橋 地上波デジタル放送の計画推進には、もう少し慎重になる必要があるということですね。
山田 以上に申し上げてきたように、地上波デジタルテレビ放送について強調されているすべての利点には疑問があり、さらに先行した欧米でも苦戦が続いています。また日本では、すでにサービスされているBSデジタル放送が、大きな赤字を抱えて経営危機に陥っています。このことからも、地上波デジタルテレビ放送を、今、強引にスタートさせても、成功の可能性は小さいと思います。
地上波デジタルテレビ放送は依然として計画段階のものです。計画をそのまま実施すべきなのか、それともさまざまな外部情勢の変化によって、あるいは技術の進歩によってそれを見直して、場合によっては潔く中断すべきなのかについては再考の余地があると思います。
総務省が、それが既定方針であるからという理由というだけで、計画を推進しようとしていることが、最大の問題であると思います。