住基ネットと個人情報保護
青柳 武彦(GLOCOM主幹研究員)
住基ネット(住民基本台帳ネットワーク)が、多くのマスコミや人権論者たちの反対という逆風の中にもかかわらず、なんとか船出をして、その運用が2002年8月5日から開始された。その直前・直後のテレビの報道は、連日これに反対する識者たちの解説で溢れていた。たまに政府側の説明者も出てきても扱いが小さく、極めてバランスが悪く不公平な扱いであった。ネットワークから脱落する市町村も多く、それらの住民数を合わせると400万人にもなったそうである。横浜市では、市長がこのシステムは希望者だけに適用することにすると言明し、それに対抗して神奈川県は、全員参加が実行されるまでは横浜市のデータは受け取らないとした。脱落は法律違反であると石原慎太郎・東京都知事が指摘していたが、同感である。
住基ネットとは
住基ネットとは、「改正住民基本台帳法」によるもので、本人の氏名、住所、性別、生年月日をデータベース化し、市区町村、都道府県、および情報処理機関をネットワークでつないで、全国どこでも本人確認ができるようにしたものである。すべての国民に11桁の住民票コードを与えて、これが国民の背番号になる。ただし、民間の人間がこれを使うことは許されない。住民基本台帳カードであるスマートカード(ICカード)には、約8,000字分のメモリがあって、残った領域は市区町村が条例を定めて利用することができる。人権論者は、この空きメモリが将来悪用される危険があると大騒ぎである。筆者は、逆にこの空きメモリを大いに有効活用して行政の効率化に役立たせていただいて、国民に対する行政サービスを改善していただきたいと考えている。
我が国では毎年、8,500万枚の住民票の写しが発行されているが、住民基本台帳とは、この住民票の台帳であり、これを基にして選挙人名簿、児童の学齢簿、国民健康保険・国民年金・介護保険などのすべての行政サービスが行われている。我々は、常日頃から役所で窓口をたらいまわしにされたり、いちいち役所の本所まで足を運ばなければならなかったりすることにうんざりしており、行政の効率化と構造改革を切に願っていたものであるが、この住基ネットはその第一歩になるはずのものである。
市町村合併や、行政のスリム化、行政コストの削減、電子政府の実現等は、この住基ネットの向こう側にあるものだ。もし、反対論者たちが住基ネットのシステムなしに、行政の効率化と構造改革を行うことができるアイデアを持っているのであれば、是非それを示してもらいたいものだ。
韓国の場合
韓国では1968年以来すでに34年間にわたって、住民登録番号によるいわゆる「国民総背番号制」が行われている。1999年からは、これをさらに発展させた「電子住民IDカード(the Electronic National ID Card)」制が導入された。造幣局が製造する本人の写真入り(希望すれば入れなくてもよい)のプラスチック・カードの身分証明書が、国民全員に配布された。ビデオを借りるのにも、携帯電話を購入するのにも、すべてこれを提示すればよい。いちいち運転免許証やパスポートを提示する必要はない。
釜山市では、役所における市民の待ち時間はなくなった*1とのこと。もちろん反対運動も起こっているが、筆者の見るところでは、まっとうな暮らしをしている人間には便利この上もない。米国では社会保障庁の社会保険番号、カナダでは人的資源開発庁の社会保険番号、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、シンガポール、イタリア等では税務のための統一コードがそれぞれ同様な役割を果たしている。
住基ネットはプライバシーを侵害する恐れがあるのか
プライバシーといっても、倫理的な意味でのプライバシー、すなわちPrivacy to respectと、法益としてのプライバシー権、すなわち Privacy right to protect がある。さらに、個々人のストーリー性を持った「どこの誰が何をした」という具体的なインフォメーションに含まれる“プライバシー”と、多数の人たちの無機質なデータのリストにかかわる集合的プライバシーともいえる“データ・プライバシー”がある。この違いを区別しなければならない。
住基ネットは、倫理的な意味でのプライバシーには関係がある場合があるかもしれないが、法律的な権利としてのプライバシー権には関係はない。さらに、データ・プライバシーには関係がある場合があるかもしれないが、インフォメーションに含まれるプライバシーには関係がない。
個人情報は十分に保護すべきであるが、その理由はいうまでもなく国民のプライバシー権(この場合はデータ・プライバシー権)を尊重しなければならないからである。逆にいうと、プライバシーに属さない個人情報まで保護するのは不可能だし、その必要もない。
昨今、プライバシーでもない個人情報や、著作権を主張する価値も必要もない文書の流通にまで反対をとなえる人が増えているが、過度な主張はネットワーク社会における情報の円滑な流通を阻害し、健全なネットワーク社会の建設を妨げるものである。ときには権利の放棄も必要なのだ。権利でさえないものを主張するのはわがままでしかない。
この住基ネットは、住所、氏名、性別、生年月日の四つのデータを管理するものであるが、こうした「公知の事実」は、法律的にはプライバシーとして法の保護を受けることはできない。これは多くの判例によって確認されている。女性の生年月日などは、倫理的な意味でのプライバシーに属するかもしれないが、法益として保護されるべきプライバシーとは言いがたい。
なお「公知の事実(matter of common knowledge)」とは、何らかの方法で公表されていて、通常の知識、経験をもっている人ならばアクセスが可能であったものであれば良く、必ずしも現実に全員に周知されている必要はない。
公知の事実に対しては、プライバシー権を主張することができないことを示す判例はいくつもあるが、その一つは「エロス+虐殺」事件である。これは大杉栄と神近市子の男女関係を描いた映画に関するもので、神近市子が名誉毀損及びプライバシー侵害を理由に上映禁止の仮処分を申請した。しかし、原告が問題にした日陰茶屋事件などの諸事実は、原告自身がすでに『わが青春の告白』や「私の履歴書」などの著書・記事で公にした公知の事実であったので、東京地裁(1970年3月14日)は仮処分を認めず、控訴審(1970年4月13日)も請求を退けた。
たしかに、単独ではプライバシー情報として認められない住所、氏名、性別、生年月日というデータでも、漏洩してある種のデータと結びつくと、その全体がプライバシー情報となる。例えばアダルト・ビデオの愛用顧客リストと結びつけて、それを悪用して脅迫行為を行うものも出てくるかもしれない。しかし、それは、直接的に脅迫行為を禁止して取り締まるべき筋合いのものである。脅迫者に材料の一部を提供してしまう危険性があるからといって、住基ネットに反対するのは筋違いというものである。
住基ネットに限らず、民間のシステム化にも共通していえることであるが、情報の漏洩と悪用の危険を増大させる結果につながるとしても、今後ともシステム化はどんどん進めざるをえない。こうした問題は住基ネット固有の問題点ではなく、ネットワーク社会全体の永遠の課題なのだ。情報の漏洩と悪用は絶対に阻止しなければならないが、その危険は常にある。しかし、対応技術もどんどん進むのである。
住基ネットと個人情報保護法案
住基ネットの運用開始は、2002年度の通常国会で流れて継続審議となってしまった個人情報保護法案が成立してからにすべきであるという意見もある。しかし、住基ネットに直接的に関係があるのは、1988年に制定された略称「行政機関による個人情報保護法」*2の方である。現行の1988年「行政機関による個人情報保護法」でも、改正住民基本台帳法により相当程度に補完されているので実施上特に問題はない。いたずらに法律整備の“順番”にこだわる必要は全くないのである。
たしかに1999年8月12日に、改正住民台帳法を成立させるにあたって、政府と地方公共団体による一層の個人情報保護の法整備を行う必要性が強く指摘されたのは事実である。法案審議の段階で、自民党、自由党、公明党・改革クラブ3会派が協議を行い、1999年の国会会期中に検討会を立ちあげること、2001年中にその概要をまとめること、2002年中に「行政機関による個人情報保護法」の改正整備を行う旨の確認書が取り交わされた。
この確認書にもとづき、改正住民台帳法に「法律の施行にあたって政府は個人情報保護に万全を期すため、速やかに所要の措置を講ずる」との付則が追加されたという経緯がある。
継続審議となった「個人情報保護法案」は、個人情報保護に関する基本法であって、三つの部分から成っている。第一は、国民の全員が守るべき基本原則を示した精神規定である。努力義務であるから強制力はない。第二は、行政機関が妥当な立法措置を取るべきことをうたっている。第三が、民間の個人情報取扱い事業者が守るべき義務を規定している部分である。
住基ネットに関係があるのは、第二の部分である。現行の「行政機関による個人情報保護法」にはいくつかの問題点があるので、総務省においてすでに改訂作業が進行中である。これを検討する研究会*3が、2001年4月18日から同年9月21日までの間に10回行われた*4。総務省はその報告を踏まえて改正案の策定作業中であり、改正案は基本法の位置付けにある「個人情報保護法案」成立後に、国会に提出される予定である。
個人情報保護法案に反対した人の多くが
住基ネットにも反対
最も面妖かつ奇怪なのは、住基ネットに個人情報保護の観点から反対している人の多くが、かつて表現の自由侵害の危険性を言いつのって「個人情報保護法案」に反対していた人たちであるという事実である。
彼らは、法案の作り方が悪かったというのかもしれないが、詭弁に過ぎない。そもそも、「表現の自由」と「個人情報保護」は競合する、ときには背反する概念であるから、両立することは有り得ないのだ。これは調整と調和の問題なのだ。
彼らは、個人情報保護法案は、表現の自由を侵害する危険性や乱用の危険性があるというが、調整を認めずに危険性をなくすことをいう限り、個人情報保護法は永久に成立しない。そういう危険性のない法律の作り方をひとつ示してもらいたいものだ。むしろ、筆者は現行の個人情報保護法案は表現の自由に十分配慮しており、極めて調和の取れた法案であると考えている。
一元的に個人情報を管理するのは問題か
一元的に管理するのが問題というのは、コンピュータ・システムに載せることに反対するに等しい。ハードウェアやデータベースは分散するにしても、これをネットワークして効率よく運営するのであれば、システムを一元化しなくてはどうにもならない。もちろん、それにともなう問題点、例えば不正なアクセスで情報が流出する危険性が増えるなどの問題点の存在を否定するものではないが、「問題を内蔵しないシステムはない」ことを良く考えるべきである。ネットワークでシステムを広域利用するメリットを取ろうとするならば、危険性も広域にならざるを得ないのは当然である。
通貨制度をもてば必ず偽札の危険は起こる。「偽札の危険はない」というのは間違いだし、「偽札の危険があるから通貨制度は持つべきでない」というのはもっと大きな間違いである。電話が犯罪に悪用される危険性を言いたてて、電話システムに反対するのでは、社会が電話システムから受けている効用をすべて否定してしまうことになる。システムの良いところを活用して、デメリットを何とか工夫して小さくするのが人間の知恵というものである。
政府が国民の個人情報を管理するのは問題か
政府が国民の個人情報を管理するのはけしからんという指摘に対しては、気持ちはよく分かるが今さら何をいっているのかというしかない。この情報化社会においては、我々はすでに政府や民間機関に相当程度の個人情報を提供してしまっており、今さらあとに引き返すわけにはゆかないのだ。その見返りに行政サービスを受けているのである。そのくらいに、その便宜は行きわたっているのである。
例えば、警察庁交通局運転免許課が管理している運転者管理ファイルには、以下の37項目のデータが記録され、一元的に管理されている。
1 氏名、2 生年月日、3 性別、4 本(国)籍、5 住所、6 免許証番号、7 有効年、8 交付年月日、9 免許年月日、10 免許の種類、11 免許の条件等、12 違反、13 事案点数、14 累積点数、15 違反名、16 違反免種・車両、17 路線名、18 事故類型、19(1)処分年月日時、(2)手配年月日、20(1)処分公安委員会、(2)手配公安委員会、21 処分種別、22 停止処分日数、23 停止処分短縮日数、24 事案名、25 違反者講習済年月日、26 運転練習の方法、27 取消処分日数、28 住所変更年月日、29 再交付年月日、30 最終違反年月日、31 最終事故年月日、32 最終事案(重大違反唆し等、道路外致死傷に係るもの)年月日、33 初心期間終了年月日、34 初心講習済年月日、35 再試験合格年月日、36 取消処分者講習受講年月日、37 初心取消年月日。(以上のデータの開示請求を受理する組織は警察庁情報通信局情報管理課である)
この他にも行政機関が保有・管理している個人情報に関するデータベースは数多い。ハローワークの職業紹介関連個人データ、郵便局の郵便貯金顧客リスト、刑事関係のDNA鑑定データや警察の捜査データ、検察庁の訴訟関連記録、教育関連では学校の成績表・内申書、等々、1996年11月現在においてすら1,479ファイルもあるのである。現在は、はるかに多いだろう。
これらのシステムを、政府が個人情報を一元管理することに反対してすべて廃止させてしまったらどうなるか。現在の行政府、地方公共団体の制度自体が成り立たなくなってしまうのは明らかである。その弊害は一般の国民生活にすぐ跳ね返ってくる。結局、コンピュータ・システムを活用して情報処理を行い、それに必然的に伴う情報漏洩やその悪用の弊害を、全力を尽くして防止する努力を続ける以外に選択の道はないのだ。
この意味で、住基ネットを促進する側の人たちが「万全の措置を講じた」とか、「問題はない」と連呼しているのには「問題がある」。住基ネットは、決して安全ではないのだ。それを十分に承知した上で、できるだけの対応策を講じつつ、住基ネットのメリットを確保するのが正解なのである。現実の問題としては、クラッキング技術とこれを防止するセキュリティ技術は追いかけっこの関係にあり、完全なセキュリティ体制をとるのは永久に不可能なのだ。デメリットをカリキュレイテッド・リスクの範囲内にとどめるようにベストを尽くす他ないだろう。
ただし、自分のいかなる情報も政府には預けたくないという信条の人間もいるだろう。社会がそのような人間の存在も許容するだけの幅を持つことは望ましいことである。そこで、個人情報を開示しない自由を認めて、本人はその代わりにそれによる不利益も甘受するということにするのも一案かもしれない。ただし、警察に個人情報を預けることを拒否すれば運転免許証はもらえないから、自動車の運転はできない。国民健康保険にも加入できないし、年金受給資格も取れない。かくなる上は日本を出て、そういう心配のない外国で暮そうということになっても、パスポートを取れないから出国することもできないことになる。
政府が個人情報を支配することの危険性は、プライバシー問題ではない
すでに述べたように住基ネットで扱う個人情報は、「公知の事実」でありプライバシー情報ではないので、これを政府が管理することの問題点はプライバシー問題ではない。第一、プライバシー権は、生きる権利、表現の自由、言論の自由、などのレイヤーの低い(?)基本的な権利に比べれば、ずっとレイヤーの高い高級で、それだけに極めてもろい権利なのである。
問題になる危険性があるのは、政府や権力者たちが民主主義を軽んじたり、国民の人権を無視したりすることである。そのような危険の最初に現れる徴候は、表現の自由の制限である。したがって我々は、表現の自由を妨げるものについて鈍感であってはならない。誤解を恐れずにいえば、プライバシー権が侵害されても殺されるわけではないのだ。これまでに述べたように政府が住基ネットの運用を開始したからといって、表現の自由が侵されるわけでも、国民の基本的人権が侵されるわけでもないのだ。
韓国の住民登録証反対論者のように、「(これは)あらゆる国民を統制、監視するための極めて『効率的』な制度である。この制度の内にはファシズムが潜んでいるのだ。(中略)『治安上必要な特別の場合には住民登録証を提示させることにより(北朝鮮からの)間諜や不順分子を容易に識別、索出し、反共の態勢を強化するために』(1970年1月1日、住民登録法第2次改正の理由書より)住民登録証はつくられた」*5とまでいうのは行き過ぎである。国家がそのように悪用する恐れがあるのであれば、それを直接阻止すべきである。通貨制度と偽札のアナロジーにおいてすでに述べた論理であるが、悪用される恐れがあるからといって、メリットの多いものまで否定してしまうのでは人間社会の進歩はない。
*1 「待ち時間はなくなった」
<http://www.clair.nippon-net.ne.jp/HTML_J/FORUM/JIMUSYO/122SEOUL/INDEX.HTM> 参照
*2 「行政機関による個人情報保護法」の正式名称は「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」
*3 「行政機関個人情報保護法及び独立行政法人等における個人情報保護制度について検討するための研究会」(座長)茂串俊・元内閣法制局長官、(座長代理)塩野宏・東亜大学通信制大学院教授、(委員)宇賀克也・東京大学大学院法学政治学研究科教授、新美育文・明治大学法学部教授、藤原静雄・國學院大学法学部教授、堀部政男・中央大学法学部教授、三宅弘・弁護士、八木欣之介・慶應義塾大学総合政策学部教授
*4 行政機関等個人情報保護法制研究会
<http://www.soumu.go.jp/gyoukan/kanri/kanri_f.htm>
*5 <http://ripitup.hoops.ne.jp/abstract.htm> 『Rip it up ! 住民登録証を引き裂け!』