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智場、GLOCOM Review、コラム…


 

将棋とイメージ思考

青柳武彦(GLOCOM主幹研究員)

 2002年の将棋界における明るいニュースの一つとして、7月13日に谷川浩司九段が、北海道旭川市で行われた「第43期王位戦」7番勝負第1局で羽生善治王位に勝って、通算千勝目をあげたことがあげられるだろう。通算千勝をあげた棋士は表1の通り谷川九段を含めて7名いるが、達成した時の年齢がどんどん若返っていることがわかる*1。

 次に千勝に到達すると思われる棋士はおそらく羽生善治と思われるが、あと5年かかるとみても到達年齢は36歳である。このように将棋界においては、囲碁界では見られない、顕著な若返りが起きつつあるのだ。それを担っているのは20から30歳代初めにかけての若者たち、すなわち羽生善治をはじめとして佐藤康光、藤井猛、丸山忠久、郷田真隆、森内俊之、屋敷伸之、三浦弘行等のいわゆる「チャイルド・ブランド」の棋士たちである。

 それにしても1996年の羽生善治の七冠王は見事であった。96年度の勝率も41勝7敗で勝率が8割5分。史上2位だそうである。それまでにも、年間最多連勝をなんと3回も記録している。プロになってから七冠王となるまでの通算成績は494勝155敗で、勝率は7割6分というから抜群の成績である。

 これらのチャイルド・ブランド棋士たちに、30歳代後半(当時)の谷川浩司、森下卓、島朗、40歳代ではあったが気は若い田中寅彦等が必死になって喰らいついていったが、桧舞台を取り戻すまでには至らなかった。1998年には全タイトルを20歳代の棋士が独占するという歴史的大事件(!!)が起こったほどである。

 中国から日本に将棋が渡来したのは、奈良時代から平安初期にかけてであるといわれている。江戸時代に将棋所が設置されて初代名人に大橋宗桂が就任して以来、将棋界は高年齢の長老・権威によって仕切られてきたといってよい。もちろん長老たちの実力は、若手とは想像を絶するくらいの差があった。当時は20歳代の若造たち(それでも何年に一人という天才たち)が、師匠の家事手伝いを兼ねつつ血の出るような修行を積み重ねたものである。そうした長い将棋の歴史の中で、このたった10年の間に起こった変化は単なる偶然の積み重ねとはいえないだろう。明らかに将棋は変わったのである。そして、その変化は若い棋士たちがマルチメディア・ツールを駆使してイメージ思考能力を活性化させた結果に他ならないと、筆者には思えるのだ。

イメージ思考

 思考には、主として左脳で言葉を使って論理的に考える論理的思考(Logical Thinking)と、主として右脳で言葉を使わずにイメージで考えるイメージ思考(Image Thinking)とがある。後者は心像思考ともいう。言語を必要としないということは、論理で考えるのではなくて、パターン、色、形、音、匂い、全体のつりあい、事象の移り変わり、その速度、全体から受ける漠然とした感触について、あるいはそれを手がかりとして考えることを意味する。

 太古の人類は直観像能力(対象物が消え去った後でも、恣意的にこれを鮮明に再生することができる能力)を持っていて、前に見た景色を自由自在に反復して呼び出して見る能力を備えていた。古代人は、航海に当たっては自分の島、星の位置、波の立ち方、鳥の飛び方との関係など、およそありとあらゆる自然の事象を組み合わせてこれを記憶し、海上の大移動を行ったと考えられている。

 現在の文明社会においては、この種のイメージ思考能力はほとんど使われていない。人類が言葉を得て、高度にそれを発達させて自由自在に使いこなすようになったので、思考とコミュニケーションはすっかり言葉に頼るようになってしまったのである。その結果、非言語的分野のコミュニケーション能力はすっかり退化してしまったのだ。このような傾向は、印刷術の発明を契機にしてますます加速されてきたのである。

イメージ思考はマルチジョブを並列処理で行う

 同じ思考でも、論理的思考とイメージ思考は機能が全く異なる。論理的思考においては、本を声読する場合のように一時に一つの知的作業しかできないのが普通である。つまり情報処理としては、シングル・ジョブの排他的な直列(シーケンシャル)処理なのである。ただし、聖徳太子のように一度に何人もの人間から訴えを聞いたというような例もあるから、一概にはいえないかもしれない。

 これに対してイメージ思考は、常にマルチジョブの並列処理なのだ。たとえば野球でピッチャーが投げたボールをキャッチャーが捕る行為を、もしコンピュータでやらせるとしたら、大変な高速並列処理をしなければならない。ボールの飛跡を瞬時に認識して判断して、ブロック・サインで打ち合わせたことによって、まだ飛跡として現象化されていないうちに、次の瞬間におけるボールの不規則な曲がり具合を予測する。そうして初めて捕球ができるのだ。

 迷路の解き方は、イメージ思考と論理的思考の違いを説明する良い例となる。筆者くらいの年齢になると(何でも年齢のせいにするのは許されないかもしれないが)、迷路も段階的かつ論理的に解こうとするようになる。入口から入ってしばらくすると分岐点にぶつかる。どちらかの分岐を取ってしばらく行くと、また次の分岐点にぶつかる。また、どちらかの分岐点を取ってしばらく行くと、行き止まりになってしまう。すると前回の分岐点に戻って、別の分岐の方を探す。それも行き止まりになってしまうと、そのまた前の分岐点まで戻って、別のルートを辿る。このようなシーケンシャル思考では、時間がいくらあっても解けない。

 しかし、実はコンピュータの人工知能で迷路を解くアルゴリズムは、この通りにやるのである。もっとも、いちいちプログラムを詳細に書かなくても、Back Track というマクロを呼び出せばプログラムは簡単に書ける。しかしコンピュータは、ばか正直にプログラム通りに実行するのである。高級なシステムでも、並列処理によるマルチジョブ方式を加味するだけの違いである。

 子供はイメージ思考能力を活用する能力に長けているから、こんな事はやらない。入口から入ってしばらくすると分岐点にぶつかる。すると両方の分岐ルートを目で同時に辿って行く。するとまた分岐点にぶつかるが、それでもすべての分岐ルートを全部同時に目で追って行くのである。行き止まりになったルートは次から次へと捨てて行く。迷路を解くのが上手な子供は、なんと出口からも同時に辿ってきて、入口から辿ってきたルートとぶつかる線を探すのだ。

 筆者は数年前に、この実験を国際大学の浦佐キャンパスにおける授業で大学院生(4分の3は外国人)を相手にやってみたことがある。3分間与えて、目で解くように命じた。誰にもできないだろうとたかをくくっていたら、なんと1分以内で解いてしまった奴が数人いた。2分たつと続々と手があがった。

 一番早く解いた院生に、どのようにして解いたかを説明させてみたら、まさにマルチジョブの並列処理のイメージ思考で解いたことが判明した。入口と出口の両方から多重的に経路を辿って行って、双方の経路がマッチする点を探す方法でやっていたのである。実は「皆さんくらいの年齢になると、すでにイメージ思考能力はかなり衰えている。したがって、これからはせいぜいマルチメディア・ツールを駆使してイメージ思考能力を開発する訓練をしなくてはいけない」という趣旨の事を話していたのであるから、誠に具合が悪かった。

 学生の方がイメージ思考に長けていて、何のことはない、一番ダメなのは筆者であった。本当に驚いた。前置きが長くなったが、将棋界の世代交代も、若い棋士たちのイメージ思考能力の飛躍的な発達によってもたらされつつあるのではないかと考える次第である。

パソコンを研究に利用

 若い棋士たちに共通しているのは、小さいときからパソコン・ゲームなどのマルチメディア情報通信技術に日常的に接して大きくなってきたという事実である。将棋の研究にもパソコンを駆使する。将棋連盟はすべての棋戦の棋譜をデータベース化しているので、プロ棋士であれば誰でもこれを利用することができる。

 若手棋士は数人ごとのグループで研究会を作っている。彼らはパソコンを駆使して、序盤の戦形ごとにデータをまとめ、局面ごとの勝率をはじく。今までであったら、「それも一局」とばかりに片づけられてしまっていた局面でも、厳密に勝率をはじき出す。実戦で新しい手が出ると、若手棋士はこれを研究会で徹底的に調べつくす。もちろん古今東西の棋譜をデータベースに蓄積してそれを利用しているというだけでは、この大きな潮流を説明することはできない。

 こうした研究過程の中で、彼らは子供時代から長い間に徐々にイメージ思考能力を伸ばしてきたものと思われる。その結果、まるで太古の人類のような極めて高いイメージ思考能力を持つに至っているであろうことは十分に想定できる。おそらく、対象物が消え去った後でも恣意的にこれを鮮明に再生することができる直観像能力と、極めて優秀な心像形成能力を持っているだろう。そして今、最もイメージ思考能力を要求される将棋というゲームの世界において、これらの能力が遺憾なく発揮されていると考えることはできないだろうか。

羽生善治のイメージ思考

 羽生善治が局面を読む時の大脳の働きは、常人とは全く違うとのことである。日本医科大学情報科学センター研究員の河野貴美子・工学博士が脳波計で観察したところによると、次の通りに常人と全く異なる。

 アマチュアの場合は、左脳の中でも特に言語を扱う領域周辺が活性化する。アマチュアが、自分がこう指すと相手はこうくるだろう、そうしたら……とシーケンシャル(直列)に手を読んでいる証拠である。羽生善治の場合は、この言語領域の活動はむしろ抑制される。そして右脳の視覚野が最も活発に働く。パターン認識による画像処理を行うことで、マルチジョブにより手を読んでいるからである。この傾向は別に羽生善治にかぎったことではない。プロ棋士はすべて、パターン認識によるマルチジョブ画像処理能力が常人よりずば抜けて優れている人種なのだ。

 特殊なのは羽生善治の対局中には、脳からアルファ波が出ていることである。アルファ波は、通常リラックスして瞑想をしている状態で出るものとされている。つまり羽生善治は、禅僧が座禅を組んで瞑想をしているような無念無想の境地の中で手を読んでいるのである。緊張するのではなくて、リラックスしてしまうのだ。このような棋士はプロの中にも他にはいないそうである。

 羽生善治が今までの世代の棋士と異なる点は、普段からパソコンによるマルチメディア情報システムをうまく使いこなしていることである。古今の有名棋士の対局譜がデータベース化されていて、羽生はこれを「将棋イメージ思考能力増幅器」として利用しているのである。古今の棋士の対戦譜や、自分が考える次の一手をディスプレイの将棋盤に投影し、かつ客体化する。その客体化された対象と非言語的対話を行い、新たな一手についてのイメージ思考を創出するのだ。

 羽生善治は、こうして次々に客体化される将棋の戦術についてのイメージ思考を整理統合して、より高次元の戦術を創出する。他の棋士の対局譜との交流により、自己のイメージ思考に創造的吟味を加える。おそらく羽生善治よりも年上の棋士が、彼を越えることはないように思う。ただでさえ天才といわれる才能が、マルチメディア情報システムを活用して将棋イメージ思考能力を磨いているのだから!

 手を読む数については、羽生善治は、「通常30〜40手先まで、つまり枝葉を入れて300〜400手を読みます」と言う。この膨大な手数をシングル・ジョブでシーケンシャルに読んでいたのでは時間がいくらあっても足りない。第一、辛抱が続かないだろう。しかし、実はこれだけ読んでも、場合の手数のごくごく一部でしかないのだ。対局の1場面につき平均100手くらいの可能性があるそうであるから、6手先でも100の6乗、すなわち約1兆の手数があることになる。その中から30〜40手に至る流れを想定して、分岐の枝葉も300〜400にとどめるためには、ある程度の手で、もうその先は読まない、あるいはすでに読んだ候補手順よりも劣位であるという思考過程が必要である。実はプロ棋士であれば誰でもこのような思考過程をマスターしているのであるが、羽生善治の思考過程の中にはどのような特殊性が隠されているのだろうか。

 羽生善治によれば「最初に良さそうな手が頭に浮かぶ。それが成立するかどうかを読む。次に他に手がないかを読んで、いくつかの手を比較する」のだそうな。ひらめきが極めて正確であるということになる。仲間のあるプロ棋士は彼を次のように評している。

「終盤、極めて複雑な状況で、攻めるか受けるかを判断するひらめき、臭覚が飛び抜けているんです。これは誰も羽生さんには追いつけないでしょう。鍛えようがないからです。終盤での彼の指し手は、プロが見ても最初何をやっているのか分からなくなってしまうことが多い。何となくそれが分かってきた時は、もう負けている」*2

コンピュータ棋士

 コンピュータが手を読む場合には、直観で良さそうな手を選び出してそれだけを重点的に読むということはできないから、少なくとも数手先の分までは全部を読む。チェスの場合は、コンピュータの方が世界選手権保持者に何勝かして話題になったが、人間の選手権保持者の方はコンピュータの癖をすぐに読みとってしまって対策を立てたので、結局人間の方が勝ってしまった。将棋の場合は、相手の駒を取って自分の駒として使うことができるために、手数が進んでも場合の手数はいつまでたっても減らない。そのために将棋のコンピュータ化はほとんど不可能か、あるいは限度があるといわれている。

 人間と対戦する将棋ソフトウェアもあるが、アマの初−三段というところであろう。しかし『森田』や『極(きわめ)』になるとかなり強くて三−四段はあるのではなかろうか。それでもアマはアマのレベルであるから、プロのそれとは1桁も2桁も違う。NTTソフトウェア研究所の伊藤琢巳研究主任(当時)は、自分でも詰め将棋ソフトウェアを開発しているが、以下のように言っている。

「確かにコンピュータは1秒で何万手も読めるので力まかせに計算すれば、チェスや詰め将棋では相当なレベルに達しています。しかし、指し将棋の方は、いくら力まかせに読んでも、せいぜいアマの初段レベルにしかなりません。将棋の読みには、悪い手を捨てるという経験的な側面と、人が気づかないような良い手を見逃さないという発見的側面があります。将棋には計算機が解けない別な次元のセンサーが必要なのでしょうね。私はあと何十年かかろうが、コンピュータが人間の読みを上回る事は不可能だとみています」*3

 将棋の局面の数は10の220乗くらいといわれているので、コンピュータ化は難しい。碁はそれ以上で10の360乗くらいである。チェスの場合は10の120乗くらいで、それでも天文学的な数であるがまだ力技も効く。チェスでは1996年に、コンピュータがついにチェスの世界チャンピオンのカスパロフに1勝した。

 使用したコンピュータはIBMのディープブルーという、256台のスーパーコンピュータを並列に繋げた並列マシンである。ハードウェアの進歩を徹底的に利用して、人工知能の初期の段階ではかえりみられなかったすべての手を読みきって最適な手を選ぶという手法を採用したものである。ディープブルーは1秒間に2億手を読んだという。対局に当たっては1手打つのに平均3分かかったというから、360億手を読んでその中から最適手を選んで打っていたことになる。しかしディープブルーには学習能力がなかったので、カスパロフにすぐ癖を読まれてしまい、その後は連敗してしまったそうである。

将棋はどう変わったのか

 羽生善治はかつて枡田幸三九段の将棋について、次のように語ったことがある。「枡田九段は、今でも立派に通用するような斬新な考え方で将棋を指した。しかしそれは当時の棋界では理解されることがなかった」。換言すれば当時の将棋は、枡田九段のそれを除いては現在では通用しないものであったと言っているのだ。羽生善治によれば、将棋の技術が進歩し始めたのは、ここ10年の事であり、現在は将棋の黎明期なのだそうだ。

 従来の将棋では中盤に勝負の決着が付くことが多かった。それが現在では10手目から20手目という序盤に、勝負の趨勢が決まってしまうことが多いそうである。それだけ新手法が次から次へと開発されているということだろう。

 プロ棋士であれば誰も間違わないような簡明で手の長い一本道の戦法ばかりを取っていたのでは、羽生善治のようなずば抜けた成績は残せない。できるだけ斬新で、かつ複雑で選択の余地が極めて多いような局面に誘導することが、羽生善治にとって、最も自分の長所を発揮できる戦法である筈である。つまり手の幅ができるだけ広い、イメージ思考が最も威力を発揮する局面にもっていって戦うのである。そして選択肢の多い泥沼のような戦いに相手を引きずり込む。この戦法を米長邦雄九段は「泥沼流」と命名しており、同時に羽生善治を「泥沼流の使い手」と賞賛している。

 酷な言い方であるが、谷川浩司を最後の砦として、羽生善治等の世代より年上の棋士は、今後どんなに研鑽を積んでも彼を越えることはできないのではないか。これを越えることができるのは、幼少のころからイメージ思考能力を効率的に発揮できる環境に育った若獅子グループの棋士ではないだろうか。

*1 『産経新聞』2002年7月14日

*2日浦市郎六段[1996]「羽生善治はこんなに天才」『週刊文春』2月29日号

*3 田中寅彦『神様が愛した青年』KKベストセラーズ、pp.78〜79

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