GLOCOM - Publication

Center for Global Communications,International University of Japan

智場、GLOCOM Review、コラム…


 

「情報化社会教育」のための「教育の情報化」

豊福晋平
(GLOCOM主任研究員)

 2002年の「教育の情報化」の動向を総括すれば、インターネットと教育の関連性が強く意識された1996年以降のダイナミックな動きが徐々に弱まり、学校のインフラ整備も授業のIT利用も一応の普及段階に至ったかのようだ。研究サイドからみれば、すでに情報化は先端のトピックではないような雰囲気さえ漂いはじめている。だが、本稿ではあえて、情報社会のための真の「教育の情報化」はここから始まるということを述べたいと思う。

 教育にとっての2002年は、大幅な学習指導要領の改定によって、教育現場と周辺にさまざまな動揺と混乱が生じた1年であった。「週5日制」と「総合的な学習の時間」のために「教科学習内容の2割減」が決められたが、これは「学力低下問題」となって世間を大いに騒がせることになる。「これでは日本の将来は危ない」と憂う人あり、「公教育には期待できない」と訴える広告あり、「新指導要領を破棄して元に戻すべきだ」という意見あり、という具合である。

 だが、学力低下に関する議論、大義名分を振りかざして「日本の教育」が声高に論じられるわりに、どこか白々しさと胡散臭さを感じてしまうのは私だけではあるまい。その実は、教科団体の授業時数獲得の駆け引きであったり、ことさらに不安を煽って儲けを増やそうとする教育産業の不純な動機であったり、教育行政の責任逃れのための言い訳であったりするからである。

 わかりやすいように、公教育をひとつの幕の内弁当に例えよう。カリキュラムとは、すなわち弁当の中身である。公教育のルールでは、一度決めた弁当は全員が食わなければならない。かつての公教育は貧富や格差を吸収し、強力な方向付けと公平な社会的選抜装置を提供するものであった。個人の勝手気ままな弁当を統一することで国家国民としての意識を植え付け(国家主義教育)、特定の具を多くすることで産業社会に必要な労働者を促成してきた(産業主義教育)のである。

 だが、弁当以外の食生活が豊富かつ多様になり、統一的メニューでは皆満足できなくなった。絶対的選抜装置としての権威は、急成長する教育産業によって徹底的に相対化され、また、制度内部の腐敗や思惑が次々暴露されるようになった。これは産業主義社会が成熟し、社会制度を超越してしまったという証でもある。

 だから、「○○の教育が必要だ」という意見はすでに「国家」や「社会全体」としての意義を失っており、どんなに地位が高かろうとガクシキケイケンシャと呼ばれようと、「個人の価値観に基づけば」という括弧書きの議論に過ぎない。「俺は魚が嫌いだから肉にして皆に食わせろ」というレベルとなんら変わらないのである。それを行政の責任逃れの口実として、一部の意見をご神託のごとき扱いをするからおかしなことになるのだ。

 では、この議論どうしたら解決できるか。いくつかの前提を考えてみよう。情報社会への入口にある現在は、産業主義的価値観と情報化社会的価値観が交錯しており、新たな制度とは、産業主義的価値観を徐々に捨象するものである。教育以外ではごく当たり前になりつつあるが、1)公教育が貢献すべき対象は「市民」であり(かつては国家であり産業であった)、2)公教育は「市民」の教育観の最大公約数を調整する役割を持ち(かつては絶対権威であった)、3)費やされた税金に見合ったアカウンタビリティを負う(全国一律を盾にして自治体はこれまで積極的に情報開示を行ってこなかった)。

 かのガクシキケイケンシャの意見も、より良い教育を提案するための一つの意見として徹底的に相対化されていれば問題はない。教育観の最大公約数をできるだけ高めるため(市民を満足させる)には分母を可能な限り少なくし、意思決定過程を透明・公平化するとともに、多様性(いいかえれば格差)を受け入れた制度にせざるを得ないだろう。

 実は、このプロセスを支えるのが「教育の情報化」の真の目的なのである。これまでの情報化とは、単に授業実践に彩を添える表面的なものと言い切ってもよい。1)公教育を担う側は、アカウンタビリティに従って教育活動全般のデータを情報公開する必要が生じ、2)学校を民主的に運用するための意思決定プロセスは、現代の社会生活にフィットした形式で提供される必要があり、3)学校の教育活動全般の比較評価のためには、これを公正に評価する外部組織が必要となるからである。そのためには、職員室のIT化に始まり、バックオフィス系の強化、情報公開手段の円滑化、評価軸の抽出など、まだ手をつけていない課題が山積している。華やかな授業実践の世界と比べれば、こちらの作業は実に生臭い話でさまざまな対立や障害を生むことが容易に想像できるが、市民参加の公教育を実現するために「情報化」が強力なツールとして機能することを期待したい。

[ Publications TOP ]