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Center for Global Communications,International University of Japan

智場、GLOCOM Review、コラム…


 

地方人から地域人へ

丸田一
(GLOCOM主幹研究員)

 昨年2月にスタートした地域情報化研究会ver.1は、試行錯誤を繰り返しながらもいくつかの研究成果をあげることができた。そうした成果の中でも特に「ねじれ現象」の発見は説明が難しい。ねじれ現象を一言でいえば、地方と中央の視点の違いから生じる歪みのことである。これは、地方政府が抱える問題解決を霞ヶ関が行うことにより生まれる不効率や無駄のことであり、卑近な例では、地域に関して議論する際に、東京人と地方人との間で接点(論点)が見いだせない状況である。昨年は地域情報化を論じる多くの機会を得たが、東京人と地方人とが同席する場では、高い確率でねじれ現象が確認できた。

 ねじれ現象下において東京人が堅持する視点とは、日本を常に一つの地域とみなしたり、あるいは諸地域を十把一絡にみる見方であるなど、中央に立脚する人々のみが持ち得るある種の合理性である。その点で中央にいる限り官も民も同様である。

 例えば、こうである。ある地域が抱える問題とは何かを明らかにしてみよう。その問題を解決する有効な手段を考えなければいけない。ただし、同様の問題を抱える地域は数多くある。ならば、それら地域の問題を同時に解決する最も効率的な手段を考える必要がある。短期間で広帯域インフラ整備を目指すe-Japan戦略において選択された手段は民(市場)主導と既存電話網活用であり、この視点に基づいている。そして情報過疎地域が切り捨てられる理由もここにある。

 一方、地方人が堅持する視点とは、その人が属する地域を最優先する見方であり、地域の自立性や地域の尊厳を前提にする。結果として効率的な問題解決ができたとしても、それが東京人等に依存したものである限り彼らは満足しない。90年代後半から地方自治体が進めてきた自設網整備や地域IXの試みは、東京人に酷評されることが多いものの、地方人が持つこうした視点の表れと考えると評価することができる。

 この「ねじれ現象」は、社会システムが集中処理型から分散処理型へと不可逆的に移行する過渡的段階で必然的に生じた現象の一つと考えられる。インターネットをはじめとした情報通信技術は、ネットワークの縁の活性化を支援する技術であり、この潮流を大いに促進させる。そして、この潮流は中央の存在を否定し、中央と地方の関係を希薄にする。こうして、日本を中央と地方の構図からみるのではなく、異なる事情を持つ地域の集合体とみるように変化するだろう。併せて東京人、地方人という属性もなくなり、皆が地域人となる。

 長波理論によると、現在は谷の十年にあたり、「地球化」と「地域化」という二つの異なる社会変化が同時に進行しているという。地球化を推進する地球人の存在は早くから論じられてきたが、地域人が論じられたことはきわめて稀である。また現在は、富のゲームを展開してきた産業化のプロセスから、誇(プライド)のゲームを展開する情報化のプロセスへの移行期でもある。地方人が重視してきた自立性を引き継ぐ地域人が展開する誇のゲームとは何だろうか。今年は、まずこの辺りから考えてみようと思う。

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