知的財産権と国家安全保障
講師:デービッド・ファーバー(ペンシルバニア大学教授)
1月22日、IECPでは、元FCC委員の米ペンシルベニア大学、デービッド・ファーバー教授をお招きして、研究会を実施した。
当然のことながら、本稿に書かれたことは、直接、ファーバー教授の発言を引用したもの以外、筆者の考えや推測に基づくものである。さて、筆者がファーバー教授の講演を聞くのは2度目である。しかし、前回に比べ、どこか歯切れの悪い印象をまぬがれなかった。
ファーバー教授が特に強調したのではないのだが、教授が引用した中に、心にとまった言葉がある。ベンジャミン・フランクリンが1759年に述べた「ひとときの安全のために自由を手放すものは、自由も安全も失うことになる」というフレーズである。教授が真に言いたいのは、これではなかったろうか。米国の状況では、それを前面に押し出して発言しても、かえって逆効果になる可能性があるので、さりげなく差し挟んだのではないだろうか。そんな推測が、心の中をよぎった。
市場至上主義
講演の前半部は、知的財産権保護をめぐる相克の話であった。広義のメディア企業は、技術と法律とで知的財産、この例では、コンテンツやツールを保護する。これにより、市民の、それらを自分でやりたいように扱うという自由が一部損なわれる。
われわれのコンピュータシステムは脆弱であり、継続的な収入を狙ってアプリケーションソフトの機能を爆発させているマイクロソフトという存在があり、ネットワークはそもそも研究目的で作られたものであると教授はいう。脆弱さを克服するために投資を行うのは産業界の責任であるというように聞こえた。ハードウェアメーカーなどが設立したコンピュータセキュリティの標準化推進団体、TCPA(Trusted Computing Platform Alliance)をそれなりに評価しているようであった。マイクロソフトがハードウェアメーカーと調整したうえで、Windowsを改変し、セキュリティを強化しようという「Palladium」計画には、批判的であるように見えた。
一方、知的財産権保護のため、DRM(Digital Rights Management)の技術が開発されているが、これにも批判的であった。DRMは、データをカプセル化したり、アクセス制御を掛けたりする。このため、市民には、「いろいろな制御が仕組まれているのではないか」、「ゲイツ氏が陰謀を企んでいるのではないか」、「フリーソフトウェアが失われるのでは?」、「公正使用ができなくなるのでは?」という恐れが広がっている。実際、高校生が、保護のメカニズムについて調べるだけで犯罪者になってしまう可能性があると教授は強調する。
基本的には、市場に独占がないかぎり、知的財産権保護については、市場、すなわち消費者に決めさせるべきという考えのようである。
庇護は惜しみなく奪う
後半は、セキュリティとプライバシーとの相克についてである。セキュリティの強化についても、国民、市民に決めさせるべきだと教授はいう。その場合、政治的なメカニズムを通してではなく、市場のメカニズムを通して、と考えているようであった。
911テロにより生じた、セキュリティへの緊急なニーズがあったとしても、あくまでも議論を通して決めるべき、というのが教授の考えである。議論の間の一時的混乱は、自由の代償であると考えているようだった。
エリック・フランク・ラッセルが述べ、後に、ロバート・ケネディが引用した次のような言葉をあげた。「中国の悪態に『あんな奴は大混乱の時代に生まれればよかったんだ』というのがあるが、実際、われわれは大混乱の時代に住んでいるではないか」。しばらくもたついたとしても、議論するしかない――そういう意味だったようである。
ファーバー教授が、市場を信じ、政府を信じないというのは、1月21日の無線に関するシンポジウムでも明らかだった。電波の利用を、マーケットメカニズム、すなわち、オークションにまかせるのが基本で、政府に配分を仕切らせるなど、もってのほか――という論調だった。(株)鷹山の高取直社長が、政府を信じようと主張したのと対象的である。
privacyの語源となったラテン語のprivareという言葉には、「奪う」という意味と「自由開放する」という一見、正反対の語義が並存しているらしい*1。成り立ちの違う国の者同士が理解し合うのは、難しい。
中野 潔(GLOCOM主任研究員)
*1 松澤喜好「語源辞典」