HOME > コラム > ICT利用先進国デンマーク > 「より良い社会を創る」デンマークのICT国家戦略

連載コラム: ICT利用先進国 デンマーク: 「競争力」と「幸福」を創り出す社会
第1回

「より良い社会を創る」デンマークのICT国家戦略 (1)

2010年6月2日
猪狩 典子 (いがり・のりこ)
国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員

はじめに

北欧諸国のひとつ、デンマークには、日本にとって羨ましい二つの特徴がある。

第一に、ICT利用先進国として世界の先頭グループを走っている。ダボス会議を主催する世界経済フォーラム(WEF: World Economic Forum)の「ICT競争力ランキング」において、デンマークは2007年から2009年まで3年連続第1位、2010年も第3位を獲得した。調査内容を詳しく見ると、デンマークは「基盤」「環境」「利用」の三分野でバランスよく世界トップレベルの評価を得ている[1]。一方、日本はインフラ整備などの「基盤」で優位性を持ちつつ、ICTを活用するための法律・制度などの「環境」や個人の「対応力」、行政における「利用」などの評価が低く、14位、19位、17位と低迷し、2010年は21位と後退した。

第二に、デンマークにおける「国民の幸福度」が世界一である。内容の異なる二つの調査(スウェーデンの調査機関World Values Surveyの幸福度ランキング(2008)とイギリスのレスター大学による国民の幸福度調査(2006))において、デンマークは「世界で一番幸せな国」と認定された[2]。また、ギャラップ社の世論調査の一つである「Well-Being」を基にした「国民の生活者満足度の国際比較」(OECD Facebook, 2009)においても、世界第1位の評価を得ている。対する日本は、上記二つの幸福度調査では中レベル、満足度調査ではOECD諸国平均を大きく下回り、ロシアに続く第27位と低迷している。

このようにデンマークは、日本が伸び悩むICTの「競争力」と「幸福度」において国際的に極めて高い水準にある国といえる。デンマークは、高福祉国家としてよく知られているが、言い換えれば、デンマークは経済力と社会福祉の適正なバランスを保ちながら、世界一幸せな国づくりを実現しているということである。このようなデンマーク社会のあり方は、「北欧モデル」の一つとして、EUを中心とした政策担当者や経済学者たちの注目を集めている。

なぜ、デンマークはICT利用を促進し、高い競争力を維持できるのだろうか。そして、幸福度世界一の社会にはどのような社会システムが構築され、その社会とICTの利用にはどのような関係性があるのか。

国際大学GLOCOMでは、これらの問題意識に基づき2009年11月、デンマーク政府を中心に現地調査を実施した。そこから見出されたのは、ICTを社会基盤として活用し、たくましく成長し続けるデンマーク社会の姿であった。本連載では、デンマークの行政、教育、医療、イノベーションなどの各分野をICTという軸で多面的に掘り下げ、デンマークが高い競争力と幸福度を創り出している成功の要因を考察していく。

[1] ただし、デンマークのブロードバンド基盤はADSLベースである。日本と比較して貧弱な基盤であるにもかかわらず、ICT利用が進むという日本と正反対の事象が起きている。

[2] 幸福に関する研究には多くの議論と蓄積がある。ダイアン・コイルは『ソウルフルな経済学』(2008)のなかで、「高水準の一人当たりGDPは、高水準の平均幸福度と対応する」という定説に疑問を呈し、幸福という概念の多元性と幸福研究の複雑性を指摘している。

デンマークという国

デンマーク(首都: コペンハーゲン)と聞いて、日本人の多くは何を連想するだろうか。観光名所のチボリ公園や、アンデルセン童話、洗練されたデザイン家具。それとも、漠然とした「遠い北欧の国、牧歌的な福祉国家」というイメージかもしれない。しかし、デンマーク大使館の中島健祐によれば、日本とそれ以外の諸外国の間でデンマークに対する認識が大きく異なるという。事実、デンマークは、ICT、バイオ、エネルギー、環境分野において新規事業やエマージング技術を確立するための戦略拠点、世界のR&Dセンターとして発展してきた。中島氏は「主要先進国はもちろん、中国、インドなどの新興国も含めてデンマークという立地の魅力に気づいていないのは、残念ながら日本だけだ」と指摘する。

デンマークの人口は約550万人、国土4.3万平方キロメートル。北海道や兵庫県の人口が、九州に住むイメージである。GDP(国内総生産)は約3,400億ドル(日本の約7%)、人口、面積、経済規模ともに小さな国と言える。しかし、1人あたりGDPは世界第3位と19位の日本を大幅に上回り(IMF;IFS2009年6月)、税負担率は高いが、医療費、教育費などは原則無料である。日本からデンマークを眺めると、手厚い社会保障制度を備えた高福祉国家にもかかわらず、経済成長と国際競争力を維持しているなんとも不思議な国に見える。

さらに我々を驚かせるのは、デンマークは日本と同じ社会的課題を抱えながら、それらを乗り越えてきた国であるという事実である。例えば、デンマークの財政赤字は1999年を境に黒字傾向に転じている。出生率もここ20年で1.3人台から1.9人まで回復し、少子化を克服した。エネルギー自給率は、1972年のオイルショック時の2%から現在は130%にまで拡大し、ゼロから立ち上げた風力発電の電力量は全電力消費量の20%にまで達し(2008年)、2050年までに50%まで拡大する目標だ。寒冷地帯ながら、食料自給率も約300%を誇っている。

デンマークには社会システムを良い循環に導く何かがある。現地調査を終えて、筆者は、このデンマーク型社会システムの歯車の軸はICTであり、「ICT利用」が好循環に有効に機能しているという感触を抱いた。デンマーク社会において、ICTは社会的基盤として浸透し、日常生活のなかで自然に利用されている。そしてICTはテクノロジーとして切り出されるのではなく、まさに全ての産業と一体化しており、必要不可欠ではあるが特別なものではない。このICT利用の進展は、デンマーク社会の大きな魅力であり、国際的な強みを発揮できる大きな原動力となっていると言える。

次項では、デンマーク政府がもっとも力を入れているICT国家戦略について、その進展の背景と戦略骨子について見てみよう。

次のページへ